ガランゴロンと岩が転がってしまって慌てる。
穴から出ずにしばらく様子を窺ってみるも、その音で誰かがやってくる気配はない。
そのことに安堵しつつ、俺はおそるおそる外に出て様子を窺う。
久しぶりの明るい光に目がチカチカとする。それをグッと堪えて視線を巡らせる。
周囲は岩礁地帯になっていたので俺たちはすぐに身を隠し、落ち着いて周囲を確認。
あちこちでテントのようなものが建っていた。周囲には小さな柵が立てられており警戒する兵士が立っているが、こちらにはまったく気付いていない。
「あれは帝国の陣地か?」
「大きな仮設テントなどを見る限り、そうだと思う」
ここだけが戦場のような血生臭い空気が漂っておらず、まったりとした空気が流れている。
前線に出ていないからこその腑抜けた空気だ。
恐らく、ここには軍を率いる王族や、その家臣などが待機しているのだろう。
「魔力大砲はどこなんだ?」
「あそこだ」
ラグムントの指さしてくれた方角を見ると、テントから離れたところに魔力大砲が鎮座していた。その周囲には護衛の兵士が立っており、警備を固めている。
「どうする? 一気に四人で突っ込んで壊すか?」
「いや、私が囮になろう。その隙に三人が近づいて壊すはどうだ?」
リカルドとラグムントが小さな声で魔力大砲を無力化する方法を話し合う。
しかし、それらはどれも危険であり、確実性に欠けると言わざるを得ないだろう。
俺も掘削しながらぼんやりと考えてはいたが、どれも確実性があるとは言いづらい。
「イサギ様、提案があります」
そんな中、メルシアが覚悟のこもった眼差しを向けながら言う。
長年付き合っているだけに彼女が何を考えているか俺にはわかった。
「メルシアが一人で皇族を暗殺するっていうのは無しだよ?」
「ッ!? な、なぜですか?」
「仮に暗殺が成功したとしてもメルシアが犠牲になるからだよ」
「構いません。私一人の犠牲でこの戦いが終わるのであれば安いものです」
「全然、安くないよ。少なくとも俺はそうは思わない」
「俺も同感だ。いくらオレたちより強いって言っても、女だけを犠牲にして助かりたいとは思わねえよ」
「今回ばかりは私も同感です。メルシアさん」
「それに皇族を暗殺したところで帝国の侵略が止まる保障も無いしね」
皇子を暗殺しても、次なる指揮権を持った皇族が控えている可能性もある。
それくらい帝国には大勢の皇族がいるんだ。
皇子の一人暗殺しても終わるとはいえないし、また次の大きな火種になる可能性がある。
「わかりました。ならば、暗殺はやめておきます」
そういった理由も指摘すると、メルシアは納得したのか頷いてくれた。
メルシアだけ犠牲にして、俺たちは助かりましたなんてケルシーに言えないしね。
魔力大砲を無力化しつつ、全員で帰還する方法を俺たちは考える。
「四人で魔石爆弾を投げ込むってのはどうだ?」
「それはアリかもしれない」
「いや、あれほどの巨大な大砲だ。装甲を見る限り、多少の魔法なんかが撃ち込まれることは想定しているだろうから難しいと思う」
チャンスは一度しかない以上、確実性が低いものは採用できない。
「じゃあ、どうしろってんだ?」
「俺が近づいて錬金術で内部から破壊するよ。それが確実だ」
外部からの攻撃が安全性に欠ける以上、内部からの破壊が一番確実だ。
そして、それが実行できるのは魔道具にもっとも精通している俺だけだ。
「周囲には大勢の兵士がいますが……」
「そこはこのローブを使って紛れ込むよ」
魔力大砲の周りには俺と同じローブを羽織った錬金術師たちがいる。
ザッと見たところその中に顔見知りらしきものはいない。
俺が羽織っているのも帝国の宮廷錬金術師のものだ。それとなく入っていけば、警戒されることなく近づくことができる。
「ですが、イサギ様は開戦時や撤退時の活躍で容姿が知れ渡り、警戒されているかと……」
メルシアの言うことはもっともだ。俺の容姿は既に帝国内に共有されている可能性がある。
「ならその容姿を変えればいいんだよ」
俺はマジックバッグから一つのピアスを取り出して、耳につけた。
「うお! イサギさんの髪色が真っ黒になったぜ!」
「それに目の色も黄色から青に……」
これは錬金術で作成したマジックアイテム。カラーピアスだ。
装備した者の髪色と目の色を自由に変えることができる。
「これならぱっと見で俺とはわからないでしょ?」
「ええ、別人ですね」
「……黒髪のイサギ様もアリです」
なんだかメルシアのコメントだけがズレている気がするが、お墨付きがもらえたのならそれでいいだろう。
「オレたちからすれば、匂いで一発だけどな」
「人間族にそこまでの嗅覚は備わってないし、俺の匂いなんてわからないから」
人間族にそのような見分け方はできないので、そこは気にしなくていいだろう。
段取りとしては俺がバレないように近づいて、魔力大砲を内部から破壊する。
メルシアとラグムントには俺がバレた時のために近くに控えてもらう。
場合によってメルシアが敵兵を蹴散らし、ラグムントが魔石爆弾などで牽制することも視野に入れている。
そして、リカルドは洞窟で待機してもらい、確実に退路を確保してもらう。
敵に追いかけられるようなことがあれば、リカルドが魔石爆弾などを投げて誘導をしてもらうという感じ。
「これでどう?」
「異論はないです」
大まかな作戦の流れを説明すると、特に反対の意見が挙がることはなかった。
「決まりだね。じゃあ、行ってくるよ」
「イサギ様、どうかお気をつけて」
メルシアたちに見送られると、俺はこっそりと岩陰から出た。
そのまま帝国兵たちに合流すると、何気ない姿で魔力大砲の方へ向かう。
俺の視界を何人もの帝国兵が闊歩している。
俺がイサギだとバレたら、腰に佩いている剣で斬り捨てられてしまうだろう。
緊張で心臓がバクバクと鳴る。だけど、そんなことはおくびにも出さずに堂々と歩く。
何もないところから現れれば怪しいことこの上ないが、一度紛れてしまえば早々疑われることはない。そう自身に言い聞かせることで、俺は一歩ずつ前に進んでいく。
魔力大砲の傍にやってくると、護衛の兵士がこちらを睨みつける。
その鋭い眼力にビビることなく入っていくと、兵士は軽く頭を下げて通してくれた。
宮廷錬金術師はほとんどが貴族だから。貴族を相手に強く出られる兵士はいない。
そんなわけで俺はあっさりと魔力大砲の傍にやってくることができた。
周囲には俺以外の宮廷錬金術師がいる。幸いにして顔見知りはいない。
いたとしてもカラーリングで変装している俺に気付く者はいないだろう。
気付くほど仲の良かった同僚なんていなかったからね。悲しいぼっちがまさかここにきて役立つとは世の中は何があるかわからないことだ。
俺はシレッと魔力大砲へ近づく。さも軍用魔道具を調整する宮廷錬金術師のように。
魔力大砲に触れた俺は、魔力を流して内部構造を読み取っていく。
ベースはアダマンタイトを使っており、そこに魔鉄、魔鋼といった魔法防御力の高い素材を使っている。もちろん、それらは宮廷錬金術師が加工しており、並の攻撃では傷一つつけることができない硬度に高められている。
上質な素材を用意することはもちろん、これほどの大きさに加工するのも大変だっただろうな。
これを作るのに一体どれほどの金額を注ぎ込んだのか呆れる思いだ。
その資金があれば、大勢の民たちを笑顔にできただろうに。
俺が解雇されてからしばらくの月日が経過したが、帝国は内政にまったく力を入れず、軍事費にばかりお金を注ぎ込んでいるようだ。残念でならない。
そんなことを考えてしまうが、今の俺は帝国の宮廷錬金術師ではない。
プルメニア村に住む錬金術師イサギだ。今の俺がどうこうできるわけもないし、もはや関係のないこと。
余計な考えは捨てて、魔力大砲の構造を把握するべく魔力を浸透させた。
魔道具を破壊するには魔石ではなく、魔力回路を破壊する方がいい。
あれだけの出力を誇る魔石を用意するのは、それはそれで大変であるが、逆に言えば
取り換えるだけで済む。しかし、魔力回路はそうはいかない。
魔力回路はもっとも少ない力で最高率の魔力を供給できるかを錬金術師が練りに練り、多大な魔力と時間をかけて作り上げるものだ。この規模の魔力回路となると、かなり緻密に回路が組まれていることだろう。
そのような工程で作り上げられたものをすぐに修理することは不可能だ。
恐らく、宮廷錬金術師が束になっても一週間はかかるだろう。
だから魔石を破壊するより、魔力回路を壊される方が錬金術師にとっては致命的なのである。
故に錬金術師は魔力回路の破壊を一番に警戒している。いくつもの魔力回路を重ね、つなげ合わせて、どこかに異常をきたしても機能を発揮するように。
しかし、どのような魔道具であっても完全なものを作るのは不可能だ。
どこかに中枢部分となる魔力回路があるはずだ。確実に破壊するにはそれを見つけては買いする必要がある。
中枢部分はどこだ? 闇雲に探っては時間がかかる。製作者の意図を考えろ。
これだけの規模の軍用魔道具を作るのが得意だったのは錬金術師長。
用心に用心を重ねる彼の性格からして表面にあるものは、すべてダミーだろう。
一見して繋ぎにしか見えないこの小さな魔力回路が本命という可能性が、彼の性格からすると高い。
「――あった」
試しに範囲を絞って探ってみると、予想通り何の変哲もない小さな魔力回路が中枢を担うものであった。
他のものは替えが効くが、これだけは壊されてしまえば替えが効かない。
俺の錬金術師としての知恵と経験がそう告げている。
壊すのはこれだ。
「そこのお前、何をしている?」
壊すべき回路を見つけた瞬間、後ろから声がかかった。
ゆっくりと振り向くと、錬金術師課を統括していた元上司のガリウスがいた。
げっ! という言葉が喉まで出そうになったが何とか堪えた。
やや疲れの見える表情をしているが高圧的な態度は変わっていないな。
