「イサギさーん! ワンダフル商会から急ぎで食料を持ってきたのです!」
大樹の外に出ると、コニアをはじめとするワンダフル商会の馬車がいくつか並んでいた。
「野菜や果物はプルメニア村にたくさんありますので、不足しがちな肉や魚をたくさんご用意したのです!」
コニアがそう言うと、従業員の人たちが荷台から冷凍された肉や大きな魚を出してくれた。
「それだけじゃなく不足していた鉄、銅、鋼、魔石、木材などもたくさんありますね」
メルシアが別の荷台から下ろされた物資を確認しながら言う。
ライオネルが譲ってくれた素材に比べれば性能や稀少性は劣るが、それらの素材は錬金術師にとって非常に使い勝手のいい素材なのだ。
汎用性の高い素材はいくらあっても困らない。
「全部マジックバッグに収納しちゃってくださいなのです!」
「いいんですか!?」
「イサギ大農園から仕入れた作物は、今やワンダフル商会でも欠かせないものの一つなので、窮地にお助けをするのは当然なのです!」
「……で、本音のところは?」
「イサギさんやプルメニア村の人たちに恩を売りつけて、今後もワンダフル商会をご贔屓にしてもらうのです!」
なんて尋ねてみると、コニアは悪びれる様子もなく爛漫とした様子で言った。
「さすがは商人。どんな時も抜け目ないです」
「まあ、純粋な善意って言われるより、こっちの方がわかりやすくていいかな?」
どんな状態でも商人としてのスタンスを貫くコニアの態度には清々しさすら覚えるものだ。
「落ち着いたらワンダフル商会に恩返しをしないとね」
「……私としては先程陛下と話していたカカレートとカッフェというのが気になるのです!」
どうやら到着する直前の会話を耳で拾っていたらしい。
コニアの商売魂には感心を通り越して呆れすら出てくる。
「ひとまず、試供品を渡しておきますね」
「わーい! ありがとうございます!」
物資を用立ててくれたお礼として、俺はカカレートとカッフェのセットをコニアに渡した。
「イサギ様、必要な物資の詰め込みが終わりました」
「マジックバッグがパンパンだね」
触ってみるとなんとなくわかる。マジックバッグが容量のギリギリだということが。
これ以上無理に物資を詰めると、マジックバッグが破裂してしまうだろう。
ここまでパンパンに膨れたのはプルメニア村で初めて農業をして、作物を作り過ぎた時以来じゃないだろうか。
「……まさか持ってきた物資のすべてが収納できるなんて驚きなのです」
コニアがまじまじと俺のマジックバッグを見つめる。
小さな尻尾をフリフリとしており、全身で欲しいと訴えかけている。
「さすがにこれを作るのは時間がかかるので今すぐは勘弁してください」
「そうですか。でしたら落ち着くのを楽しみにしているのです」
これはその辺にあるマジックバッグと違って、大容量が入る特注品だ。
空間拡張の付与は、拡張する空間が大きければ大きいほどに技術と時間が必要となるのだ。
そのこと説明すると、コニアは素直に引き下がってくれた。
「イサギ様、準備が整ったことですし行きましょう」
「そうだね」
「あっ……」
俺とメルシアがゴーレム馬に乗り込むと、レギナがそんな小さな声を漏らした。
思わず振り返るが、レギナは第一王女だ。
彼女が付いてきてくれれば心強いことこの上ないが、戦争の前線になるかもしれない場所に付いてきてくれと言うわけにもいかない。
これはラオス砂漠に農園を作るのとは違うんだ。
「……レギナ、イサギたちに付いていって力になってやれ。お前が最前線で指揮を執り、村人の避難および防衛ラインを作り上げるのだ」
レギナに別れを告げようとしたところでライオネルがそう言った。
「はい!」
呆気に取られていたレギナであるが、すぐに意味を理解したのか嬉しそうに頷いた。
「ライオネル様、いいのですか?」
「俺たち王族には国民を守る義務がある」
「しかし、だからといって王女であるレギナ様を派遣するなんてあまりにも危険では……」
「これは義務だけの話ではない。今の獣王国にとって、イサギ大農園のあるプルメニア村には重要な価値があるというわけだ。帝国に大農園を奪われ、食料を無尽蔵に生産する攻撃拠点になってしまえば、帝国はさらに勢いづいて被害は広まる。イサギならば、その危険性はわかるだろう?」
うちの大農園の重要性は獣王国で起きた飢饉を救ったことで証明されている。つまり、プルメニア村を抑えることで、帝国は一国を賄うほどの生産拠点を手に入れたことになる。
最前線に食料拠点が築き上げられる。それがどれだけの悲劇を生み出すことになるのか。
ライオネルに指摘されて、俺は自分の作り上げた大農園がどれだけ重要なのか再認識させられた思いだった。ただの田舎の農村を切り取られることとはワケが違う。
第一王女であるレギナを派遣する意味は十分にあると判断されたようだ。
「あたしの覚悟はラオス砂漠の案内役を買って出た時に聞いたわよね? あたしにも王女としての誇りがあるの」
ラオス砂漠で行動を共にしてレギナのことはわかっている。
これ以上の声は覚悟を示した彼女を侮辱することになるだろう。
「……わかった。なら付いてきて力を貸してくれ」
「レギナ様が付いてきてくださるならとても心強いです」
「ええ、任せて!」
俺たちが頷くと、レギナは俺たちと同じようにゴーレム馬に跨った。
「俺も国軍を編成次第、すぐにプルメニア村へと向かうが、帝国の侵攻の方が早い可能性が高い」
戦の準備を整えるには膨大な時間がかかる。
既に帝国は侵略の準備を完了させつつあるので、ライオネルが率いる国軍が到着するよりも早くにプルメニア村へとやってくる可能性の方が高い。
つまり、プルメニア村とその周囲の集落の戦力だけで、帝国とぶつかる可能性があるというわけだ。
「すまないな。俺が国王でなければ、俺も今すぐに一緒に向かうことができるのだが……」
どう返事しようかと迷っていると、ライオネルが悔しそうに言った。
「ライオネル様は国王なのですから仕方がないですよ」
俺からすれば、王が率先して前線に出てこようとするのが驚きだ。
「国軍が到着するまでに何とか持ちこたえてみせるわ」
「俺もできる限りのことをします」
「ああ、任せたぞ」
どれだけのことができるかはわからないが、メルシアの大事な故郷を――今となっては俺の大事な居場所を失くしたくはないからね。
「イサギさん、少しいいですか?」
「なんです? コニアさん?」
「ダリオさんとシーレさんについてです」
「ああ、そうでした! お二人については獣王都に戻るように促しますね!」
二人はワンダーレストラン所属の料理人で、コニアさんに紹介してもらった。
仕事としてプルメニア村に来てもらっている二人を危険な目に遭わせられない。
「二人についてですが、それぞれの意見を尊重しますとだけお伝えしてくださいなのです」
「ええっ? 戻らせなくていいんですか?」
「あくまで私は商人ですし、二人に命令できる立場じゃないのです」
「わ、わかりました」
それって丸投げなんじゃないかと思ったが、その時の判断は現場の者じゃないとしにくい時もある。コニアの言う通り、二人の意見を尊重することにしよう。
「じゃあ、行きましょう!」
「あ、その前にレギナのゴーレム馬のリミッターも外しておくね」
「リミッター?」
レギナが小首を傾げる中、俺は彼女のゴーレム馬に触れて錬金術を発動した。
「安全性を高めるために速度制限をかけていたんだけど、それを今外したんだ」
「よりスピードが出るのは嬉しいけど、ゴーレムは大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないよ。でも、今は少しでも時間が惜しいから」
魔石は使い捨てになるだろうし、高い負荷がかかることによってゴーレム馬に内蔵している魔力回路が焼き切れたり、機体に大きな歪みができたりなどの異常が起こるだろう。
だけど、今はそんなことは気にしていられない。ゴーレム馬の予備はマジックバッグにあるし、作り直すための素材は十分にある。
より早くプルメニア村に到着することが最優先だ。
「わかった!」
レギナがスロットルを回し、ゴーレム馬が走り出す。
俺とメルシアもすぐにスロットルを回してゴーレム馬を走らせた。
大通りを真っすぐに進んでいき、レギナの第一王女としての権力によって顔パス状態で獣王都の外に出る。
「それじゃあ、飛ばすわよ!」
周囲に誰もいなくなったタイミングでレギナがスロットルを回し、急加速した。
リミッターが解除されたゴーレム馬はドンドンと加速していき、あっという間に距離を離される。
俺とメルシアも置いていかれないようにフルスロットル。
魔力回路が唸りを上げて、ゴーレム馬がグングンと加速していく。
「あはは、すごい! これならプルメニア村まで一瞬よ!」
「かなりのスピードが出て気持ちがいいですね」
並走しているレギナが楽しげな声を上げ、メルシアが涼しげに感想を呟いた。
俺も何か言葉を返したい気持ちはあるが、地面からの衝撃と風圧でそれどころではない。
スピードは一級品だけど、普通の人間族が乗りこなすには難しいかもしれない。
……ゴーレム馬よりも俺の身体が持つかが心配になってきた。
それでも今の俺たちには時間が惜しい。
一分でも一秒でも早く、プルメニアの皆に情報を伝えなければ。
そんな一心で俺はゴーレム馬を爆速で走らせ続けた。
「あれがイサギとメルシアの住んでいる村?」
「はい。プルメニア村になります」
俺たちの目の前にはプルメニア村の風景が広がっていた。
少し前まで建物が連なり、多くの人で賑わう獣王都にいたので、だだっ広い平原や延々と続いていく畑を見ると懐かしく思えた。
「まさか、たった二日で獣王国の端にくることができるなんてね」
ゴーレム馬の魔石や魔力回路を交換したり、本体がダメになってしまえば予備のゴーレム馬を引っ張り出すという無茶な進み方だった。
その甲斐はあって爆速で進み続けることができ、俺たちは獣王都からプルメニア村まで僅か二日という驚異的な時間で戻ってくることができた。
「……でも、途中で死ぬかと思ったよ」
「急にゴーレム馬が爆発したもんね」
道中、爆速でゴーレム馬を走らせていると、急に魔力回路から異音が響き出した。
