三.魔女と吸血鬼
目が覚めると、まだ外は暗く、雨音も続いていた。
眠る前ぐちゃぐちゃだった頭の中は、少し落ち着いていた。
ジェスリルの代わりが私に出来るはずはない。だけど、私が拒む事でロウやジョシュたちが困るのも嫌だ。ジェスリルの妹がどんな人かも知らずに、私が魔女の力を受け継ぐのも何か引っかかる。
だからすぐに答えは出せない。
もっと知るべき事がたくさんある。
それに、一度ここから出て、ジェスリルの元を離れてみよう。
私はそう決意してベッドから降りた。
二階にある自分の部屋を出て、一階のダイニングへ行くと、ジョシュが一人、席についていた。ジョシュの前には赤い液体の注がれたグラスがある。
それが何か、私は知っている。
ジェスリルの血だ。
ジョシュがここにやってくるのは、ジェスリルに血を分けてもらうためだ。人間の血だとすぐに空腹になってしまうが、魔女の血ならグラス一杯で、三カ月程持つのだと聞いたことがある。
それに、太陽の光に弱い吸血鬼族のジョシュが、伯爵として人間の世界で生きて行けるのは、この魔女の血のおかげなのだ。
そこで気付いてしまった。ジェスリルがいなくなれば、ジョシュも人間界で生きるのが難しくなる事に。
「エリル、具合はどうだい?まだ夜中だけれど、眠れないのかな?」
ジョシュが席を立って私のそばに来ると、心配そうに肩を抱いて椅子に座らせてくれた。
「ジョシュ、お食事中にごめんなさい。ちょっと話があって」
ジョシュは私の向かいの席に座ると、テーブルの上で手を組んで、じっと私を見た。
ジョシュの返事を待って、私も彼を見つめ返した。
ジョシュは少し何か考えて一つ頷き、グラスを手に取った。
「これが何か知っているね?」
「知っています」
「飲んでもいいかな?」
「もちろん、どうぞ」
ジョシュは浅く笑ってグラスを傾けた。
飲み干して目を閉じ、ナプキンで口元を拭う。グラスを持つ手の指先で、ジョシュの綺麗に整えられた爪が鋭く尖って伸びた。
再び目を開けると、いつもは澄んだブルーの瞳が真っ赤に染まっている。口元に酷薄な笑みが浮かび、知らずぞくりと背中が泡だった。
「この姿を見てどう思う?」
ジョシュがそう問いかけてきた。
答えを探す私に、怖いかと聞く。
ジョシュの初めて見る姿に、確かに一瞬恐怖を感じたかもしれない。
けれど、落ち着いた声音も、私を見つめる眼差しもいつものジョシュと変わりない。
「この世界で生きて行くのは辛くないの?」
質問に質問で答える形になってしまったが、ジョシュの姿を見れば、これが本来の彼の姿であり、普段の姿は擬態だと分かる。
ジョシュは困ったように眉尻を下げた。
「生きて行くのが辛いモノの方が多いんじゃないかな。我々魔族も、人間もね」
確かにその通りかもしれない。
「私は今この瞬間に、エリルが私を恐れて逃げださなかっただけで幸せだけどね」
蕩けるような笑顔で言って首を傾げる姿にドキンと胸が跳ねた。さらりと揺れる銀の髪。美しい青年姿の吸血鬼は、いつの間にか青い瞳に戻っていた。
「さて、エリルの話を聞こうか?」
「ジョシュも私に魔女になって欲しい?」
一瞬そう言いかけて、言葉を飲み込んだ。困らせるだけな気がしたし、今聞いても仕方ない。
「私、しばらくここを出てみようと思って。
ジョシュのところにしばらく置いてもらえないかな?」
驚きに目を見張ったかと思うと、ジョシュはカタンと珍しく音を立てて立ち上がり、片手をテーブルに着き、一瞬にして私の横に立った。
え、テーブル飛び越えたの、今?
驚いて見上げていると、ジョシュは私を立たせ、おもむろに抱きしめた。
大きな胸の中にぎゅーっと囲い込まれて、次第に苦しくなってくる。
声が出せず、ジョシュの腕を叩いて正気に戻ってもらおうとしていると、急に腕の力が緩んだ。ホッとしたのも束の間、ジョシュが大きな掌で私の頬を包み込むようにして、こちらを覗き込んだ。背の高いジョシュを思いっきり見上げる形で硬直する。
「やっと私のところに来る気になったんだね。この日をどんなに待ち望んだか!」
若干興奮気味のジョシュの様子に、何か誤解が生じている気がする。
そういえば、以前「エリルは大きくなったら、私のところにお嫁に来るんだよ」と言っていたような。
「そ、そうじゃなくてっ」
焦ってジョシュの腕を振りほどこうとしていると、獣の唸り声のようなものが聞こえ、次の瞬間、ジョシュが床に倒れていた。
一匹の銀色狼がジョシュを組み敷いていた。
ロウだ。
ジョシュはすぐにロウを跳ね除けて立ち上がった。
二人は距離をとって睨みあっている。
元々仲が良いというわけでもない二人だったけど、こんな風に争う姿は見たことがなかった。
「危ないからエリルは下がっていなさい」
ジョシュの言葉に、二人が本気で戦い始めそうな雰囲気を感じて、慌てて二人の間に入った。
「喧嘩しないで!」