「先程の発射で魔力回路に負担がかかっていないか確認をしておりました」
「確認作業なら先ほど終わったと聞いたはずだが?」
「ええ、終わっています。後は砲身の自然冷却を待つだけで何も問題もないので勝手に触らないでください」
ガリウスの傍には錬金術師長もいる。
とはいっても、平民である俺はほとんど会話をしたことがない。
向こうも俺に興味はなかったようなので覚えていないはず。
「出過ぎた真似をいたしました」
ここは一旦引き下がって、彼らがいなくなったタイミングで魔力回路を壊そう。
「……待て」
「なんでしょう?」
下がろうとしたタイミングでガリウスが声をかけてきた。
「貴様、どこか見覚えのある顔をしているな?」
今度は何を言われるのかと思ったタイミングでそんな言葉を投げられたものだからドキッとしてしまう。
マズい。ここれでバレてしまえばハチの巣だ。
バレるのであれば、せめて魔力回路を壊してからにしないと。
などと考えるが、まずはここを逃れることが先決だ。
焦りを出せないように意識して表情を繕う。
「そうでしょうか?」
「その顔つき、髪型、背丈、少し前に解雇してやったイサギにそっくりだ」
「というか、カラーリングつけてるので髪色や目の色は偽装です。多分、こいつは本物のイサギですよ」
「「ッ!?」」
ガリウスが確証を持てない中で傍に控える錬金術師長が呑気に言った。
見た目は誤魔化すことはできても、装備しているアイテムを誤魔化すことができない。
くっ、そこを考えるべきだった。
「貴様! イサギか!?」
ガリウスの誰何の声には答えず、俺は魔力大砲の核となる魔力回路へ強引に魔力を流し込んだ。
起動していない状態で行き場のない魔力をねじ込まれたせいか、回路内で魔力が暴発。
魔力回路が砕けてショートする。
「ああああああああああああああああああああ!」
そんな光景を見て、錬金術師長が悲鳴を上げる。
彼は慌てて魔力大砲へ近づくと、内部の魔力回路を確認し始める。
周囲にいる宮廷錬金術師や兵士は何が起こったのか付いていけていない。
「あいつ、よりによって中枢を担う魔力回路を壊しやがった! 人間のやることじゃない!」
「こっちも錬金術師だからね。錬金術師が何をされたら嫌がるのかはわかってるさ!」
俺はそんな捨て台詞を吐くと、背中を向けて一目散にメルシアたちのいる方へ。
「なにをしている兵士共! そいつは賊だ! 取り囲んで殺せ!」
状況に気付いているガリウスが指示を出すと、動揺していた兵士たちが慌てて追いかけてくる。
仮に部下だった者を躊躇なく殺そうとするとはドン引きだよ。
まあ、こっちも間接的ではあるが大勢の帝国兵を殺めているし、今さら手加減してもらえるわけもないか。
リカルドの待機している穴目掛けて走ると、騒ぎを聞きつけたのかテントから帝国兵が出てくる。
「ふふふ、油断したな! 我が剣の錆に――ごはっ!?」
真正面から突然やってきた帝国兵に驚いていると、横からメルシアがやってきて殴り飛ばしてくれた。
「メルシア!」
「魔力大砲は?」
「破壊した!」
「では、撤退を!」
「ああ!」
目的を達成したのであれば、これ以上ここに留まる必要はない。
後は全員が無事に砦へと戻るだけだ。余計な言葉は無用だ。
「その錬金術師と獣人の娘を捕まえろ! 帝国の裏切り者だ!」
ガリウスの大声に反応し、あちこちのテントから帝国兵がやってくる。
後方に控えていた兵士はかなり多い。
メルシアが必死に殿を務めてくれるが、怒涛のような勢い取り囲まれそうになるが、どこからともなく投げ込まれた魔石爆弾が帝国兵たちを襲った。
「二人とも早くこっちに!」
「ありがとう!」
作戦通りにラグムントが魔石爆弾で援護してくれたようだ。
魔石爆弾は敵が密集していると多大な被害を与えることのできる魔道具だ。
魔道具をよく扱うからこそ、その脅威がわかっているのか帝国兵が慌てて散っていく。
俺もそれに合わせて、魔法を使って火球をばら撒いた。
「何の騒ぎだ!」
陣地の後方で爆発が巻き起こったせいかテントから高貴な身分であろう人物が出てくる。
派手な銀色の鎧を纏っているのは、第一皇子であるウェイスだった。
「ウェイス皇子」
「もしや、イサギか!?」
平民にもかかわらずに俺にたった一度の評価の声をかけてくれた人。
しかし、それ以降声をかけてくることはなかったし、俺が解雇された時も声を挟んでくることはなかった。
「捕らえろ! いや、そいつは帝国の害になる! 殺せ!」
現に俺だと気付いたウェイスの口から出た言葉はそんなものだった。
これだけ被害を与えてしまっているので当然だろう。
「イサギ様、また囲まれる前に脱出を!」
「ああ!」
これ以上立ち止まってしまっては皆の力で突破した意味がない。
俺はすぐに足を回転させる。それと同時に火球を作り上げると、空へと打ち上がる。
打ち上った火球は上空で派手に爆発させた。
これはレギナたちへの作戦成功の合図だ。これで彼女たちが無理に前に出る必要はない。
すかさず俺とメルシアはそこに飛び込んで掘削した横穴へと向かう。
「こっちだ! 早くずらかるぜ!」
穴の前ではリカルドがしっかりと退路を確保して待ってくれていた。
「イサギ様、後ろから魔法が!」
「問題ないよ!」
帝国兵が魔法を飛ばしてくるが錬金術を発動し、岩壁を作成。
敵の魔法を防ぐと同時に俺たちを直接追いかけられないようにしてやる。
「うわっ! 壁が!」
「賊はどこに行った!?」
「待て! 押すんじゃない! 俺たちが潰れる!」
「何をやっている! 賊はたかだが数人だぞ!?」
突如隆起した土壁に帝国兵たちのたじろぐ声と悲鳴が上がり、遠くからガリウスの怒声が背中から聞こえていた。
振り返ることなく穴に逃げ込むと、俺は錬金術を発動して出入口を塞ぐ。
それだけだと宮廷錬金術師に侵入経路を捜索され、逆に利用されることもあり得るので前へ進みながら穴を崩落させた。
帰り道のために設置しておいた光源もすべて潰しておく。それだけじゃなく地中に杭を設置し、魔石爆弾を壁に埋めておいた。
暗闇の中、穴を埋めつくすほどの土砂を除去し、杭や罠を回避しながら進むのは困難だろう。
仮に通れたとしても穴に入れるのは二人ずつ。武装している帝国兵だと一人ずつが限界だろ。通ってきたところでこちらのカモになるだけだ。
追跡できないように細工をしながら走り続けると、自分たちの砦の傍に繋がる穴が見えた。
リカルド、ラグムント、メルシア、俺の順番に出る。
すると、砦の入り口からはちょうど退却したらしいレギナをはじめとする獣人たちがいた。
「イサギ! やったのね!?」
「ああ、全員無事さ。魔力大砲も壊したよ」
合図のお陰で結果はわかっているが、それでもしっかりと報告をすると、レギナや砦にいる獣人たちから歓声が上がった。
イサギたちを見失った帝国陣では混乱が起こっていた。
突如として後方にある本陣に敵戦力が出現し、かき乱されたのだ。
帝国兵たちが取り乱すのも無理はない。
そんな中、ウェイスは状況を確かめるべく声を張り上げる。
「侵入してきたイサギと獣人共はどうなった!?」
「見失ってしまいました!」
「この私のいる本陣にみすみす侵入を許すだけでなく、取り逃すとは一体何をやっているのだ!」
兵士の報告を耳にして、ウェイスは激昂する。
「申し訳ございません。ただちに侵入経路を洗い出し、追跡を致します」
兵士たちが慌てて捜索作業に戻ると、ウェイスは自身のテントに戻った。
「まったく無能共め」
「ウェイス様、ご報告があります」
一人で毒を吐くウェイスの元にガリウスと錬金術師長が重苦しい表情を浮かべながら入ってきた。
「なんだ?」
「対獣人用に開発した魔力大砲ですが、先ほどの襲撃で破壊されてしまいました」
「破壊!? あれはそう簡単に壊されないように加工をしていると耳にしたが?」
「内部の魔力回路を破壊されました」
「それがどうした? ここには宮廷錬金術師もいる。なんとか修理しろ」
ガリウスは重苦しい表情で原因を告げるが、ウェイスはまるで理解した様子がない。
それも当然だ。彼はあくまで皇子であって錬金術師ではない。
その辺の者よりも錬金術に対する知識や理解はあるものの専門職でないのだから。
ウェイスが状況を理解していないと察したのか、ガリウスは視線を送って錬金術師長に説明を求める。
すると、彼は気だるそうな表情で口を開いた。
「僭越ながら申し上げますが、それは不可能といいますか多大な時間を必要とします」
「なぜだ?」
「魔力大砲を動かすために中枢機関となる魔力回路を破壊されたからです。こちらの魔力回路は壊れたからといってすぐに作り直せるわけではありません。宮廷錬金術師が総出で取り掛かり、多くの時間と魔力を込めて作成するものでして、このような戦場では到底修復することはできません」
「軍用魔道具が破壊されただと!? 貴様、あれにどれほどの資金をかけたと思っている!? あの魔道具はそれほどまでに脆弱なのか!?」
「そんなわけはありません。こちらもそれを最大限警戒して偽装を施しましたが、今回は敵の錬金術師であるイサギに一歩上を行かれました」
見た目では淡々と語っているように見えていたが、その内心には屈辱で満ちており、イサギに対する激しい怒りと嫉妬を抱いていた。
魔力大砲がなくとも自身の提案する戦術でイサギを上回り、獣人共を追い詰める気持ちでいたのが彼は大きな誤算をしていた。
「ですが、魔力大砲がなくとも十分にイサギや獣人共を追い詰める方法は――あっ!?」
ウェイスは淡々と報告する錬金術師長に接近すると、腰に佩いてある剣を抜き、そのまま胸を突き刺した。
「えっ……?」
「解雇された錬金術師よりも無能な宮廷錬金術師など必要ない。死ね」
ウェイスはそう冷酷に告げると、かろやかな動作で剣を引き抜いて血糊を払った。