原因は魔石から過剰に供給された魔力によって、回路が熱暴走によるものだと思う。
メルシアが咄嗟に俺を持ち上げて、レギナが本体を蹴り飛ばしてくれたから俺は無事だったものの、二人がいなければ大怪我、あるいは命を落とすようなことになっていただろう。
やっぱり、よほどのことがないとリミッターは外すべきじゃないや。
「あそこがイサギの作った大農園?」
「そうだよ」
しみじみと思っていると、レギナが指差しながら尋ねてくる。
村の中心部から少し離れたところには俺の家、工房、販売所などが建っており、その傍には巨大な農園が広がっている。
こうして小高い丘から見下ろすと、あそこが俺の作った大農園であるのはひと目でわかるものだ。
「平時ならこのまま見学といきたいけど、今はそれどころじゃないわね」
帝国に不穏な動きなどなく、レギナが遊びにきてくれたのであれば、ゆったりと農園を案内し、オススメの野菜や果物を観察。その後に農園カフェでゆっくりと農園の食材を使った料理を堪能といったおもてなしをしたかったのだが残念ながらそんなことをしている暇はない。
「そうだね。まずは村長であるケルシーさんのところに行こうか」
今はなによりもケルシーさんに帝国の情報を伝え、村全体でどうするのかの意思決定をしないと。
俺たちはゴーレム馬を動かして丘を駆け下り、ケルシーさんの家があるプルメニア村の中心部へと向かった。
「にゃー! イサギにメルシアちゃん! 獣王都から帰ってきたんだ!」
村の中に入ると、俺たちの進行方向にネーアがいた。
「急いでいるから後で!」
「ごめんね」
「えー!? 二人とも冷たい!」
減速することなくネーアの横をゴーレム馬で突っ切ると、ネーアの悲しそうな声が響いていた。
ごめんね。獣王都のことラオス砂漠のこと、色々と話したり聞いたりしてみたいことはあるけど今は優先することがあるんだ。
村の中を走っているとネーアだけでなく、プルメニアの住民たちが声をかけてくれるが、対応は基本的にネーアと同じように謝っておく。
申し訳なく思いながら突き進んでいると、俺たちはケルシーの家の前に到着した。
「こちらです。すぐにご案内しま――」
「メルシアああああああああぁぁぁぁーッ!」
ゴーレム馬から降りてメルシアが案内しようとしたところで唸るような声と足音が響いた。
多分、ケルシーだ。
玄関の扉が勢いよく開くと、ケルシーがメルシアの元へと勢いよく近づいてくる。
メルシアは一瞬避けるか迷ったものの、俺とレギナが真後ろにいることから回避することを諦めた。
「メルシア! よくぞ帰ってきた! どこも怪我はないか!? 獣王都で変な男に言い寄られなかっただろうな!?」
「ちょっ、お父さん! 落ち着いてください! 今はそれよりも大事な用がありますし、お客人もいますから!」
「二か月もの間メルシアがいなくて父さんは寂しかったぞ! 獣王様も酷なことをされるものだ。こんなにも可愛らしいうちのメルシアをラオス砂漠になど派遣するなんて。メルシアの綺麗な肌が焼けたり、シミでもできちゃったらどうするつもりなんだ」
メルシアが諫めの言葉をかけるが、娘の帰還を喜ぶ父親の耳にはまったく入っていないようだ。抱きしめたり、すりすりと頭や耳を撫でたりと好き放題の上、離れ離れになってしまった原因に対する愚痴や心配の言葉を呟いている。
その獣王の娘が目の前にいるんだけど、まったく気付いていないようだ。
しばらくはされるがままにされていたメルシアだが、ついに我慢できなくなったらしい。
「もう! お父さん、いい加減にして!」
わなわなと身体を震わせたメルシアがケルシーの頭を叩いた。
「い、痛い! 酷いじゃないか、メルシア! 久しぶりに再会した父さんを叩くなんて!」
「王女様の御前です!」
「はい?」
尻もちを突いて目を白黒させているケルシーの前に苦笑していたレギナがやってくる。
この上ないほどの獅子の特徴を目にし、ケルシーも目の前にいる人物がどういった人か理解したのだろう。すぐに片膝を地面につけて頭を下げた。
「大変お見苦しいところをお見せいたしました。遅れながらご挨拶させていただきます。メルシアの父であり、プルメニア村の村長を務めておりますケルシーと申します」
「メルシアとの感動の再会を邪魔してごめんなさいね。獣王ライオネルが長女、第一王女のレギナよ」
「あ、あの、このような辺境の村にどうしてレギナ様のような御方が? 大農園の視察ですか?」
「いいえ、違うわ」
前回、ライオネルが農園の視察にやってきたが、今回はそれとはまったく事情が異なる。
「父さん、急いで伝えたいことがあるので中に入れてもらえますか?」
「……わかった。入ってくれ」
メルシアの真剣な表情から重要な話があると理解したのだろう。
ケルシーは取り乱すことなく、俺たちを離れにある集会所へと案内してくれた。
「それで話というのは?」
それぞれが腰を下ろすとケルシーが尋ねてくる。
誰が口火を切るか迷うようにレギナとメルシアが視線を動かしたが、故郷ということもあり俺が言うことにした。
「帝国が獣王国へ侵略の準備をしています」
「……それは本当なのか、イサギ君?」
「ワンダフル商会が掴んだ確かな情報です。帝国では兵力が動員され、物資の買い上げが始まっています。これは過去の情報であり、今となっては軍の編成を終え、こちらに向けて侵攻しているかもしれません」
「なるほど……」
俺の説明を聞いて、ケルシーが腕を組みながら頷いた。
突然の話だ。信じることができていないのかもしれない。
「お願いします、お父さん! 信じてください! でないと村が大変なことになってしまいます!」
「――信じるさ。愛する娘が言っている言葉だ。これを信じないでどうする」
「……父さん」
「なんて親バカな部分だけでなく、わざわざレギナ様がいらっしゃったことから、その話が真実であると判断した次第です」
少し気恥ずかしそうにしながらもケルシーはレギナの方にも視線をやる。
「話が早くてとても助かるわ」
なるほど。ライオネルがわざわざレギナを派遣してくれたのは、情報に真実味を持たせる意味でもあったのか。
ここでもたついてしまうと、取り返しのつかないことになるので非常に助かる。
「帝国の狙いは恐らく大農園です」
「大農園? つまり、うちの村が標的なのか!?」
「はい。帝国は元々食料生産に難を抱えており、春先の飢饉で大きな打撃を受けました。俺とメルシアの読みが正しければ、ここの大農園を奪うことで問題を解決しようとしているはずです」
「イサギ君の作った大農園はプルメニア村を豊かにしただけでなく、獣王国全体の飢饉をも退けた。帝国が手に入れようとするのも無理はないか」
実際に村が豊かになっていく様を目にしたからか、ケルシーはそれを大袈裟だと切り捨てることなく真摯に受け止めてくれた。
「俺たちはこの情報を急いで伝えるべく戻ってきました」
「わかった。急いで村人を招集して状況を伝えるとしよう」
ケルシーはこくりと頷くと、村人たちを集めるべく集会所の外へ出ることに。
「手分けして声をかけよう。ゴーレム馬を使えば、村の端にいる人も速やかに集めることができるはずだ」
「大丈夫です、イサギ様。この村にはこういった非常事の決め事がありますから」
「決め事?」
招集を手伝おうとするが、メルシアに静止される。
「イサギ君、両手で耳を押さえていなさい」
「あ、はい」
よくわからないがケルシーに言われた通りに両手で耳を押さえておく。
メルシアとレギナも耳をペタリと閉じて、大きな音に備えるかのようだった。
ケルシーは俺たちから少し離れると、スーッと大きく息を吸い込んだ。
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
ビリビリと大気を震わせる遠吠えがケルシーから放たれる。
その声には魔力が乗っており、ただでさえ大きい遠吠えを倍増させていた。
そんなケルシーの遠吠えが響いたかと思うと、村の各地で同じように遠吠えの声が聞こえてくる。老若男女問わず、ケルシーに負けない遠吠えが色々な方角から響いてくる。
「こ、これは?」
「非常時の招集を知らせる合図の声です。非常時であることを告げる遠吠えを上げれば、それを耳にした者は同じく遠吠えを上げ、離れた者に伝えていきます」
「なるほど、獣人ならではの合図だね!」
声量があり、聴覚の鋭い獣人族だからこそできる招集方法だろう。人間じゃとても真似できないな。
「こんな風に思いっきり遠吠えをするなど子供の頃以来だ。大人になっても最高に気持ちがいいな!」
感心していると、ケルシーが生き生きとした表情で戻ってきた。
「皆、面白がってあちこちで遠吠えをしていますね」
メルシアの言う通り、村の至るところで遠吠えが上がっている。
あちらの畑で作業をしている家族なんて一人が遠吠えすれば十分に聞こえるはずなのに全員がやっていた。
全力で遠吠えするなんてことはないから、皆ここぞとばかりにやっているのだろうな。
「あはは、イサギたちの住んでいる村って面白いわね」
そんな光景を見て、レギナはクスクスと笑っていた。
「よし、これで村人たちは中央広場に集まってくるはずだ。俺たちも向かうぞ」
「はい!」
俺たちの目の前にはプルメニア村に住んでいる獣人たちが集結していた。
獣人たちによる遠吠えのバトンはきっちりと村の端まで届いていたようだ。
俺の農園で作業してくれているネーア、ラグムントをはじめとする従業員や、農園カフェで働いてくれているダリオとシーレも来てくれている。
他にも農作業をしていた獣人族の家族、夜行性なのか眠気眼をこすって寝間着姿で来ている村人もいた。
こんなにも村人が集まるなんて宴の時以来だ。
「俺、非常時の遠吠えをしたの初めてだ!」
「俺もだ! 最高に気持ちよかったよな!」
「魔力を込めて思いっきり吠えてやったわよ!」
非常時の招集にもかかわらず、村人たちは賑やかだった。
ケルシーが言っていたように思いっきり遠吠えができたことにより高揚しているらしい。
「……皆、すごくソワソワしてるね」
「思いっきり叫びたいと思うのは獣人族ならば、誰もが持つ欲望ですから」
「そうなんだ」
じゃあ、メルシアも思いっきり遠吠えしてみたいとか思うんだろうか?
