十七.決意

「それは出来ない」
 ロウは立ち上がり、エドガー王子に対してきっぱりとそう答えた。
 ジェスリルは魔女の館から出られないのだ。ここに連れてくることはできない。
 エドガー王子を魔女の館に連れて行くこともできない。エドガー王子は魔女狩りを行う立場の人だ。もし館の場所が知られれば、大変な事になるだろう。
 私もロウの言葉に頷いた。
 エドガー王子は眉をしかめ、不機嫌も露わにロウに詰め寄った。
「何故だ?」
 ロウはエドガー王子を冷静に見返し、逆に問うた。
「魔女に会ってどうする気だ? 」
「確かめる。魔女がこちらと魔界を分ける入口の門番だというなら、何故近年魔物は増加している?
 気が変わってこちらの世界を侵略しようとしているんじゃないのか?
 その為にネイドリルを王に嫁がせたんじゃないのか? 」
 それは違う、と叫びたかったが、ロウが先に言葉を発した。
「魔女は約束を違えることはない。
 そちらの理由がどうあれ、魔女に会うことは出来ない」
 熱くなるエドガー王子に対し、ロウはどこまでも冷静だ。その言葉は揺るぎなく、私はロウに任せることにして黙った。
「お前に断る権限があるのか? 」
 エドガー王子は諦める様子がなく、どうしたものかと考えていると、ランスさんが小声で話しかけてきた。ランスさんはエドガー王子とロウの二人からやや距離をとって、私にだけ聞こえる声で言った。
「ネイドリルはエリルさんの奥深くに眠っている魔力を取り戻そうとしています。
 彼女は心の一部と共に多くの魔力を失いました。王に復讐する為に、今それを必要としているはず。
 お願いします。決してネイドリルに取り込まれないでください。
 私は彼女に闇に落ちて欲しくない…… 」
 ランスさんは今でもネイドリルのことを愛しているのだろう。
 復讐を阻止することより、ネイドリルの事を心配している気持ちの方が強いようだ。
 もし、私がネイドリルと一つになったとして、ネイドリルの気持ちを変えることはできるだろうか。
 それとも、私の記憶や人格は消えてしまうのだろうか。
 それはとても恐ろしいことに思えた。
 自分が消えてしまうかもしれない。そして人を殺してしまうかもしれない。
 ランスさんの言う通り、ネイドリルに取り込まれてはいけないと思った。
 でも、ジェスリルは私にネイドリルと一つになって欲しくて、ここに送り出したのではないのだろうか。
 ジェスリルに会って確かめたいと思った気持ちが、不安と恐れに阻まれた。
「ジェスリルはあなたを消すために育てたのではないと思いますよ。ネイドリルを救えるのはエリルさんしかいません。どうか…… 」
 私の不安を察したかのようにそう言って、ランスさんは私に何かを差し出した。
 見れば、それは金色をした小さな鍵だった。
「これはこの霊廟の地下にある扉の鍵です。
 行きましょう。もう一つ見せたいものがあります」
 次の瞬間、すうっと景色が変わったかと思うと小さな扉の前に立っていた。
 ロウもエドガー王子もいない。
 隣に立つランスさんを見上げれば、私を安心させる為か、柔らかく微笑んで言った。
「これまでに処刑されてきた仲間たちを、私はこの中にこっそり逃してきました。
 エドガー王子に知られるのは流石にまずいので、少し魔法を使わせていただきました」
 私は手の中に握っていた鍵に目を落とした。
「この扉の向こうは人間界でも、魔界でもない。
 ジェスリルと私で作り上げた新世界ですよ」
 私が生きた十数年は、ジェスリルやランスさんの生きている年月に比べて何て短いんだろう。私は本当に何も知らずに生きてきたんだなと改めて思った。
 この扉の中に私が知らなければならない事がある。
 私はそう確信して、鍵穴に小さな鍵を差し込んだ。
 扉を開けた先には、誰もいない小さな部屋があった。
 木の床や壁があるだけで、家具も窓もない。
 ランスさんに促されて部屋の中程まで進むと、急に景色が変わった。
 そこに広がるのは、先ほどまで私達のいた、石造りの建物のある場所だった。
 不思議に思ってランスさんを見上げると、いたずらっぽい笑みが返ってきた。
「人間界とほんの少しだけずれた世界になっているんですよ。同じ場所にいても、あちらの世界にいる人には私達は見えない。
 こちらにいる者にも、通常はあちら側の人は見えません。……今は見えるようにしていますが」
 振り返れば、ロウとエドガー王子が霊廟から出てくるところだった。
 急にいなくなった私達を探しているに違いない。
「無事を知らせないと。心配してるはずです」
 ランスさんは分かっていると言うように軽く頷いた。どうするのか見ていると、もう一人のランスさんがロウ達の側に現れた。