そんなまさか、なぜ、どうして……そんな言葉すら呟かれることもなく、心臓を貫かれた錬金術師長は死んだ。
すぐ傍で部下が処分されたことに、ガリウスは顔を真っ青にした。
テントで待機していた兵士たちも時が凍り付いたかのように呆然と見ている。
「さっさと処分しろ」
ウェイスが指示をすると、兵士たちは弾かれたように動き出し、血だまりを広げる錬金術師長の死体を外へと運び出した。
「ガリウス、貴様もああなりたくなければ、宮廷錬金術師共を動かして帝国に貢献をしろ」
「はっ!」
ただの宮廷錬金術師ではなく、それを束ねる錬金術師長をウェイスはあっさりと殺した。次にその刃が向くのがガリウスであってもおかしくはない。
もはや、自分が安全圏であるとは到底思えなかった。
戦場で錬金術師たちを戦わせるなんてしたことはないが、首を横に振ることはできない。
そのようなことをしようものならガリウスの首は飛ぶ。
今のウェイスにはそれをやるくらいの迫力があった。
「我が軍の被害は甚大だが、獣を相手に栄えある帝国が撤退などしない! どれだけ被害を出てもいい! 明朝に全軍前進だ! 戦力の差を生かし、徹底的に獣人共を叩き潰せ!」
戦力が多いということは、それだけ消費する物資も多いということだ。
ウェイスの宣言に反対意見など上がることもなく、帝国は短期決戦を行うことになる。
帝国の本陣に侵入し、魔力大砲を破壊したこともあってか帝国は軍勢を引き上げ、その日は攻勢を仕掛けてくることはなかった。日が沈み、夜になっても帝国は動くことはない。
しかし、その翌朝。
「帝国が動いた!」
見張りの獣人の張り上げた声により、俺たちはすぐに集結をする。
遠見の魔道具で帝国陣の方を見ると、数多の帝国兵がこちらに向かって進軍してきていた。
しかし、その数が尋常ではないくらいに多い。
「……数が多すぎる」
その勢いは帝国兵だけでレディア渓谷を埋め尽くさんとする勢いだ。それなのに後方にはドンドンと帝国兵が続いており、途切れる様子がない。
昨日、様々な策を練り、多大な被害を与えたが、帝国はまったく怯んだ様子を見せていない。むしろ、それがどうしたと言わんばかりだ。
「どうやら帝国はなりふり構わず、圧倒的な物量で私たちを押しつぶすみたいですね」
「最悪だ」
こちらがどれだけ策を弄しても、戦力に十倍もの差があることに変わりはないのだ。
俺たちにとって単純な数によるぶつかり合いはもっとも避けるべきものであり、やって欲しくない戦術だった。
「こうなっては前に出ることはできないわね」
「いいのか、それで!? 昨日みたいにもっと前に出て、色々と何かをした方がいいんじゃねえか?」
レギナの苦しげな決断にリカルドをはじめとした血の気の多い獣人たちが、そんな声を上げる。
「そうしたい気持ちはあるけど、敵がなりふり構わなくなった以上は難しいわ。数で押しつぶされて犬死にするだけよ」
一騎当千の活躍をするレギナやメルシアを投入しても、何千、何万と続けて相手をすることはできない。強化作物を食べた獣人たちなら、協力すれば多大な被害を与えられるだろうが千人も倒すことはできないだろう。
「だったら、イサギの錬金術はどうなんだ? 今日も色々とできねえのか? 森を作って足止めをしたり、錬金術で作った生物をばら撒くとかよお!」
「すみません。あれもそう何度もできるものじゃないので」
最初に森を作った品種改良をした種は、地面に絶大な負担を与えてしまう。
事前に広範囲に肥料を撒いた上での一回きりだ。もう一度種を植えたところで負荷のかかった地面に栄養はなく、昨日のような大規模な森を作り上げることはできない。
小規模な森を作ったところであっさりと粉砕されるだけだ。
錬金生物も獣人たちを撤退させるためにほとんど消費してしまった。
砦の建築や武具、ゴーレムの作成、魔道具の作成、敵の魔力大砲を防ぐために大量のアダマンタイトを使用してしまったために物資も心許ない。
昨日のような大きな動きはできないだろう。
「あたしたちの役目は時間を稼ぐこと。持ち堪えていれば、獣王軍が必ずくるわ」
「本当に獣王様はきてくれるのか?」
「早く情報を知った割にいつまでたってもこないじゃないか?」
「こっちは丸一日帝国を足止めしてるってのによ」
獣人たちから口々に不安の声が上がる。
俺たちと同時にライオネルも侵攻の情報を知っていた。
軍の編成に時間がかかり、獣王都からプルメニア村まで距離があるのは知っているが、それでもそろそろ到着してもいいころだ。
それなのに獣王軍の音沙汰はまるでない。たった一日と思えるかもしれないが、十倍もの戦力差のある帝国を相手に一日も堪えるのは大変で時間が無限のように感じられる。
獣人たちが不安に駆られてしまうのもわからなくもない。
「必ずくる!」
そんな獣人たちの不安をかき消すような声音でレギナが言った。
力強い彼女の声に砦には静寂な空気が流れる。
「今のあたしにはそうとしか言えない。だけど、信じて一緒に戦ってほしいの!」
「王女様にそう言われては男として応えるしかないでしょう」
「そうだな! たとえ死んだとしても王女に請われ、村を守ったと思えば悪くない」
レギナの第一声に俺が反応し、ケルシーが乗っかるように言う。
「そうだな。何を弱気になってるんだ俺たちは」
「ライオネル様は俺たちの力になると言ってくれた。あの方は嘘をつくような人じゃないしな!」
「俺は籠城だろうがなんだろうがやってやるぞ!」
そんな俺たちの声に反応し、次々と獣人たちが協力する姿勢を見せる。
これまで培ってきたレギナの信頼もあるが、前回プルメニア村に訪れた際のライオネルと村人との交流が功を奏したようだ。
俺たちの農園の視察だけじゃなく、村人との交流もしっかりしていたしね。
「皆、ありがとう! ここからは籠城戦になるわ! 苦しいこともあるかもしれないけど、皆で乗り切りましょう!」
レギナの声に砦にいる獣人たちが力強い声で答える。
討って出ることに大きなリスクがあるのであれば、前に出る必要はない。
皆の輪から離れると、レギナがこちらにやってくる。
「ありがとうね、二人とも」
「レギナとライオネル様の人徳があったからこそだよ」
「その通りです」
二人を慕っているからこそ皆は付いていきたいと思うんだ。
俺とケルシーのお陰などではない。
当初の予定通り、俺たちは地の利を生かした籠城戦へ移行することになった。
●
籠城をすることに決まったとはいえ、錬金術師の俺には他の皆とは違った足止めの方法がある。錬金術を使って谷底に沼を作ったり、ストーンゴーレムなどを潜ませてみたり、崖の至るところに魔石爆弾を仕掛けてみたりと。これらの罠は昨日の大がかりな仕掛けとは違って所詮は一時的な足止めにしか過ぎない。
しかし、一分、一秒といった時間が欲しい俺たちからすれば、十分となる時間稼ぎだ。
手早く罠の設置を終えると、俺はすぐに砦に引き返す。
砦でも俺のやれることは多い。
砦の前に大きな堀を作って、そこに杭を設置したり、防壁の強度を上げたり、防壁の上から射かけるための弓矢を増産したり、熱した油や薬品などを用意したり。隙間時間にはゴーレムを作ったりと錬金術師としてやれることを必死に行った。
そうこうしていると、あっという間に時間は過ぎ去って帝国兵が再びレディア渓谷の中腹にまで迫ってきた。
最初にかかった仕掛けは俺の作り上げた沼だ。
ぬかるみに足を取られ、注意が向いている隙に魔石爆弾を発動させて、崩落を起こす。
足元が悪い中での攻撃に何人もの帝国兵が押しつぶされていくが、すぐに魔道具や魔法が飛んできて落石が破壊される。
さらに魔法使いたちは進軍する前に崖に魔法を放ち、魔石爆弾を誘爆させた。
俺が絶好のタイミングで崩落を起こさせるよりも前に、自発的に爆発させて被害を食い止める作戦のようだ。
確かに兵士たちに当たるよりも前に、作動させれば誰にも被害は出ない。
「妙に魔石爆弾の位置が当てられるな」
一発の爆発の傾向から予測して放っているのかと思いきや、妙に的確に魔石爆弾だけを破壊している。まるでわかっているかのようだ。
「イサギ様、軍勢の中に宮廷錬金術師がいます!」
メルシアに言われて魔道具で覗いてみると、軍勢の中に俺と同じローブを纏う数人の宮廷錬金術師がいた。
「宮廷錬金術師が戦場に出てくるなんて、これは本当になりふり構っていないようだね」
宮廷錬金術師は貴族の豪商の子息ばかりだ。
鉱山採掘といった泥仕事や命の危険が大きい仕事は嫌がって出てこない。
そんな彼らが前線に出ている状況は異常だ。
恐らく、彼らよりも権力が強い、第一皇子であるウェイスがよっぽどの圧力をかけたのだろう。
錬金術師がいれば、地中を探って罠があるか探るかも可能だ。
錬金術によって沼と杭は土に戻され、魔石爆弾や潜ませていたストーンゴーレムが次々と発見されていく。
「これは罠の類はほとんど時間稼ぎにならないね」
敵に錬金術師がいるってだけで、こうも厄介とは思わなかった。
昨日の俺の活躍を目にして、帝国もそんなことを思っていたのかもしれない。
俺の仕掛けた罠をことごとく無効化して、帝国兵たちが砦へと徐々に近づいてくる。
三百メートルほど近づいてくると、帝国兵の足が止まった。
代わりに至るところで魔法の光が輝いた。
「レギナ!」
「総員遮蔽のある場所に隠れて! 敵の魔法が飛んでくるわ!」
状況を察したのかレギナが声を張り上げた。
すると、外に獣人たちが慌てて砦の中に避難する。
俺もレギナもメルシアも慌てて砦の中へ入り込んだ。
防壁の上に立っていた獣人は、壁にぴったりと身をくっつけて大盾を空へ構えることで備える。
程なくして帝国兵の光が強く輝き始める。次の瞬間、光が弾けて大量の魔法が砦へと降り注いだ。
火級が防壁を焼き、雷が奔り、氷槍が突き刺さる。あらゆる属性の魔法の多くは防壁へと直撃する。
砦の内部に籠っていても振動が伝わってくる。すぐ近くで大量の魔力が渦巻いては散っていくのがわかる。