クールなメルシアにそんな欲望があると思えないけどなぁ。
「にしても、このままじゃケルシーさんの話ができないね」
まだ遠吠えの興奮が残っているのか、村人たちはあちこちで好きに会話をしている。
中には静かにするように声を上げている者もいるが、焼け石に水だ。
ざわざわとした声があちこちで響いており、壇上にケルシーが上がっているのに話をするどころじゃない。
「……イサギ様、音玉を放り投げてくださいますか?」
「あ、うん。わかったよ」
音玉というのは俺が錬金術で作った、音を拡散させるアイテムだ。
聴覚の鋭い獣人が炸裂音を耳にすれば、結構な衝撃になると思うのだが、メルシアの有無を言わせない迫力に俺は素直に頷いた。
マジックバッグから音玉を取り出すと、俺はそれを宙へと放り投げる。
本来は聴覚の鋭い魔物などを怯ませるためのアイテムだが、直接投げつけると音で失神してしまう可能性があるためにできるだけ宙高くへと放り投げ、錬金術で起動させた。
音玉は宙で炸裂し、周囲に大きな音を撒き散らす。
強烈な甲高い音を耳にし、獣人たちの多くが身体を震わせて反射的にこちらを向いた。
「皆さん、話を聞く準備はできましたか?」
シーンッと静かになる中、メルシアの冷ややかな声が響き渡る。
メルシアから静かな怒りを感じたのだろう。集結した村人たちは首が千切れるんじゃないかと心配するほどの勢いで縦に振った。
「どうぞ」
「あ、ああ」
娘の迫力に驚きつつも壇上に上がっていたケルシーは咳払いし、非常招集をかけた経緯を話した。
帝国が獣王国へ侵略しようとしていること。その狙いが大農園である可能性が高く、プルメニア村へやってくるかもしれないことを。
突然の情報に村人たちは困惑を露わにする。
プルメニア村は戦争といったものとは無縁だったとメルシアから聞いた。
こんな事態に直面するのは誰もが初めてだろう。
「この情報は獣王ライオネルも認めており、第一王女であるあたしがここに派遣された。これで嘘や冗談じゃないってわかるわよね?」
壇上に王族であるレギナが上がりながら言うことにより、村人たちにも実感が得られたようだ。
「私は戦うぞ」
ざわめきが広がる中、ケルシーの声がハッキリと響いた。
「ここは私たちの生まれ育った村であり故郷だ! イサギ君やメルシアの活躍で大農園が出来上がり、皆で協力してようやく豊かになったんだ! 帝国などに奪われて堪るものか!」
「そうだ! オレも戦うぞ!」
「帝国が攻めてくるからといって尻尾巻いて逃げられるかっての」
「ここは私たちの村だもの! 戦うわ!」
ケルシーの覚悟を聞いて、村人たちが勇ましく声を上げた。
血の気の多い男性はともかく、老人、女性、子供までも呼応しているのはどういうことか。
「待ってください。俺たちには戦うだけじゃなく逃げるという道もあります! 皆さんの命は一つなんです。建物や大農園と違って作り直すことはできません。一旦退避して、もっと大きな街で立て直すという手もあります!」
俺たちの本来の役目はプルメニア村に帝国を寄せ付けないように防衛線を築くこと。
この発言は俺たちの目的やライオネルの命に背くことになるが、一つの盲目的な意見だけで行動を決定してほしくはないと思った。
「でも、大農園を奪われれば、帝国は益々勢いづくことになり侵略は獣王国全土に広がることになるわ」
「大農園は俺の錬金術で潰すこともできます」
大農園は俺が作物に改良を加えたものだ。どこに手を加えれば、壊れるかも熟知しているので潰すのにそう時間はかからないだろう。
大農園が無くなれば敵の手に渡ることはないし、目的を見失った帝国が撤退する可能性もある。
「イサギ君、俺たちのことを案じてくれるのは嬉しいが、それはできない話だ」
「どうしてです?」
「矜持の問題だ。生まれ育った故郷を捨てて逃げるなんてことはできない。作り直せるとかそういう問題じゃないんだ」
他の獣人たちも気持ちは同じなのか反対意見が上がることはなかった。
「私もイサギ様と同じ案を考えましたが無理だと思いました。それが獣人という種族なのです」
「そ、そうなんだ」
「それに別の街に退避しても、帝国がさらに侵略してこない保証はありません。いえ、むしろ成果を求めてより深く侵略を仕掛けるでしょう。だとしたらなおさら弱みを見せることはできないと思いました」
確かにメルシアの言う通りだ。長年、帝国にいたからこそしっくりくる。
大農園が無くても獣王国には豊富な自然と広大な土地がある。
侵略によって繁栄してきた帝国がそれを狙わずに撤退するなど、俺たちの都合の良い希望でしかなかった。
「すみません。皆さんの矜持を侮辱するようなことを言ってしまって」
「いや、イサギ君が私たちのことを想って言ってくれているのはわかっているからな。それを怒るようなことはしないさ」
「ありがとうございます」
「それよりも私はイサギ君が心配だ」
「俺ですか?」
「帝国はイサギ君の故郷だ。同郷の者と矛を交える覚悟はあるのかね?」
これから戦争になるかもしれないということは、帝国にいた顔見知りや同じ人間族と命を奪い合うことになるということだ。
今までのように魔物を退治するのとはワケが違う。
獣王都から情報を持ち帰るのに精いっぱいで肝心の覚悟が抜けていた。
俺に人の命を奪い、奪われるかもしれない覚悟が備わっているのか。
「俺は戦争に参加したことがないので覚悟があるのかと言われるとわかりません」
俺は宮廷で軍用魔道具の作成などに従事していたが、実際に戦争に参加したことがあるわけでもない。
実際に命のやり取りが発生したら怯えるかもしれない、逃げ出したくなるかもしれない、混乱するかもしれない、動けなくなるかもしれない。
「だけど、一つだけ心で決まっていることがあります。それは大好きなプルメニア村を守りたいって気持ちです」
帝国に見捨てられて行く当てのなかった俺をメルシアはプルメニア村に誘ってくれた。
村長であるケルシー、シエナをはじめとする多くの村人たちが俺を受け入れてくれた。
メルシアが支えてくれたお陰で長年の夢だった錬金術による農業が完成し、大農園を作り上げることができた。ネーア、ラグムントといった従業員や多くの村人が協力してくれたお陰で大農園は経営ができ、販売所、農園カフェといった施設まで作ることができた。
こんなにも充実し、幸せな生活を送れたのは生まれてから初めてだ。
「もはや、俺にとってプルメニア村は帝国以上に大切な場所であり、故郷です。皆と気持ちは同じで村を失いたくありません。それにここはメルシアの故郷です。大切な彼女の悲しむ顔は見たくないですから」
そんな素直な気持ちを伝えると、村人たちから大きなざわめきが起こった。
ただ単に一人の男が戦う覚悟を決めた言葉にしては、妙に雰囲気が明るいというか浮ついた感じだ。
「え? なんか異様に盛り上がっている? なんで?」
「…………」
メルシアに尋ねてみるが、彼女は顔を真っ赤にして俯いてしまっている。
耳や尻尾もへにゃりとしており、明らかに正常な様子とは思えない。
一体、どうしたというんだろう?
レギナに視線をやると、彼女は呆れた様子で肩をすくめていた。
周囲の村人やメルシアの反応に理解ができずいると、荒々しい動作でケルシーが歩み寄ってきた。
「……イサギ君、うちの村のために戦う覚悟を決めてくれたのは大変嬉しいが、どさくさに紛れて愛する娘を口説くとはどういう了見かね?」
「えっ? メルシアを口説く? 別に俺はそんなつもりで言ったわけじゃッ!」
「どうやら帝国と戦争をする前に、イサギ君と戦う必要がありそうだな!」
「はいはい、その戦争はまた今度にしてくださいね」
ケルシーが暴れ出しそうになったが、妻であるシエナさんが後ろから羽交い絞めにして退場させる。
「離せ、シエナ! 敵が! 倒すべき敵が目の前にいるんだ!」
「落ち着いてください。その敵はいずれ身内になりますから」
ケルシーを宥めるためのシエナの言葉がちょっとおかしい。
「あ、あの、メルシア」
「だ、大丈夫です。イサギ様が天然だということはよくわかっていますから」
おずおずと声をかけると、メルシアが慌てたように顔を背ける。
なにが天然なのか意味がわからないが、顔を背けられるとショックだ。
「少しだけ時間をください。それで落ち着きますから」
「う、うん。わ、わかったよ」
俺はメルシアが落ち着くまで話しかけるのをやめておくことにした。
村人が一丸となって戦うことになった。
とはいえ、全員が戦いに対しての適性があるわけではない。
種族的に性格的に戦うことに向いていない少数の人や、女性、子供たちなんかは近くにある街に避難することになった。
必要最低限の物資を馬車に積み込んでいると、避難組に老人があまりいないことに気付いた。彼らはなぜか自らの荷造りはすることはなく、避難組の荷造りを率先して手伝っている。
「あのお爺さんたちは避難しないの?」
「獣人族は人間族と違って、肉体の老いが遅いですから思っている以上に彼らは動けますよ」
尋ねてみると、メルシアはもう落ち着いたのかいつもと変わらない様子で答えてくれた。
ええ? とはいっても背中とか結構曲がってるけど?
あんなので積み荷を持ち上げられるのだろうか?
なんて思っていると、老人の筋肉が急激に膨れ上がり軽々と積み荷を持ち上げた。
背筋もピンと伸びており、荷物を運ぶ動きに頼りなさは欠片もない。
発達した筋肉を見ると、明らかに俺よりも力がある。
……なんか色々とすごい。
俺の心のページにまたしても獣人のすごさが更新された。
「……確かにあれなら避難を促す必要はないね」
「はい」
むしろ、彼らからすれば、ひ弱な俺の方が心配だろうな。
「イサギさん、少しいい?」
荷物を軽々と運ぶ老人を見つめていると、シーレが声をかけてきた。隣にはダリオもいる。
「どうしました?」
「あ、あの、僕たちに関することでコニアさんは何か伝言とかありませんか?」
ダリオが不安そうな表情を浮かべながら尋ねてくる。
どうしよう。何も聞いてないなんて言いづらい。
メルシアに視線をやると、彼女も気まずそうな顔をしている。
「何も聞いてないです」
「なにも!? 戻ってこいとか、村人たちと協力しろとか何もないの!?」
きっぱりと告げると、シーレが慌てた様子で問い詰めてくる。
いつも冷静な彼女にしては珍しいが、戦が迫っているかもしれないので仕方がない。
「すみません。俺もそこまで気が回っていませんでした」
急いで村に情報を持ち帰り、備えようという気持ちで精一杯で気付かなかった。
二人のことを考えて、俺からコニアに聞いておくべきだった。
「シーレさん、イサギさんは悪くないですよ」
「……そうね。ごめんなさい。冷静さを欠いたわ」
ダリオがたしなめると、シーレが深呼吸をして感情を落ち着かせたようだ。
「二人は農園カフェの経営のために派遣された料理人ですし、避難をするべきだと思います」
ダリオとシーレはコニアが紹介してくれた大事な料理人だ。
あくまでこちらに仕事をしにきてくれているだけであり、村のために命を懸けて協力してくれなんてことは言えるものではない。
「そうなのよね。私も大した腕前じゃないし、ダリオは運動神経がない上に性格的にも戦いなんてできっこないからてんで役に立たないわね」
「シーレさん、事実とはいえ傷付くんですが……」
シーレの容赦のない言葉にダリオが肩を落とし、尻尾をしょんぼりとさせる。
