「イサギ! どうしたの!?」
「メルシアが俺を庇って負傷したんだ」
「――そんな!」
「と、とにかく、治癒ポーションで治療を――」
俺は急いでマジックバッグを漁ってポーションを取り出そうとするが、帝国からの魔法攻撃が続けて防壁に直撃した。
今度は近くで直撃こそしなかったものの激しい爆風が俺たちを襲う。
それと同時にまた大きな破砕音が響いた。
「マズい! 防壁にまた大きな亀裂が!」
防壁には内側から見てもわかるほどに大きな亀裂が入っていた。
それにより帝国も防壁を破壊するべく、亀裂部分を集中砲火しているらしい。
激しい魔法の雨が亀裂目掛けて降り注ぐ。
これ以上ここを守ることはできない。撤退という二文字が浮かび上がる。
しかし、その決断をするには遅かった。
真正面にある防壁の一角が崩れ落ちた。
どうやら帝国の破城槌によって派手に穴を開けられてしまったらしい。
それは一か所だけじゃなく、何か所も同時に穴を開けられてしまう。
その穴から数多の帝国兵が突入してくる。
「て、帝国兵が入ってきやがった!?」
防壁が破られてしまえば、俺たちは砦に籠るしかない。
「総員撤退! 砦に逃げ込んで!」
レギナが必死に声を上げて、獣人たちに指揮を飛ばす。
しかし、砦に籠ってしまえば、周囲を大勢の帝国兵に包囲されて逃げ場がなくなってしまう。四方八方から魔法を撃ち込まれて外から砦を壊されるか、圧倒的な兵力差によって蹂躙される未来しかない。
それでも獣王軍がやってくるという最後の希望を信じるしかない。それ以外に道はないのだから。
「イサギ! 早く下がって!」
俺は負傷しているメルシアを抱きかかえると必死に砦に向かって向かう。
ただ疲労していることもあってか、今の俺の体力では人を運ぶことすらままならない。
女の子一人さえ満足に運ぶことができないんだから情けない。
メルシアはあんなにと軽々と俺を運んでいたのに。本当にすごい。
俺がメルシアを担いでのろのろと撤退している間に後方からは帝国兵が迫ってくる。
「イサギさん! なにやってんだ!? 早くしろ!」
リカルドの言いたいことはわかる。
俺の下がる速度が遅すぎてこのままじゃ帝国兵に追いつかれるってこと。
レピテーションは人体に作用しない以上、メルシアを運ぶことはできない。
このままじゃ共倒れになってしまう。
だからといって俺の中にメルシアを置いていくなんて選択肢はあり得ない。
メルシアは俺を助けるために傷付いたんだ。そんな彼女を置いて一人だけ逃げるなんて男としてできるはずがない。だからといってこのまま俺が運んでいては共倒れだ。
たとえ俺だけが死ぬことになっても、メルシアだけは助ける。
「ウインド!」
俺はなけなしの魔力を振り絞って風魔法を発動。
目の前に発生した風はレギナの身体をふわりと持ち上げて前方へと飛ばした。
落下先にはこちらを心配そうに見るレギナがおり、彼女の腕の中にすっぽりと収まった。
怪我人を運ぶのに大変乱暴なやり方ではあるが、非常事態なので許してほしい。
「受け取ったわ!」
「早くイサギさんもこいよ!」
「ごめん。それは無理かも」
なけなしの魔力を使い切ったからか足からガクッと力が抜ける。
俺の身体が前のめりに倒れる。
自分の命の危機が迫っているというのに身体が言うことを聞いてくれない。
帝国兵がゆっくりと迫ってくる。どうやら俺はここまでのようだ。
でも、悔いはない。やるべきことはやったんだ。
漫然と迫りくる帝国兵を見つめていると、視界が急に曇った。
「王を差し置いてこんなところで昼寝とはいい身分ではないか、イサギ」
呆然と見上げると、そこには緑のマントを羽織った大柄な獣人が立っていた。