「イサギ様、この砦は耐えられるでしょうか?」
「大丈夫なように作ったつもりだけどね」
かなりの魔力と素材をつぎ込んで作ったが、
なんて会話をしている間に地響きは続いており、継続して魔法が直撃する音がする。
息を潜ませてジッと待っていると、ようやく振動が止み、魔力が霧散していくのを感じた。
「……収まったかしら?」
三十秒ほど経過したがが、それ以上の魔法が飛んでくることはない。
魔力を浸透させてすぐに砦の内部を把握。
各連絡通路や廊下、農園エリア、武器庫などの重要なエリアから調査してみる。
「今、調べたけど砦は崩壊していないよ。防壁の一部が欠けたけど、すぐに補修できる範囲だ」
安全性が確保されたことで俺たちは砦の外に移動。
レギナが村人たちの無事を確認するために声をかけていく。
獣人の大半は砦に引きこもることができたお陰で一切の怪我を負っていない。
ただ防壁の遮蔽に隠れることしかできなかった者は、すべての魔法から身を守ることはできなかったらしく炎で身を焼かれたり、爆風で防壁から落下して亡くなった者もいたそうだ。
とても悲しいが死者を悼む暇はない。なにせ帝国軍が近くまでやってきているのだから。
「レギナ! 帝国兵が進軍を開始している!」
「総員配置について!」
おそるおそる砦の上部に移動して俯瞰してみると、帝国兵がこちらの砦へと進軍してくるのが見えた。
遠くから魔法を撃ち続ければ、砦を崩せる可能性もあるだろうにその優位性を攻めてやってきた。
徹底的なまでの物量戦。帝国はよほど早く俺たちを倒したいようだ。
物量戦は俺たちがもっとも恐れていること。それに対する仕掛けがないわけではない。
「開門! それから大岩用意!」
レギナが声を張り上げると、獣人たちが防壁を開門して二メートルほどの大きな岩を並べ始める。
レディア渓谷から俺たちの谷底までは緩い傾斜になっている。つまり、俺たちが位置する場所から岩を押してやれば、帝国兵に向かって転がっていってくれるのだ。
「転がせー!」
レギナが号令の声を上げると、獣人たちが大岩を転がす。
コロコロと進んだ大岩は傾斜のよって徐々に速度を上げ、帝国兵へと迫る頃には加速して驚異的な速度となって襲いかかった。
坂上から転がってくる大岩に多くの帝国兵が押しつぶされていく。その勢いは前列だけで留まらず、二列目、三列目と勢いのままに転がっていって帝国兵を押し潰していく。
遠目に見ただけでもえげつない被害だ。人がぺしゃんこになる光景はかなりグロテスクではあるが、こちらも命がかかっている以上は容赦しない。
俺たちは次々と大岩を転がしていく。この時のために砦にはたくさんの大岩を置いているし、俺も錬金術で切り出したものを保存しているのでマジックバッグからじゃんじゃんと放出していく。
大岩もかなり重いので獣人でも押すのは一苦労であるが、強化作物で身体能力がアップされているのですぐに疲労することはない。迫りくる帝国兵たちに次々と大岩を転がしていく。
帝国兵も転がってくる大岩をなんとかしようと魔法で破壊しようとしてくるが、変則的に転がってくる大岩のすべてを破壊することは難しいのか、かなりの打ち漏らしが出て被害が出ている。いい感じだ。
「せいっ」
メルシアの転がした大岩がとんでもない速度で押し出されて転がっていく。
中列にいる大きな盾を手にした重騎士が五人がかりで受け止めようとするが、あまりの威力に弾くことも減衰させることもできずに仲良く潰れることになった。大岩はそのまま減速することなく中複の騎士たちもひき潰してようやく止まった。
彼女の押し出した大岩はとんでもない威力だ。
「次をお願いします」
「あ、はい」
俺はマジックバッグから大岩を取り出していく作業に従事する。
とはいえ、大岩を置いていくだけというのも物足りないので、メルシアの転がす大岩にだけ棘を生やしてみたりと威力の向上に努めた。
その結果、さらなる被害を生み出すことができたので最小の労力で成果を発揮できたと言えるだろう。
「うん? なんか大岩が転がらねえぞ?」
そんな風にサポートを行っていると、獣人たちから訝しげな声が上がるようになった。
防壁を登って確認してみると、俺たちの押し出した大岩が最初のように転がらなくなってしまい途中で止まったり、引っかかることが多くなった。
というか、よく見ると傾斜の確度が穏やかになっている気がする。
不思議に思ってあちこちを確認してみると、坂下に手をついている宮廷錬金術師の姿が見えた。
「錬金術師で傾斜をなだらかにしたんだ! レギナ、これ以上の大岩は効果がない!」
「そういうことね! だったら防御陣よ! ここからはひたすらに防御に徹するわ!」
レギナの指示ですぐに門が閉じられて、獣人たちは砦にこもって防御耐性に入る。
ここからは防壁や砦にある設備だけで帝国の進軍を食い止めるのだ。
帝国兵がなだらかになった傾斜を駆け上がってこちらに近づいてくる。
それに対してこちらは防壁の上にズラリと弓兵隊を並ばせる。
「よーく狙って放て!」
レギナの指示の元、狩人などの弓の扱いに慣れている村人たちが一斉に弓を発射。
山なりに飛んでいった矢が前列にいる帝国兵を打ち抜いていく。
傾斜がなだらかになったとはいえ、俺たちの砦は遥かに高いところに位置している。
駆け上がってくる帝国兵たちを打ち下ろすことのできる構図となっているので防御は硬い。
弓兵隊以外にも魔石爆弾を手にした投擲部隊や、俺の作った軍用魔道具などを運用している獣人たちが防壁から打ち下ろす形で帝国に被害を与えていく。
地形の有利もあって俺たちの防御は鉄壁だ。
あれだけいる帝国兵がロクに近づくことすらできていない。
しかし、それでも帝国兵は前進することはやめない。
理不尽に殺されようとも、前へ前へと進んでくる姿は異様だった。
「こいつら一体いつになったら退くんだよ」
「仲間の死体を盾にしてやがる」
どれだけ被害が出ようとも着実に近づいてくる姿は狂気的だった。
帝国兵の得体の知れない迫力に、どれだけ数を減らしても群がってくる光景に獣人たちは呑まれていく。
そんなゴリ押し戦法によって帝国兵が掘へと近づいてくる。
堀がある以上は楽に進むことはできないのだが、敵には宮廷錬金術師がいる。
俺が錬金術で堀を作ったように錬金術でそれを埋めることも簡単だ。
「あそこにいる宮廷錬金術師たちを近づけないでください! 堀を埋められてしまいます!」
こっそりと重騎士たちに護衛されて近づいてくる宮廷錬金術師のローブを羽織った一団。
そいつらは錬金術で堀を埋めようとしているので絶対に近づけてはいけない。
俺の指示を耳にして弓兵たちが一斉に矢を射かける。
重騎士たちは盾をかざして宮廷錬金術師たちへの攻撃を守ろうとするが、大量の矢の雨を防ぎきることができずに倒れ伏す。
「ざまあみろ! オレたちの堀は埋めさせねえぜ!」
なんてリカルドが威勢のいい声を上げた時だった。
俺たちの足元にあった堀が突如として隆起し、溝が埋まってしまった。
「ああっ!? なんで堀が埋まってやがるんだ!」
宮廷錬金術師はリカルドをはじめとする弓兵たちが仕留めてくれた。
熟練の土魔法使いでもあれだけの規模の堀を埋めるには時間がかかる上に、魔法陣が浮き上がったりなどの兆候が見える。しかし、それがなかった。
だとしたらこの現象は錬金術以外にありえない。一体どこに錬金術師がいたというのか。
「イサギ様! あそこです! 兵士の姿をした宮廷錬金術師が!」
メルシアの指さした地点を見ると、ただの歩兵の格好をした男たちが掘に手を当てていた。
「しまった! やられた!」
宮廷錬金術師のローブを羽織っていた男たちは囮で、こっちが本物だったのか。
道理であっさりと仕留められたわけだ。
兵士に紛争した錬金術師たちは堀を埋めると踵を返して去っていく。
俺ならすぐに堀を作ることができるが、帝国軍が目の前にいる状況で外に出るのは無理だ。
掘の再生はできない。
「こうなったら帝国兵が少しでも近づけないように俺たちも応戦するしかないね」
「お供します」
ここからは純粋な防衛戦。どれだけ帝国兵の勢いを削いで、足止めをできるかだ。
レギナやケルシーは全体の指揮を執るのに忙しい以上、自由に動ける俺とメルシアが積極的に攻撃を仕掛けるしかない。
帝国兵が数十人がかりで巨大な槌を運んでくる。
破城槌と呼ばれる城門を破壊し、突破することを目的とした攻城兵器だ。
弓兵たちも破城槌を運ぶ兵士を優先的に狙うが、人員が倒れるとまたすぐに別の人員が入れ替わる。
やがて門の前にたどり着いた破城槌の部隊が槌を打ち付けようとするところ、俺は錬金術を発動。砦の防壁から杭が隆起、破城槌の部隊が吹き飛んでいく。
「堀がなくなっても近づけるとは思わないことだね」
「さすがはイサギ様です!」
この防壁も砦も俺が錬金術で一から作り上げたものだ。すべてに俺の魔力が浸透しているのでそれを操作するのは造作もない。
「イサギ様、今度は矢の雨が!」
破城槌を撃退していると、今度は帝国陣地から矢の雨が飛んでくる。
防壁の上で攻撃を仕掛ける俺たちを排除したいようだ。
「屋根を作るから問題ないよ」
俺は錬金術を発動し、防壁についている壁をさらに高くし曲線上の屋根をつけた。
すると、俺たちの頭上に降り注いだ矢が屋根に吸い込まれた。
風魔法で散らすこともできるが、何度も飛んでくることを考えると屋根を作った方が魔力の消耗は少ない。
「お返しに射ち返してやろう」
「そうしたいところですが、弓兵隊の矢が尽きそうです」
弓兵隊の矢筒を見ると、中に入っている矢がかなり少なくなっている。
さっきから何度も矢を運んでいる者がいるが、それでも補給が追いついていないようだ。
弓兵隊は帝国兵を砦の近づけないための要だ。ここで攻撃の手を緩めることはしたくない。
「問題ないよ。ここにたくさんあるから」
