八.夜会
ネイドリルのお披露目パーティの日がやって来た。
ジョシュが嬉々として用意してくれた、深紅の天鵞絨のドレスはとても可愛らしい。初めての社交界ということもあって、私はドキドキと胸を高鳴らせていた。
「エリル、とても似合っているよ。薔薇の妖精のようだ。いやそれ以上だ。月の女神も恥ずかしくて今夜は出てこれないだろう。
あぁもっと早くこの姿を見たかったよ。なんて可愛いらしいんだろう?
モリスもそう思うだろう?」
ジョシュは目を細めて、私を見るたびにかわいい、綺麗だと褒めてくれるが、私は居心地悪くなって、その美辞麗句から逃げだし、やってきたロウの背に隠れた。
ロウは呆れたようにジョシュを見たあとに私に向き直り、しばらく黙っていた。
どうしたのかと首を傾げると、ロウは片手で自分の顔を覆い、絶句している。
なんとなく顔が赤くなっているような気がして、具合が悪いのではないかと心配したが、すぐにぎゅっと抱きしめられて、頭が真っ白になってしまった。
「・・・かわいい」
耳元にロウの囁き声が降ってきて、胸がキュッとなった。
「こら、スケベ狼っ、エリルから離れろ!」
「旦那様、落ち着いてくださいっ」
そんな遣り取りがロウの後ろでされていたが、私はしばらくの間、ロウに抱きしめられていた。
ユリウスは猫の姿になって、王妃の部屋があるという南の塔へ向かう。
ジョシュと私は招待客として、堂々と正面から入る。
ロウは庭から入って、パーティ会場まで来ることになっていた。
王宮に着くと、ジョシュに手を引かれて馬車を降りた。赤い絨毯の敷かれた石段を登り、立派な建物へ足を踏み入れる。
「あら、あなたエリルじゃない?」
大広間に入ってすぐに、ピンク色のドレスの少女に突然名前を呼ばれた。まさか私のことを知っている人に会うなんて、思ってもみなかった。
「アビーよ。覚えてない?」
ふと、学校に通っていた頃、ロウを追い掛け回していた少女の事を思い出した。「変わり者同士、お似合いよ!」私とロウにそんなセリフを投げつけ、泣きながら走り去って行ったのが、今目の前にいる赤毛の少女だ。
「エリル、こちらのご令嬢と知り合いかい?」
ジョシュも驚いているようだ。私はその子の名前を思い出した。
「アビー ・ダルトリー?」
アビーは、「そうよ」とツンと顎を上げ、ジョシュに向き直った。
「アラン・ダルトリーの娘、アビーと申します。
バークレイ伯爵ですわね。お会いできて光栄ですわ。
私、エリルの友人ですの。
エリルを少しの間お借りしてよろしいかしら?」
アビーは私に初めてできた人間の友達だった。最後はよく分からない別れ方をしてしまったが、私も久しぶりに彼女と話してみたかった。
「エリル大丈夫かい?」
心配そうな様子のジョシュに頷き返し、少しだけ話をする時間を貰うことにした。
「エリル、私も少し挨拶してくるから、終わったらそこのテーブルで待っていてくれるかい?」
ジョシュの指差す方にテーブルとソファーが置いてあるのが見えた。私はその位置を忘れないように記憶して頷いた。
「分かったわ。いってらっしゃい、ジョシュ」
心配そうに振り返りながら去って行くジョシュを見送っていると、アビーが勢いよく迫ってくる。
「ちょっとエリル、何であなたがバークレイ伯爵と親しくしてるのよ??」
「バークレイ伯爵は遠縁なの」
私とジョシュは遠い親戚で、ジョシュが田舎から出て来た私を預かっているということにしている。
「そうなの。
私はね、王妃様付きの侍女として王宮に上がることが決まってるの。
そこで王子様に見初められる予定だから!あなたになんて負けないわよ」
聞いてもいないのに、一方的にしゃべって、しかもライバル視してくるところはちっとも変わっていない。
そして、思わぬところで王妃様の話が出たことに驚く。王妃様ということはネイドリルの侍女になるということなのだろうか。
「王妃様の侍女?」
「そうよ」
アビーは胸の前で手を組み合わせ、キラキラと輝く瞳で語る。
「王妃様の占いはそれはよく当たると評判なのよ!