「ライオネル様?」
「お父さん!?」
「ああ、ようやく追いついたぞ!」
「遅いです!」
「どれだけ時間かけてるのよ! ホントに遅い!」
「なんか当たりが強くないか?」
俺とレギナの抗議を受けて、ライオネルが若干凹んだ様子を見せる。
それくらいこちらとしては大変だったのだ。俺もレギナも何度も死にかけたし、多少の文句には目を瞑ってもらいたい。
「これでも様々な工程を吹っ飛ばして急いでやってきたつもりなんだがなぁ」
獣王都からプルメニア村まで二週間はかかる道のりだ。
ライオネルが軍を編成して、ここまでやってくるのに時間がかかるのも仕方がないだろう。
「イサギ、ポーションを飲め」
「すみません。これ以上の服用は身体がもたないので」
「……そうか。無理をさせてしまってすまない」
ライオネルが治癒ポーションを渡してくれるが、俺はゆっくりと顔を横に振った。
ポーションに頼ることができない以上は、強化作物を口にし、自然回復に身を任せるしかない。
「とりあえず、目の前にいる奴等が帝国兵ということで間違いないな?」
「ええ、そうよ」
「俺たちよりも前に味方は?」
「いません」
「で、あれば派手に暴れてもいいということだな」
レギナと俺の報告にライオネルは不敵な笑みを浮かべる。
突如として目の前に現れた獣人を前にして帝国兵は警戒感を露わにしている。
相手は目の前にいるのが獣王とは気付いていないだろうが、その佇まいや雰囲気からして只者じゃないことはわかっているのだろう。
わかる。ライオネルって立っているだけで圧が半端ないからな。
そんな中、帝国兵は顔を見合わせると一斉に魔法剣を構えた。
身体能力の高い獣人とは下手に接近戦をせずに遠距離からの魔法攻撃で仕留めることにしたらしい。
数多の魔法剣が煌めく中、ライオネルは両腕を組んでジッと立っているだけだった。
回避運動をする素振りや攻撃を仕掛ける素振りはまったくない。
そんな中、帝国兵の魔法剣から様々な魔法が放たれる。
真正面から迫ってくる各属性魔法の嵐に対して、ライオネルはフッと息を吐いた。
それだけで魔法がかき消された。
「はっ?」
俺だけじゃなく魔法剣の力を放った帝国兵からも間の抜けた声が上がる。
あれだけの魔道具による攻撃の束が、ただの息だけでかき消された? 意味がわからない。
何か強力な魔法で相殺するならまだしも、ただの息だけで相殺するなんて悪夢だ。
「ハハハ! 今度はこっちの攻撃の番だな!」
ライオネルは豪快に笑うと、深く息を吸い込んでお腹を膨らませた。
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
次の瞬間、ライオネルから咆哮が放たれた。
それはただ大気を震わせるだけでは留まらず、音の奔流となって帝国兵たちを吹き飛ばした。後ろにある防壁が余波で倒壊し、傍にいた帝国兵たちに被害をもたらしていく。
「どうやったらただの咆哮でそうなるんです?」
「闘気と魔力を体内で練り上げて放つだけだ」
そもそも闘気ってなんだ。そんな力は初めて聞いたんですけど。
「なんか色々と生物としての各が違い過ぎる気がする」
「そりゃそうよ。お父さんは獣王国で最強の戦士だもの」
レギナが胸を張ってどこか誇らしそうに言う。
そうこう話をしている内にライオネルは地面に片手を差し入れると、直径十メートルほどの大岩を引っ張り出し、そのまま帝国兵たちに投げつけた。
圧倒的な質量を誇る巨大物が帝国兵に襲いかかる。
軽い攻撃がそこらの軍用魔道具を遥かに凌駕する一撃となる。
彼が本気で戦えば、どのようなことになるか想像ができないな。
