それから俺は魔道具やアイテムを作ったり、砦をさらに堅牢にしたり、軍用ゴーレムを生産したり、レギナのための魔法大剣を作ったり、コクロウと一緒に様々な錬金生物を作ったりと自分にできることを行っていく。
慌ただしくも準備に奔走していると、あっという間に時間は経過していき……。
そして。
「て、帝国の軍勢が見えました!」
遂に斥候に出ていた獣人からそのような報告が入った。
「落ち着いて。帝国兵を目視した場所を教えてちょうだい」
帝国の襲来にレギナは動揺することなく冷静に尋ねた。
「帝国と獣王国を隔てるテフラ山脈の中ほどで目視しました! このまま行けば、あと半日もしないうちにレディア渓谷に足を踏み入れると思われます!」
「総員戦闘配備! 帝国を迎え撃つための準備を!」
「「「おおっ!」」」
レギナの力強くも透き通るような声は砦中にいるすべての者たちの耳に届き、それに応える形で獣人たちが勇ましい声を上げた。
砦にいる獣人たちがテキパキと動き出す。
「さすがはレギナ様です。しっかりと獣人たちを纏めているようで」
「獣人って纏めるのが難しいの?」
「獣人には我が強く、血の気の多い者も多いですから」
普段接している人を見ると、そんな人が多いようには見えないが、実はそういった一面があるようだ。
「へー、レギナはそんな彼らをどんな風にまとめたの?」
「文句がある人を片っ端からねじ伏せただけ。強い者が上に立つ。単純でしょ?」
「な、なるほど」
元々、レギナには第一王女というわかりやすい肩書きがある上に、ライオネルからの命令書もある。別にレギナが上に立つことに正当性は多いにあるのだが、それでも文句のある者の挑戦を受けてたったというわけか。
確かにそこまでされて敗れたのなら、血の気の多い者も従順になるわけだ。
別に上に立つつもりはないが、俺には到底できない纏め方だな。
多くの者が忙しく動き回る中、俺とメルシアがやることは何もない。
この日のためにやれるべきことはやった。これ以上の余計な作業は悪戯に魔力を消費するだけだ。
他にやるべきことがあるとすれば、それは砦にいる非戦闘員を避難させることだろう。
「俺はダリオとシーレに話をしてくるよ」
「では、私は従業員に話を……」
メルシアと別れ、俺は砦の内部にある厨房へと移動する。
様々な料理と調味料の香りがする厨房にはダリオとシーレだけでなく、村の女性たちもいた。
「イサギさん! ついに帝国がやってくるんですね!?」
「うん。もう半日もしない内にレディア渓谷にやってくる。だから、二人には避難してほしいんだ」
ダリオとシーレはコニアに紹介してもらったプロの料理人であり、非戦闘員だ。
これ以上の協力は命を落とす可能性が高くなる。
「……あの、イサギさん、やっぱり僕も――」
「中途半端なことを言わない。私たちにできることはやった。ここで引き上げるわよ」
ダリオがこちらを伺うようにしながら口を開くが、それを覆いかぶせるようにシーレがきっぱりと告げた。
「でも! ここまで来たんだし、僕たちだけが避難するなんてできないよ!」
「馬にも乗れず、剣もロクに触れない癖に何を言ってるのよ。あんたなんて戦場に出たところで真っ先に死ぬだけ。むしろ、前に出たら邪魔になる。それくらいわからないの?」
「う、うう」
シーレの厳しい言葉にダリオは反論すらできないようで涙目になってしまった。
ダリオが真面目ということもあるが、それほどまでにプルメニア村のことが大好きで、守りたい気持ちがあるんだろう。
それが痛いほどに伝わってきて俺も嬉しい。だからこそ、無理強いさせるわけにはいかない。
「危なくなったら避難する。それが最初に交わした約束ですから」
「本当にすみません」
これ以上の言葉はダリオの罪悪感を増幅させるだけだろう。俺はダリオの肩をポンと叩くと、シーレに任せたとばかりに視線を向ける。
