「ここがレディア渓谷か……」

ゴーレム馬に跨ってプルメニア村から西へ移動をすると、数時間ほどで森林地帯を抜けて、景色は荒野へと変わり、レディア渓谷へたどり着いた。

俺たちの目の前には険しい谷が広がっており、長大な岩壁が遥か先まで続いている。

「谷底には少し川が流れているね?」

「はい。ですが、気持ち程度のものでほとんどが地面です」

メルシアの言う通り、谷底に流れる水は少量でほぼ剥き出しの地面となっていた。

水の流れが敵の足止めになるなんて期待はしない方がよさそうだ。

とはいえ、ラオス砂漠の時のように水源を探り当てることができれば、いざという時の切り札になるかもしれない。

そう思って地面に手を当てて錬金術を発動。魔力を地面に浸透させ、この付近に水脈がないかを調査する。

「うーん、付近に水脈もないね」

「上流の方に行けば、可能性はあるかもしれませんね」

「うん。でも、今は防衛拠点を作る方が先決かな」

場所を変えて調査していけば見つかるかもしれないが、すぐに発見できるとは限らない。

優先度は防衛拠点の方が高い以上、水源の調査については後回しだ。

「ケルシーさんの言っていた地点はどこかな?」

「あちらになります」

メルシアに先導してもらって少し移動する。

「なるほど。確かにここだと見下ろすことができるね」

移動する前の位置の辺りから谷底の傾斜がついていき上り坂になっている。俺たちのいる地点に防衛拠点を作れば、さらに高さはつくことになり、敵を打ち下ろす形で迎撃できだろう。矢を射かけるも良し、岩を転がしてやるもよし。これは大きな利点だ。

微妙な坂のように思えるかもしれないが、一本道を通ってくるしかない帝国からすれば、その微妙な坂が追い打ちとなるだろう。

「よし、ならここに防衛拠点を作るよ!」

「お願いします」

俺とメルシアはゴーレム馬を使って谷底へ駆け下りた。

まずは整地だ。どのような拠点を作るにも土台が不安定では意味がない。

ゴーレム馬を下りると、俺は地面に手を当てて錬金術を発動。

表面を滑らかなものにすると、防衛拠点の範囲を決めるように防壁を作り出す。

地面がせり上がって四方を囲う壁となった。

防壁がそびえ立つとその中心部分に移動して、周囲にある土、石、岩を操作して砦となるものを作り上げていく。

「さすがに魔力の消費が激しいな」

今まで自分の家、工房、販売所、宿泊拠点などと様々な建物を作ってきたが、今回作る砦はそれよりもスケールが何倍も違う。

地面に干渉する力も強く必要だし、物質を操作する量も甚大となっており、必要とされる魔力も膨大になるわけである。

レピテーションを駆使し、基礎のパーツを組み上げるだけで体内にある魔力がゴリゴリと減っていくのを知覚する。こんなにも一度に魔力を消費するのは初めてな経験かもしれない。

「イサギ様、お辛いのであれば無理はなさらずゆっくりにでも――」

「心配してくれてありがとう、メルシア。でも、それじゃダメなんだ。帝国がいつやって来るかわからない以上、防衛拠点は早く作らないといけない」

防衛拠点を早く作り上げることができれば、速やかに迎撃態勢が整う。

ひとまずの迎撃態勢が整っていれば、レギナたちが作戦を考えたり、作戦のための練習を重ねることができる。他にもプルメニア村からの物資を運び込んだり、皆で武器を作ったりとやれることはたくさん。それらができるほどに帝国との戦いが有利になる。

俺がちょっと無理をするだけで生き残る確率を、勝つための確率を上げることができるんだ。だったら、ここで無理をしないわけにはいかない。

錬金術で周囲にある岩を変形させ、魔力を浸透させることによって圧縮し、硬質化。それらの岩をレピテーションで次々と積み上げていく。そんな作業の傍ら、俺はマジックバッグから瓶を取り出して緑色の液体を呷る。

