九.投獄
眼が覚めると、知らない部屋にいた。部屋というより牢屋、だろうか。
床も壁も天井も薄汚れた剥き出しの石でできており、私の足には冷たい鉄の足枷が巻かれ、鎖に繋がれていた。
ひどく寒かった。ドレスの裾を足に巻きつけるようにして、膝を抱え座り直した。
両手で肩を抱きしめて震えを堪え、必死に気を失う前の事を思い出す。
ジョシュはどうしただろう。ロウとユリウスは魔女の書を見つけられただろうか。
「気が付いたか?」
誰もいないと思っていたら、格子の向こうの暗がりに誰かがいたようだ。
目を凝らせば、エドガー王子が椅子に座って足を組んだ状態でこちらを見ていた。
「王妃に聞けば、お前の事は知らないそうだ」
それはそうだろう。私も知らなかったのだから。
「何か目的があるのか?ただの他人の空似とは思えん。それに、その目は魔族か?」
魔族、という言葉にビクンと心臓が跳ねた。
目?エドガー王子は何故私を魔族と思ったのだろう?
「・・・」
何も答えられず黙っていると、王子は椅子から立ち上がり、格子の側まで来て言った。
「魔族である事が証明されれば、ジョシュ・バークレイ共々焚刑に処す」
ジョシュまで?
「何故? どうして私たちが処刑されるんですか?何も悪い事なんてしていないっ」
重い鎖を引き摺って格子の側に寄った。私と王子の間にある鉄の格子は、私の震える手で掴もうとも、僅かに揺らぐ事もない。
王子は冷たい目で私をじっと見据えて言った。
「おまえ、自分がどんな顔をしているか知っているか?
ネイドリルと瓜二つな顔で王宮に現れるとは。王妃にとって代われるとでも思ったか?
残念だったな。そんな血のような赤い目の人間はいない」
「それならジョシュは関係ないでしょう?」
王子の言った赤い目という言葉に引っかかるが、それよりもジョシュまでが処刑されるのを黙っている事は出来ない。
「ジョシュ・バークレイか。彼奴の事は以前から疑っていたのだ。この機に確かめてやる」
王子の冷たい目に挑むような光が灯り、伸びた手が私の頤を捉えた。
ぐいっと上向かされ、王子の顔が間近に迫る。
「覚悟しておけ。洗いざらい吐かせてやる」
拷問を受けることになるのだろう。背筋が震え、かろうじて立っていた膝がついに崩折れた。
このまま私がここで死んでしまったら、ジェスリルが守ってきたモノはどうなってしまうのだろう。
それに私のせいで、ここまで頑張ってきたジョシュも、彼の帰りを待っているモリスさん達も、みんなが悲しむことになる。
挫けている場合ではない。
必死に唇を噛み締め、震える足をギュッと抓って何とか立ち上がった。
「私が人間だと証明できたら、ジョシュも解放してください。無実の罪で人を裁くような方ではないと信じます」
私の言葉に、王子は口許に薄っすらと笑みを浮かべた。
「いいだろう。陪審員がおまえを無実だと判断するとは思えないがな。せいぜい頑張ってみろ」
王子はそれだけ言って立ち去った。後には、見張りの兵士らしき男性が残っている。
私は冷たい壁に身を預け、そこにしゃがみ込んだ。
私は人間だ。無実が証明されるに違いない。そう信じて恐怖心を振り払った。
どれくらい時間が経っただろう。
聞き覚えのある仔猫の鳴き声がしたような気がして、辺りを見回した。
牢の中は殆ど明かりがささず、隅の方まではよく見えない。
目を凝らしていると、二つの目が闇の中で光った。猫の目だ。
「ユリウス?」
柔らかな毛が腕を撫でた。
「エリル、大丈夫?僕が助けるから心配しないで」
ひそめたユリウスの声に安堵して、思わず涙が一雫溢れた。
やはり暗い牢の中に一人いることの不安と恐怖は、どんなに抗おうと次々湧いてきていた。
そこに現れた仲間の存在に、張り詰めていた心がふるりと揺れた。
ユリウスが膝の上に乗り、前足を私の肩に乗せるようにして、ペロリと頬を舐めた。
涙を拭ってくれようとしたようだ。
「ありがとう、ユリウス。ジョシュはどうなったの?ロウは無事?」
聞きたい事がたくさんあるが、見張りがいるためあまり声は出せない。
ユリウスを腕に抱き、なるべく奥の方へ移動した。
ところがユリウスは腕の中でビクンと体を引きつらせたかと思うと、私の腕から転がるように床に降り、人の姿になった。
キラキラと輝く瞳、薄っすらと全身から輝きを放つ姿は、この場に全くそぐわない美しさだ。
私は慌てて、兵士の視界からユリウスを隠すように体の向きを変えた。
「エリル、本当だ。君の涙は・・・」
ユリウスは少し大人びたように見えた。花のほころぶような笑顔を浮かべ、私の頬に手を添える。
兵士が異変に気付いてこちらに寄ってきたため、ユリウスは口を噤んで身をひそめた。
いつの間にか猫の姿に戻り、完全に闇に溶け込んだ。
兵士は牢の中を伺い、異変が無いと確認し、すぐに戻っていった。魔物かもしれないモノに、あまり近寄りたくないと思っているようだ。
「ロウも近くにいるよ。ここを抜け出そう」
「ダメ。私が無実を証明しないとジョシュが困ることになる。ただ逃げるだけじゃダメだよ」
せっかくジョシュが築いてきたものが、ここで逃げてしまえば、全て水の泡になってしまうだろう。
「無駄だよ。たとえエリルが人間だって証明できたとしても、王妃とそっくりなエリルを生かしておくわけないよ。ジョシュだってすでに目を付けられてたんだ。もう引き時だよ」
ユリウスは闇の中から出てきてそう言うと、再び人間の姿になった。今度は光ってはいないが、以前より背が伸びている。可愛らしい少年のようだった顔立ちも、精悍な青年へと変貌している。
「ユリウス、大きくなってない?」
「エリルのおかげだよ。魔力量が増えて成長できたんだ」
にっこり微笑むユリウスに私は首を傾げる。
「エリルの涙はすごい力を持ってる」
ジョシュが以前言っていたのと同じことをユリウスも言った。
赤い目に、力を秘めた涙。
私本当に人間だと証明できるんだろうか?
「ここにいたら間違いなく拷問を受けて火あぶりにされるよ」
私は悩んだ末に、ユリウスの言葉に従い一旦ここを出ることを決意した。