すると、彼女はこくりと頷き、ダリオの背中を押して厨房の外に出ていった。
厨房にはプルメニア村に住む女性たちが残っている。
「あたしたちはここに残るよ。あたしたちまで逃げ出したら、ここの男共は身の回りのことができなくなっちまうからね」
彼女たちも戦うことはできないが、ずっとここに残ってくれるようだ。
「ありがとうございます。皆さんがいてくれるだけで百人力です」
「その代わり、帝国兵を倒してくるんだよ!」
「はい! 頑張ります!」
女性たちに見送られて厨房を出ると、ちょうど農園から戻ってきたらしいメルシアと合流。後ろにはリカルドとラグムントがいるが、ネーアの姿はない。
「……ネーアには避難してもらいました」
「わかった」
ネーアはラグムントやリカルドのようにいざという時に戦うことができないからね。
農園の方は既に栽培も落ち着いているし、作業用のゴーレムだっている。
従業員を三人ともと留めておく理由がない。
「二人とも配置についてくれていいよ」
「おう」
「わかりました」
俺とメルシアと動き方が特殊なので、リカルドとラグムントもケルシーたちの方へと合流をしてもらう。
そんな風にやるべきことを済ませていると、半日という時間はあっという間に過ぎてしまい。
「さあ、帝国のお出ましよ」
程なくして俺の視界に帝国兵の軍勢が見えてきた。
防衛拠点を作成してから一週間。俺とメルシアが懸念していた日にやってくることはなかったが、その日数は驚異的な進軍速度と言えるだろう。
恐らく国内で兵力と物資を徴収し、錬金術師の作り出した強壮ポーションを飲んで、進軍しているのだろう。
前を歩くのは皮鎧や鉄の胸当てを装備した歩兵たち。身の丈よりも大きな槍を掲げて前進している。その後ろには剣を装備した歩兵などが続き、その後ろには馬に跨った騎士が続いていく。
あちこちで帝国旗が上がり、あっという間にレディア渓谷を埋めていく。
帝国兵の威容とその膨大な数を見て、砦にいる獣人たちが息の呑むのが伝わってくる。
とんでもない数だ。ざっと見ただけで俺たちの数倍の戦力。しかも、それはほんの先頭部分でしかないために、全体の数はもっと多いだろう。最低でも二万ほどいることは確定だ。
「獣王軍は間に合いませんでしたね」
帝国兵がたどり着く前にライオネルをはじめとする獣王軍が到着してくれるのが理想だったが、残念ながらそうはいかなかった。
先触れの者もやってきていないので近くまで来ているというわけでもないのだろう。準備と移動に時間がかかっているのかもしれない。
「うん。だけど、それは初めから想定していたことだから」
たとえ、獣王軍がこなくともやるべきことは変わらない。
村の皆と帝国兵を追い返すまでだ。
「あたしたちがするのはただの籠城じゃない! 持ちこたえていれば、必ず獣王軍はやってくる! だけど、あたしはそんな弱気でいるつもりはないわ! あたしたちだけで帝国を撃退するくらいの気持ちでいくわよ!」
「「おお!」」
帝国の軍勢にやや呑まれ気味だった獣人たちだが、レギナのいつもと変わらない明るい言葉に調子を取り戻したようだ。あちこちで雄叫びのようなものが上がる。
そのために色々と準備をしてきたんだ。絶対にここで食い止める。
プルメニア村に進ませはしない。
「それじゃあ、帝国に先制攻撃を仕掛けてくるよ」
レディア渓谷にはいくつかの仕掛けを施しているが、帝国もそれを一番に警戒しているし、最初に起動させても与える被害はたかが知れている。発動するなら敵がもう少し進み、混乱に陥った時が望ましい。だから、その混乱を防ぐために俺は一つ策を使うことにした。
「本当にイサギだけで大丈夫なの?」
「コクロウたちがいるから大丈夫だよ」
「……イサギ様」
「大丈夫だから心配しないで。ちょっと安全な位置から攻撃を仕掛けてくるだけだから」