「でも、帝国が攻めてくるかもしれないからって尻尾を巻いて逃げていたらワンダーレストランの料理人の名折れだわ。たとえ、戦いでは役に立てなくても料理を作ることで力になることはできる」
「そ、そうですね。僕たちのお料理で皆さんの役に立てるのなら力になりましょう!」
シーレの力強い言葉に感化されたのか、ダリオも表情を明るくして握りこぶしを作る。
「後方にいたとしても危険があるかもしれないですがいいんですか?」
「覚悟の上です!」
「私は本当に危なくなった時は逃げる」
「ええ! シーレさん!?」
「私たちはあくまで料理人よ。戦うことなんてできないから」
シーレのあっけからんとした物言いに思わずクスリと笑ってしまう。
命がかかっているのだ。盲目的な言葉よりも、それくらい割り切ってくれた方がこちらも助かる。
「そうですね。もしも、そのような状況になった場合は逃げてくださって構いません。お二人のような料理人が後方で支えてくれるだけでも心強いですから」
「そうと決まったらいつも通り料理を作るだけね」
「ですね! 美味しい保存食を作っておきましょう!」
行動方針が決まったのか、二人は農園カフェへと戻っていく。
その後ろ姿は最初に見た時よりも何倍も大きく見えた。
「イサギさん、あたしたちも戦うからね!」
振り返ると、ネーアをはじめとする農園の従業員たちがいた。
「戦うのはあんまり得意じゃないけど力仕事には自信があるんだな」
「オレとラグムントは勿論、前で戦うけどな」
「……ああ、こういう時のために鍛えてあるからな」
「私は戦うのも力仕事も得意じゃないですけど、細かい作業や調整をするのは得意なので」
ネーアだけでなく、ロドス、リカルド、ラグムント、ノーラまでもがそんな覚悟を示す。
ノーラは元々体力も少なく、明らかにこういった荒事には向いていないようだが、彼女なりに村の力になりたいようだ。
その気持ちは痛いほどにわかるので、俺が覚悟を決めている彼女を静止するようなことはしない。
「ありがとう。皆でプルメニア村を、俺たちの農園を守ろう」
「「おお!」」
皆で拳を突き上げて声を上げると、不思議と勇気が湧いてくるようだった。
「とりあえず、あたしたちが今できることってなんだろ?」
「避難する方の荷造りの手伝いは、もう人手が足りている様子ですね」
「戦う準備でもすりゃいいのか!?」
「でも、これから何もするかも決まっていないんだなぁ」
「具体的に何をするかはレギナ様や村長が話し合って決めるだろう。それまでの間に俺たちにできることは……いつも通りに農園の仕事をするだけだな」
ラグムントの溜めに溜めた台詞にずっこけそうになる。
「確かに! 戦になってもお腹は空くし、農園の新鮮な作物が食べられないのは困るもんね」
戦をしている最中でも農園からの作物の供給は必要となるので、ゴーレムがいるとはいえある程度の作業員は必要だ。そういった意味でも従業員たちが全員残ってくれるのは非常に助かる思いだ。
「なんだよ。こんな時でもやることはいつもと一緒かよ」
「みたいだね。さあ、いつも通りに仕事しよう!」
「やることが決まって、人手が欲しい時は声をかけてほしい」
「わかった。その時は遠慮なく声をかけさせてもらうよ」
リカルドたちが苦笑しながら農園へと歩いていく。
いつも通り出勤していく彼らの姿を見ると、なんとなくいつもと同じ毎日がくるんじゃないかと錯覚しそうになるな。
でも、この一瞬のうちにも帝国はこちらに迫っているんだ。のんびりとはしていられないな。
「イサギ様、農園といえばコクロウさんたちにも話をしておいた方がいいかと」
「そうだったね」
彼らは魔物であり、そもそも人間たちのいざこざに巻き込まれるいわれもない。
早めに教えて山に避難してもらうように言っておかないと。
そんなわけで、俺とメルシアもコクロウたちのいる農園へ向かうことにした。
農園にあるスイカ畑にやってくると、作業用ゴーレムがスイカの収穫をしているだけでコクロウをはじめとするブラックウルフの姿は一匹も見えなかった。
しかし、これは誰もいないわけではなく、皆暑いので影に沈んだりしているだけだ。
「コクロウ! ちょっと話せるかい? 大事な話があるんだ!」
声を張り上げると、すぐ傍にあるスイカの影から漆黒の体毛をした狼がぬるりと出現した。
「貴様か……長らくここを離れていたようだが帰ってきたのか」
「うん。ライオネル様の仕事がようやく終わってね」
「それで大事な話というのは、村人共とやかましく話していた帝国がここに攻めてくるという話だな?」
コクロウの話の早さの俺は驚く。
「聴いていたんだ」
「影がある限り、音を拾うくらいは造作もない」
シャドーウルフであるコクロウは聴覚が鋭いだけでなく、影を介して移動することができる。その能力を使って、村での話を聴いていたようだ。
「へー、それでも前よりも影で影響を及ぼせる範囲が広くなってない?」
少し前までコクロウが自在に移動できるのは、農園内だけだったと記憶している。
農園といっても、その敷地の広さは膨大なのでその範囲を移動できるだけでもすごいのだが、村の中心部にまで移動できるようになっているとは知らなかった。
「……影が馴染めば移動もしやすくなる。それにこれだけ潤沢な食材を毎日口にすることができているのだ。否が応でも魔物としての力は増す」
「私たちの作った食材が魔物であるコクロウさんたちに、そのような影響があるとは思いませんでした」
「うん、興味深いね。ゆっくりと時間があれば、じっくりとデータを取ってみたいところさ」
しかし、残念ながら帝国が迫っている今にそんな悠長なことをしている暇はない。
「本題に戻るけど、帝国がこの農園を狙って攻めてくる可能性が高いんだ」
「ほお、それで?」
「コクロウたちには危険の低い森に戻ってもらおうと思ってね」
「……我らに泣きつき、力を貸せとは言わぬのだな?」
どうやらコクロウは俺が助力を請うと思っていたらしい。
「コクロウたちがいてくれれば心強いけど交わした契約は、あくまで農園の警備だからね。俺たちの問題である戦争に巻き込むつもりはないよ」
気さくに接しているので忘れそうになるが、コクロウたちは魔物だ。
人間と獣人に争いに肩入れする理由も義理もないからね。
「だから、状況が落ち着くまでは森に避難するか、どこか遠いところで過ごしてもらって――」
「この農園を狙っているのであれば、帝国の人間は我たちにとっても敵ということになるな」
「ええ? それはそうだけど……」
「言ったであろう。ここは既に我の縄張りだと。それを侵そうとする人間がいるのであれば、蹴散らすまでだ」
「それは協力してくれるって認識でいいのかい?」
「そうだ。ただし、魔物だからといって都合よく扱おうとすれば、我らも容赦はしない」
コクロウが瞳を細めて威圧をしてくるが、そのような心配をする必要はない。
「わかってる。コクロウたちが魔物だからといって、その命を無駄にさせることはしないと誓うよ」
「私たちにとってコクロウさんたちもプルメニア村の立派な住民ですから」
「……フン、わかっているのであればそれでいい」
俺だけでなくメルシアもそう言うと、コクロウは表情を穏やかなものにして威圧を引っ込めた。
視線を逸らしているコクロウであるが、尻尾を左右に軽快に揺れている。
俺たちの言葉が照れくさかったのかもしれない。
指摘すればへそを曲げそうなので黙っておいた。
「あっ! いたいた! イサギ、メルシア、村の方針について会議をするからきてくれない?」
コクロウとの話を終えると、レギナがこちらに駆け寄って声をかけてくる。
「メルシアはともかく、俺もいいんですか?」
村長の娘であるメルシアはともかく、ただの住民でしかない俺が村の会議に参加してもよいのだろうか?
「当然じゃない。イサギは帝国の内情についても詳しいでしょうし、やり方次第では錬金術を頼りにすることもある。むしろ、いてくれないと困るわ」
「わかった。そう言ってくれるなら参加させてもらうよ」
「決まりね。急いで集会所に集かいましょう!」
レギナの後ろを追いかける形で俺とメルシアは集会所へ向かうことにした。
集会所にやってくると、ケルシー、シエナをはじめとする村長夫妻や、村の顔役と呼ばれる男性や女性が数人ほど並んで座っていた。
入り口に近い場所にある座布団が空いていたので俺とメルシアは腰を下ろし、最後に上座にレギナが腰を下ろした。
「面子も揃ったことだし対策会議を始めることにするわ」
レギナが厳かな口調で切り出すと、ケルシーが深く頭を下げて、それに倣う形で顔役たちも深々と頭を下げる。
「あたしは第一王女ではあるけど、今は非常事態。礼節を重んじるよりも忌憚ない意見を聞かせてもらいたいから口調については不問とするわ」
「ありがとうございます」
レギナのそんな言葉にケルシーをはじめとする多くの顔役たちがホッとしたように顔になった。
ここは辺境にいる小さな村だ。
貴人と会話も交わすことなどそもそもないので、王族への話し方や態度が身に着いている者がいるはずがない。
俺だって宮廷で働いていたけど、工房にこもって錬金術ばかりをやっていたのでそういった作法については自信がないからね。
レギナのそういった配慮は非常に有り難いものだった。
「さて、初めにレムルス帝国というものが、そもそもどういう国なのか皆に共有しておきたいわね。イサギ、帝国どんな国か教えてくれるかしら?」
俺とメルシアは帝国で働いていたので当然知っているし、レギナは俺たちから話を聞いただけでなく、ライオネルからも言い含められているので概要は知っている。
しかし、ケルシーをはじめとするプルメニア村の人たちは帝国とは親交がないために、どのような国なのか一切わからない状態だ。
何かを決めるにも基礎となる情報は共有できた方がいい。
「わかりました。帝国で生まれ育ち、宮廷で働いていた過去のある俺が帝国とはどのような国なのかを大まかに説明いたしましょう」
レギナに名指しをされた俺は立ち上がって、帝国がどのような国なのかを語ることにした。
レギナは口調についてはいつも通りと構わないと言ってくれたが、顔役の全員と親しいわけでもないし、公的な場ではあるので一応は丁寧めな口調を心掛ける。
「レムルス帝国は数ある人間族の中でもっとも大きな国土を所有している国です。人口についても獣王国と同じ、あるいはそれを上回るほどでしょう」
「……帝国とはそれほどなのか?」
顔役の一人が信じられないとばかりに尋ねてくる。
獣人は人間族よりも繁殖力が強い上に、獣王国は国土もかなり広い。
世界でも人口はトップクラスだと言える。
たった一つの人間の国が、獣人の国と人口で張り合えるのは驚異的だ。
「しかし、実際に人口こそは多いものの実際に動員できる兵力は少ないと思います」
「それはどうしてなの?」
俺の言葉にシエナが不思議そうに小首を傾げる。
それほどの人口があれば、動員できる人数も多いと考えるのが普通だ。
「帝国が侵略を繰り返して領土を拡大し続けている国だからです」
「つまり、奪い取った領地を完全に制御しきれていないってことね?」
「そういうことになります。その上、帝国は特権階級を持つものが腐敗しているためすべての民を養うことができていない状態です。国土こそ広いものの安定しているとは言えません」