魔力回復ポーションだ。魔力を消費したすぐ傍に体内で無理矢理に魔力が生成される。

その感覚がとても気持ち悪い。

「イサギ様! それではお体に大きな負担が!」

本来、魔力回復ポーションというのは、失った魔力をゆっくりと回復させるものだ。

だけど、俺は錬金術によって回復能力を無理矢理に高めたものを使用している。

魔力使ってすぐにまた魔力を生成。

当然、そんなことをすれば、体内にある魔力器官への負担は大きくなる。

気持ちが悪いというのは、俺の身体が悲鳴を上げているということだ。

戦場に出る魔法使いが魔力器官を壊し、寿命を縮めてしまう一つの原因でもある。

助手であるメルシアはそのことを知っているので俺を止めようとする。

だけど、今回ばかりは素直に頷くわけにはいかない。

「錬金術師にとっての戦争は準備にある。ここが俺の頑張りどころなんだ!」

「……イサギ様」

戦争が始まってしまえば、俺はメルシアやレギナみたいに最前線で戦って活躍することはできない。できることが少なくなる以上、今が俺の頑張りどころなんだ。

周囲にある土、岩、石が少なくなってきたが心配はいらない。俺のマジックバッグにはライオネルやコニアから貰った物資がたくさんある。

必要となる物資も無尽蔵だ。

だから、あとは俺の魔力が持つ限り、組み立て続けるだけだ。





「ふう、ひとまず完成かな」

半日ほど錬金術を使い続けると、ようやく防衛拠点といえるものができ上がった。

切り立つような崖に挟まれた谷底はせり上がり、レディア渓谷を見下ろすかのように砦が鎮座しており、周囲には二十メートルを越える高さの防壁が存在していた。

前方には曲がりくねった谷底による一本道しかないが故に、正面から見た時の迫力は半端ないな。

砦や防壁の作成に使用した素材はレディア渓谷にある土、岩、石が中心だが、錬金術による魔力圧縮により、硬度がかなり高められているので想像以上に硬い。

特に砦の前部や城門などには加工した鉱石などが混ぜられているので、より堅牢だ。

一般的な攻城兵器をぶつけられた程度ではヒビ一つ入らないはずだ。というか、そういうように作った。

「おっとと」

立ち上がろううとすると不意に身体から力が抜けた。なんとか踏ん張ろうとするも身体が酷く重く、思うようにバランスが取れない。

地面に衝突することを覚悟していると、ポスリと身体が受け止められた。

「ありがとう」

「いえ」

視線を上に向けると、メルシアの顔が映った。

どうやら彼女が咄嗟に受け止めてくれたらしい。

「あれ? 身体が動かないや」

感謝しつつ、ゆっくりと離れようとするが身体がまったく動かないことに気付いた。

「魔力欠乏症ですね。動けるようになるまで少し休憩いたしましょう」

「そうだね。そうさせてもらうよ」

頷くこともできないので言葉で返事をすると、メルシアはゆっくりとその場で俺を寝転がせてくれる。それはいいのだが、なぜか自分の太ももを枕替わりにさせた。

これは俗に言う膝枕という奴ではないだろうか?

