「イサギ様、昼食ができました」

工房で新たな食材の品種改良を行っていると、メルシアがやってきた。

どうやらもうそんな時間になったようだ。

「ありがとう。すぐに行くよ」

そう返事をしながらキリのいいところまでやってしまおうと考えると、メルシアがスッと傍にやってきた。

「…………」

昼食が並んでいる自宅のリビングに戻るでもなく、何を言うでもなくジーッとした視線を向けてくる。

「あの、メルシアさん?」

「すぐに向かわれるので待ちます。放置すると、イサギ様はキリのいいところまでやってしまおうとかお考えになって何時間も続けますから」

「すみません。今すぐ止めてご飯にします」

何度かそういったことをやらかして、心当たりがアリまくりだった俺は即座に作業を中断して自宅のリビングに向かった。

ダイニングテーブルには既にバッチリと昼食が並んでいた。

ミネストローネ、サラダ、パン、ローストビーフと実に色鮮やかで美味しそうだ。

すぐに席に着くと、メルシアも対面側に腰を下ろした。

「いただくよ」

「どうぞ」

まずはメインであるローストビーフ。

丁寧に火入れされたお肉をナイフで切り分けて口に運ぶ。

絶妙な焼き加減のお陰で肉は柔らかい。そして、なにより牛肉の旨みが内部にギュッと詰まっている。

かけられたソースは肉汁を利用しているのか、実に肉本体と馴染んでいた。

「うん! 美味しい!」

「よかったです」

素直に感想を伝えると、メルシアが嬉しそうに微笑んだ。

クールで表情が変化しづらい彼女だが、料理の感想を伝える時は大きく感情が出てくる気がする。だから、作ってもらった味の感想は積極的に伝えるようにしているのだ。

次は大きなマグカップで湯気をあげているミネストローネ。

匙ですくって口に運ぶと、角切りにされたニンジン、ジャガイモ、タマネギ、キャベツなどがゴロゴロと入ってきた。

とても食感が豊かだ。スープもトマトの酸味と旨みがちょうど良い塩梅で実に美味しい。

たまに感じられるハムの塩っ気がいいアクセントになっている。

「このミネストローネもすごく美味しい」

程よい塩胡椒とパセリのバランスがとてもいい。

俺がミネストローネを作ってもこんなに美味しくはならないだろう。

パンをスープに浸してみると、スープの旨みを吸い込んでこれまた美味しい。

スープの中に具材の旨みがしっかりと染み込んでいる。

口の中をリフレッシュするためにサラダを食べる。

レタスにカットされたトマト、スライスされたキュウリが入っている。

食べるととても瑞々しくて甘い。

自分で言うのもなんだけど、トマトはフルーツなんじゃないかと思うくらいに甘くて美味しい。オリーブオイルをベースにしたソースがかかっており、ほのかな酸味と塩っ気が心地良い。

そうやってパクパクと食べ進めると、あっという間にお皿が空になった。

お皿を台所に持っていくと、先に食べ終わって食器を洗っていたメルシアが洗ってくれる。

俺は隣に立って、彼女が洗い終わったお皿の水気を布巾で拭うことにした。

始めは俺が雑事をやることに渋りを見せていたメルシアだが、やりたいからやると言ったら納得してくれた。

たまには俺だってこうやって家のことをやりたくなるしね。

特に会話をするでもなく黙々と作業を進める。

台所は沈黙が流れていたが、不思議と居心地は悪くなかった。

「なんだかこうして並んで家事をしている夫婦みたいですね」

「ふ、夫婦ですか!? そ、それは――」

なんて冗談を言っていると、不意に玄関の扉がノックされた。

「錬金術師のイサギさんはこちらにいらっしゃいますかー?」

聞いたことのない声だが、どうやら俺に用のある客人らしい。

「メルシアはそのままでいいよ。俺が対応するから――って、なんかすごい不満そうな顔だけど!?」

「いえ、なんでもありません」

一瞬だったけど、すごく表情が不満そうだった。そんなに皿洗いを任せられるのが嫌だったのだろうか? でも、食器洗いの途中だし、俺に用があるみたいだから俺が動いた方が早いよね?

