俺たちの目の前にはプルメニア村に住んでいる獣人たちが集結していた。

獣人たちによる遠吠えのバトンはきっちりと村の端まで届いていたようだ。

俺の農園で作業してくれているネーア、ラグムントをはじめとする従業員や、農園カフェで働いてくれているダリオとシーレも来てくれている。

他にも農作業をしていた獣人族の家族、夜行性なのか眠気眼をこすって寝間着姿で来ている村人もいた。

こんなにも村人が集まるなんて宴の時以来だ。

「俺、非常時の遠吠えをしたの初めてだ!」

「俺もだ! 最高に気持ちよかったよな!」

「魔力を込めて思いっきり吠えてやったわよ!」

非常時の招集にもかかわらず、村人たちは賑やかだった。

ケルシーが言っていたように思いっきり遠吠えができたことにより高揚しているらしい。

「……皆、すごくソワソワしてるね」

「思いっきり叫びたいと思うのは獣人族ならば、誰もが持つ欲望ですから」

「そうなんだ」

じゃあ、メルシアも思いっきり遠吠えしてみたいとか思うんだろうか? 

クールなメルシアにそんな欲望があると思えないけどなぁ。

「にしても、このままじゃケルシーさんの話ができないね」

まだ遠吠えの興奮が残っているのか、村人たちはあちこちで好きに会話をしている。

中には静かにするように声を上げている者もいるが、焼け石に水だ。

ざわざわとした声があちこちで響いており、壇上にケルシーが上がっているのに話をするどころじゃない。

「……イサギ様、音玉を放り投げてくださいますか?」

「あ、うん。わかったよ」

音玉というのは俺が錬金術で作った、音を拡散させるアイテムだ。

聴覚の鋭い獣人が炸裂音を耳にすれば、結構な衝撃になると思うのだが、メルシアの有無を言わせない迫力に俺は素直に頷いた。

マジックバッグから音玉を取り出すと、俺はそれを宙へと放り投げる。

本来は聴覚の鋭い魔物などを怯ませるためのアイテムだが、直接投げつけると音で失神してしまう可能性があるためにできるだけ宙高くへと放り投げ、錬金術で起動させた。

音玉は宙で炸裂し、周囲に大きな音を撒き散らす。

強烈な甲高い音を耳にし、獣人たちの多くが身体を震わせて反射的にこちらを向いた。

「皆さん、話を聞く準備はできましたか?」

シーンッと静かになる中、メルシアの冷ややかな声が響き渡る。

メルシアから静かな怒りを感じたのだろう。集結した村人たちは首が千切れるんじゃないかと心配するほどの勢いで縦に振った。

「どうぞ」

「あ、ああ」

娘の迫力に驚きつつも壇上に上がっていたケルシーは咳払いし、非常招集をかけた経緯を話した。

帝国が獣王国へ侵略しようとしていること。その狙いが大農園である可能性が高く、プルメニア村へやってくるかもしれないことを。

突然の情報に村人たちは困惑を露わにする。

プルメニア村は戦争といったものとは無縁だったとメルシアから聞いた。

こんな事態に直面するのは誰もが初めてだろう。

「この情報は獣王ライオネルも認めており、第一王女であるあたしがここに派遣された。これで嘘や冗談じゃないってわかるわよね?」

壇上に王族であるレギナが上がりながら言うことにより、村人たちにも実感が得られたようだ。

「私は戦うぞ」

ざわめきが広がる中、ケルシーの声がハッキリと響いた。

「ここは私たちの生まれ育った村であり故郷だ! イサギ君やメルシアの活躍で大農園が出来上がり、皆で協力してようやく豊かになったんだ! 帝国などに奪われて堪るものか!」

「そうだ! オレも戦うぞ!」

「帝国が攻めてくるからといって尻尾巻いて逃げられるかっての」

「ここは私たちの村だもの! 戦うわ!」

ケルシーの覚悟を聞いて、村人たちが勇ましく声を上げた。

血の気の多い男性はともかく、老人、女性、子供までも呼応しているのはどういうことか。

「待ってください。俺たちには戦うだけじゃなく逃げるという道もあります! 皆さんの命は一つなんです。建物や大農園と違って作り直すことはできません。一旦退避して、もっと大きな街で立て直すという手もあります!」