 声は聞こえないが、何か話しているようだ。
「エリルさんが気分が悪くなったので休ませたと伝えました。
 時間稼ぎに二人には用事を頼んでおきましたから、しばらく大丈夫ですよ」
 ランスさんが説明してくれている間に、もう一人のランスさんもどこかへ消えている。
「さぁ行きましょう。会わせたい人がいます」
 ランスさんに案内されて、しばらく行った所にある家に入った。
 そこにはよく知っている妖精族のおばあちゃんがいた。
 いつも街の薬屋で店番をしてくれているチェルシーおばあちゃんだ。
 そういえばこの家は街の薬屋の作りによく似ている。
「エリル、よく来たね。この間はジョシュや孫のユリウスまで街から来たもんだから驚いたよ」
 チェルシーおばあちゃんは背中の曲がった小さな体で私を抱きしめてくれる。
「ユリウスがチェルシーおばあちゃんの孫だったなんて知らなかった」
 私が驚いていると、おばあちゃんは奥にある扉を開け、私を手招きした。おばあちゃんはランスさんに聞いていたのか、ここに私が来るのを待っていたようだ。
 扉の方に行き中を覗くと、何故かそこは魔女の館にあるジェスリルの部屋だった。
 薬屋と魔女の館、そしてあの新世界の家が繋がっていたのだ。しかも、薬屋からは魔女の館には行けないが、新世界からは行けるようになっているらしい。
 私が驚きに声も出せずにいると、青年姿のユリウスが現れて私の名前を呼んだかと思うと、逞しくなった腕の中にぎゅっと私を抱きしめた。
「無事で良かった! すぐに助けに行けなくてごめんよ」
「そんなこと気にしないで。ユリウスが無事で良かった」
 ユリウスが腕の中から私を解放すると、美しい柳眉を顰めて言った。
「驚かないで聞いて。
 ……ジェスリルの具合いが良くないんだ」
 それは私が最も恐れていることだった。
 ジェスリルはもう三百歳を超え、いつ亡くなってもおかしくない歳だった。その若く美しい見た目からは全く想像がつかなかったが、いつもジェスリルは冗談のように私に言っていたのだ。ーーいつ迄魔力が持つかしら、と。
 私は部屋の中を見回して、ジェスリルの姿を探した。しかしこちらの書斎にはジェスリルの姿は無かった。
 隣の寝室かとそちらに向かうと、ベッドに横たわるジェスリルと、その横でジェスリルを見下ろしているジョシュの姿があった。
 ジェスリルは眠っているのか、私が側に寄って名前を呼んでもその目は開かない。
 ジョシュを見上げて視線で問えば、ジョシュは軽く私を抱きしめて言った。
「私達がここへ帰って来て、ネイドリルの魔法を解いて貰った後に倒れたんだ。
 時々意識は戻っているから心配いらないよ。
 ジェスリルに無理をさせてしまったようですまない。
 エリルにも心配かけたね。……無事で良かった」
 耳元に聞こえる優しいジョシュの声がいつもより湿っぽい。
 私はジョシュを抱きしめ返した。
 それからジェスリルの白い顔を見て、ただいまを言ってみた。
 微かに瞼が震え、ジェスリルの唇が動いた。
 私はその声をよく聞こうと顔を近付け、ジェスリルの胸に置かれていた手を握った。
「……辛かった、だろう」
 力無い声がそう告げる。こんなに弱っているのはジェスリルの方なのに、私を気遣ってくれる、その優しさが胸に沁みる。
「そんな事ない。行かせてくれてありがとう」
 涙が溢れてジェスリルの頬を伝った。
 ジェスリルの口許が僅かにほころんだ様な気がした。
 その様子を見ていたジョシュが、はっとしたようにジェスリルの顔を覗き込んだ。
「エリル、今回はジェスリルに使うけど、また作ってくれるかい? 」
 そう言って、首に下げていたペンダントを取り出した。
「これで元気になるかもしれないよ」
小さなペンダントトップを捻ってチェーンから取り外すと、ジェスリルの唇にあて、中身を口の中に垂らした。
 私の涙をジェスリルの魔法で加工したお守りだ。
 本当にこんなものが役に立つなら、いくらだって作るつもりだ。
 しばらく見ているとほんのり顔に赤みが差したように思えた。
 やがて、ジェスリルの目が開き、不思議な光彩を放つ瞳が私を捉えた。
「あぁ、エリル。本当にお前は……」
 呆れたようなその声もいつもの調子に戻っている。
「ジェスリル、……良かった」
 ジェスリルがこのまま死んでしまうのではないかと、今にも目の前が真っ暗になりそうで、足が震えていた。ジェスリルの声を聞いて安心した私は、その場に座りこんでしまいそうになり、ジョシュに支えられた。
 その様子をずっと部屋の隅で見守っていたらしいランスさんが、何かを決意したように近づいて来て言った。
「エリルさんの魔力を、解放しましょう」
 魔力を、解放する?
