メルシアの綺麗な顔が近づいてくる。
このままいくとキスでもされるんじゃないか。
そんな思考がよぎってしまって心臓がドキドキする。
「イサギ様、もしかして寝ていませんね?」
こちらを凝視しながらの言葉にさっきとは別の意味でドキッとした。
「そんなことはないよ」
「私の目を見て言ってください」
メルシアが両手で俺の顔を挟んで無理矢理にこちらを向かせる。
抗えば、首の骨が折れるんじゃないかって力だった。
「……ちゃんと寝てるよ? ほら、顔色だって悪くないでしょ?」
なんて言ってみせると、メルシアは悪徳錬金術師を見るような目になった。
「ポーションを飲みましたね?」
「飲んでないよ」
「いいえ、飲みましたよね?」
確信があるのかメルシアが語気を強めて再び問いかける。
これ以上誤魔化したら本当に怒られてしまいそうだ。
「……はい。ポーションを飲んで二徹しました」
「やっぱり」
「なんでわかったの?」
強壮ポーションを飲んだために目にクマができていたり、顔色が悪くなるようなことはない。疲労は一切感じさせていないはずなのだが、なんでわかったんだろう?
「イサギ様のことは毎日見ていますから私にはわかります」
「そ、そうなんだ」
毎日見ていればわかることらしいが、俺にはわかる気がしないな。
「やはり、父さんを無理矢理にでも説得して、イサギ様と同室にさせてもらうべきでした。男女で寝室を分けるから私が目を離した隙にイサギ様がこのような無茶を……」
「いや、いくら戦時中でも寝室は分けないとダメだよ」
帝国と戦うよりも前にケルシーと戦うことになって大変なことになるから。
「二徹はやり過ぎです。今日のところはこの辺りにいたしましょう」
「もう少しだけ作業をさせて! 今日はまだ三百個しか作れていないし!」
プルメニア村や近隣に住む集落の人たちが終結し、この砦に集結している戦力はおよそ千人ほどだと聞いた。
全員が戦う人員ではないが、魔石爆弾は獣人ならば誰でもある程度の威力を発揮する強力な魔道具だ。可能なら全員が二個は所持できるだけの数を作っておきたい。
本当はもっと持たせられるように生産したいし、皆が正しく使いこなせるように練習分も作っておきたい。
いくらあっても足りることはないという状況なので、不足している現状で休むなんて選択はあり得ない。
「今日、あるいは明日にでも帝国が姿を現したらどうするのですか? そんな状態で戦いに加わっても十分に力を発揮することはできませんよね?」
「その時はポーションを重ねて無理矢理にでも――」
「ただでさえ魔力消費と生成を繰り返して身体を酷使しているのに、その上にさらに重ねるのですか? 間違いなく倒れますよ?」
ポーションが誤魔化しにしかならないことは俺がよく知っている。所詮は先送りにしているに過ぎないのだ。
「で、でも……」
「イサギ様が私たちを大切に思ってくださるように、私たちもイサギ様のことを大切に思っています。そのことを忘れないでください」
メルシアが真剣な顔で訴えてくる。
そうか。俺なんかのことを心配してくれる人が今ではたくさんいるんだ。
こんな大事な時に倒れて、皆に不要な心配はかけたくない。
「ごめん。また一人で焦ってた。作業はやめて眠ることにするよ」
「そうなさってください」
作業を中断すると、俺は顔を洗って歯を磨くと工房の奥にある寝室へ移動。
ローブを脱いでハンガーに掛けると、そのままベッドに寝転がる。
「……ところで、なんでメルシアがいるの?」
ベッドの脇のチェアにはメルシアが腰かけている。
「私が目を離すと、イサギ様はまた作業を再開される恐れがありますから。ここで眠りにつくのを見守らせていただきます」
正直、異性が目の前にいると非常に眠りづらいのだが、彼女の目を盗んで無理をしていた俺が悪いので反論の余地はない。
「ほら、目を瞑ってください」
メルシアが俺の髪を優しく撫でながら言う。
口を開いて子供じゃないんだけどと言おうとしたが、やはり体力のない俺の身体に二徹の負荷は大きかったらしく睡魔が襲ってくる。