俺たちの本来の役目はプルメニア村に帝国を寄せ付けないように防衛線を築くこと。

この発言は俺たちの目的やライオネルの命に背くことになるが、一つの盲目的な意見だけで行動を決定してほしくはないと思った。

「でも、大農園を奪われれば、帝国は益々勢いづくことになり侵略は獣王国全土に広がることになるわ」

「大農園は俺の錬金術で潰すこともできます」

大農園は俺が作物に改良を加えたものだ。どこに手を加えれば、壊れるかも熟知しているので潰すのにそう時間はかからないだろう。

大農園が無くなれば敵の手に渡ることはないし、目的を見失った帝国が撤退する可能性もある。

「イサギ君、俺たちのことを案じてくれるのは嬉しいが、それはできない話だ」

「どうしてです?」

「矜持の問題だ。生まれ育った故郷を捨てて逃げるなんてことはできない。作り直せるとかそういう問題じゃないんだ」

他の獣人たちも気持ちは同じなのか反対意見が上がることはなかった。

「私もイサギ様と同じ案を考えましたが無理だと思いました。それが獣人という種族なのです」

「そ、そうなんだ」

「それに別の街に退避しても、帝国がさらに侵略してこない保証はありません。いえ、むしろ成果を求めてより深く侵略を仕掛けるでしょう。だとしたらなおさら弱みを見せることはできないと思いました」

確かにメルシアの言う通りだ。長年、帝国にいたからこそしっくりくる。

大農園が無くても獣王国には豊富な自然と広大な土地がある。

侵略によって繁栄してきた帝国がそれを狙わずに撤退するなど、俺たちの都合の良い希望でしかなかった。

「すみません。皆さんの矜持を侮辱するようなことを言ってしまって」

「いや、イサギ君が私たちのことを想って言ってくれているのはわかっているからな。それを怒るようなことはしないさ」

「ありがとうございます」

「それよりも私はイサギ君が心配だ」

「俺ですか?」

「帝国はイサギ君の故郷だ。同郷の者と矛を交える覚悟はあるのかね?」

これから戦争になるかもしれないということは、帝国にいた顔見知りや同じ人間族と命を奪い合うことになるということだ。

今までのように魔物を退治するのとはワケが違う。

獣王都から情報を持ち帰るのに精いっぱいで肝心の覚悟が抜けていた。

俺に人の命を奪い、奪われるかもしれない覚悟が備わっているのか。

「俺は戦争に参加したことがないので覚悟があるのかと言われるとわかりません」

俺は宮廷で軍用魔道具の作成などに従事していたが、実際に戦争に参加したことがあるわけでもない。

実際に命のやり取りが発生したら怯えるかもしれない、逃げ出したくなるかもしれない、混乱するかもしれない、動けなくなるかもしれない。

「だけど、一つだけ心で決まっていることがあります。それは大好きなプルメニア村を守りたいって気持ちです」

帝国に見捨てられて行く当てのなかった俺をメルシアはプルメニア村に誘ってくれた。

村長であるケルシー、シエナをはじめとする多くの村人たちが俺を受け入れてくれた。

メルシアが支えてくれたお陰で長年の夢だった錬金術による農業が完成し、大農園を作り上げることができた。ネーア、ラグムントといった従業員や多くの村人が協力してくれたお陰で大農園は経営ができ、販売所、農園カフェといった施設まで作ることができた。

こんなにも充実し、幸せな生活を送れたのは生まれてから初めてだ。

「もはや、俺にとってプルメニア村は帝国以上に大切な場所であり、故郷です。皆と気持ちは同じで村を失いたくありません。それにここはメルシアの故郷です。大切な彼女の悲しむ顔は見たくないですから」

そんな素直な気持ちを伝えると、村人たちから大きなざわめきが起こった。

ただ単に一人の男が戦う覚悟を決めた言葉にしては、妙に雰囲気が明るいというか浮ついた感じだ。

「え? なんか異様に盛り上がっている? なんで?」

「…………」

メルシアに尋ねてみるが、彼女は顔を真っ赤にして俯いてしまっている。

耳や尻尾もへにゃりとしており、明らかに正常な様子とは思えない。

一体、どうしたというんだろう?

レギナに視線をやると、彼女は呆れた様子で肩をすくめていた。

周囲の村人やメルシアの反応に理解ができずいると、荒々しい動作でケルシーが歩み寄ってきた。

「……イサギ君、うちの村のために戦う覚悟を決めてくれたのは大変嬉しいが、どさくさに紛れて愛する娘を口説くとはどういう了見かね?」

「えっ? メルシアを口説く? 別に俺はそんなつもりで言ったわけじゃッ!」

「どうやら帝国と戦争をする前に、イサギ君と戦う必要がありそうだな!」

「はいはい、その戦争はまた今度にしてくださいね」

ケルシーが暴れ出しそうになったが、妻であるシエナさんが後ろから羽交い絞めにして退場させる。

「離せ、シエナ! 敵が! 倒すべき敵が目の前にいるんだ!」

「落ち着いてください。その敵はいずれ身内になりますから」

ケルシーを宥めるためのシエナの言葉がちょっとおかしい。

「あ、あの、メルシア」

「だ、大丈夫です。イサギ様が天然だということはよくわかっていますから」

おずおずと声をかけると、メルシアが慌てたように顔を背ける。

なにが天然なのか意味がわからないが、顔を背けられるとショックだ。

「少しだけ時間をください。それで落ち着きますから」

「う、うん。わ、わかったよ」

俺はメルシアが落ち着くまで話しかけるのをやめておくことにした。