集会所にやってくると、ケルシー、シエナをはじめとする村長夫妻や、村の顔役と呼ばれる男性や女性が数人ほど並んで座っていた。

入り口に近い場所にある座布団が空いていたので俺とメルシアは腰を下ろし、最後に上座にレギナが腰を下ろした。

「面子も揃ったことだし対策会議を始めることにするわ」

レギナが厳かな口調で切り出すと、ケルシーが深く頭を下げて、それに倣う形で顔役たちも深々と頭を下げる。

「あたしは第一王女ではあるけど、今は非常事態。礼節を重んじるよりも忌憚ない意見を聞かせてもらいたいから口調については不問とするわ」

「ありがとうございます」

レギナのそんな言葉にケルシーをはじめとする多くの顔役たちがホッとしたように顔になった。

ここは辺境にいる小さな村だ。

貴人と会話も交わすことなどそもそもないので、王族への話し方や態度が身に着いている者がいるはずがない。

俺だって宮廷で働いていたけど、工房にこもって錬金術ばかりをやっていたのでそういった作法については自信がないからね。

レギナのそういった配慮は非常に有り難いものだった。

「さて、初めにレムルス帝国というものが、そもそもどういう国なのか皆に共有しておきたいわね。イサギ、帝国どんな国か教えてくれるかしら?」

俺とメルシアは帝国で働いていたので当然知っているし、レギナは俺たちから話を聞いただけでなく、ライオネルからも言い含められているので概要は知っている。

しかし、ケルシーをはじめとするプルメニア村の人たちは帝国とは親交がないために、どのような国なのか一切わからない状態だ。

何かを決めるにも基礎となる情報は共有できた方がいい。

「わかりました。帝国で生まれ育ち、宮廷で働いていた過去のある俺が帝国とはどのような国なのかを大まかに説明いたしましょう」

レギナに名指しをされた俺は立ち上がって、帝国がどのような国なのかを語ることにした。

レギナは口調についてはいつも通りと構わないと言ってくれたが、顔役の全員と親しいわけでもないし、公的な場ではあるので一応は丁寧めな口調を心掛ける。

「レムルス帝国は数ある人間族の中でもっとも大きな国土を所有している国です。人口についても獣王国と同じ、あるいはそれを上回るほどでしょう」

「……帝国とはそれほどなのか?」

顔役の一人が信じられないとばかりに尋ねてくる。

獣人は人間族よりも繁殖力が強い上に、獣王国は国土もかなり広い。

世界でも人口はトップクラスだと言える。

たった一つの人間の国が、獣人の国と人口で張り合えるのは驚異的だ。

「しかし、実際に人口こそは多いものの実際に動員できる兵力は少ないと思います」

「それはどうしてなの?」

俺の言葉にシエナが不思議そうに小首を傾げる。

それほどの人口があれば、動員できる人数も多いと考えるのが普通だ。

「帝国が侵略を繰り返して領土を拡大し続けている国だからです」

「つまり、奪い取った領地を完全に制御しきれていないってことね?」

「そういうことになります。その上、帝国は特権階級を持つものが腐敗しているためすべての民を養うことができていない状態です。国土こそ広いものの安定しているとは言えません」

俺とレギナの会話を聞いて、シエナをはじめとする顔役たちも帝国の内部状況を少し把握できたようだ。

「だったら我々にも勝機はあるのではないか? 敵は寄せ集めの上に、纏まっているとは言い難いのだろう?」

顔役の一人がそのようなことを述べるが、その考えは非常に甘いと言えるだろう。

「いいえ、満たされていないからこそ、帝国は死に物狂いで領土を奪いにやってくるでしょう。餓死しそうな時に目の前に豊富な食料のある土地があれば、あなたは我慢して野垂れ死にますか?」

「……いや、メルシアの言う通りに死に物狂いで奪いにいくな」

メルシアの説明に質問した者だけでなく、他の者も状況を深く理解してくれたようだ。

「加えて帝国の恐ろしいところは魔法文明が発達しているところです。多くの優秀な魔法使いがいるだけでなく、俺と同じ錬金術師も数多く存在し、兵士たちが高度な魔道具を所持しています」

「つまり、敵にはイサギ君のようなものが何人もいるということかね?」

「はい。そのような認識で――」

「いいえ、イサギ様ほど優れた錬金術師は帝国にもいません」

身を乗り出しながらのケルシーの言葉に答えようとすると、なぜか横からメルシアが口を挟んだ。

「そ、そうか。安心した」

「さすがにイサギみたいな錬金術師が何人もいたら絶望的だものね」

「メルシアちゃんの言葉を聞いて安心したわ」

メルシアの言葉にケルシー、レギナ、シエナといった面々が心底ホッとしたような顔になる。

「いやいや、さすがにそんなことはなくない?」

「私は帝城で使用人として働いていたので、イサギ様よりも多くの宮廷錬金術師を目にする機会がありましたので断言します。宮廷でイサギ様ほどの錬金術師はいないと」

メルシアの過大評価に物申したいところであるが、実際のところ俺はガリウスをはじめとする他の宮廷錬金術師に疎まれていたせいで一緒に仕事をすることもなかったし、他人の作業風景を見る機会も少なかった。

