十九.王意

 アームスデン王に付いて向かった先は、奇しくもあの石造りの建物、救世の女神像がある霊廟だった。
 近衛兵を入口に残し、女神像の前まで来ると、私とその女神像に描かれた女性、ジェスリルを見比べ、何度か頷いて言った。
「やはり、似ているな。
 その方の占いの力といい、救世の女神の再来に違いあるまい」
 王は恰幅のいい体を私の方に乗り出した。それだけで威圧感を感じ、足が竦む。
 眼光にも他者を圧する強さがあり、自信に溢れた声は一国の王としての威厳に満ちている。
 けれど、何処か違和感を感じた。
 救世の女神にこだわる理由は何だろう。
 アームスデン王の治世は概ね平和であり、外交もうまくいっているとのこと。
 近年、魔物が増えたとエドガー王子は言っていたが、救世の女神の再来を待ち望む程のものとは思えない。
 何か他に理由があるのだろうか。
「……占ってくれぬか、前妃ローレンシアの生死を」
 王は抑えた声音でそう言った。
 前妃ということはエドガー王子のお母様だ。確か十数年前に亡くなられたはず。生死を占えとはどういうことだろう。
「ローレンシアは魔物に連れ去られたのだ。魔界では探そうにも手が届かぬ。
 しかし生きているなら救い出したい」
 私は王の目を、その時初めて見返した
 前王妃様を今でも忘れられずにいる、一人の男性の姿がそこにあった。
 王の妃としてのネイドリルの立場なら、この状況でどんな顔をすればいいのか。考えたところで分かるはずもなく、私はしばらく無言で王の顔を見つめていた。
 もし本当に前王妃のローレンシア様が生きているなら、エドガー王子の為にも協力してあげたいと思った。
 けれど、今ここで私に出来る事は何も無い。
「……お時間を、頂きとうございます」
 私は精一杯それだけを、膝を折って口にした。
 王からの返事を待って、永遠にも感じる時間をそのまま動かずにいた。
 王は今すぐにでもローレンシア様の生死を知りたかったに違いない。
 感情を押さえ込んだような瞳が、一瞬だけ切なそうに揺れた。時折寂しげに見える、エドガー王子の瞳によく似ていた。
 それだけローレンシア様の存在が大きかったのだろう。
 そして出来る事ならば、無事に帰ってきてあげて欲しい。
 これ以上人間と魔族の溝が深まらないよう、誰かの恨みや復讐心が大きくならない事を願った。
 絵の中のジェスリルの悲しげな眼差しを見上げれば、同じ事を願ったに違いないと思えた。
「……そうか。難しい事を頼んだな。結果を、……待っておる」
 王はそれだけを言うと、さっと踵を返して部屋を後にした。
 私は一人そこに残され、緊張から解かれると、その場に座り込んだ。
 まだ少し震えている。
 気付かれなかった。
 ほっとすると同時に、王とネイドリルの関係を考えずにいられなかった。
 ネイドリルは王に復讐しようとしている。王はローレンシア様を探す為にネイドリルの力を必要としている。
 親子ほども年の離れた二人の結婚が、愛のあるものではない事は確かだ。
 エドガー王子はネイドリルが復讐を企だてている事を知っている。
 王は本当に気付いていないのだろうか。
 もしかしたら気付いていて、気付かない振りをしているのかもしれない。
 この部屋で二人だけだったさっきの状況なら、ネイドリルは王に何かしたかもしれない。
 ネイドリルにどれ程の魔力があるのかは分からない。
 けれど、ネイドリルが王を殺せば、エドガー王子はネイドリルに復讐するかもしれない。妹を殺されたジェスリルはどうするだろう。そもそもネイドリルの復讐の理由がランスさんが処刑された事にあるなら、ランスさんが生まれ変わってここにいるのだ。復讐を止められるのは私じゃなく寧ろランスさんの方じゃないだろうか。
 考えこんでいると、誰かが部屋に飛び込んできた。
「エリル、大丈夫か? 」
「エリル、無事か? 」
 声が重なる。
 ロウとエドガー王子の二人が、同時に入ってきた。
 二人は私の元に駆け寄り、怪我がないか気遣ってくれる。
 遅れてランスさんとアビーも入ってきた。
 ランスさんはすみませんと謝り、アビーはどう言う事かと怖い顔で睨んでくる。
 私は王との会話を伝え、男性三人を思案顔にさせた。
 特にエドガー王子は、最初は驚いたようだったけど、納得がいったようでもあった。
 アビーも心配してくれたのだろう。あれこれ事情を聞きたそうではあったが、察した上で協力を申し出てくれた。
 これからどうするべきか。考える事が山のようにあった。
 私は自分に出来ることを探して、一つずつやっていくしかない。
 先ずは魔力の解放だ。
 ランスさんを見上げれば、頷き返してくれた。
 アビーを一旦帰し、エドガー王子にはネイドリルの見張りと、王の警護をお願いし、残った三人でまたあの地下の扉を通って新世界へと場所を移し た。
 ロウが少し不機嫌そうなのが気になったが、そっと繋がれた手の温もりに安心して、謝りそびれてしまった。
    
 焦げ茶の癖毛の下に半分隠れた瞳が、何かを求めるように私を見つめ、すぐに逸らされる。
 ロウの指が、私を離さないというようにからめられた。
 いつも守ろうとしてくれているのに、その手からすり抜けてしまうのは私の方だ。
 ロウの横顔を見上げ、心の中でごめんなさいとありがとうを告げた。