 ネイドリルが優しさと共に失った魔力が、私の中に眠っていると言う。
 私の涙に不思議な力があるのも、その魔力の所為だったのだろう。
「……それは、危険過ぎる」
 ジェスリルは沈痛な面持ちで呟いた。
 何がどう危険なのだろう。
「もし、魔力が暴走すればエリルはもちろん、この辺り一帯を巻き込むことになりかねない。
 今、無理に解放しなくとも、自然にエリルのものになるのを待つ方がいい」
 ジェスリルはランスさんに真っ直ぐ目を向けてそう言った。
「確かにその可能性もあるでしょう。
 しかし、早く魔力を解放してしまえば、ネイドリルに取り込まれることを防げる。
 新世界を維持する為にも、エリルの魔力は必要です」
 ランスさんもジェスリルを見返して、怯むことなく続ける。
「私が暴走を抑えましょう。念のために、人里離れた場所で行えば、被害も抑えられる」
 ジェスリルは暫く黙考していたが、やがて私に目を向けた。
「エリルはどうしたい?
 魔力を解放して、魔女として生きる覚悟はあるか?
 このまま魔力を封じ込めて、人間界で穏やかに暮らす事も、今ならまだ可能だろう」
 ジェスリルの瞳に優しく見つめられ、私に選択肢を残してくれていることが分かった。
 でも、私の心はいつだって、ジェスリルやロウ、ジョシュ達と同じところで生きたいと望んでいるのだ。
 それは、魔力があっても無くても同じだ。
 私に力があって、ジェスリルや皆を助けることが出来るのに、それを使えず、ただ守られるだけなんて嫌だ。
 私も皆を助ける力が欲しい。
「私の中に本当に魔力が眠っているのなら、それを皆の為に使いたい。
 魔女になるかどうかじゃなくて、私も皆を守りたい」
 ネイドリルに人を殺させたくない。ランスさんと幸せになって欲しい。
 ジョシュにもモリスさん達との平穏な日常を、もっともっと続けて欲しい。
 ジェスリルとずっと一緒に魔女の館で暮らしたいし、これからもロウと一緒に森に行ったり、星を見たりして過ごしたい。
 ユリウスやチェルシーおばあちゃん、たくさんの友だちに笑顔でいて欲しい。
 その為に必要なら危険でも私は前に進みたい。
「どうすれば魔力を解放できるんですか?
 私やってみます」
 ランスさんを見上げれば、ほっとしたような笑顔があった。
「エドガー王子がエリルさんを牢に入れた時、赤い瞳の話をしていました。
 もしかしたら既に魔力が解放されかけているのではないでしょうか。その時の事を憶えていますか?」
 私自身は鏡を見たわけではないし、魔力のことは正直よく分からない。
 首を横に振ると、ランスさんは私の顔を覗き込み、まるで心の奥底まで見通すかのように、眼鏡の奥の目を凝らした。
 あまりにもじっと見られたので、少し恥ずかしくなってきた頃に、後ろから腕が伸びてきて、ランスさんの視線から引き剥がすように後ろに引きよせられた。
 頭上を通り越してランスさんに言葉が投げられる。
「エリルを危険な目に合わせないでくれ」
 何時に無く尖った響きを持ったジョシュの声に、ランスさんも表情を強張らせる。
「エリルを利用するような真似は許さない」
 ジョシュに守られる腕の中は心地よくて、私は甘えたくなる。
 でも、私がやりたいのだという事を解って欲しかった。
「ジョシュ、大丈夫よ。私やってみるから」
 振り仰げば、ジョシュは私をじっと見下ろして、溜め息をついた。
「エリル、魔力が暴走してエリル自身が傷付く可能性だってある。
 そんな危険な事をしなくたって、私達でなんとかする。
 エリルの気持ちは分かるつもりだよ。
 もっと頼って欲しいんだ」
 ジョシュの真剣な眼差しは、私に尚更自信を与えた。恐れることなんて何も無い。私は守られているし、今迄貰ってきた優しさに応える力を確かに胸の内に持っている。そう思えた。
「ありがとう。でも私決めたの。今やらないと後で後悔すると思う」
 私の頑固さをよく知っているジョシュが、残念そうに肩を落とした。
「エリルに頼られる男に早くなりたいよ」
 もう十分なってるよ、と告げればジョシュは力無く首を左右に振った。
「まだまださ。エリルの魔力の解放を私も手伝うよ。せめてそれはさせて欲しい」
 いいね、と私の髪を撫でながら念を押して、ランスさんにも同じように、自分も協力すると申し出た。
 ランスさんは頷いて、どこか場所を移しましょうと言った。
 その前に、気がかりだった事を聞いてみた。
「どれくらい時間がかかりますか?
 ロウに知らせないと。一度王宮に戻ってもいいですか?」
「そうですね。数日かかるかもしれません。ロウにはこちらに帰って来て貰った方がいいでしょう。
 その間エドガー王子に、ネイドリルが早まらないよう見張って貰いましょう」
 私とランスさんさんは来た道を通り、王宮に戻ることにした。