俺はマジックバッグを解放すると、そこからたくさんの矢を取り出した。
この日のために錬金術で矢は大量に生産していたからね。
「おっしゃ! これなら帝国兵共に思う存分に食らわせてやることができるぜ!」
弓兵たちは素早く矢を補充すると、すぐにポジションに戻って矢を射かけ始める。
地の有利はこちらにある。それを崩すことなく徹底的に防戦するんだ。
そうすれば、きっとライオネルをはじめとする獣王軍が駆けつけてくれる。
そう信じて俺たちは遅滞戦闘に務めた。
●
太陽が中天を過ぎた頃になっても激しい攻防は続いていた。
未だに帝国の攻撃は止むことがなく、俺たちは消耗を抑えながら遅滞戦闘に務めている。
それでもこちら側には限界が近づき始めていた。
帝国には万を越える軍勢がいるのに対し、こちらは千人にも満たない戦力。
あちらは休憩を挟み、交代をしながら攻めることができるが、こちらは常に全員がフル稼働だ。誰かを休めようものならば、どこかで綻びが出る可能性が高いほどにギリギリの沿線だ。休みや交代を挟むような予知はない。
幸いにして砦内にある農園によって食料などは供給されるお陰で、長期戦になっても飢える心配はない。強化作物もあるお陰で身体もよく動く。
しかし、どれだけ物資があっても精神までは回復することは難しい。時間が経過するにつれて獣人たちの動きが悪くなっているのを感じた。
はじめての戦争ということもあってか獣人たちも酷く疲弊しているようだ。
獣人たちだけじゃなく、もはや俺の限界も近い。
なにせずっと錬金術を使い続けては、防壁から魔法を使うことで敵を迎撃している。
魔力には自信のある俺だったが、さすがに長時間使い続けると限界だ。
魔力が減ったことにより、頭痛、めまいといった魔力欠乏症の症状が出始めている。
魔力回復ポーションを飲めば少しは回復するだろうが、度重なる服用のせいで動悸がする。これ以上の服用は間違いなく身体に影響が出るだろうな。
防壁に火炎弾がぶち当たる。
「イサギ様! 防壁に亀裂が!」
「わかった。すぐに補修をするよ」
度重なる帝国からの魔法、魔道具による攻撃により、俺が作成した防壁にはボロが出ていた。
こうやって敵の攻撃でヒビが入るのも何度目だろう。その度に錬金術を使って、補強をしながら騙し騙しでやっているが、そろそろ限界だ。
もう一度防壁を補修しようと思ってマジックバッグに手を入れるが、欲しい魔力鉱、魔力鋼、魔鉄といった素材が出てこない。つまり、補修のための物資が底を尽きた。
「イサギ! 防壁の補修をお願い!」
「ごめん、レギナ。もう素材がないからできない」
「ええ? じゃあ、その辺にある土や石を代用するのはダメなの?」
「それじゃすぐに壊される。焼け石に水だ」
魔法耐性のない素材を使用して作っても、帝国の魔法や魔道具によってすぐに破壊される。
たった一回や二回しか機能しない防壁を作っても何の意味もない。
防壁は今も帝国からの攻撃に晒されて耐えてくれているが、いつ壊れたとしてもおかしくはない。
「防壁が壊れちまったらどうなるんだ!?」
俺たちの会話が聞こえたのか、リカルドが取り乱した声を上げる。
周囲にいる獣人たちも不安になりながら聞き耳を立てているのがわかる。
「あとに残されているのは砦だけね。そこに帝国兵がなだれ込んできてしまえば、あたしたちは囲まれて集中砲火で終わりね」
そうなってしまえば、逃げることもできない完全な敗北だ。
「イサギ様! 危ない!」
次の瞬間、俺たちのいた防壁の壁に火炎弾が着弾。その一撃は防壁に入っていた亀裂に着弾したようで、傍にある壁が見事に破砕した。
「いてて……」
急にメルシアに押し倒されることになったので腰やお尻が痛い。
レギナとリカルドも俺と同じく無事だったようで、呻き声を上げながら起き上がる。
俺も起き上がろうとするが覆いかぶさったメルシアが退いてくれない。
「メルシア?」
「…………」
返事がないことを不審に思って、そのままの状態で上体をむくりと起き上がらせる。
メルシアの顔を見ると、額からは一筋の血を流しており気絶していた。
後ろを見ると背中の服は破れ、爆破による熱と衝撃によって火傷を負ってしまっている。
どうしてそうなってしまったのかを俺は瞬時に理解した。
「メルシア!」
彼女は俺を庇って負傷してしまったのだ。
必死に声をかけてみるが、彼女が返事をすることはない。
「イサギ! どうしたの!?」
「メルシアが俺を庇って負傷したんだ」
「――そんな!」
「と、とにかく、治癒ポーションで治療を――」
俺は急いでマジックバッグを漁ってポーションを取り出そうとするが、帝国からの魔法攻撃が続けて防壁に直撃した。
今度は近くで直撃こそしなかったものの激しい爆風が俺たちを襲う。
それと同時にまた大きな破砕音が響いた。
「マズい! 防壁にまた大きな亀裂が!」
防壁には内側から見てもわかるほどに大きな亀裂が入っていた。
それにより帝国も防壁を破壊するべく、亀裂部分を集中砲火しているらしい。
激しい魔法の雨が亀裂目掛けて降り注ぐ。
これ以上ここを守ることはできない。撤退という二文字が浮かび上がる。
しかし、その決断をするには遅かった。
真正面にある防壁の一角が崩れ落ちた。
どうやら帝国の破城槌によって派手に穴を開けられてしまったらしい。
それは一か所だけじゃなく、何か所も同時に穴を開けられてしまう。
その穴から数多の帝国兵が突入してくる。
「て、帝国兵が入ってきやがった!?」
防壁が破られてしまえば、俺たちは砦に籠るしかない。
「総員撤退! 砦に逃げ込んで!」
レギナが必死に声を上げて、獣人たちに指揮を飛ばす。
しかし、砦に籠ってしまえば、周囲を大勢の帝国兵に包囲されて逃げ場がなくなってしまう。四方八方から魔法を撃ち込まれて外から砦を壊されるか、圧倒的な兵力差によって蹂躙される未来しかない。
それでも獣王軍がやってくるという最後の希望を信じるしかない。それ以外に道はないのだから。
「イサギ! 早く下がって!」
俺は負傷しているメルシアを抱きかかえると必死に砦に向かって向かう。
ただ疲労していることもあってか、今の俺の体力では人を運ぶことすらままならない。
女の子一人さえ満足に運ぶことができないんだから情けない。
メルシアはあんなにと軽々と俺を運んでいたのに。本当にすごい。
俺がメルシアを担いでのろのろと撤退している間に後方からは帝国兵が迫ってくる。
「イサギさん! なにやってんだ!? 早くしろ!」
リカルドの言いたいことはわかる。
俺の下がる速度が遅すぎてこのままじゃ帝国兵に追いつかれるってこと。
レピテーションは人体に作用しない以上、メルシアを運ぶことはできない。
このままじゃ共倒れになってしまう。
だからといって俺の中にメルシアを置いていくなんて選択肢はあり得ない。
メルシアは俺を助けるために傷付いたんだ。そんな彼女を置いて一人だけ逃げるなんて男としてできるはずがない。だからといってこのまま俺が運んでいては共倒れだ。
たとえ俺だけが死ぬことになっても、メルシアだけは助ける。
「ウインド!」
俺はなけなしの魔力を振り絞って風魔法を発動。
目の前に発生した風はレギナの身体をふわりと持ち上げて前方へと飛ばした。
落下先にはこちらを心配そうに見るレギナがおり、彼女の腕の中にすっぽりと収まった。
怪我人を運ぶのに大変乱暴なやり方ではあるが、非常事態なので許してほしい。
「受け取ったわ!」
「早くイサギさんもこいよ!」
「ごめん。それは無理かも」
なけなしの魔力を使い切ったからか足からガクッと力が抜ける。
俺の身体が前のめりに倒れる。
自分の命の危機が迫っているというのに身体が言うことを聞いてくれない。
帝国兵がゆっくりと迫ってくる。どうやら俺はここまでのようだ。
でも、悔いはない。やるべきことはやったんだ。
漫然と迫りくる帝国兵を見つめていると、視界が急に曇った。
「王を差し置いてこんなところで昼寝とはいい身分ではないか、イサギ」
呆然と見上げると、そこには緑のマントを羽織った大柄な獣人が立っていた。
「ライオネル様?」
「お父さん!?」
「ああ、ようやく追いついたぞ!」
「遅いです!」
「どれだけ時間かけてるのよ! ホントに遅い!」
「なんか当たりが強くないか?」
俺とレギナの抗議を受けて、ライオネルが若干凹んだ様子を見せる。
それくらいこちらとしては大変だったのだ。俺もレギナも何度も死にかけたし、多少の文句には目を瞑ってもらいたい。
「これでも様々な工程を吹っ飛ばして急いでやってきたつもりなんだがなぁ」
獣王都からプルメニア村まで二週間はかかる道のりだ。
ライオネルが軍を編成して、ここまでやってくるのに時間がかかるのも仕方がないだろう。
「イサギ、ポーションを飲め」
「すみません。これ以上の服用は身体がもたないので」
「……そうか。無理をさせてしまってすまない」
ライオネルが治癒ポーションを渡してくれるが、俺はゆっくりと顔を横に振った。
ポーションに頼ることができない以上は、強化作物を口にし、自然回復に身を任せるしかない。
「とりあえず、目の前にいる奴等が帝国兵ということで間違いないな?」
「ええ、そうよ」
「俺たちよりも前に味方は?」
「いません」
「で、あれば派手に暴れてもいいということだな」
レギナと俺の報告にライオネルは不敵な笑みを浮かべる。
突如として目の前に現れた獣人を前にして帝国兵は警戒感を露わにしている。
相手は目の前にいるのが獣王とは気付いていないだろうが、その佇まいや雰囲気からして只者じゃないことはわかっているのだろう。
わかる。ライオネルって立っているだけで圧が半端ないからな。
そんな中、帝国兵は顔を見合わせると一斉に魔法剣を構えた。
身体能力の高い獣人とは下手に接近戦をせずに遠距離からの魔法攻撃で仕留めることにしたらしい。
