帝国を出立したウェイスは、招集した自らの軍を率いて獣王国へと進軍していた。
「ガリウス、プルメニア村まではあとどのくらいだ?」
馬を歩かせるウェイスの隣には追従するようにガリウスがいた。
「このテフラ山脈を越えれば、獣王国の領土であり、半日ほどでプルメニア村に到着するものかと」
「ようやくか……まったく、帝国を出るだけでこれだけの時間がかかるとは、国土が広いというのも考え物だな」
帝都からテフラ山脈に移動するのに二週間。錬金術師が開発したポーションによって無理な行軍を繰り返し、倒れた者は捨てて、立ち寄った街や村などで補給する。
そんな犠牲によって成り立った行軍だが、ウェイスはそれを当然と捉えているために罪悪感を抱くことはない。
「獣王国は四方を山に囲まれた要塞国ですからね」
「それ故に今まで本格的な侵略はできなかったが、プルメニア村にある大農園とやらを押さえてしまえばこちらのものだ。そのためにお前がすることはわかるな?」
「村を占領した後にイサギが作り上げた農園の作物を解析し、我々だけで栽培できるようにすることです」
「わかっているのならばいい。作物を無限に生み出せる術さえ手に入れれば、帝国の食料事情は改善されるからな。その上、獣王国を手に入れるための足掛かりを築き上げることさえできる。それが叶えば、私を糾弾する声は収まり、一転して名声が高まるであろう」
そんな未来を想像してか、ウェイスが不敵な笑みを浮かべる。
ライオネルやイサギが予想していた通り、ウェイスの狙いはイサギの大農園を自らのものにし、国内へ作物を還元しつつ、進軍のための軍事拠点とすることだった。
「その時は何卒、錬金術課の拡大の方もお願いいたします」
「そうだな。農園を手に入れば、多くの宮廷錬金術師がそちらに配属されることになる。予算の増額と人員の増員を検討しよう」
「ありがとうございます」
「まあ、まずは大農園を手に入れることだ。この山を下り、レディア渓谷を抜ければ、プルメニア村までは一直線だ。一気に行くぞ」
「問題はレディア渓谷での待ち伏せですね」
「フン、仮に我々の動きを察知していたところで相手ができることはたかが知れているだろう」
実際にウェイスの思考は正しい。障害となるのは辺境にある村一つだ。大きく見積もって数は千。万を越えている帝国にかかれば、一ひねりである。
「とはいえ、無用な被害を出しては他の者に小突かれる原因となる。斥候を出しておくか」
ウェイスは兵士に素早く指示を出すと、斥候に選ばれた兵士が馬を操作して山を駆け下りていく。
やがてウェイスたちがテフラ山脈の中ほどを抜けた頃に斥候は戻ってきた。
「報告です! レディア渓谷に巨大な砦が築かれております!」
「巨大な砦だと!? そんなものがあったか?」
「私の記憶でもそのようなものはなかったかと……」
斥候からの報告にウェイスとガリウスは目を瞬かせる。
ウェイスたちもプルメニア村に進軍するに当たって、国境に位置する周辺の街や村から地形の情報収集くらいはしている。しかし、情報の中にレディア渓谷に巨大な砦ができたなどというものは一つもなかった。
「とにかく、実際に確認してみるしかあるまい。このままレディア渓谷に入る」
ウェイスの指示の元、帝国兵たちはテフラ山脈を抜けて、レディア渓谷に足を踏み入れる。
すると、視界の遥か先に巨大な砦が鎮座しているのが目視できた。
「……想像以上に堅牢な砦だな」
「本陣と防壁には魔力鉱が含まれています。ただの獣人にこのようなものを作れるはずがありません」
錬金術師ではないものの、数々の錬金術をこの目にしてガリウスには砦を構成する素材の色合いで判断することができた。
「となると、あれを作ったのはイサギか。厄介なことをしてくれる」
左右にそびえ立つ大きな谷の長さは軽く百メートルを越えており、急な斜面な上に岩肌の凹凸も激しいので人間が登ることは不可能だ。多くの軍勢を率いるウェイスは回り道をすることもできず、平坦な谷底の道を通るしかない。
しかも、谷底の幅はそこまで広いものでもなく数百人単位で通れず、大きく展開するといった動きができない。