メルシアが付いてきたそうな雰囲気を出してくるが、これから行う攻撃のことを考えると味方は一人でも少ないに越したことはない。
「コクロウ!」
コクロウの名を呼ぶと、俺の影からぬっと姿を現した。
俺は遠慮なくその背中に跨る。コクロウのもふもふとした体毛の感触が心地いい。
「言っておくが貴様を背中に乗せるのは今日だけだからな?」
「わかってるよ」
俺を背に乗せることが大層不服らしい。
本音を言えば、これからもずっと背中に乗せてほしいくらいの心地良さだが残念ながらそれは敵わないようだ。
「それじゃあ、行ってくるよ」
「ええ」
「お気をつけて」
「では、行くぞ」
「えっ、ちょっと待って!」
レギナとメルシアに見送ってもらうと、次の瞬間コクロウが防壁へと跳躍し、そのまま砦の外へと落下。
え? こんな高いところから飛び降りるなんて聞いてない。
防壁の周囲にはむき出しになった岩や傾斜があり、まともに着地などできるはずもないが、コクロウの強靭な脚はそれらをものともせずに柔らかく着地。そのまま地面を蹴って、跳躍を繰り返し、谷底へと一気に駆け下りた。獣人であるメルシアとは違った変幻自在な動き。俺は振り落とされないようにするので必死だ。
「着いたぞ」
気が付くといつの間にか谷底までやってきていたのか、視界の彼方には帝国の軍勢が見える。
「……もうちょっと快適なルートを通ってくれないかな?」
こんなルートを通っていたら命がいくつあっても足りないし、心臓が持たない。
「知るものか。これが我にとっての進みやすいルートだ」
メルシアだったら俺が落ちないように安全なルートで気を遣って走ってくれるだろうが、魔物であるコクロウにそこまでの気遣いを求めるのも酷なのかもしれない。
コクロウが足を止めると俺は背中からゆっくりと下りた。
視界の彼方では土煙を上げながら帝国兵が前進してくる姿が見える。
谷底にポツリと佇む俺とコクロウの姿を確認したのか、歩兵が槍に光を灯した。
魔法槍。槍の先端に魔力を集め、込めた属性魔法を解放するシンプルな仕組みの魔道具。
俺たちが射程範囲に入れば、一斉に魔法を叩きつけるつもりだろう。
敵は万を越えるような大軍な上、抱えている魔法使いの数も質も桁違いであり、その上莫大な数の軍用魔道具を所持している。たとえ、有利な位置に砦を構えていようと真正面からぶつかってしまえば勝ち目はない。
だったら帝国が魔法や軍用魔道具が使えない状況に、かき乱してやればいい。
前を見据えながら立っていると、帝国兵がドンドンと近づいてくる。
ジリジリと距離が縮まると、魔法槍を装備した歩兵たちが穂先をこちらに向けてくる。
魔法槍は俺が宮廷錬金術師だった頃に何度も作った魔道具だ。どこまでが射程範囲なのかは理解している。
「そろそろかな」
「ああ」
俺は帝国をギリギリまで引き付けると懐から種を取り出し、レディア渓谷の谷底へと撒いた。
たった一つの種は地面に埋まると、ひとりでに地面に埋まっていく。
種はすぐに芽を出すと、あっという間に枝葉を茂られて木立へと成長。
その木立は実を地面に落とすと、はじけ飛んで周囲に種を撒き散らす。その種たちはひとりでに地面に埋まっていき、同じように枝葉を茂られて木立へと成長。
木々が増えるごとに飛び散る種の数は増えていき、爆発的な速度で木立が増殖していく。
それは俺の周囲に留まらず、こちらに向かって進軍している帝国兵たちも巻き込まれる。
地面から突如屹立する木々に帝国兵が吹き飛ばされ、次々と悲鳴が上がる。
魔法槍を振るって木々に攻撃を加える兵士もいるが、増殖する木立の勢いには逆らうことはできない。増殖した木々はあっという間に帝国兵の軍勢を呑み込み、レディア渓谷に森を作り上げた。
「帝国兵の様子はどう?」
「多くの者が森に囚われ動揺している」
「なら混乱している今の内に奇襲を頼むよ」
「ああ」
クロウの影が大きく蠢き、大量のブラックウルフが森へと入っていった。