俺とレギナの会話を聞いて、シエナをはじめとする顔役たちも帝国の内部状況を少し把握できたようだ。
「だったら我々にも勝機はあるのではないか? 敵は寄せ集めの上に、纏まっているとは言い難いのだろう?」
顔役の一人がそのようなことを述べるが、その考えは非常に甘いと言えるだろう。
「いいえ、満たされていないからこそ、帝国は死に物狂いで領土を奪いにやってくるでしょう。餓死しそうな時に目の前に豊富な食料のある土地があれば、あなたは我慢して野垂れ死にますか?」
「……いや、メルシアの言う通りに死に物狂いで奪いにいくな」
メルシアの説明に質問した者だけでなく、他の者も状況を深く理解してくれたようだ。
「加えて帝国の恐ろしいところは魔法文明が発達しているところです。多くの優秀な魔法使いがいるだけでなく、俺と同じ錬金術師も数多く存在し、兵士たちが高度な魔道具を所持しています」
「つまり、敵にはイサギ君のようなものが何人もいるということかね?」
「はい。そのような認識で――」
「いいえ、イサギ様ほど優れた錬金術師は帝国にもいません」
身を乗り出しながらのケルシーの言葉に答えようとすると、なぜか横からメルシアが口を挟んだ。
「そ、そうか。安心した」
「さすがにイサギみたいな錬金術師が何人もいたら絶望的だものね」
「メルシアちゃんの言葉を聞いて安心したわ」
メルシアの言葉にケルシー、レギナ、シエナといった面々が心底ホッとしたような顔になる。
「いやいや、さすがにそんなことはなくない?」
「私は帝城で使用人として働いていたので、イサギ様よりも多くの宮廷錬金術師を目にする機会がありましたので断言します。宮廷でイサギ様ほどの錬金術師はいないと」
メルシアの過大評価に物申したいところであるが、実際のところ俺はガリウスをはじめとする他の宮廷錬金術師に疎まれていたせいで一緒に仕事をすることもなかったし、他人の作業風景を見る機会も少なかった。
そのことを考えると、俺よりもメルシアの方が判断の方が正しいのかもしれない。
「そ、そうなの?」
「そうなのです」
メルシアが胸を張り、堂々とした仕草で頷いた。
「とはいえ、帝国には錬金術師が多いことは事実なので、軍用魔道具の装備や運用によって一般的な兵士よりも手強いことに変わりはありません」
「訓練されていない兵士であっても、魔道具を振りかざすだけでかなりの戦闘力を発揮できるとは恐ろしいものだな」
人間に比べると、獣人の方が遥かに身体能力が高い。
まともに相対すれば、間違いなく獣人が勝つだろうが、相手はその身体能力の差を埋めるために魔法や魔道具といった様々な工夫をしている。
ケルシーの言う通り、楽観的な戦いではないことを皆に知っておいてほしい。
「イサギの見立てでは、プルメニア村に攻めてくるに当たってどれほどの兵力を集めてくると思う?」
「推測ですが、最低でも二万はあるかと」
俺の言葉に全員が呻き声のようなものを漏らした。
プルメニア村の人口は千人にも満たないくらい。
周辺の集落や街から増援を呼んだとしても二千人に届くことはないだろう。
帝国の比べると、その兵力の差は最低でも十倍となる。あまりにも絶望的な数字だった。
俺は戦争に同行することはなかったが、過去に繰り返し行った侵略ではそのくらいの数の兵士を動員していた。
「……二万ね。さすがに多いわね」
「前回の飢饉が帝国にどれだけの影響があるかは不明ですが、場合によって食料事情の改善のために更なる増員もあり得ます。あくまで最低値だという認識をしてもらった方がよいかと」
「都合のいい解釈はあたしたちの首を絞めることになるものね。貴重な忠告をありがとう」
レギナだけでなく、ケルシーたちの表情も引き締まっている。
きちんと忠告を受け取ってくれてよかった。
「さて、帝国がどんなに強大な国かわかったところで、あたしたちがどう動くかね」
帝国についての概要説明が終わったところでレギナが本題とばかりに口を開く。
「敵は最低でも二万もの兵士がいる。まともにやって勝てるのだろうか?」
「あたしたちがやるべきことは敵軍を抑えること。真正面から打ち勝つ必要はないわ」
不安がる顔役の一人にレギナがきっぱりと告げた。
そして、「もちろん、勝てるに越したことはないけどね」と笑いながら言う。
彼女の気遣いに顔役の一人は少し不安が和らいだのか顔色が少し明るくなる。
「あたしたちが持ちこたえることができれば、獣王ライオネルをはじめとする獣王軍がやってくる」
「おお、獣王様や獣王軍がやってくるのであれば心強い!」
絶望的な状況だったが、しっかりと増援があると聞いて、皆の瞳に希望の光が灯る。
プルメニア村の戦力だけでは、帝国を打ち破ることは難しいが、そこにライオネルをはじめとする獣王軍が加われば、蹴散らすことは可能だと俺も思う。
シャドーウルフであるコクロウを赤子のように流してみせたりと、ライオネルの実力は戦略級だ。
大樹を守っている門番の獣人もかなりの実力者のようだったし、そんな彼らが揃っている兵士が精強じゃないわけがない。
合流すれば、帝国を打ち破れる可能性は十分に高い。
「しかし、大勢の軍を相手に我々だけで抑えきることができるでしょうか?」
問題はそこだ。ライオネルたちが到着するまでに帝国の大軍勢を相手に持ちこたえることができるかどうかだ。
最悪の想定をして獣王軍は間に合わないと想定して動く必要がある。
「真正面から戦うことになったら無理ね。だから、地の利を生かして真正面からぶつからないようにするわ。地図を見てちょうだい」
レギナはきっぱりと告げると、大きな地図を広げた。
そこにはプルメニア村を中心とした地図が書かれており、詳細な地形などが記されている。
「帝国と獣王国の間には大きな山が横たわっている。帝国が山を抜けて、プルメニア村にやってくるには、ここにあるレディア渓谷を通ってくるしかない」
「なるほど。プルメニア村を要塞化するのではなく、このレディア渓谷で防衛拠点を築き、敵を撃退するというわけですな?」
「そういうこと!」
ケルシーが意図を読み取った発言をすると、レギナがそうだとばかりに頷いた。
「一度に何万、何千もの兵士を相手にしてしまえば、瞬く間に飲まれてしまうでしょうが道幅によって相手の人数を制限してしまえば、そのような恐れはありませんね。名案かと思います」
「迂回しようにも周囲は山や森に囲われている。それほどの大人数で迂回することはできないな」
メルシアだけでなく、周辺の地形を理解している顔役たちからも納得の声が上がる。
プルメニア村の周囲は山や森に囲まれているために帝国は、そこを通るしかない。
そのような天然の要塞だったからこそ、今まで帝国は獣王国に進軍することはなかったのだろう。
「でも、問題は防衛拠点を作るような時間があるかということだ」
「ああ、とてもではないが時間が足りない」
「それについては問題ないわよね? イサギ」
顔役たちが不安の声を上げる中、レギナが期待のこもった眼差しを向けてくる。
「はい。拠点については俺の錬金術ですぐに作り上げてみせます!」
「すぐとはどのくらいでできるんだ?」
「大まかなところだけでいいのであれば、半日程度でできます」
帝国に備えるために完全な状態となると時間はかかるが、使い物になる程度の土台であれば半日もあれば作り上げることができる。
「半日で!? そんなことが可能なのか?」
「イサギ様なら余裕です」
「なにせ自分の家や工房だって間に作っちゃえるものね」
「販売所だってイサギ君が一人であっという間に建てていたからな」
顔役の人たちは驚いているが、メルシア、シエナ、ケルシーといった俺が錬金術で建物を作っているところを間近で見ているので信頼がとても厚かった。
まあ、建てるところを見ていないと不安に思うのは仕方がない。
「だとしたら、早めに動いた方がよさそうですね」
防衛拠点を作るとなれば、時間は少しでも多い方がいい。刻々と帝国が迫っているのであれば、尚更だ。
「ええ、イサギには一刻も早く防衛拠点の作成に取り掛かってもらいたいわ」
「防衛拠点だけど、その辺りに作ればいいでしょう?」
建てたはいいが、実際には違う場所の方が良かったなどとなったら目も当てられないからね。俺とメルシアがプルメニア村にやってきた時は、地元の獣人だけが知っている狭いルートを通ってきたので、渓谷がどのような地形をしているかまるでわからない。
「村長」
レギナは地図で全体を把握しているものの、実際に地形を目にしているわけではない。
周辺の地形に詳しいであろうケルシーに尋ねた。
「……ここがオススメだ。渓谷は微妙に傾斜になっているからな。ここに防衛拠点を作れば帝国は辛いだろう。プルメニア村から少し離れているが、我々獣人の足ならすぐにたどり着ける上に物資の輸送も容易い」
ケルシーがそう言いながら、渓谷の上部を指さした。
なるほど。地図だけではわからなかったが、そんな地形の特性があったのか。
「メルシアなら具体的な場所はわかるよね?」
「はい。お任せてください」
尋ねると、メルシアは笑みを浮かべながら頷いてくれた。
「イサギが防衛拠点を作っている間に、あたしたちは万が一を考えてプルメニア村の方も要塞化しておくわ」
「それなら俺もそっちを手伝って――」
「いいえ、イサギは防衛拠点に専念してちょうだい。村の防衛強化については万が一のような保険のようなものだから」
「わかりました。防衛拠点の作成、強化に専念致します」
確かに戦場とするべきはレディア渓谷であり、そこが最終防衛ラインだ。そこを越えられてしまうと、後は数による蹂躙しか待ち受ける未来はない。多少、プルメニア村を要塞化しようとも焼石に水だろう。
あくまでプルメニア村は守るべき場所であって、絶対に防衛拠点を通してはいけないんだ。
「後は余裕があればだけど、守るだけでなく帝国に奇襲も仕掛けられるといいわね。ずっと防衛拠点に籠っていても帝国に打撃は与えられないから」
「そうですね。その辺りも考えていきましょう」
レギナの言葉に同意するようにケルシーが頷く。
「ひとまず、あたしたちがやるべきことは三つよ」
・プルメニア村を要塞化すること。
・防衛拠点を作ること
・帝国の侵攻ルートを予測し、そこに罠を仕掛ける、あるいは奇襲を仕掛けること。
この三つが俺たちの方針だ。これを持って村全体で協力し、帝国に立ち向かおう。
「それじゃあ、俺とメルシアは防衛拠点の作成に向かいます」
「人手はいるかね、イサギ君?」
「土台作りが終わったらお願いします」
大まかな土台を作る作業はすべて俺の錬金術とゴーレムで作成することができる。人手がいれば、むしろ邪魔になってしまうので俺一人の方が都合がいい。
「わかった。必要になったら遠慮なく声をかけてくれ」
「ありがとうございます。では、行ってきます」
「頼んだわよ、イサギ」
レギナ、ケルシーをはじめとする顔役の人たちに見送られ、俺とメルシアはレディア渓谷へ向かうことにした。
「ここがレディア渓谷か……」
ゴーレム馬に跨ってプルメニア村から西へ移動をすると、数時間ほどで森林地帯を抜けて、景色は荒野へと変わり、レディア渓谷へたどり着いた。
俺たちの目の前には険しい谷が広がっており、長大な岩壁が遥か先まで続いている。
「谷底には少し川が流れているね?」
「はい。ですが、気持ち程度のものでほとんどが地面です」