うちのお母様は王妃様に占っていただいたことがあるのよ。お母様も、あまりにその占いがよく当たるんで驚いてらしたわ。
私もお願いしてみるつもりよ。占いってなんだか楽しそうでしょ?」
「えっ?そ、そうね。
もう、王妃様にお会いしたの?」
「まだよ。今日ご挨拶するのよ」
「・・・私も王妃様にお会いできないかな」
「王妃様に私からお願いしてみてもいいわよ?」
「本当?」
「その代わり、私のお願いも聞いてくれる?」
アビーに手を引かれ、広間の中程へ進んでいくと、一際華やかな集まりがあった。
煌びやかなドレスの若い女性たちが取り囲んでいるのは、一人の男性だった。
「あの方がエドガー王子よ」
エドガー王子はアームスデン王と、お亡くなりになられた前王妃様との間にできた王子だそうだ。
アビーのお願いは、エドガー王子とダンスができるように手伝って欲しいというものだった。
たくさんの女性に囲まれた王子様には近寄るのも難しそうだ。
私は一旦ジョシュの元へ戻る旨をアビーに告げ、踵を返した。
その時、後ろから誰かに声をかけられた。振り返ると全く見たことのない男性だった。
男性というより、男の子と言った方がいいだろうか。背は私より少し高いくらいで、差し出された手は丸々としている。
ダンスの誘いだと分かったが、今はジョシュのところに戻るのが先なので、お誘いは丁重にお断りした。
ところが、自分が断られるとは思っていなかったのか、丸い手が強引に私の手を握り、引っ張っていこうとする。
抵抗したはずみで、側にいた女性にぶつかってしまい、彼女の持っていたグラスから赤い液体が跳ねて、彼の肩を濡らした。
私の手を掴んでいた男の子は、みるみる顔を赤くし、服を汚された事で私を責める権利を得たとばかりに私を罵倒し始めた。
まずいな、と思った時には、振り上げられた手が、私の頬に打ち下ろされるところだった。
ギュッと奥歯を噛んで身構えたが、素早くその手を掴んで止めてくれた人がいた。
華やかに輝く金髪に、理知的なグレーの瞳、軍人のように鍛えられた体をした、エドガー王子だった。
「女性に手を挙げるとは、見過ごせないな」
「しかしこの女がっ」
言い募ろうとするが、王子は軽く片手を振って近くにいた護衛らしき人を呼び寄せた。
丸い手の男の子は、二人の男性に両脇を抱えられるようにして、広間から連れ出されて行った。
あっと言う間の出来事に唖然としていると、王子は私に向かって、大丈夫かと尋ねる。
なんとかお礼の言葉を述べて退こうとしたが、何故か王子は私を見て、驚いたように息を飲んだ。
「エリルっ」
名前を呼ばれて声のした方を振り返れば、ジョシュが足早にこちらへやってくる所だった。私がいることに気付いてくれたようだ。
ちょっと離れた間に騒ぎを起こしてしまったことが申し訳ない。
ジョシュに肩を抱かれ、その場を離れようとしたが、王子に二の腕を掴まれた私は、二人の間で引き合われ動けなくなった。
「一曲、お相手願おう」
王子は私を射抜くような鋭い目で見下ろしている。掴まれている腕は痛いほどで、私はどうしていいか分からず、ジョシュを見上げた。
「初めての夜会で緊張しているようで、ご無礼をいたしました。どうぞダンスはご勘弁ください」
「一曲だけだ。ジョシュ・バークレイ」
ジョシュは少し考えて、私の肩から手を離した。
相手が王子では仕方がない事だろう。
一曲踊るだけだ。
心配そうなジョシュの視線が追いかけてくるのを感じながら、私は王子と向かい合った。
王子は私の手を取り直し、腰を引き寄せる。
王子のリードは素晴らしく手慣れていて、ダンスの苦手な私でも、すぐに曲に乗ることができた。
何も考えず一曲だけ踊り切ろう。
「王妃の親族か?名前は?」
何故、王妃の親族か、などと聞くのだろう。
質問の意図が分からず困惑していると、王子は私に左手の方を見るように言った。
王子の示す先には王族の座る席があった。赤いマントを羽織ったアームスデン王の隣には、今日の主役である王妃であろう、黒髪の少女がいた。
私は驚きのあまりダンスのステップを忘れ、よろけて王子の胸にぶつかった。
ひどく混乱していて、どうしていいか分からない。
そこには私にそっくりな少女がいた。輝くティアラを被り、純白のドレスに身を包んだ少女の顔は、鏡で見る自分にそっくりだった。
心臓がドキドキと音を立て、めまいがして立っていられなくなった。
何かの本で、自分にそっくりな人に会ったら死ぬという話を読んだことがる。
そのせいか、言い知れぬ恐怖が背中を這い上がった。
そもそも王妃、ネイドリルはジェスリルの妹で、ジェスリルがネイドリルの顔を知らない筈はない。
なのにそんな事は一言も・・・
いや、ジェスリルは私が館を出る時言っていた。「ネイドリルに会ったら、今までのおまえではいられなくなるだろう。それでも行って、取り戻して来て欲しい」と。
ズキズキと目の奥が痛んだ。体が急速に冷え、震えだす。
「おい、どうした」
王子は私を支えながら、顔を覗き込み、再び息を飲んだ。
私はぼんやりと王子の顔を見つめ、意識を手放した。