砦に籠っている獣人たちが総出になっても抑えることができなかったのに、ライオネルはたった一人で食い止めるだけでなく壊滅させようとしている。
恐らく、獣王国にとっての獣王という存在は、たった一人で大きな戦を左右できるほどの戦術的な活躍ができる英雄であることを指すのだろうな。
「レギナ! 今のうちにメルシアに大樹ポーションを!」
冷静に分析をしている場合じゃなかった。ライオネルが帝国兵を止めている間に、メルシアの治療をするべきだ。
「そ、そうね! え、えっと、この場合は飲ませればいいのかしら? それとも傷口にかけた方が?」
「ごめん。ちょっと借りるね」
あまりこういった怪我人にポーションを使ったことがないのだろう。
慌てた様子のレギナからポーションを拝借すると、俺はメルシアに錬金術を発動。
彼女の腕、肩、背中などに刺さった石材の破片を錬金術で抽出して抜き出す。
メルシアが痛みでうめき声を上げるが、体内に残留したまま治療することはできないので我慢してもらう。
すべての破片を体内から除去すると、俺はメルシアの背中を中心とした傷口に大樹ポーションをかけてやる。
すると、ポーションは効力を発揮させ、痛々しいまでの背中の火傷や切り傷が綺麗に治った。
「……イサギ様?」
程なくすると、メルシアの瞼がゆっくりと持ち上がって綺麗な青い瞳が露わになる。
「よかった、メルシア。意識が戻ってくれて」
メルシアが目を覚ますと、俺はその嬉しさから思わず抱き着いてしまう。
「あ、あの! イサギ様!?」
「ごめん。メルシアが無事だったのが嬉しくて。俺を守ってくれてありがとう」
「い、いえ。メイドとして当然のことをしたまでなので! あ、あの、それよりも状況を教えていただけますか?」
メルシアが顔を真っ赤にしてあわわとするので、とりあえず俺は身体を離して落ち着いてもらうことにした。
「ライオネル様がやってきたんだ!」
「ということは獣王軍はやってきたのですね!?」
メルシアがホッとしながら言うが、俺たちの目の前にはライオネルはいるものの他の獣王軍らしき存在を目にしてはない。
「お父さん! 獣王軍は?」
「遅いから置いてきた!」
「え? 王なのに軍勢を置いて一人で来ちゃったんですか!?」
「そのお陰でイサギたちが助かったのだからいいではないか」
思わず突っ込むと、ライオネルがややムスッとした顔で言う。
いや、そう言われるとこちらは何も言えないのだが、王が軍勢を置いてきていいんだろうか? なんて思っていると、不意に地面が激しく揺れた。
「こ、この揺れは?」
「まさかこんな時に魔物?」
周囲の魔物は駆除しておいたはずがだ、血の匂いに誘われて集まってきてもおかしくはない。サンドワームのような魔物が襲いかかってくるのかと地面を警戒するが、いつまで経っても地面が盛り上がることはない。
「いいえ、これは魔物じゃないわ! 二人とも後ろを見て! 獣王軍よ!」
レギナに言われて振り返ると、砦の遥か後方に激しく砂煙が上がっている。
そこには鎧を纏った大勢の獣人が整然として並んでおり、大きなカバのような動物に跨って疾走していた。
「ライオネル様ー!」
整然と並ぶ兵士たちの中央には小柄な初老の獣人――ケビン宰相がいた。
「おお、ケビンか! 遅いぞ!」
「遅いですじゃありませんよ! まったく我々を置いてお一人で先行されるなんて!」
ライオネルの独断専行に案の定、宰相であるケビンはお怒りのようだ。
そりゃそうだよ。軍勢を率いる王が先に前に出ちゃっているんだもん。無茶苦茶だよね。
「やった! 獣王軍だ!」
「獣王軍だけじゃねえぜ!」
