十六.語られた過去

 ネイドリルは濃紺のローブを見に纏い、無表情に私を見ていた。
 私は吸い寄せられるように一歩踏み出し、途端に膝から力が抜けて前のめりに倒れそうになった。
 すぐにロウが抱きとめてくれたので、どうにか転ばずに済んだが、まるで足止めされたようだった。
「行ってはいけません。
 既にあなたは別の人格を持っている。このままネイドリル王妃に取り込まれてはなりません」
 ランスさんが厳しい口調で私にそう言うと、ネイドリルに向き直った。
「ネイドリル、私が分かりませんか?」
 ランスさんの静かな問いかけに、ネイドリルが身動いだ。
 次の瞬間にはさっとローブの裾を翻し、逃げるように石室を出て行ってしまった。
 エドガー王子が後を追おうとしたが、ランスさんがそれを止めた。
「ランス、さっきのはどういうことだ?
 ネイドリルを知っていたのか?
 それにやはりエリルとは何か関係があるんだろ? 」
 エドガー王子はランスさんの肩を掴んで、矢継ぎ早に問い詰める。
 ランスさんは困ったような、諦めたような複雑な表情で話し始めた。
「長い話になりますから、そこに座りましょうか」
 祭壇のあった部屋の隣にもう一部屋、テーブルと椅子の並んだ部屋があった。
 掃除が行き届いていて、飲み物や果物も置いてあり、常に誰かが使っている様子だった。
 私達が席に着くと、ランスさんは語り始めた。はるか三百年前から続く長い物語だった。
 ある姉妹と一人の青年が出会ったのは、秋の収穫を祝う祭りの日だった。
 姉妹は初めての祭りに、ランタンが延々と並ぶ街の通りをふわふわと舞うように歩いていた。
 とても美しい姉妹で、街中の若者達の視線をさらっていた。
 しかし、しばらくするとどこからともなく、あれは魔女だと言う声が囁かれ始めた。
 姉妹はただ祭りの賑わいを見て楽しんでいただけなのに、いつしか人々から石や野菜クズなどを投げ付けられるようになった。
 姉妹のうちの一人が怒りに目を赤く染めると、急にゴロゴロと雷の音が響き始め、強い風が吹いてランタンの火を全て消し去ってしまった。
 辺りが闇に包まれ、時折光る稲光に姉妹の美しい顔が浮かび上がる。
 人々は恐れをなして逃げて行った。
 後には姉妹と一人の青年だけが残った。
 青年は姉妹の事を恐れることなく、ただ二人の絵を描かせて欲しいと頼んだ。
 青年は何ヶ月も姉妹の絵を描き続けた。
 青年は姉妹が魔女である事を知っても気にする事なく、やがて妹の魔女と愛し合うようになった。
 その頃街では魔女狩りが盛んに行われ、姉妹も身を隠さなければならなくなった。
 大勢の仲間が殺されていった。
 青年の描いた絵さえ、見つかれば焼き払われた。
 ある時、人間である青年にも魔物の疑いがかけられ、十分な調べもされぬまま青年は処刑されることになった。
 それを知った妹の魔女は青年を助けに行ったが、自らも捕らえられてしまった。
 人間の仕掛けた巧妙な罠により、青年を助け出すこともできず、姉に助けを求めた。
 姉は青年に魔力を分け与え、自らの力で逃げられるようにし、妹も救い出して魔界に隠した。
 姉の魔女は、何とか魔女狩りを辞めさせようと、人間と魔物の世界を分かち、自らがその門番となる事を王に約束した。
 青年は魔力を与えられた事により生き延びたが、二度と妹の魔女に会う事はなく死んでいった。
 そして、その記憶と魔力を持ったまま再びこの世に生を受けた。
 しかし愛しい人に会う事は出来ず、何度目かの転生を繰り返し、遂に見つけたその人は、人間への復讐心の為に、優しさや思いやりの心を捨てていた。
 捨てられた純粋な優しい心は、姉の魔女によって一人の少女として育てられた。

「……つまり、私はネイドリルが捨てた優しさから生まれた、ということ?
 そしてその青年というのは、ランスさんのことですよね? 」
 俄かには信じがたい話だった。
 ジェスリルに会って真相を確かめなければ。
 私は席を立ち、ロウに今すぐ魔女の館に連れて帰って欲しいとお願いした。
 ロウは真剣な面持ちで頷いてくれたが、私はすっかり忘れていた。
 エドガー王子は魔女狩りをする立場の人だという事を。
「この状況で私があっさりと、お前達をここから出すと思うか? 」
 腕を組んで怖い顔をしたエドガー王子が、ランスさんを睨んでいた。
 エドガー王子にしてみれば、ランスさんに裏切られたような気がするだろう。
 ランスさんも諦めたような淋しい表情で、エドガー王子を見返していた。
「冗談だ。まだはっきりしない点もあるが、ネイドリルが王に復讐しようとしているのは確かだ。
 まずはそれを阻止したい。ランス、手伝ってくれるだろう? 」
 エドガー王子は立ち上がってランスさんの側まで行くと、その肩に手を置いてそう言った。
 そして私の方に向き直り続けた。
「ネイドリルの姉とやらに会わせて貰おう」