数多の魔法剣が煌めく中、ライオネルは両腕を組んでジッと立っているだけだった。
回避運動をする素振りや攻撃を仕掛ける素振りはまったくない。
そんな中、帝国兵の魔法剣から様々な魔法が放たれる。
真正面から迫ってくる各属性魔法の嵐に対して、ライオネルはフッと息を吐いた。
それだけで魔法がかき消された。
「はっ?」
俺だけじゃなく魔法剣の力を放った帝国兵からも間の抜けた声が上がる。
あれだけの魔道具による攻撃の束が、ただの息だけでかき消された? 意味がわからない。
何か強力な魔法で相殺するならまだしも、ただの息だけで相殺するなんて悪夢だ。
「ハハハ! 今度はこっちの攻撃の番だな!」
ライオネルは豪快に笑うと、深く息を吸い込んでお腹を膨らませた。
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
次の瞬間、ライオネルから咆哮が放たれた。
それはただ大気を震わせるだけでは留まらず、音の奔流となって帝国兵たちを吹き飛ばした。後ろにある防壁が余波で倒壊し、傍にいた帝国兵たちに被害をもたらしていく。
「どうやったらただの咆哮でそうなるんです?」
「闘気と魔力を体内で練り上げて放つだけだ」
そもそも闘気ってなんだ。そんな力は初めて聞いたんですけど。
「なんか色々と生物としての各が違い過ぎる気がする」
「そりゃそうよ。お父さんは獣王国で最強の戦士だもの」
レギナが胸を張ってどこか誇らしそうに言う。
そうこう話をしている内にライオネルは地面に片手を差し入れると、直径十メートルほどの大岩を引っ張り出し、そのまま帝国兵たちに投げつけた。
圧倒的な質量を誇る巨大物が帝国兵に襲いかかる。
軽い攻撃がそこらの軍用魔道具を遥かに凌駕する一撃となる。
彼が本気で戦えば、どのようなことになるか想像ができないな。
砦に籠っている獣人たちが総出になっても抑えることができなかったのに、ライオネルはたった一人で食い止めるだけでなく壊滅させようとしている。
恐らく、獣王国にとっての獣王という存在は、たった一人で大きな戦を左右できるほどの戦術的な活躍ができる英雄であることを指すのだろうな。
「レギナ! 今のうちにメルシアに大樹ポーションを!」
冷静に分析をしている場合じゃなかった。ライオネルが帝国兵を止めている間に、メルシアの治療をするべきだ。
「そ、そうね! え、えっと、この場合は飲ませればいいのかしら? それとも傷口にかけた方が?」
「ごめん。ちょっと借りるね」
あまりこういった怪我人にポーションを使ったことがないのだろう。
慌てた様子のレギナからポーションを拝借すると、俺はメルシアに錬金術を発動。
彼女の腕、肩、背中などに刺さった石材の破片を錬金術で抽出して抜き出す。
メルシアが痛みでうめき声を上げるが、体内に残留したまま治療することはできないので我慢してもらう。
すべての破片を体内から除去すると、俺はメルシアの背中を中心とした傷口に大樹ポーションをかけてやる。
すると、ポーションは効力を発揮させ、痛々しいまでの背中の火傷や切り傷が綺麗に治った。
「……イサギ様?」
程なくすると、メルシアの瞼がゆっくりと持ち上がって綺麗な青い瞳が露わになる。
「よかった、メルシア。意識が戻ってくれて」
メルシアが目を覚ますと、俺はその嬉しさから思わず抱き着いてしまう。
「あ、あの! イサギ様!?」
「ごめん。メルシアが無事だったのが嬉しくて。俺を守ってくれてありがとう」
「い、いえ。メイドとして当然のことをしたまでなので! あ、あの、それよりも状況を教えていただけますか?」
メルシアが顔を真っ赤にしてあわわとするので、とりあえず俺は身体を離して落ち着いてもらうことにした。
「ライオネル様がやってきたんだ!」
「ということは獣王軍はやってきたのですね!?」
メルシアがホッとしながら言うが、俺たちの目の前にはライオネルはいるものの他の獣王軍らしき存在を目にしてはない。
「お父さん! 獣王軍は?」
「遅いから置いてきた!」
「え? 王なのに軍勢を置いて一人で来ちゃったんですか!?」
「そのお陰でイサギたちが助かったのだからいいではないか」
思わず突っ込むと、ライオネルがややムスッとした顔で言う。
いや、そう言われるとこちらは何も言えないのだが、王が軍勢を置いてきていいんだろうか? なんて思っていると、不意に地面が激しく揺れた。
「こ、この揺れは?」
「まさかこんな時に魔物?」
周囲の魔物は駆除しておいたはずがだ、血の匂いに誘われて集まってきてもおかしくはない。サンドワームのような魔物が襲いかかってくるのかと地面を警戒するが、いつまで経っても地面が盛り上がることはない。
「いいえ、これは魔物じゃないわ! 二人とも後ろを見て! 獣王軍よ!」
レギナに言われて振り返ると、砦の遥か後方に激しく砂煙が上がっている。
そこには鎧を纏った大勢の獣人が整然として並んでおり、大きなカバのような動物に跨って疾走していた。
「ライオネル様ー!」
整然と並ぶ兵士たちの中央には小柄な初老の獣人――ケビン宰相がいた。
「おお、ケビンか! 遅いぞ!」
「遅いですじゃありませんよ! まったく我々を置いてお一人で先行されるなんて!」
ライオネルの独断専行に案の定、宰相であるケビンはお怒りのようだ。
そりゃそうだよ。軍勢を率いる王が先に前に出ちゃっているんだもん。無茶苦茶だよね。
「やった! 獣王軍だ!」
「獣王軍だけじゃねえぜ!」
獣王軍の到着に喜んでいると、不意に空から誰かが下りてきた。
その人物の頭には巨大な牛角が生えており、纏っている皮鎧には一族の象徴色である赤いのラインが入っていた。
「キーガスさん!?」
「おうよ!」
不敵な笑みを浮かべて自身の身長ほどある戦斧を肩に担ぐキーガス。
彼はラオス砂漠に住む赤牛族の族長だ。
ここよりも遥か遠いところに住んでいるキーガスの登場に驚いていると、今度は頭上でバサリと羽ばたく音がした。
「彼だけじゃなく、私たちもいますよ」
見上げると、鮮やかな翼を動かしてこちらにやってくるティーゼがいた。
「ティーゼさん!」
「どうしてここに?」
そうだ。二人と会えたのは嬉しいが、どうしてこんなところにいるのか。
「獣王に礼を伝えるために獣王都に向かったらイサギたちの故郷が大変なことになってるって聞いよ。集落の戦士を率いてやってきたぜ」
「ええ!? ラオス砂漠からプルメニア村までかなり遠いのに!?」
「遠いとか関係ねえよ。お前たちは命の恩人だからな」
「今度は私たちがイサギさんたちをお助けする番です」
キーガスの後ろには大勢の赤牛族がやってきており、上空にはティーゼ率いる彩鳥族たちが空を飛んでいた。二人だけでなく、集落にいる戦士たちも駆けつけてくれたようだ。
二人の温かな言葉の戦士たちの雄叫びに目頭が熱くなる。
「……皆、本当にありがとう」
「おいおい、もう泣いてるのかよ!? 泣くのは戦いが終わってからだぜ」
「キーガスの言う通りですよ。涙は戦いに勝利したその後にまで取っておきましょう」
「うん。そうだね」
援軍がきてくれたとはいえ、まだ戦争の最中だ。喜び泣くのは後にしておこう。
「獣王軍たちよ! こうして今まさに卑劣な帝国が我らが領地を侵略している! 王国民としてこれが許せるものか!?」
「否!」
「そうだ! ここは獣王国! 我らが国の領土だ! 帝国になどくれてやるつもりはない! 獣王軍よ、今こそ日頃の訓練の成果を見せる時! 我らの民を、領土を守るために戦え! 総員突撃!」
「「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」」
ライオネルの号令によって獣王軍たちが雄叫びを上げて前に進んでいく。
その戦力は帝国に勝るとも劣らない。そんな数の獣人たちが雪崩れ込んでいく。
帝国兵士が獣人の操る騎獣に踏み潰されていく。
少数の相手を追い詰めたと思いきや、自分たちと同等のあるいはそれ以上の戦力が現れたのだ。混乱するのも無理はない。
「……すごい戦意だ」
「獣王軍の戦士には、イサギに恩のある人も多いからね」
「恩?」
レギナによると、どうやらうちの農園の作物や救荒作物によって戦士たちの故郷や家族が救われたようだ。そのため戦士たちは俺やプルメニア村に多大な恩を感じており、恩を返すべく奮闘してくれているようだ。
まさか、自分の行いがこのように巡り巡ってくるとは思わなかった。
やっぱり、最後に大事なのは人と人の繋がりなのだな。
「イサギはどうするんだ?」
「見たところ疲弊されているようですし、後ろに下がっていても構いませんよ?」
「いや、俺も戦うよ。俺にだってまだできることがあるからね」
全快には程遠いけど、それなりに魔力は回復した。
これだけの頼もしい仲間がいるのであれば、やれることはたくさんある。
「ようやく遠慮なく戦えるのよ? 後ろでジッとなんてしていられないものね!」
「私もお供します!」
レギナだけでなく、メルシアもすっかりと戦う気は満々のようだ。
戦力も十分にあるし、頼りになる仲間も大勢いる。
ここからは耐えるための戦いじゃない。帝国に勝つための戦いをするんだ。
「獣王軍だと!? そんな奴等が来るなんて聞いてないぞ?」
獣王軍の加勢によって帝国は明らかに浮足立っており、みるみるうちに兵を後退させる。
砦から追い出すことができれば、帝国はまたしても傾斜での戦闘を強いられることになりこちらの追い風となっていた。
騎獣に乗った獣人たちが坂を下りながら、一気に帝国兵を渓谷へと押しやっていく。
「獣王軍に続き、私たちも前に出ましょう」
「待って。ティーゼたちにはこれを使ってほしいんだ」
「これは?」
「魔石爆弾さ。衝撃を与えれば、内包されている属性魔石が爆発する」
「なるほど。飛行できる私たちの特性を生かし、上空から落下させるのですね」
「そういうこと」