メルシアの言う通り、谷底に流れる水は少量でほぼ剥き出しの地面となっていた。
水の流れが敵の足止めになるなんて期待はしない方がよさそうだ。
とはいえ、ラオス砂漠の時のように水源を探り当てることができれば、いざという時の切り札になるかもしれない。
そう思って地面に手を当てて錬金術を発動。魔力を地面に浸透させ、この付近に水脈がないかを調査する。
「うーん、付近に水脈もないね」
「上流の方に行けば、可能性はあるかもしれませんね」
「うん。でも、今は防衛拠点を作る方が先決かな」
場所を変えて調査していけば見つかるかもしれないが、すぐに発見できるとは限らない。
優先度は防衛拠点の方が高い以上、水源の調査については後回しだ。
「ケルシーさんの言っていた地点はどこかな?」
「あちらになります」
メルシアに先導してもらって少し移動する。
「なるほど。確かにここだと見下ろすことができるね」
移動する前の位置の辺りから谷底の傾斜がついていき上り坂になっている。俺たちのいる地点に防衛拠点を作れば、さらに高さはつくことになり、敵を打ち下ろす形で迎撃できだろう。矢を射かけるも良し、岩を転がしてやるもよし。これは大きな利点だ。
微妙な坂のように思えるかもしれないが、一本道を通ってくるしかない帝国からすれば、その微妙な坂が追い打ちとなるだろう。
「よし、ならここに防衛拠点を作るよ!」
「お願いします」
俺とメルシアはゴーレム馬を使って谷底へ駆け下りた。
まずは整地だ。どのような拠点を作るにも土台が不安定では意味がない。
ゴーレム馬を下りると、俺は地面に手を当てて錬金術を発動。
表面を滑らかなものにすると、防衛拠点の範囲を決めるように防壁を作り出す。
地面がせり上がって四方を囲う壁となった。
防壁がそびえ立つとその中心部分に移動して、周囲にある土、石、岩を操作して砦となるものを作り上げていく。
「さすがに魔力の消費が激しいな」
今まで自分の家、工房、販売所、宿泊拠点などと様々な建物を作ってきたが、今回作る砦はそれよりもスケールが何倍も違う。
地面に干渉する力も強く必要だし、物質を操作する量も甚大となっており、必要とされる魔力も膨大になるわけである。
レピテーションを駆使し、基礎のパーツを組み上げるだけで体内にある魔力がゴリゴリと減っていくのを知覚する。こんなにも一度に魔力を消費するのは初めてな経験かもしれない。
「イサギ様、お辛いのであれば無理はなさらずゆっくりにでも――」
「心配してくれてありがとう、メルシア。でも、それじゃダメなんだ。帝国がいつやって来るかわからない以上、防衛拠点は早く作らないといけない」
防衛拠点を早く作り上げることができれば、速やかに迎撃態勢が整う。
ひとまずの迎撃態勢が整っていれば、レギナたちが作戦を考えたり、作戦のための練習を重ねることができる。他にもプルメニア村からの物資を運び込んだり、皆で武器を作ったりとやれることはたくさん。それらができるほどに帝国との戦いが有利になる。
俺がちょっと無理をするだけで生き残る確率を、勝つための確率を上げることができるんだ。だったら、ここで無理をしないわけにはいかない。
錬金術で周囲にある岩を変形させ、魔力を浸透させることによって圧縮し、硬質化。それらの岩をレピテーションで次々と積み上げていく。そんな作業の傍ら、俺はマジックバッグから瓶を取り出して緑色の液体を呷る。
魔力回復ポーションだ。魔力を消費したすぐ傍に体内で無理矢理に魔力が生成される。
その感覚がとても気持ち悪い。
「イサギ様! それではお体に大きな負担が!」
本来、魔力回復ポーションというのは、失った魔力をゆっくりと回復させるものだ。
だけど、俺は錬金術によって回復能力を無理矢理に高めたものを使用している。
魔力使ってすぐにまた魔力を生成。
当然、そんなことをすれば、体内にある魔力器官への負担は大きくなる。
気持ちが悪いというのは、俺の身体が悲鳴を上げているということだ。
戦場に出る魔法使いが魔力器官を壊し、寿命を縮めてしまう一つの原因でもある。
助手であるメルシアはそのことを知っているので俺を止めようとする。
だけど、今回ばかりは素直に頷くわけにはいかない。
「錬金術師にとっての戦争は準備にある。ここが俺の頑張りどころなんだ!」
「……イサギ様」
戦争が始まってしまえば、俺はメルシアやレギナみたいに最前線で戦って活躍することはできない。できることが少なくなる以上、今が俺の頑張りどころなんだ。
周囲にある土、岩、石が少なくなってきたが心配はいらない。俺のマジックバッグにはライオネルやコニアから貰った物資がたくさんある。
必要となる物資も無尽蔵だ。
だから、あとは俺の魔力が持つ限り、組み立て続けるだけだ。
●
「ふう、ひとまず完成かな」
半日ほど錬金術を使い続けると、ようやく防衛拠点といえるものができ上がった。
切り立つような崖に挟まれた谷底はせり上がり、レディア渓谷を見下ろすかのように砦が鎮座しており、周囲には二十メートルを越える高さの防壁が存在していた。
前方には曲がりくねった谷底による一本道しかないが故に、正面から見た時の迫力は半端ないな。
砦や防壁の作成に使用した素材はレディア渓谷にある土、岩、石が中心だが、錬金術による魔力圧縮により、硬度がかなり高められているので想像以上に硬い。
特に砦の前部や城門などには加工した鉱石などが混ぜられているので、より堅牢だ。
一般的な攻城兵器をぶつけられた程度ではヒビ一つ入らないはずだ。というか、そういうように作った。
「おっとと」
立ち上がろううとすると不意に身体から力が抜けた。なんとか踏ん張ろうとするも身体が酷く重く、思うようにバランスが取れない。
地面に衝突することを覚悟していると、ポスリと身体が受け止められた。
「ありがとう」
「いえ」
視線を上に向けると、メルシアの顔が映った。
どうやら彼女が咄嗟に受け止めてくれたらしい。
「あれ? 身体が動かないや」
感謝しつつ、ゆっくりと離れようとするが身体がまったく動かないことに気付いた。
「魔力欠乏症ですね。動けるようになるまで少し休憩いたしましょう」
「そうだね。そうさせてもらうよ」
頷くこともできないので言葉で返事をすると、メルシアはゆっくりとその場で俺を寝転がせてくれる。それはいいのだが、なぜか自分の太ももを枕替わりにさせた。
これは俗に言う膝枕という奴ではないだろうか?
「……あのメルシアさん? どうして膝枕を?」
「イサギ様を地面に寝かせるなんてできませんから」
視線を上げると、メルシアがこちらを見下ろしながら微笑んだ。
碧玉のような瞳がとても綺麗だ。
「別にメルシアの膝じゃなくてもマジックバッグから適当にクッションでも取り出してくれればいいんだけど――」
「私がこうしたいからしているんです。それじゃダメでしょうか?」
「……いや、別にダメじゃないです」
真正面からそんな風に言われてしまうと、断れるはずもない。
クッションよりもメルシアの膝枕の方が絶対に心地いいだろうから。
そうやって小一時間ほど休憩していると、魔力が回復して身体の自由が利くようになった。
「ありがとう。もう大丈夫だよ」
「かしこまりました」
立ち上がると、身体の調子を確かめるように肩を回す。
メルシアが膝を貸してくれたお陰で身体に痛いところはどこにもなかった。
素直にされるがままになってよかったのかもしれない。
身体をほぐしていると、プルメニア村の方角から何かが近づいてくる気配がする。
振り返ると、レギナとケルシーがゴーレム馬に乗ってこちらにやってきた。
俺たちの作業の様子を見にきてくれたのかもしれない。
「イサギ! あれがあたしたちの防衛拠点なの!?」
「そうだよ」
「「…………」」
こくりと頷くと、二人があんぐりとした顔で拠点を見上げる。
「たった半日でこれほどのものを作り上げたというのかね?」
「そうなります」
「これほどのものを作るとなると、さすがのイサギでも魔力が足りなかったでしょ?」
「うん。そうだね。でも、そこはポーションで補ったよ」
「……無理をさせちゃったわね。ごめんなさい――いいえ、この言葉は相応しくないわね。ありがとう」
「どういたしまして」
レギナは俺が無理をしたことに気付いたのだろう。
謝りかけたが、すぐに言葉を言い直してくれた。
うん、謝ってもらうよりも、ここはお礼を言ってくれる方が俺も嬉しい。
これが俺の役目なのだから。
「まさか、たった半日でこれほどの防衛拠点を完成させてしまうとは、これは嬉しい誤算だ」
「あっ、すみません。まだ完成じゃないです」
「ええ!? これで完成じゃないのかね!?」
防衛拠点を見上げていたケルシーが勢いよく振り返る。
「ひとまず、全体を整えることを先決にしたので、利便性や強度についてはこれから高めていく必要があります」
「どう見ても完成しているようにしか見えないんだけど……」
「まだまだ防壁の強度を上げないといけないからね。防壁の上から撃退できるように足場を作らないといけないし、安全に矢を射かけられるように覗き穴なんかも作っておきたい」
他にも周囲を見渡せるように監視塔を作らないといけないし、村人たちが寝泊まりできるような寝室、料理ができるような厨房、医務室などとやるべきことはたくさんある。
「そのレベルまでいくと一種の砦ね」
だが、帝国を相手にやり過ぎということはない。
帝国と俺たちの間に絶望的な戦力の差があるのだから。
「イサギ君、ここまで整っているのであれば、物資を運び込んでも問題ないだろうか?」
「はい。構いません」
ここまで作り上げてしまえば、錬金術で大規模な作成をすることはない。
周囲に人がいても問題なく作業を行うことができる。
「あっ、ケルシーさん。村に戻るのであれば、うちの従業員を三人呼んできてもらえますか?」
「真っ先に呼ぶのが農園の従業員なのかね?」
俺の要望にケルシーは若干呆れている様子。
防衛拠点を作成したというのに、真っ先に農家を呼ぶというのだから怪訝に思うのも無理はない。
「城塞の中に小さな農園を作りたいと思いまして」
「ふむ、イサギ君のことだ。ただ城塞で作物を作る以外にも大きな目的があるのだろう。わかった。従業員たちも連れてくるとしよう」
「ありがとうございます」
ケルシーはそう言って頷くと、ゴーレム馬に跨って村の方へと戻っていった。
「砦の中を案内してくれる?」
実質的な指揮をとってくれるレギナは砦の構造を把握する必要があるだろう。
名乗りを上げようとすると、メルシアがスッと前に出る。
「私が案内いたしますね。イサギ様は魔力を消費しているのでもう少しお休みください」
「ああ、ありがとう」
俺も案内したい気持ちはあるけど、魔力を消費したせいでようやく立ち上がれるようになったばかりで無理は禁物だ。
この後にやるべき作業もあるので、ここは素直にメルシアに任せることにした。
小一時間ほど休憩していると、砦の視察が終わったのかレギナがメルシアを伴って出てきた。
「想像以上に立派な砦だわ! これなら思っている以上に色々な作戦が考えられるかも!」
「未完成ではあるけど、今の状態でもそう言ってもらえたならよかった」
砦の出来栄えはレギナにとっても満足できる出来栄えだったらしい。
「砦の中を観察してどこか気になった箇所はある?」