強烈な眠気に俺は抗うことができず、俺はゆっくりと瞼を下ろすのだった。
これじゃ子供のようだな。
●
目を覚ますと、すっかりと工房の中が薄暗くなっていた。
ゆっくりと上体を起こす。
眠り始めた時刻が昼間だったから、半日くらいは眠っていた計算になるなぁ。
傍らに置かれてあるチェアにメルシアの姿はない。
俺が眠ったのを確認して自分の仕事に戻ったのだろうか。
ボーッとする頭でそんなことを考えていると、寝室の扉がノックされた。
タイミング的に俺が目を覚ましたのを察知したのだろう。すごい聴覚だ。
「イサギ様、お目覚めでしたら食事などいかがでしょう?」
朝も昼も食べていなかったために食事と言われた瞬間に、俺の胃袋が訴えを上げた。
「お願いするよ」
「かしこまりました。温めますので少々お待ちください」
「うん」
返事をすると、メルシアが遠ざかっていく。
俺はその間に軽く寝癖を直し、壁にかけてある魔道ランプを起動して、部屋に灯りを点けた。
こんなに長い時間眠ったのは久しぶりだ。それでも、まだ少し眠気があって頭が重い。
まだ完全に疲労が取れてはいないのだろう。
それだけ俺の身体に疲労が溜まっていたということだろう。
メルシアの言う事を聞かずにあのまま作業を続けていたら間違いなく倒れていたな。
彼女の言うことを聞いてよかった。
しみじみと思っていると、メルシアが扉を開けて入ってくる。
トレーに載っている深皿からは湯気が上っており、優しい野菜の香りがした。
「砦の農園野菜を使ったスープです」
「砦のってことは強化作物?」
「はい。ダリオさんやシーレさんがイサギ様のために調整して作ってくださいました」
「それはありがたいや」
「他にもレギナ様から要望のあった強化作物を即座に補給できるように兵糧丸やシリアルバーが作成されていますよ」
メルシアが兵糧丸とシリアルバーらしきものを見せてくれながら言った。
「それもできたんだ!?」
「はい。皆さん、一丸となって頑張ってくださっています」
「そうか」
俺だけでなく砦にいる他の皆も各々ができることをやってくれている。
強化作物でできた携帯食を見ると、それが実感できたような気がした。
「どうぞ、召し上がってください」
「ありがとう」
メルシアからお皿を受け取る。
「大きなタマネギだ」
お皿には大きなタマネギが浮いており、ブロッコリー、ニンジン、キャベツ、ベーコンといった具材が入っており、とてもいい香りを放っている。
匙を手に取ると、中央にある大きなタマネギを崩す。
しっかりと煮込まれたタマネギはとても柔らかく、匙で簡単にほぐすことができた。
スープと一緒にほぐしたタマネギを口へ運ぶ。
「甘くて美味しい!」
タマネギの濃厚な甘みが口の中へ広がる。
スープにはタマネギだけでなく、ブロッコリー、キャベツ、ニンジンと言った他の野菜の甘みや旨みが染み込んでおり、噛みしめるために濃厚な味を吐き出す。
タマネギだけでなく他の具材も柔らかくて美味しい。ベーコンの程よい塩気が食欲をさらに増進させるようだ。
ひとしきり具材を味わうと、今度はスープだけを飲んでみる。
甘い。だけど、砂糖のようなしつこさはない。身体に無理なく吸収されるような透明感のある甘さだ。自然と喉の奥へ通っていく、胃袋へと治まっていく。
栄養に飢えていた身体が喜ぶのがわかる。
お腹が空いていたこともあり俺の匙は止まることがなく、気が付けばお皿の中は空っぽになっていた。
「ごちそうさま」
「お粗末様でした。もうひと眠りされますか?」
「うん。もう少し寝るよ」
食べたら胃袋も満足したのか、またしても眠気が襲いかかってきた。
身体が本能的に休息を欲しているのだろう。
食べ終わったお皿をメルシアが回収してくれる。
「ダリオとシーレにお礼を言っておいてくれるかな?」
「はい。確かに伝えておきます。今夜はしっかりと休み、万全になった明日から頑張りましょう」
メルシアの心地良い声を耳にしながら、俺はまたしても意識を落とすのだった。