色々と気になるところはあるが、今は来客の対応が優先なので気にしないことにした。

返事をしつつ、急いで玄関に駆け寄って扉を開ける。

しかし、そこには客人の姿はなかった。

「あれ? 誰もいない?」

「下! 下! もっと下なのです!」

言われて視線をグッと下げてみると、小さな赤い帽をかぶったおり、尖った犬耳のようなものを生やしている獣人の少女がいた。犬系の獣人だろう。

亜麻色の髪を肩口で切りそろえており、背中には身体よりも何倍も大きなリュックを背負っていた。

「えっと、君は?」

「はじめまして、わたしはワンダフル商人のコニアなのです! あなたが錬金術師のイサギさんですか?」

「はい、イサギは私ですが商人さんが何のご用で?」

プルメニア村には定期的に行商人が立ち寄ると聞いていたが、わざわざ個人の家にやってくるなんて聞いたことがない。一体何の用事だろう?

首を傾げていると、コニアと名乗った商人は愛嬌のある笑みを浮かべて言った。

「本日はイサギさんと商談がしたくて参ったのです」

「商談……? 私とですか?」

「はいなのです! 詳しい内容は中でお話してもよろしいですか?」

「わかりました。ひとまず、応接室に案内しますね」

「ありがとうなのです」

どのような内容なのか気になるが、具体的な話をするにも玄関では不都合だ。

先導しようとすると、後ろにいたコニアが「ぎゅっ」というくぐもった声を上げた。

振り返ると、コニアが巨大なリュックを背負ったまま扉をくぐろうとしていたようだ。

「……いや、さすがにリュックは入らないので外に置いてください」

うちの家の扉は通常サイズなので、横幅五メートルを越えているようなリュックは入らない。

「大切な商売の品なのですが、仕方がないのです」

渋々といった様子でリュックを外に下ろすと、コニアは中に入ってくる。

しかし、コニアはかなり小柄なので彼女に合うスリッパがない。

「すみません。サイズに合うものがなくて……」

「お気になさらず! こんな時のためにマイスリッパを持ち歩いているのです!」

懐から小さなスリッパを出してドヤ顔をするコニア。

どうやらスリッパを常に持ち歩いているらしい。

というか、懐に入るって本当に足が小さいんだな。

コニアは自分のスリッパを履いて入ると、ちょうど食器洗いを終えたメルシアと遭遇した。

「奥様ですか? はじめまして、ワンダフル商人のコニアなのです!」

「いえ、彼女はお手伝いをしてくれているメイドのメルシアです。ちなみに村長さんの娘さんですよ」

「やや、これは失礼したのです」

「いえ、お気になさらず。今、お茶をご用意しますね」

コニアの間違いにメルシアは気分を害した様子はなく、むしろ嬉しそうな笑みを浮かべてお茶の用意を始めた。

今度はなんだか妙に機嫌が良い。さっきは不機嫌そうだったのにどんな心境の変化があったのだろう。女心といのは謎だ。

「錬金術師さんの所はいくつか訪問したことがあるのですが、イサギさんの家はとても整っているのです」

コニアの素直な感想に思わず苦笑してしまう。

錬金術師の家や工房なんてものは、素材や研究資料でぐちゃぐちゃになっていることがほとんだ。

俺の所属していた宮廷錬金術師たちに与えられた事務室なんかも多くの素材と資料で散らばっていた。

俺も含めて錬金術師に共通しているのは、整理整頓がヘタだということだ。

「私の場合はメルシアが綺麗にしてくれていますし、家と工房を分けていますから」

「なるほどなのです!」

なんて雑談をしながら廊下を進んで、奥にある応接室にコニアを通した。

どうぞ腰掛けてくださいと言おうとしたが、応接室に設置されているソファーに彼女が座ると埋もれてしまいそうだ。

俺は部屋に置いてある木製のテーブルを錬金術で変形させて、小さなイスを作った。

「どうぞ。おかけになってください」

「ありがとうなのです! こんなにも鮮やかな錬金術ははじめて見たのです!」

コニアは感激した様子で礼を言うと、ちょこんとイスに腰掛けた。

うん、どうやらサイズは問題ない様子だ。

詳しい話をしようにもお茶が届いてからの方がいい。

お茶の用意ができるまで暇なので、俺はコニアのイスを改良することにした。

彼女の座っている様子を観察し、より身体にフィットするように背もたれを調節し、体重が分散するように肘掛けをしっかり作る。

「わわっ! イスがドンドンと変形して、身体にフィットするようになったのです! こんなにも座っていて落ち着くイスは初めてです!」

「気に入っていただけて良かったです」

軽く腰掛けていたコニアだが、イスがフィットするようになったからかすっかりと深く腰掛けてリラックスしていた。なんだか彼女を見ていると、とても和むな。