空を自由に飛べるティーゼたちなら、空を飛んで一方的に攻撃ができるはず。
正面からは獣王軍、上空からはティーゼをはじめとする彩鳥族で挟撃し、相手を混乱させてやるのだ。
「爆弾を落とす時に狙われると思うから障壁の魔道具も渡しておくよ」
「ありがとうございます」
魔石爆弾を落としやすいように一つ一つ分離したポーチに入れてあげ、首輪型の魔道具をかけてあげた。
他の彩鳥族にも魔石爆弾などを渡すと、装備の完了したものから空へと飛び立つ。
ティーゼたちは翼をはためかせると、素早く帝国兵たちの頭上へ移動。
ポーチの蓋を開けると、上空から魔石爆弾を落としていく。
帝国軍の各地で巻き起こる爆発に悲鳴が上がる。
「爆弾!? どこからだ?」
「上です! 上! 空を飛ぶ獣人が爆弾を落としてきます!」
「魔道具で撃ち落とせ!」
死角となる真上からの攻撃を驚異に感じた帝国兵たちが、魔法剣、火炎砲などの各々の魔道具を使って反撃をする。
数々の魔法の雨をティーゼたちは急上昇、急加速することで回避。
「そんな攻撃では私たちを捉えることはできませんよ?」
念のために障壁の魔道具を渡してはいるが、誰一人として展開している様子はない。
もしかしたらいらないものだったかもしれないな。
とはいえ、上空に魔法の弾幕を張られてしまうと降下しにくくなるのだろう。
魔石爆弾が直撃する頻度が下がってしまう。
そんな時、彩鳥族とは別の黒い体毛に翼を広げた獣人たちが前に飛んでいく。
翼を広げると、つんざくような声を上げ始めた。
「不愉快な音だ! あの蝙蝠たちを落とせ!」
「魔法と魔道具の発動できません!」
「なんだと!?」
帝国兵たちは宙に浮く蝙蝠の獣人を仕留めようと奮起するが、どれもが空回りになっている模様。
帝国が魔法を発動できない間に、ティーゼたちは再び降下しながら魔石爆弾を落としていく。
「魔法が発動しないみたいだけど、どうなってるんだろう?」
「あれは黒蝙蝠族の特殊能力よ。魔力をかき乱すことのできる音波を放つことができるわ」
首を傾げていると、レギナが教えてくれる。
「すごい! そんな能力があるんだ!」
「発声器官を酷使するようだからずっと発動はできないけどね」
それでもここぞという時に相手の魔法を無効化できるというのは大きい。
現に帝国は魔法による迎撃も防御もできない。
空から一方的に魔石爆弾を落とされ続けており、甚大な被害が帝国にもたらされているのだから。
解析して魔道具に利用したら、魔法を無効化するような魔道具ができるかもしれないな。
なんて思考が脳裏をチラつくが、さすがに今は戦争中なのでやめておこう。
「わははは! 俺の名はライオネル! 六十二代獣王だ! 総大将の首が欲しければかかってくるがいい!」
「獣王がどうしてこんな前線に出てきてるんだよ!? 国王だろ!?」
前線ではライオネルが帝国兵を千切っては投げてを繰り返している。
遠くから魔法を撃ち込むが咆哮であっけなくかき消され、火炎弾も拳で弾かれる。
あまりにも圧倒的だ。
「くたばれ! 獣王!」
「させん!」
ライオネルを何とかするべく帝国兵は徐々に包囲網を形成。彼の背後から攻撃を仕掛けるが、それを二人の獣人が阻んだ。
あの二人は大樹の入り口を守っていた猿の獣人と犬の獣人の門番だ。
全身鎧に身を包んでおり、巨大な槍と剣を装備している。
「おお、ゴングにソルドムか」
「ライオネル様、前に出過ぎです」
「後ろにお下がりを」
「それはできない相談だ。なにせ俺は獣王。誰よりも先頭に立って戦うのが義務だ」
「であれば、私たちがライオネル様の前に進みましょう」
「ほほう? そう簡単に行くとでも?」
「大樹を守ることに比べれば、ライオネル様おひとりを守ることの方が簡単です」
「わはは! それは違いない!」
ライオネルが呑気に笑う中、ゴングとソルドムが前に出る。
ゴングは密集している帝国兵のど真ん中に飛び込むと、大きな槍を振り回して帝国兵を蹴散らす。猿特有の長い腕から繰り出される鋭い槍は、まさに変幻自在で間合いを計ることすら混乱だ。
帝国兵が魔法剣を突き出すも、その巨躯に見合わない軽やかな動きで回避し、槍を振り回す。
一方でソルドムは帝国の魔法部隊へと突き進む。
帝国の魔法使いたちが詠唱を開始し、ソルドムへと魔法を放つ。
それに対してソルドムは回避運動を取ることもせず、その巨大な鎧で受け止め、そのまま斬り込んだ。
「二人ともかなりの力量です」
「大樹の守りを任されているだけあって二人ともかなり強いわ」
俺たちが大樹に入ろうとした時はお堅い残念な門番といったイメージだが、戦士としての実力はかなりの一級品らしい。
「門番の二人だけじゃなく、獣王軍は戦士のひとりひとりが圧倒的に強いね」
帝国の兵士とぶつかり合っている様子を見ると、勝つのはほとんど獣王軍の戦士だ。
「日頃からお父さんが厳しく稽古をつけているからね」
統率の取れた動き、種族の特性に合わせた部隊の編制と戦術。どこからどう見ても獣王軍の方がレベルが高いと言わざるを得ない。
「逆に思うんだが、帝国の兵士が弱すぎねえか? こんな奴等、集落の戦士見習いでも余裕で勝てるぜ」
キーガスが戦斧で何十人と薙ぎ払いながら言う。
君たちが強すぎるっていうのもあるんだけど、彼の言うことにも一理あると俺は思う。
「帝国兵は悪く言えば装備頼りなところがあるからね」
宮廷錬金術師の作り出す軍用魔道具がなまじ強力なせいか、帝国の戦術はそれに合わせたものになっている。
個人の力量というよりかは、いかに上手く魔道具を使いこなせるかといった面に焦点を当てられており、個人の実力よりも集団行動の方が重視されているからだ。
そのせいかライオネル、メルシア、レギナ、キーガス、ティーゼのような一騎当千の戦士はいない。いや、育つ環境ではなかったと言うべきか。
「ふーん、いくら強い武具があっても個人としての基礎能力が低ければ、発揮できる力は低いと思うけどね」
「そういった主張をした人は上に疎まれて飛ばされるから」
俺のように解雇されるだけならいい方で、殉職と見せかけた暗殺まがいのこともあったと噂で聞いた。
「本当に帝国ってロクでもないわね」
「イサギ様と一緒に出てきて正解です」
前をゴング、ソルドムがこじ開けて、その後ろからやってくるライオネルがさらに大きな穴へと広げる。大きくできたスペースには騎獣に乗った獣王軍をはじめ、俺やメルシア、レギナ、キーガスといった面々がサポートしながら全体を押し上げる。
後退するための道は谷底の一本道だけだ。敵は傾斜を下ることになり、こちらは駆け下りる形で優勢となる。
「た、退却だ!」
「こんなの勝てるわけがない!」
圧倒的に不利な地形や俺たちとの攻城戦によって消耗をしていたこともあり、帝国兵たちは瓦解をはじめた。
「今だ! 帝国兵を逃がすな! 一気に攻め落とせ!」
背中を見せて陣地まで退却をはじめる帝国兵に獣王軍は追撃をする。
獣王軍全体のラインが上がり、遂には帝国の陣地が見えるところまできた。
砦まで一気に押し込まれていたが、ライオネルをはじめとする獣王軍のお陰で一気に形勢逆転といったところだろう。
しかし、そんなタイミングで帝国の陣地から魔力大砲が顔を覗かせた。
「魔力大砲!? あれはイサギたちが壊したはずじゃ!?」
その絶大な攻撃力を知っているレギナをはじめとする村人が一気に顔を青くする。
「正確に言うと、魔力大砲にある魔力回路を壊した。本来ならとてもじゃないけど、使用できるはずがない。ただの脅しという可能性もあるけど、魔力大砲としての用途を変えて、別の軍用魔道具に作りかえることができた可能性もある!」
なにせ帝国陣にはガリウスや宮廷錬金術師長もいた。
錬金術で魔力大砲を改良し、別の軍用魔道具に仕立て上げた可能性も無視はできない。
「ライオネル様、あの軍用魔道具は危険です! もし、発射されれば獣王軍に甚大な被害が!」
「ならば、単純だ。あの軍用魔道具を稼働させなければいい!」
俺が忠告の声を上げると、ライオネルはそのような返事をして魔力大砲目掛けて大跳躍をした。
魔力大砲の斜線上へと一人躍り出るライオネル。
帝国側も獣王が斜線上に入ったことを確認したのか、砲身を上に向けてここぞとばかりに魔力砲を放った。
俺たちに向かって放ったものよりもかなり威力は落ちるが、それでも魔力大砲は軍用魔道具に相応しい威力を誇っていた。
しかし、それよりもライオネルの方が上だった。
「『獅子王の重撃』!」
彼は獅子王に相応しい金色のオーラを身体に纏わせると、そのまま魔力の奔流に突っ込んで魔力大砲を殴りつけた。
アダマンタイトをはじめとする頑強な鉱石で加工されていた装甲が、あっけなくへし折れた。
魔力大砲の装甲の厚さをよく知っているからこそ驚かざるを得ない。
まさか、たった一発で破壊されるとは。さすがは獣王だ。
魔力大砲を完全に破壊されたことで精神的な支えを失ったのか、帝国兵が今度こそ瓦解する。
ライオネルと共に帝国の陣に踏み入ると、そこには第一皇子であるウェイスがいた。
「あいつは?」
「第一皇子であるウェイスです。恐らく、今回の軍勢を率いている総大将でしょう」
「そうか。ならば、こいつを倒せば終わりだな」
「貴様、何者だ!?」
つかつかとライオネルが近づくと、ウェイスが剣を抜きながら誰何の声を上げた。
「獣王ライオネルだ」
「獣王だと!? 貴様、王とあろうものが前線に出てくるとは何を考えているのだ!?」
「お前こそ皇族なのだろう? 兵士にばかりに前に立たせて、自分はこんな安全圏にいるとは恥ずかしくないのか?」
「貴様は何を言っているのだ? 尊き一族に生まれたのであれば、それが当然であろう? 民は我らに仕えるために存在しているのだから」
ライオネルの問いかけに対し、ウェイスは心底理解できないものを見るかのような目で言う。きっと彼ら皇族にはライオネルの信念は理解できないに違いない。