情報にないものの存在に帝国兵たちがざわめく。
「狼狽えるな! たとえ有利な位置に砦を築こうが、こちらには圧倒的な軍勢がいるのだ! あそこに籠っているのは千にも満たない烏合の衆! 真正面から叩き潰してやればいい!」
ウェイスの冷静な声音と明確な方針の決定により、帝国兵たちの動揺はすぐに収まった。
たとえ、堅牢な砦があろうともあそこにいるのは獣人の村人だ。
数では大いに勝っている上に、こちらには精強な兵士や騎士、魔法使いなどの人員が豊富におり、支給されている装備も一級品のもの。徴兵されたただの平民でさえ、魔道具を持たされているので、強引な行軍をしたとはいえ帝国兵たちは強気だった。
「落石や罠には注意しろ!」
ウェイスが逐一指示を飛ばしながら帝国兵は谷底を通って進軍。
唯一の通り道であり、やや曲がりくねっているが一本道だ。当然、ウェイスたちも罠を警戒する。
魔法使いや錬金術師に指示を出して、すぐに迎撃できるように準備をしながらゆっくりと進んでいくが、想像していたような攻撃は見受けられない。
「罠はないのか?」
進めど何も起こらないことにウェイスが拍子抜けしていると、兵士たちの行軍速度が遅くなった。
「何事だ?」
「人間と黒い狼と思われる魔物が進路を塞ぐように立っております!」
兵士に言われて、ウェイスは遠見の魔道具で覗き込む。
すると、兵士の言う通り、前方にはポツリと佇む一人の人間がいた。
銀色の髪に黄色い瞳をした十代中頃の少年は、帝国の宮廷錬金術しであることを表すローブを羽織っている。
「イサギか!」
「宮廷錬金術師のローブを羽織っておりますが、どういたしましょう?」
「レディア渓谷に砦を築いたのは帝国に敵対するという意思表示でしょう。たとえ、どのような者であっても帝国に牙を剥く以上は、ねじ伏せなければなりません。そうですよね、ウェイス様?」
「素直に大農園を差し出すのであれば、命くらいは拾ってやろうと思ったが我々の前に立ちふさがるのであれば容赦はせん。大農園が手に入る以上、イサギはもう帝国に必要ない。構うことなく殺してしまえ」
「はっ!」
ウェイスの速やかな決定により、帝国兵の進軍速度が元に戻る。
一人の男と一匹の魔物を潰すことに躊躇いはない。
「魔法槍、構え!」
兵士長の言葉が響くと、前線の兵士が魔法槍を起動しながら前に進む。
魔法槍の穂先に様々な属性の光が宿る。
(イサギ、魔法槍の射程に入った瞬間に終わりだ。お前が無様に散っていく様を見てやろう)
馬上にいるガリウスが暗い笑みを浮かべながら遠見の魔道具を覗くと、突っ立っていたイサギが懐から何かを取り出したのに気付いた。
手の平に握りしめたものはあまりに小さくて何かはわからない。だが、小さな何かが地面に落ちた瞬間、とんでもない勢いで木が生えていく。
それらは増殖を繰り返し、数百メートル空いていた彼我の距離をあっという間に埋め尽くした。
正面や側面からの攻撃に警戒してはいたが、まさか地面から木々が生えてくるとは思いもしない。
突起してくる木々に帝国兵が次々と吹き飛ばされ、あちこちで悲鳴が上がった。
「なんだ!? なにがどうなっている!?」
王族であるウェイスや、それに従うガリウスは遥か後方に陣取っているために呑み込まれることはなかったが、そびえ立つ木々によって戦況の把握がまったくできない。
「イサギの攻撃です!」
「だからどんな攻撃だと言っている!?」
「恐らく、なにかしらの植物を錬金術で改良し、森を作り上げたのかと……」
「戦場に森を作りあげるだと!? 中はどうなっている!?」
「わかりません! 中の様子を窺おうにも木々が襲いかかってきます!」
ウェイスの視界では森に突入しようとした兵士たちが、木々から伸びた蔓や枝葉に妨害されている姿が写っていた。
「ウェイス様! 崖から石が転がり落ちてきます!」
「くっ! 奇襲を一切仕掛けてこなかったのは混乱をつくためか! 魔法部隊は石を砕け!」
ウェイスの指示によって魔法を待機させていた魔法使いの部隊が杖を掲げた。