レギナは王女でありながら数々の争いや調停などに参加しているために、国内の砦なども何箇所か回ったことがあると聞いた。実際に砦を見たことのある彼女から意見が欲しい。
「……そうね。一階の武器庫が少し手前にあったのが気になったのと、各部屋から動線がぶつからないか心配になったところがあるわ」
視察がてらに間取り図を描いていたらしく、レギナが羊皮紙を広げてペンで動線を書いてくれる。
動線というのは、日常生活や仕事で建物内を自然と移動する経路のことだ。
建物を設計する際に気を付けなくてはいけない要素の一つ。利用者の行動パターンを予測し、事故を少なくし、より快適に生活できるように考えないといけない。
どうやら現状の間取りでは、その動線に少し問題があるようだった。
「武器庫の部屋を少し奥にすれば、つっかえることなく移動ができて動線がスムーズになるかも」
「なるほど。なら、武器庫はレギナが指定してくれた部屋にするよ」
「ありがとう。そうしてくれると助かるわ」
さすがは、獣王国内の砦を見たことがあってレギナの指摘は的確だな。参考になる。
いくつかの部屋の配置代えを決めると、メルシアがそれらを構造図に書き込んでくれる。
「メルシアも構造図の作成ありがとう」
「イサギ様の補助をするのが私のお仕事ですから」
メルシアがにっこりと微笑む。
速やかに砦の内部を共有するための構造図なんてまるで考えていなかった。
本当に俺はメルシアに支えてもらってばかりだな。
「にゃー! なんだこれー!?」
なんて思っていると、後方から驚きの声が響き渡った。
「にゃー! レディア渓谷にすごいものができてるー!」
「たった半日でこれを作ったっていうのかよ!? すげえな!」
「……ケルシーさんの言う通り、防衛拠点というよりかは砦だな」
振り返ると、そこにはネーア、リカルド、ラグムントといったうちの農園の従業員がおり、唖然とした顔を浮かべている。
「あれ? ケルシーさんたちは?」
てっきりケルシーや他の村人もたくさん来ると思っていたが、たどり着いているのは三人だけで他の人たちの姿は見えない。
「他の人たちは物資を運ぶ準備をしているのでもう少しかかると」
「イサギに呼ばれたあたしたちは優先してやってきたんだー」
ラグムントとネーアがそう述べる。
どうやらケルシーが俺に配慮して、先に三人だけを行かせてくれたらしい。
時間が少しでも惜しい現状でそれは助かることだった。
「で、オレたちは何をすればいいんだ?」
ケルシーにもロクに説明していなかったのでリカルドがそう尋ねてくるのも無理はない。
「砦の中に農園を作ろうと思ってね。作物を栽培するのに手伝ってほしいんだ」
「砦に農園!?」
視線が集まる中、答えるとメルシア以外の者が驚きの声を上げた。
「……食料の生産であれば、村の大農園から作物を送るのではダメなのですか?」
ラグムントの疑問はもっともだ。
レディア渓谷からプルメニア村まではそう距離が離れていない。
獣人の身体能力を考えれば走ってすぐなので、わざわざ砦の中に農園を作る意味などない。
村から輸送すれば済む話だ。
「ここで作るものは、村のものとは違って特別なんだ」
「特別って美味しさが違うってのか!?」
「バカいえ。そんなものをこんな状況で作る必要などないだろう」
リカルドとラグムントのやり取りにクスリと笑ってしまう。
確かにいつも通りなら、そうなんだけど今は状況が状況だからね。
「それでイサギの言う、特別っていうものはなんなの?」
「皆の身体能力を底上げするための作物さ」
「ええ!? そんなものが作れるの!?」
「何を今さら言っているのですか、ネーア。村で作った食料でも微量ですが含まれていますよ」
「「えっ? そうなの?」」
呆れながらメルシアの言葉にリカルドとネーアが間抜けな声を上げた。
ラグムントはそのことについて驚いた様子はないし、ちゃんとわかっていたようだ。
「……もしかして、気付いてなかったのですか? 雇用する際に、作物の効果についでは何度も説明し、資料もお渡ししたはずですが?」
「た、確かにイサギさんの作物を食べてから身体の調子が良かったり、肌のツヤが良くなったかも!」
「オ、オレもそんな気がするぜ! 前よりも重いものが楽に運べるようになったしな!」
メルシアが怒気をにじませながら言うと、ネーアとリカルドが思い出したとばかりに慌てて言う。
「あくまで微増だから気付かないのも無理はないよ」
「だ、だよね!」
従業員たちは日常的にうちの農園の作物を口にしており、強化された状態が普通になっている。俺がやってくる前までは栄養も足りていない様子だったし、作物による特別な恩恵だと思わないのも無理はない。
「そんなわけで、皆の身体能力を底上げするための作物を錬金術で調整して作ったから、いつも通りそれを栽培してほしいんだ」
「わかった! とにかく、いつもと同じように作物を作ればいいんだね?」
「それなら任せてくれ!」
「それじゃあ、早速砦に行って植えようか」
ネーアたちが理解してくれたところで俺たちは砦の中に入り、奥にある農地へと移動。
ここでは作物を栽培することを見越しており土だけで、他の場所のように手を加えてはいない。
「まずは土を耕そうか」
マジックバッグから鍬を取り出すと、ネーア、リカルド、ラグムントに手渡し、土を耕してもらう。
三人だけだと時間がかかってしまいそうなので、マジックバッグから大量の石材を取り出し、錬金術を発動。
ストーンゴーレムを三体ほど作り上げると、彼らにも鍬を持たせて土を耕してもらうことに。
「にゃー! ゴーレムには負けないよー!」
ゴーレムだけじゃなく、ネーア、リカルド、ラグムントもザックザックと土を耕してくれる。最初は鍬を振るう姿がぎこちなかったけど、農園で何度もやるようになったからか今ではすっかりと堂に入った姿だ。耕す速度も負けていない。
そして、土を耕したところにメルシアがズタ袋を抱え、錬金術で調整した肥料を撒いていく。
それらを軽く攪拌したら、俺は錬金術で調整した特別な作物の種を植える。
後は水をかければ、すくすくと芽が出てくる。
「え!? もう芽が!?」
「成長はまだ止まらないよ」
芽が出ただけで成長は止まらず、すくすくと苗を伸ばすとその先に葉っぱを茂らせ、先端に赤い色の実がついて、あっという間にトマトが出来た。
「うんうん、いい感じだね」
「成長速度、葉の大きさ、実の大きさ、色艶、どれも問題なさそうです」
傍らではメルシアが今回の作物の成長記録を詳細に記録してくれている。
身体能力向上に重きを置いた調整をしたが、作物の成長にはなんら影響はないようだ。
これの様子なら問題なさそうだ。
「待って待って。農業にそこまで詳しくないあたしでもトマトがこんな一瞬で出来ないってわかるわよ!?」
そんな様子を見て、レギナが取り乱した様子を見せる。
前に農園を視察にきたライオネルと違って、レギナはここでの農業の様子を見るのは初めてだ。驚くのも無理はない。
「まあ、これから始まるかもしれない戦に必要なのに悠長に栽培している暇はないからね。いつものように錬金術で調整して、成長速度を引き上げさせたんだ」
「ラオス砂漠での栽培はもう少し時間がかかっていなかった?」
「あちらでは土地に適合した肥料がありませんでしたし、育つはずのない作物を環境に適応させるだけで精一杯でした。しかし、それは時間が足りなかっただけで、もう少し研究する時間があれば、ラオス砂漠でもこちらと同様に一瞬にして作物を作り上げることができるでしょう」
レギナの疑問にメルシアが淀みのない口調で答えてくれる。
俺が答えようとしてくれた言葉そのものであるが、少しの時間でそれが実現になるかは不明だ。とはいえ、助手であるメルシアがここまで堂々と言われては、そんな情けないフォローなんてできない。曖昧に頷いておく。
「案外、帝国が狙っているのって農園じゃなくて、イサギとかだったりしない?」
「私としてはその線も十分にあり得るかと思っています」
「怖いことを言うのをやめてよ」
解雇した宮廷錬金術師を取り戻すためだけに侵略するほど、帝国も暇ではないはず。
そう信じたい。
「さて、早速効果を確認してみようか」
手身近にある赤い実を一つ手に取ると、そのまま食べてみる。
口にすると、トマトの甘みと酸味が口の中で広がる。
出来立てをすぐのお陰かとても鮮度が高い。
そして、何よりすごいのが一口食べただけで筋肉が活性していることだ。
全身の筋肉がほのかに熱を持ち、力が湧いてくる。
「あたしも一つ食べてもいい?」
「どうぞ」
許可をすると、レギナが傍にあったトマトをもぎ取り、服の裾で軽く拭ってから口に持っていく。
「こ、これすごいわ! たった一口食べただけで身体中から力が湧いてわかるわ!」
一口頬張ると、レギナが目を大きく見開きながら叫んだ。
レギナにもハッキリと知覚できたようだ。
俺は試しに石を拾い上げると、ゆっくりと手を握り込む。
すると、手の中にある石は擦りつぶされ、指の隙間からパラパラと砂が落ちた。
「見て見て! トマトを食べたお陰で石を潰せたよ!」
「非力なイサギ様でもこれだけの筋力の増強が見込める。素晴らしい効果です」
メルシアの何気ない一言に俺は傷ついた。
「あ、うん。そうですね」
「あ、あの、イサギ様? え、えっと、申し訳ありません」
落ち込む俺を見て、珍しくメルシアがあわあわとした様子を見せる。
自分が非力だってことはわかっているが、女性であるメルシアから真正面から言われると心にくる。
まあ、何度もお姫様抱っこされたり、担がれたりしているので仕方ないけど、たとえ非力だろうと男には男らしくいたい時があるものだ。
落ち込んでいると、すぐ傍らで地面を切り裂く音が聞こえた。
顔を上げると、レギナが大剣を振り下ろしたまま静止していた。
「うわっ、本当に力が増しているわね。軽く振っただけで地面が割れたわ」
大剣を振った風圧だけで地面が一直線に抉れている。
剣を振っただけで、どうして地面が抉れるのかわからない。
「なんだか俺よりも力の底上げがすごいや」
「個体差あるいは種族によって影響力に差があるのではないでしょうか?」
帝国でも身体能力を向上させる作物を何度か作ったが、俺の作ったものを食べてくれる人はメルシアしかおらず、詳細なデータがないので判断できない。
「ねえ、イサギさん! あたしたちも食べてもいい?」
「いいよ」
身体能力が向上されれば、ネーアたちの作業効率も上がる。
他の三人に食べてもらうことは悪いことじゃない。
「それじゃ、遠慮なくいただきまーす!」
元気よくトマトに齧り付いたネーアたちが一口食べた。
「にゃー! すごく力が湧いてくる!」
「本当だ! こいつはすげえ!」
「普段の二倍くらいの力がありそうだ」
ネーア、リカルド、ラグムントがトマトを食べるなり驚きの表情を浮かべる。
「だけど、どうにも落ち着かない!」
「妙にソワソワとして落ち着かない気分だ」
「ああー! なんだこれ!?」
ネーア、ラグムントはソワソワとしており、リカルドは耐えきれなかったのか意味もなく跳ねたり、走り回ったりし始めた。
「身体能力が向上する代わりに、少し興奮化する作用があるんだ。にしても、メルシアが食べた時よりも興奮化が顕著に出ているね?」
帝城の工房や、プルメニア村の工房でメルシアは何度か食べてくれたが、こんな風に落ち着きがなくなることはなかった。個体による違いだろうか?
