「よくこの距離で気付いたね」

「獣人ですので音を拾うのは得意です」

メルシアが得意げに言って程なくすると、前方から大きな猪が姿を現した。

高さは二メートルを越える大きさでかなりデカい。

灰色の分厚い毛皮に覆われ、成人男性の腕よりも太い凶悪な牙が二本ずつ生えていた。

錬金術師による鑑定は素材の構造を見抜くもの。このディアブルがどれくらいの筋肉量や脂肪量を保有しているかはわかるが、生きている動物や魔物の名称などを知ることはできない。

ただ、動物と魔物には大きな違いがある。それは魔力を保有しているかどうかだ。

目の前にいる大きな猪は魔力を保有しているので、魔物ということになる。

「この魔物は?」

「ディアブルという魔物です。荒っぽい気性をしており、牙を生かした突進をしてきます」

メルシアの言う通り、かなり好戦的な魔物らしい。突然、獣人と人間に出くわしたのに、ディアブルはやる気満々だった。脚で地面を掻いてうなり声を上げている。

「イサギ様、ここは私にお任せてください」

このメイド、本当に前に出た! 

悠然と前に歩いていったメルシアを前に、ディアブルが猛然と突進していく。

前方に伸びた凶悪な牙はメルシアの身体よりも大きく、貫かれれば命はないだろう。しかし、大きな牙はメルシアを捉えることはなかった。

気が付けば彼、メルシアは宙を舞っていた。

獣人の脚力を生かしたノーモーションからの跳躍だろう。まったく前動作に気づかなかった。

彼女は空中でグッと拳を握りしめると、ディアブルの横っ面を殴りつけた。

巨体が大きく吹っ飛び、進行方向にあった木々がへし折れる。

「ええっ!?」

冗談みたいな光景を見た俺は唖然とした。

相手の体重は推定で一トン近くはある。

それを華奢なメルシアが殴り飛ばすなんてどんな冗談だろうか。

殴り飛ばした本人は猫のように軽やかに着地を決めると、パンパンとエプロンに付いた砂埃を払っていた。

殴り飛ばされたディアブルを見に行くと、白目を浮かべて動かなくなっていた。

「……一撃だ」

「イサギ様のお手を煩わせるわけにはいきませんので」

偶然などではなく、狙ってやったらしい。

「ねえ、メルシアって本当にただのメイドなの?」

獣人だから身体能力が高いのはわかっていたが、メルシアの戦闘力は明らかに異常な気がする。

「……メイドです。が、獣人である私が帝城で仕えることができたのは、この戦闘力が買われていたからだと思います」

帝国では獣人を見下す風潮がある。

それなのに彼女が帝城で働くことができたのは、美しく仕事ができたということ以上に、高い戦闘能力に期待されていたようだ。

「それでやたらと夜間勤務が多かったんだ」

「はい。私は夜目が効きますし、メイド姿ですと油断を誘いやすいですから」

とても実感がこもっているような気がする。

今まで帝城に侵入してきた者は何人いるのだろう。

聞きたいけど、ちょっと怖くて聞けないや。

「近頃は暗部の方への勧誘が激しかったので、イサギ様と同時に退職できたのは本当に良かったです」

なんだかシレッと聞いてはいけない帝城の闇を聞いた気がする。メイド長にやたらと引き留められたと聞いたけど、もしかしてそっち方面もあったのだろうか?

「そんな事情があったなんて知らなかったけど、帝城で俺みたいな人が無事に過ごせていたのは、メルシアのように頑張っていてくれた人がいたからだよね。本当にありがとう」

踏み込んではいけない匂いがプンプンするが、感謝の気持ちだけは伝えておきたかった。

彼女のように頑張ってくれる人がいたから、俺たちは平和に過ごすことができたのだろう。

「いえ、夜間警備もメイドに仕事なので当然です」

感謝の気持ちを伝えると、メルシアはそっぽ向きながら言った。

いや、普通は帝城に仕える騎士の仕事だと思うけど、それを突っ込むのは野暮だろう。

相変わらずクールだなと思ったけど、尻尾はブンブンと揺れていた。





魔物の体内には魔石というものがある。

魔石には魔物が大気から微量に取り込んだ魔力や、捕食によって得た魔力が宿っている。

錬金術師はそんな魔石を利用することで、魔道具やアイテムといった加工品を作り上げているのだ。

つまり、魔石はいくらあっても困らないので、錬金術師にとって実に大切な素材だ。

「さてさて、ディアブルの魔石はこの辺りかな?」

倒したディアブルに近づき、魔力の流れを確認。

胸部に魔石があることを見抜き、ナイフを動かしていくと体内に紫水晶のようなものが見えた。これが魔石だ。

「すごい! とても大きい上に魔力の質が良い! この魔物って、かなり大物?」

「いえ、この森で出現する平均的な魔物かと思います」

「えっ、これで普通なんだ……」

両手で支えるような大きな魔石なんて帝都では滅多に手に入らない。手に入ったとしても、かなり稀少で高額となってしまうのだが、ここではこれが普通のようだ。

となると、このレベルの魔石がたやすく手に入ることになる。

「……ねえ、メルシア。プルメニア村の周りではよく魔物が出現したりする?」

「それはもうかなりの数が。定期的に間引かなければ、村に群れが押し寄せてくることもあるほどです」

どうやら周囲に生息する魔物の数は膨大らしい。

「それなら、魔石を肥料の素材とするのはアリかもしれないね」

帝国式の肥料では別の魔力素材を組み合わせていたが、魔石をバンバンと使えるのであればこっちの方が早い。

実際にそれで肥料が作れるかは未知数だが、俺の勘ではいくつかの素材を組み合わせればいけると思う。

「かしこまりました。では、魔石を多めに集めることにしましょう」

「うん。そういう方針ってことで、次の魔物を探そうか」

「イサギ様、少しだけお時間をいただいてもいいですか? ディアブルの肉はとても美味しいので持ち帰っておきたいので」

「あっ、ごめん。肥料に必要な素材のことしか考えてなかった」

自分が興味のある素材を手に入れると、他のものに興味がなくなるのは錬金術師の悪い癖だ。

今は新しい土地で新生活を送っているのだ。

帝城で働いていた時のように衣食住が保障されているわけではない。

きちんと生きていく上で必要になる食材は自分で手に入れ、食い扶持も自分で探さなければいけない。これまでのように素材だけ仕入れて、依頼されたものを作っているだけでは今までと何も変わらないんだ。

「メルシア、俺にも解体の仕方を教えてくれないか?」

「私でよければ」

頼み込むと、メルシアはにっこりと笑って解体の仕方を教えてくれた。