そのことを考えると、俺よりもメルシアの方が判断の方が正しいのかもしれない。

「そ、そうなの?」

「そうなのです」

メルシアが胸を張り、堂々とした仕草で頷いた。

「とはいえ、帝国には錬金術師が多いことは事実なので、軍用魔道具の装備や運用によって一般的な兵士よりも手強いことに変わりはありません」

「訓練されていない兵士であっても、魔道具を振りかざすだけでかなりの戦闘力を発揮できるとは恐ろしいものだな」

人間に比べると、獣人の方が遥かに身体能力が高い。

まともに相対すれば、間違いなく獣人が勝つだろうが、相手はその身体能力の差を埋めるために魔法や魔道具といった様々な工夫をしている。

ケルシーの言う通り、楽観的な戦いではないことを皆に知っておいてほしい。

「イサギの見立てでは、プルメニア村に攻めてくるに当たってどれほどの兵力を集めてくると思う?」

「推測ですが、最低でも二万はあるかと」

俺の言葉に全員が呻き声のようなものを漏らした。

プルメニア村の人口は千人にも満たないくらい。

周辺の集落や街から増援を呼んだとしても二千人に届くことはないだろう。

帝国の比べると、その兵力の差は最低でも十倍となる。あまりにも絶望的な数字だった。

俺は戦争に同行することはなかったが、過去に繰り返し行った侵略ではそのくらいの数の兵士を動員していた。

「……二万ね。さすがに多いわね」

「前回の飢饉が帝国にどれだけの影響があるかは不明ですが、場合によって食料事情の改善のために更なる増員もあり得ます。あくまで最低値だという認識をしてもらった方がよいかと」

「都合のいい解釈はあたしたちの首を絞めることになるものね。貴重な忠告をありがとう」

レギナだけでなく、ケルシーたちの表情も引き締まっている。

きちんと忠告を受け取ってくれてよかった。

「さて、帝国がどんなに強大な国かわかったところで、あたしたちがどう動くかね」

帝国についての概要説明が終わったところでレギナが本題とばかりに口を開く。

「敵は最低でも二万もの兵士がいる。まともにやって勝てるのだろうか?」

「あたしたちがやるべきことは敵軍を抑えること。真正面から打ち勝つ必要はないわ」

不安がる顔役の一人にレギナがきっぱりと告げた。

そして、「もちろん、勝てるに越したことはないけどね」と笑いながら言う。

彼女の気遣いに顔役の一人は少し不安が和らいだのか顔色が少し明るくなる。

「あたしたちが持ちこたえることができれば、獣王ライオネルをはじめとする獣王軍がやってくる」

「おお、獣王様や獣王軍がやってくるのであれば心強い!」

絶望的な状況だったが、しっかりと増援があると聞いて、皆の瞳に希望の光が灯る。

プルメニア村の戦力だけでは、帝国を打ち破ることは難しいが、そこにライオネルをはじめとする獣王軍が加われば、蹴散らすことは可能だと俺も思う。

シャドーウルフであるコクロウを赤子のように流してみせたりと、ライオネルの実力は戦略級だ。

大樹を守っている門番の獣人もかなりの実力者のようだったし、そんな彼らが揃っている兵士が精強じゃないわけがない。

合流すれば、帝国を打ち破れる可能性は十分に高い。

「しかし、大勢の軍を相手に我々だけで抑えきることができるでしょうか?」

問題はそこだ。ライオネルたちが到着するまでに帝国の大軍勢を相手に持ちこたえることができるかどうかだ。

最悪の想定をして獣王軍は間に合わないと想定して動く必要がある。

「真正面から戦うことになったら無理ね。だから、地の利を生かして真正面からぶつからないようにするわ。地図を見てちょうだい」

レギナはきっぱりと告げると、大きな地図を広げた。

そこにはプルメニア村を中心とした地図が書かれており、詳細な地形などが記されている。

「帝国と獣王国の間には大きな山が横たわっている。帝国が山を抜けて、プルメニア村にやってくるには、ここにあるレディア渓谷を通ってくるしかない」

「なるほど。プルメニア村を要塞化するのではなく、このレディア渓谷で防衛拠点を築き、敵を撃退するというわけですな?」

「そういうこと!」

ケルシーが意図を読み取った発言をすると、レギナがそうだとばかりに頷いた。

「一度に何万、何千もの兵士を相手にしてしまえば、瞬く間に飲まれてしまうでしょうが道幅によって相手の人数を制限してしまえば、そのような恐れはありませんね。名案かと思います」