獣王国では民は獣王のために力を貸す代わりに、有事の際に獣王は民を守るために全力で守る。互いに助け合うという信頼で成り立っている。
一方、帝国の皇族たちは自分たちばかりの事を考えており、民のことをいくらでも生まれてくる資源のようにしか思っていない。民から搾取をすることはあれど、民のために尽くすようなことはない。
「それがお前たちの国の考え方か。相容れぬわけだ」
「のこのこと獣王が敵陣にやってくるとは愚か者め! 貴様さえ倒せば、この戦いは我らが帝国の勝利となる! 私が帝位につくための礎となれ!」
ウェイスが声を上げると、テント内に隠れていた帝国兵たちが一気に斬りかかってくる。
が、ライオネルを相手にたった数人の兵士が不意打ちしたところで敵うわけがない。
俺が手を出す必要もなく、ライオネルは一瞬で兵士たちを殴り倒した。
「ま、待て! 話せばわかる! 落ち着いて話し合おうではないか!」
ライオネルのあまりの戦闘力の高さに怖気づいたのか、ウェイスが情けない台詞を言う。
危機に陥った時がもっとも本性が出ると聞くが、これは情けない。
帝城にいた時はもっと威厳に溢れていたような気がしたんだけどな。
「話し合いをすることなく、いきなり攻めてきたのはそちらではないか」
ウェイスの話し合いに応じることもなく、ライオネルは無造作に近づくと彼に顔面に拳を叩き込んだ。
「イサギ!」
これで終わりかと思ってテントの外に出ると、そこにはガリウスがいた。
「……知り合いか?」
「ぶん殴ってやりたいと思っていた帝国の元上司です」
「なるほど。ならば、手を出さないでおこう」
「ありがとうございます。過去の確執なので俺一人でケリをつけさせてください」
「いいえ、殴ってやりたいと思っていたのは私もです。私も戦います」
前に出ると、メルシアも隣に立ってくる。
そうだ。あいつに酷い目に遭わされたのは俺だけじゃない。
ガリウスの無茶な仕事をこなすためにメルシアだって何度も徹夜をしたことがあるし、俺の助手をしていたことで圧力がかかったり、メイドから嫌がらせを受けたこともあると聞く。メルシアにだってガリウスをぶん殴る権利はあるだろう。
ライオネルは俺たちの様子を見ると、ニヤリと笑って傍の岩に腰を落とした。
優雅に見学するらしい。いい趣味をしている。
既に戦いは終わっているが、ここで決着をつけないとスッキリしない。
申し訳ないが少しだけ皆の時間を貰うことにした。
「イサギ、メルシア……薄汚い孤児と獣の血を引く獣人でありながら帝国で働かせてやったというのにその恩を忘れ、帝国にたてつくとは恥ずかしくないのか?」
「「ええ? 働いてあげていたのはこっちで働かせてもらっている気持ちなんて一度も抱いたことないんですけど」」
俺とメルシアの口から一言一句違わぬ言葉が出た。
そんな素の言葉を聞いてライオネルが後ろで爆笑し、ガリウスが羞恥で顔を真っ赤に染める。
大体、俺たちを雇用したのはガリウスではなく先進的な考えを持っていた前任者だ。その人に感謝することはあってもガリウスに感謝するような謂れはない。
「その生意気な言葉と態度……貴様は本当に変わらないのだな。貴様たちのせいで私がどれだけ苦労したことか!」
「え? 一方的に解雇しておきながらそんなこと言われても知りませんよ」
俺としては引継ぎくらいはしたいと思っていたが、すぐに出て行けといったのはガリウスの方だ。俺がいなくなって業務に支障が出たとか言われてもどうしようもない。
「もしかして、この方はイサギ様がどれだけ帝国に貢献していたか知らずに解雇されたのでしょうか? 生活魔道具の作成、マジックバッグの作成、魔道具の修繕、素材加工とイサギ様がお一人で行っていた作業はかなり膨大です。宮廷錬金術師の方が道楽で軍用魔道具を作っていられたのが誰のお陰か知らなかったのですか?」
「そんな報告は受けてないぞ!」
「でしょうね。貴族たちはご自分たちの都合のいい報告しか致しませんから」
あー、ガリウスからの評価がやけに低いと思ったが、そんな背景もあったんだな。
とはいえ、ここで誤解が解けたところで何もかもが遅い。
俺とメルシアは既に帝国と縁を切ったのだから。
「もう決着も着いたところですし、大人しくお縄についてくれませんか? かつての部下
のよしみで殴るのは一発だけにしておきますよ」
「うるさい! 薄汚い孤児が私に哀れみの視線を向けるな! 跪くのはお前たちの方だ!」
ガリウスはマジックバッグから長細い銀の棒を取り出して、こちらへと振るってきた。
明らかに届かない間合いであるが、銀の棒は途中で形状を変化させて鞭のようにしなってくる。
慌ててその場を飛び退くと、俺たちのいた場所を鋭い鞭が穿った。
「気を付けてメルシア。ミスリルに魔力を流して形状変化ができるようになっている」
「あの人は錬金術師じゃないですよね?」
素材を瞬時に形状変化させて戦うのは錬金術師の得意分野だ。メルシアが驚くのも無理はない。
「うん、錬金術師じゃないよ。多分、形状変化を記憶させて魔道具化しているんだと思う」
「その通りだ」
ガリウスは錬金術課を統括する貴族であるが、錬金術師ではない。
大体、錬金術師であれば、他の錬金術師に対して敬意があるはずだからね。
「私が前に出ます。イサギ様はサポートをお願いします」
「わかったよ」
俺は頷くと同時に地面に手をついて錬金術を発動。
ガリウスの足元にある地面を形状変化させて、杭として打ち出す。
「そんなもの見え透いた技に当たるか」
一応、錬金術師がどのような攻撃を繰り出してくるかは知っているらしい。
ガリウスはその場から素早く跳躍することで躱す。
その隙にメルシアが地面を蹴ってガリウスに接近する。
ガリウスは素早く魔道具を起動させると、鞭として振るう。
メルシアは接近するのを中断すると、身を屈ませて鞭を回避。
同じく俺も身を低くして伸びてきた鞭を避けた。
ガリウスが広範囲に鞭を振るってくる。
いくら素早いメルシアでもあれだけの広範囲をカバーされては近づくことができない。
一度は回避した鞭であるが、軌道を変えてメルシアの後方へと回り込む。
「くっ……!」
予想外の攻撃に反応が遅れたのか、メルシアの脇腹をミスリルが掠める。
恐らく魔道具の力でミスリルの硬度を変えて、軌道を自在に操っているのだろう。
器用な男だ。
またしても軌道を変えて振るわれるガリウスの鞭。
死角から回り込もうとする鞭の軌道を読み切った俺は、彼女の背後に移動して剣で弾く。
「イサギ様!」
「援護は任せて!」
俺は錬金術師。戦士であるメルシアが前に進むようにサポートするのが役目だ。
このまま俺が死角かたの攻撃を弾いて、メルシアを前に進ませればいい。
「そうはさせるか」
そうやってメルシアを襲う鞭を弾いていると、突如として俺の剣に鞭が絡まってきた。
そのまま手まで絡め取られそうになったので慌てて剣を手放した。
「ははは、戦場で剣を手放していいのか?」
「俺は錬金術師。素材さえあれば、剣なんていくらでも作り出せます」
俺は即座に錬金術を発動させると、先ほどと同じサイズの剣を土で構成した。
先程の剣に比べると切れ味は劣るが、魔力圧縮によって作り上げた剣なので強度はこちらの方が上だ。鞭を弾くにはこちらの方がいいだろう。
すぐに錬金術で武器を補強すると、ガリウスは忌々しそうな顔を浮かべて鞭を振るってくる。広範囲の攻撃にメルシアと俺は近づくことができない。
「イサギ様、どういたしましょう?」
「俺がガリウスの鞭を何とかするよ」
「わかりました」
それがどのようにやるのかメルシアは尋ねてこない。
どのような方法であれ、俺が攻撃を止めてくれると信じてくれているからだ。
さて、彼女に信頼に応えないとね。
「火炎級」
ガリウスが鞭を振るいながら火魔法で牽制してくる。
戦闘能力の高いメルシアを最大限に警戒しているらしく、彼女は回避に専念せざるを得ない。
貴族なので一応は魔法を使ってくると、想定していたが鞭を振るいながら発動するとは器用な奴だ。
俺は錬金術を発動し、再びガリウスの足元の地面を操作する。
杭を打ち出そうとしたが、それはガリウスが強く地面を踏み、魔力を流すことで発動することはできなかった。
「フン、小手先の技を食らうか」
一応は錬金術師を統括しているだけあって、どうやって対処すれば無効化できるか知っているようだ。
しかし、それはこちらも織り込み済みだ。
俺の狙いは彼の狙いをこちらに向けることだ。
「先に貴様から処分してくれる!」
火炎弾をメルシアに連発しながら、ガリウスがミスリルの鞭を振るってくる。
俺は伸びてきた鞭に手を差し出すと、自ら鞭を握り込んだ。
「私の鞭を掴んだところで武器を奪えるとでも――うがッ!?」
ガリウスが力任せに引っ張ろうとしたタイミングで俺は錬金術を発動。
彼が握っているミスリルの柄から鋭い刺が生え、手の平の皮膚を貫いた。
その痛みにガリウスは思わず魔道具を手放す。
その隙をメルシアが逃すはずがなく、彼女は地面を強く蹴って前に出るとガリウスの腹に拳を突き刺した。
「おっ!? おおっ……」
メルシアの重い一撃にガリウスが身体をくの字へと折り曲げる。
「イサギ様」
「ああ。どうもお世話になりましたっと!」
悶絶しているガリウスに近づくと、俺はそのまま接近して顔面に拳を叩き込んだ。
解雇された時に敢えて言わなかったお別れの台詞を添えて。
軟弱な俺の拳だが弱っていたガリウスには致命傷だったらしく、彼は地面をゴロゴロと転がると白目を浮かべ、立ち上がることはなかった。
「最後にいいものを見せてもらった! これにて戦争は終結だ! 我らが獣王軍の勝利である!」
既に総大将であるウェイスが捕らえられ、軍勢のほとんどが敗走、捕虜となっている帝国側に抵抗する気力はない。
ライオネルが正式に戦争の終結を宣言すると、獣王軍から勝鬨の声が上がった。