「……あのメルシアさん? どうして膝枕を?」

「イサギ様を地面に寝かせるなんてできませんから」

視線を上げると、メルシアがこちらを見下ろしながら微笑んだ。

碧玉のような瞳がとても綺麗だ。

「別にメルシアの膝じゃなくてもマジックバッグから適当にクッションでも取り出してくれればいいんだけど――」

「私がこうしたいからしているんです。それじゃダメでしょうか?」

「……いや、別にダメじゃないです」

真正面からそんな風に言われてしまうと、断れるはずもない。

クッションよりもメルシアの膝枕の方が絶対に心地いいだろうから。

そうやって小一時間ほど休憩していると、魔力が回復して身体の自由が利くようになった。

「ありがとう。もう大丈夫だよ」

「かしこまりました」

立ち上がると、身体の調子を確かめるように肩を回す。

メルシアが膝を貸してくれたお陰で身体に痛いところはどこにもなかった。

素直にされるがままになってよかったのかもしれない。

身体をほぐしていると、プルメニア村の方角から何かが近づいてくる気配がする。

振り返ると、レギナとケルシーがゴーレム馬に乗ってこちらにやってきた。

俺たちの作業の様子を見にきてくれたのかもしれない。

「イサギ! あれがあたしたちの防衛拠点なの!?」

「そうだよ」

「「…………」」

こくりと頷くと、二人があんぐりとした顔で拠点を見上げる。

「たった半日でこれほどのものを作り上げたというのかね?」

「そうなります」

「これほどのものを作るとなると、さすがのイサギでも魔力が足りなかったでしょ?」

「うん。そうだね。でも、そこはポーションで補ったよ」

「……無理をさせちゃったわね。ごめんなさい――いいえ、この言葉は相応しくないわね。ありがとう」

「どういたしまして」

レギナは俺が無理をしたことに気付いたのだろう。

謝りかけたが、すぐに言葉を言い直してくれた。

うん、謝ってもらうよりも、ここはお礼を言ってくれる方が俺も嬉しい。

これが俺の役目なのだから。

「まさか、たった半日でこれほどの防衛拠点を完成させてしまうとは、これは嬉しい誤算だ」

「あっ、すみません。まだ完成じゃないです」

「ええ!? これで完成じゃないのかね!?」

防衛拠点を見上げていたケルシーが勢いよく振り返る。

「ひとまず、全体を整えることを先決にしたので、利便性や強度についてはこれから高めていく必要があります」

「どう見ても完成しているようにしか見えないんだけど……」

「まだまだ防壁の強度を上げないといけないからね。防壁の上から撃退できるように足場を作らないといけないし、安全に矢を射かけられるように覗き穴なんかも作っておきたい」

他にも周囲を見渡せるように監視塔を作らないといけないし、村人たちが寝泊まりできるような寝室、料理ができるような厨房、医務室などとやるべきことはたくさんある。

「そのレベルまでいくと一種の砦ね」

だが、帝国を相手にやり過ぎということはない。

帝国と俺たちの間に絶望的な戦力の差があるのだから。

「イサギ君、ここまで整っているのであれば、物資を運び込んでも問題ないだろうか?」

「はい。構いません」

ここまで作り上げてしまえば、錬金術で大規模な作成をすることはない。

周囲に人がいても問題なく作業を行うことができる。

「あっ、ケルシーさん。村に戻るのであれば、うちの従業員を三人呼んできてもらえますか?」

「真っ先に呼ぶのが農園の従業員なのかね?」

俺の要望にケルシーは若干呆れている様子。

防衛拠点を作成したというのに、真っ先に農家を呼ぶというのだから怪訝に思うのも無理はない。

「城塞の中に小さな農園を作りたいと思いまして」

「ふむ、イサギ君のことだ。ただ城塞で作物を作る以外にも大きな目的があるのだろう。わかった。従業員たちも連れてくるとしよう」

「ありがとうございます」

ケルシーはそう言って頷くと、ゴーレム馬に跨って村の方へと戻っていった。

「砦の中を案内してくれる?」

実質的な指揮をとってくれるレギナは砦の構造を把握する必要があるだろう。

名乗りを上げようとすると、メルシアがスッと前に出る。

「私が案内いたしますね。イサギ様は魔力を消費しているのでもう少しお休みください」

「ああ、ありがとう」

俺も案内したい気持ちはあるけど、魔力を消費したせいでようやく立ち上がれるようになったばかりで無理は禁物だ。

この後にやるべき作業もあるので、ここは素直にメルシアに任せることにした。