「私は何度も口にしており、慣れていますから」
そう言ってメルシアがトマトを口にする。
いつもより尻尾が元気よく動いているが、ネーアたちのようにソワソワとすることはなかった。
「食べるだけで身体能力をここまで上げることができるなんてすごいわ!」
「ありがとう」
人間族よりも、獣人族の方が身体能力は遥かに高い。この差をさらに空けることで少しでも戦況が有利になればと思う。
「他にも魔力を活性化させるための作物や、治癒力を高めるための作物もあるから、ドンドンと作って皆の力になれればと思うんだ」
「ええ、ドンドンと作っていってちょうだい!」
「にゃー! この有り余った力を農業に活かすよー!」
「うおおおおおお! オレはやるぜー!」
身体能力がアップしているからだろうか、ネーア、リカルド、ラグムントが先ほどよりも速いペースで土を耕していく。その速度は疲労を感じることのないゴーレム以上だった。この速度で開墾できるのであれば、全員分を賄うことは十分に可能だな。
相手は万を越える軍勢だ。千人程度の戦力を強化したところで焼石に水なのかもしれない。
だけど、ひとりひとりの戦闘能力が上がれば、生存能力は高まるわ。
大切な人たちが少しでも生き残る確率が上がるのであれば、俺はそのための努力を惜しまない。
●
「ねえ、イサギ。この強化作物だけど、どのくらい効果が持続するのかしら?」
強化食材の栽培作業をネーアたちに任せていると、レギナが尋ねてきた。
「ハッキリとはわからないけど、俺とメルシアの場合は三時間ってところかな」
「はい、私もそのように記憶しております」
「その三時間が過ぎると、急に効果が無くなるのかしら?」
「三時間が最高のパフォーマンスを維持できる時間で、そこを過ぎると徐々に効力が失われていく感じだよ」
「なるほど……」
詳細な説明をすると、レギナが腕を組んで深く考え込む。
強化食材を利用した作戦や戦力の運用を考えてくれているのだろう。
「ねえ、イサギ。この強化作物だけど、すぐに補給できるようにできないかしら?」
「というと?」
「今回の戦いは持久戦になる可能性が高いわ。そう考えると、効力が三時間というのは少し心許ない。戦いが始まってしまえば前線に立っている人の全員が交代できるとは限らないから」
「つまり、戦いながらでも摂取できるのが望ましいということですね?」
「そういうこと」
「なるほど。確かに戦っている最中に悠長に食事することなんてできないもんね」
メルシアが要約してくれたことにより、俺もレギナが何を言いたいのかしっかりと理解することができた。
「効果を失うことなく加工するのが望ましいな。でも、これは少し時間がかかるかもしれない」
「ですが、イサギ様には砦の仕上げ作業、武器の作成、戦ゴーレムの作成とやることは無数にあります。あまりこればかりに力を入れるわけには……」
メルシアの言う通りだ。まだまだ俺がやらなくてはいけないことはたくさんある。だけど、強化作物を適切な形で提供することも大事な要素だ。
ああ、人手が足りない。
「料理のことなら僕たちに任せてください!」
どうするべきかと悩んでいると、後ろからそのような声がかかった。
「イサギさんが砦で農園を作るって聞いたから、何か役に立てることがあるんじゃないかと思ってね」
振り返ると、ダリオとシーレだけでなく、プルメニア村にいた女性の獣人たちが大勢やってきていた。
恐らく、ケルシーをはじめとする村人たちが到着したのだろう。
「ダリオさん、シーレさん! それに村の皆さん!」
「プロの料理人ってわけじゃないけど、私たちでよければ力になるよ!」
「私たちのこともドンドン使ってくれていいから!」
「ありがとうございます。では、ここにある強化食材を使って、携帯食料を作ってくださると助かります」
「ただしできるだけ食材の効果を薄めないようにお願いいたします」
メルシアが強化食材の資料をシーレに渡しながら詳しく説明し、要望を伝える。
「わかりました! やってみます!」
「できるだけやってみる」
強い意気込みをみせるダリオと、クールに返事をするシーレ。
これなら問題なく作業に取り掛かることができるだろう。なんなら俺が作るよりも料理人であるシーレとダリオが指揮をとって作った方がいいものができるかもしれないな。
農園や強化作物の方は皆に任せることにして、俺は砦の仕上げ作業に取り掛かるのだった。
砦の仕上げ作業を行っていると、ケルシーをはじめとする多くの村人たちが到着していた。
荷台の中には農園で作った食料や、武器、医薬品などの類が多く積まれており、それらが砦の内部へと運び込まれていく。
「うん、内部の動線は問題ないみたいだ」
「そうですね。今のところ村人から不満の声は上がっておりません」
レギナが指摘した通りに内部を改装したところ、村人たちはスムーズの内部で動き回れている。こうやって物資を運び込んでいても人がぶつかり合うことや、詰まることがなかった。やっぱり、実際に砦を見て回ったことのある人の意見は違うな。
「今のうちに防壁の仕上げに移っちゃおう」
問題なく村人たちが動き回るのを横目に、俺とメルシアは砦の外にある防壁へ移動。
「メルシア、魔力鉱を」
「はい」
メルシアがマジックバッグから取り出した魔力鉱を手渡してくれる。
俺は魔力鉱を手にすると石材でできた防壁へと押し付ける。
そのまま錬金術を発動させると、魔力鉱はずぶずぶと防壁に埋まっていく。
魔力を込めながら防壁に馴染ませると、薄灰色だった防壁が鈍色になった。
魔力鉱が馴染んだ証だ。
「メルシア、少し叩いてみてくれる?」
「わかりました」
声をかけると、メルシアはこくりと頷いて防壁に近づく。
半身になって腰を落とすと、彼女は鋭い踏み込みをして右ストレートを叩きつけた。
ガイイインッと甲高い音が響き渡る。
魔力鉱は魔力を練り込むことで硬度を増幅させる効果のある鉱石だ。
ただの石材に混ぜるだけで防御力を大幅に上昇させることができる。
……はずなのだが、強化したばかりの防壁にはメルシアの拳の形にくっきりと凹んでいた。
「えっ!? 強化したのに凹んでる!?」
「申し訳ありません。先ほどの強化作物を食べたお陰で少し力が入ってしまいました」
「あ、ああ。そうだった」
そういえば、ついさっき強化作物を食べたお陰でメルシアの身体能力も向上しているんだった。ただでさえ、力が強いメルシアをさらに強化すれば、魔力鉱を混ぜ込んだ防壁が凹んでもおかしくはないか……って、いやいや、錬金術で石材を圧縮し硬質化した防壁に魔力鉱まで練り込んだんだ。いくら身体能力の強い獣人だからってこんなのはあり得ない。
そう思いながら俺は腰に佩いている護身用の剣を手にし、防壁に叩きつけてみる。
すると、キイインッという音を立てて、護身用の剣が折れてしまった。
これも錬金術で作り上げたそれなりにいい剣なのだが、強化防壁の前ではあっけなく潰れてしまった。
「普通はこうだよね」
「はい。これぐらいの硬度があれば、帝国の魔道具の一撃にも十分耐え得るかと」
つまり、メルシアの一撃は帝国の魔道具よりも強力ってことになるのだが、深く考えるのはやめておこう。
錬金術でメルシアの手形のついた凹みを修復しながら余計な考えを斬り捨てる。
「とりあえず、こんな感じでドンドンと防壁を強化していこう」
「はい」
メルシアから追加の魔力鉱を受け取り、錬金術で防壁へと注入し、魔力で馴染ませる。
ライオネルやワンダフル商会からたくさんもらっているので、遠慮なく使わせてもらおう。
魔力鉱を手にし、ひたすらに防壁を強化していく。
作業自体は単純で消費魔力も少ないのだが、何分防壁の範囲が広いので時間がかかる。
だけど、地味にそれを行っていくしかない。こういう時に俺以外の錬金術師がいれば、安心して任せられるのだがいないものをねだっても仕方がない。
俺とメルシアは砦の内部を周回するようにして防壁の強化に務めた。
「ふう、ようやく終わった」
「これで砦の防壁はより強固になりましたね」
ひたすらにそんな作業を繰り返すこと二時間ほど。
俺とメルシアは砦の外を囲う防壁をすべて強化することができた。
砂、石、岩で構成されており、薄灰色だったり、薄茶色をしていた防壁は、魔力鉱が混ざったせいか一面が鈍色になっていた。砦らしさが随分と増したと思う。
「さて、次は村人たちの武具の作成に取り掛かろうか」
「その予定でしたが、先にイサギ様の工房を作りましょう」
「先に俺の工房を?」
「はい。村人の中には鍛冶師もおります。素材は潤沢にありますので武具の作成は職人に任せましょう。職人たちには既にその方向で話を通しております」
「でも、俺が作った方が早いよ?」
「イサギ様の体力と魔力は有限です。強化作物のように他の者に任せられるものは、他の者に任せてしまいたいと思います」
きっぱりと告げるメルシアであるが、それは俺の体調を案じているというのがよくわかった。
確かに俺一人でできることに限界があるからね。
武具の作成については職人たちが作り上げたものに、俺が錬金術で加工することによって作り上げることができる。
時間はかかってしまうものの俺自身の負担はかなり少ない。そう考えると、メルシアの提案はありがたいものだった。
「わかった。ならメルシアの言う通り、工房の作成を優先することにするよ」
「ご理解頂きまして恐縮です」
そんなわけで防壁の強化を終えると、俺とメルシアは砦に入って工房を作ることにした。
砦内部に俺の工房を作っておくことは最初から決めていたので、どこに作るか迷うことはない。
錬金術を駆使して、自分好みの空間へとカスタマイズ。
基本的な間取りはプルメニア村にあるものとほぼ同じだ。その方が使いやすいからね。
空間が出来上がると、マジックバッグからテーブルやイス、ソファーなどを取り出し、錬金術に必要なビーカー、瓶、魔道具、錬金釜、棚、素材などを片っ端から設置。
これで俺の工房が完成だ。
「やや無骨であるのが不満ですね」
「まあ、砦の中だから仕方がないよ」
メルシアが納得のいかなさそうな顔をしている。
内装に拘りのあるメルシアからすれば、あまりにも無骨な室内を見るとリフォームしたくて仕方がないらしい。
「観葉植物と花瓶を置くのはどうかな?」
「イサギ様がそのようなことをおっしゃるとは驚きです」
なんて提案をすると、メルシアが目を丸くしながら言う。
「どんなに余裕がない時でも、すぐ傍に自然物があると安心できるからね。プルメニア村で生活するようになって気付いたことの一つなんだ」
「……そうですか」
そして、そのことに気付かせてくれたのはメルシアなので感謝の気持ちしかない。
工房の隅に観葉植物を置き、テーブルの上に花瓶を置くと、無骨な室内が少しだけ華やかになった。
生活感が出たことに満足していると、工房の入り口からゴンッという音が響いた。
「イサギ、メルシア! あたしよ!」
「手が塞がっているんだ。すまないが扉を開けてくれないかね?」
どうやらレギナとケルシーが何かを手にしてやってきたらしい。
声を聞いて、メルシアがすぐに寄っていき扉を開けてくれた。
「わっ、もう工房ができてる」
「ちょうど今作り終わったところだよ」
「だったらちょうどよかったわ。村にあった武器を強化してもらおうと持ってきたの」
中央にある大きな台座にやってくると、レギナとケルシーは抱えていた武器をそこに乗せた。剣、大剣、弓、槌、槍、斧といった様々な種類がある。
普通の鉄でできたものもあれば、魔力鉱、鉄鉱石、鋼などが混ぜられたものもあった。
「中には長年納屋に仕舞われていて使われていなかったものもあるのだが、大丈夫そうだろうか?」
「これなんかは少し錆びていますが、魔力鉱で構成された立派な剣ですね。錬金術で補修してやれば、問題なく使用することができますよ」
「本当か!」
マジックバッグから魔力鉱を取り出すと、錆びた剣を手にして錬金術を発動。
錆の成分を抽出し、老朽化していた部分を除去。代わりに不純物を取り除いた魔力鉱を織り交ぜてやり整形。魔力がしっかりと馴染むと、鈍色の光を放つ魔力鉱の剣が出来上がった。
「こんな感じですね」
「すごいわね! 錆びた剣がまるで新品のようになったわ!」
「さすがはイサギ君だ。他にも武器は鍛冶師の人が作ってくれている。出来上がり次第、強化をお願いしてもいいかね?」
「ええ、ドンドンと持ってきちゃってください」
ゼロから整形して作るとなると、時間もかかる上に魔力も多く消費するが、元からあるものを強化、再利用、補修するくらいなら負担も遥かに小さい。
この程度の作業であれば、半日で百本以上は作れるだろう。
「わかった。そのように伝えておこう」
そのことを伝えると、ケルシーは軽快な足取りで工房を去っていった。
忙しいレギナも一緒に戻るかと思っていたが、彼女は難しい顔をして立っていた。
何か言いたいことや相談したいことがあるのだろうか?
こちらから尋ねようか迷っていると、レギナは深呼吸をして口を開いた。
「……イサギ」
「なんだい?」
「迎撃用の魔道具を作ってくれないかしら?」
レギナのその言葉に俺の心臓がドクリと大きく跳ねた気がした。