獣王軍の到着に喜んでいると、不意に空から誰かが下りてきた。
その人物の頭には巨大な牛角が生えており、纏っている皮鎧には一族の象徴色である赤いのラインが入っていた。
「キーガスさん!?」
「おうよ!」
不敵な笑みを浮かべて自身の身長ほどある戦斧を肩に担ぐキーガス。
彼はラオス砂漠に住む赤牛族の族長だ。
ここよりも遥か遠いところに住んでいるキーガスの登場に驚いていると、今度は頭上でバサリと羽ばたく音がした。
「彼だけじゃなく、私たちもいますよ」
見上げると、鮮やかな翼を動かしてこちらにやってくるティーゼがいた。
「ティーゼさん!」
「どうしてここに?」
そうだ。二人と会えたのは嬉しいが、どうしてこんなところにいるのか。
「獣王に礼を伝えるために獣王都に向かったらイサギたちの故郷が大変なことになってるって聞いよ。集落の戦士を率いてやってきたぜ」
「ええ!? ラオス砂漠からプルメニア村までかなり遠いのに!?」
「遠いとか関係ねえよ。お前たちは命の恩人だからな」
「今度は私たちがイサギさんたちをお助けする番です」
キーガスの後ろには大勢の赤牛族がやってきており、上空にはティーゼ率いる彩鳥族たちが空を飛んでいた。二人だけでなく、集落にいる戦士たちも駆けつけてくれたようだ。
二人の温かな言葉の戦士たちの雄叫びに目頭が熱くなる。
「……皆、本当にありがとう」
「おいおい、もう泣いてるのかよ!? 泣くのは戦いが終わってからだぜ」
「キーガスの言う通りですよ。涙は戦いに勝利したその後にまで取っておきましょう」
「うん。そうだね」
援軍がきてくれたとはいえ、まだ戦争の最中だ。喜び泣くのは後にしておこう。
「獣王軍たちよ! こうして今まさに卑劣な帝国が我らが領地を侵略している! 王国民としてこれが許せるものか!?」
「否!」
「そうだ! ここは獣王国! 我らが国の領土だ! 帝国になどくれてやるつもりはない! 獣王軍よ、今こそ日頃の訓練の成果を見せる時! 我らの民を、領土を守るために戦え! 総員突撃!」
「「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」」
ライオネルの号令によって獣王軍たちが雄叫びを上げて前に進んでいく。
その戦力は帝国に勝るとも劣らない。そんな数の獣人たちが雪崩れ込んでいく。
帝国兵士が獣人の操る騎獣に踏み潰されていく。
少数の相手を追い詰めたと思いきや、自分たちと同等のあるいはそれ以上の戦力が現れたのだ。混乱するのも無理はない。
「……すごい戦意だ」
「獣王軍の戦士には、イサギに恩のある人も多いからね」
「恩?」
レギナによると、どうやらうちの農園の作物や救荒作物によって戦士たちの故郷や家族が救われたようだ。そのため戦士たちは俺やプルメニア村に多大な恩を感じており、恩を返すべく奮闘してくれているようだ。
まさか、自分の行いがこのように巡り巡ってくるとは思わなかった。
やっぱり、最後に大事なのは人と人の繋がりなのだな。
「イサギはどうするんだ?」
「見たところ疲弊されているようですし、後ろに下がっていても構いませんよ?」
「いや、俺も戦うよ。俺にだってまだできることがあるからね」
全快には程遠いけど、それなりに魔力は回復した。
これだけの頼もしい仲間がいるのであれば、やれることはたくさんある。
「ようやく遠慮なく戦えるのよ? 後ろでジッとなんてしていられないものね!」
「私もお供します!」
レギナだけでなく、メルシアもすっかりと戦う気は満々のようだ。
戦力も十分にあるし、頼りになる仲間も大勢いる。
ここからは耐えるための戦いじゃない。帝国に勝つための戦いをするんだ。