「迂回しようにも周囲は山や森に囲われている。それほどの大人数で迂回することはできないな」

メルシアだけでなく、周辺の地形を理解している顔役たちからも納得の声が上がる。

プルメニア村の周囲は山や森に囲まれているために帝国は、そこを通るしかない。

そのような天然の要塞だったからこそ、今まで帝国は獣王国に進軍することはなかったのだろう。

「でも、問題は防衛拠点を作るような時間があるかということだ」

「ああ、とてもではないが時間が足りない」

「それについては問題ないわよね? イサギ」

顔役たちが不安の声を上げる中、レギナが期待のこもった眼差しを向けてくる。

「はい。拠点については俺の錬金術ですぐに作り上げてみせます!」

「すぐとはどのくらいでできるんだ?」

「大まかなところだけでいいのであれば、半日程度でできます」

帝国に備えるために完全な状態となると時間はかかるが、使い物になる程度の土台であれば半日もあれば作り上げることができる。

「半日で!? そんなことが可能なのか?」

「イサギ様なら余裕です」

「なにせ自分の家や工房だって間に作っちゃえるものね」

「販売所だってイサギ君が一人であっという間に建てていたからな」

顔役の人たちは驚いているが、メルシア、シエナ、ケルシーといった俺が錬金術で建物を作っているところを間近で見ているので信頼がとても厚かった。

まあ、建てるところを見ていないと不安に思うのは仕方がない。

「だとしたら、早めに動いた方がよさそうですね」

防衛拠点を作るとなれば、時間は少しでも多い方がいい。刻々と帝国が迫っているのであれば、尚更だ。

「ええ、イサギには一刻も早く防衛拠点の作成に取り掛かってもらいたいわ」

「防衛拠点だけど、その辺りに作ればいいでしょう?」

建てたはいいが、実際には違う場所の方が良かったなどとなったら目も当てられないからね。俺とメルシアがプルメニア村にやってきた時は、地元の獣人だけが知っている狭いルートを通ってきたので、渓谷がどのような地形をしているかまるでわからない。

「村長」

レギナは地図で全体を把握しているものの、実際に地形を目にしているわけではない。

周辺の地形に詳しいであろうケルシーに尋ねた。

「……ここがオススメだ。渓谷は微妙に傾斜になっているからな。ここに防衛拠点を作れば帝国は辛いだろう。プルメニア村から少し離れているが、我々獣人の足ならすぐにたどり着ける上に物資の輸送も容易い」

ケルシーがそう言いながら、渓谷の上部を指さした。

なるほど。地図だけではわからなかったが、そんな地形の特性があったのか。

「メルシアなら具体的な場所はわかるよね?」

「はい。お任せてください」

尋ねると、メルシアは笑みを浮かべながら頷いてくれた。

「イサギが防衛拠点を作っている間に、あたしたちは万が一を考えてプルメニア村の方も要塞化しておくわ」

「それなら俺もそっちを手伝って――」

「いいえ、イサギは防衛拠点に専念してちょうだい。村の防衛強化については万が一のような保険のようなものだから」

「わかりました。防衛拠点の作成、強化に専念致します」

確かに戦場とするべきはレディア渓谷であり、そこが最終防衛ラインだ。そこを越えられてしまうと、後は数による蹂躙しか待ち受ける未来はない。多少、プルメニア村を要塞化しようとも焼石に水だろう。

あくまでプルメニア村は守るべき場所であって、絶対に防衛拠点を通してはいけないんだ。

「後は余裕があればだけど、守るだけでなく帝国に奇襲も仕掛けられるといいわね。ずっと防衛拠点に籠っていても帝国に打撃は与えられないから」

「そうですね。その辺りも考えていきましょう」

レギナの言葉に同意するようにケルシーが頷く。

「ひとまず、あたしたちがやるべきことは三つよ」

・プルメニア村を要塞化すること。
・防衛拠点を作ること
・帝国の侵攻ルートを予測し、そこに罠を仕掛ける、あるいは奇襲を仕掛けること。

この三つが俺たちの方針だ。これを持って村全体で協力し、帝国に立ち向かおう。

「それじゃあ、俺とメルシアは防衛拠点の作成に向かいます」

「人手はいるかね、イサギ君?」

「土台作りが終わったらお願いします」

大まかな土台を作る作業はすべて俺の錬金術とゴーレムで作成することができる。人手がいれば、むしろ邪魔になってしまうので俺一人の方が都合がいい。

「わかった。必要になったら遠慮なく声をかけてくれ」

「ありがとうございます。では、行ってきます」

「頼んだわよ、イサギ」

レギナ、ケルシーをはじめとする顔役の人たちに見送られ、俺とメルシアはレディア渓谷へ向かうことにした。