十三.魅了

ネイドリルの消えた後に残されたローブを拾い上げ、エドガーは振り返った。
 そこに、牢の中にいるはずの少女がいた。
 何故か犬やら猫を連れている。
「どうやって牢を出た?」
 バサリと羽音を立てて、蝙蝠まで飛んで来て、少女の肩に止まる。
 その光景に見覚えがあった。
 真ん中に立つ人物が腕に猫を抱き、傍らに銀色の狼を従え、空には蝙蝠が飛んでいる。そんな絵をどこかで見たような気がする。
 エドガーはそれが何であったか思い出そうと、暫く黙考した。

「まるで『救世の女神図』のようですね」

 同じくこの光景を見ていたランスが言った言葉に、あぁ其れかと腑に落ちた。
 子供の頃、城の近くにある霊廟に飾られていた絵を見たことがあった。
 今目の前の少女が立っている様子が、正しくその絵の構図にピタリと当てはまる。
 その絵のタイトル通り、その昔魔物と人間の住む世界を分かち、世界を救ったという女神の絵だった。
 エドガーは自分が少女を牢に繋いでいた事すら忘れ、見入っていた。
 ネイドリルに似ているというだけで、これほどこの少女の事が気になるのは何故だろう。
 確かにネイドリルも、王が見初めるだけはあって整った美しい容姿をしている。
 エドガーは実の母を5歳の時に亡くした。
 王が新しい妃を娶ると聞いた時、エドガーの心にあったのは、家族としての温かい気遣いのできる関係を築くことだった。
 自分より年若いネイドリルを母と思うことは流石にできないが、家族として接することはできると思っていた。
 しかし何度見てもネイドリルの瞳に、暖かい光は見られなかった。
 落胆、していたのかもしれない。
 期待はしていないつもりだったが、ネイドリルによく似た少女を見た時から、その瞳に宿る暖かな光に、知らず惹かれていたのだろう。
 そして再びその期待が裏切られた気がした。あの赤い瞳を見た時に。
 ところが、牢に繋がれ、処刑されるかも分からない状況で、少女はジョシュ・バークレイの心配をし、エドガーを驚かせた。
 エドガーは今目の前にいる少女から目が離せなかった。
 美しいと思った。
 胸の奥深くから湧き上がってくる熱に胸を焦がされそうになる。
 胸が震えるとはこういうことだろうか。
 人間は美しいと思うものを欲する生き物だ。
 エドガーは目の前の少女を手に入れたいと思い始めていた。
「見せたいモノとは、こちらの女性のことですか?」
 ランスの問いにエドガーは、はたと我に帰った。
「あ、あぁ。この娘は魔物だと思うか?」
 少女と少女の腕に抱かれた黒猫、傍にいるのは犬ではなく狼か、そして蝙蝠、と順に観察していたランスは、ため息をついて答えた。
「少なくとも私には魔物には見えませんね。
 こんなおとなしい女性を牢に入れるなど、エドガーらしくありませんね」
 確かにそうだ。具合が悪そうだったにも関わらず、魔物と信じ牢に入れた。失態だと認めないわけにはいかなかった。
「牢に鎖で繋いだことは許して欲しい。すまなかった」
 エドガーの突然の謝罪に少女は目を見張る。
「疑いは晴れたのですか?」
「あぁ、そうだ」
「ではもう帰っても良いのですね?」
「それは駄目だ。・・・まだ、完全に疑いが晴れた訳ではない」
 ジョシュ・バークレイの元へ帰したくない。そんな狡い自分の気持ちには気づかない振りをした。
 少女はがっかりしたように俯き、猫の背を撫でた。
「その猫はどこから来た?その狼も・・・」
 少女は答えを探すように二匹と一羽を見回した。
「・・・分かりません。この子たちは帰しても構いませんか?」
 エドガーを真摯に見上げてくる少女に、たじろぎながら、エドガーは頷いた。
「好きにしろ」
 少女はほっとしたように猫を地面に下ろした。
「では、私は牢に戻ります」
 私は大丈夫だから、と猫たちに話しかけ、エドガーにぺこりとお辞儀をすると、牢の方へ一人向かおうとする。
 エドガーは慌ててその腕を掴んだ。
「待て。牢に戻る必要はない」
 少女は驚いたようにエドガーを見上げてくる。
 エドガーは少女の腕を引き、出口へ向かって歩き出した。
「あ、」
 小さな声に振り返れば、少女は足を痛そうに引きずっている。
 見れば、裸足の足が傷だらけになって、血が出ていた。
 あぁ、また失態だ。自分はいつからこんなにも気の回らない男になってしまったのだろう。
 エドガーは少女を腕に抱き上げた。
 そういえば名前は何だっただろう。
 ジョシュ・バークレイはエリルと呼んでいたか。
「名は、エリルか?」
 少女は目を丸くして頷いた。
 エドガーは自室に近い客間までエリルを運び、ランスに足の手当てを頼んだ。
 二匹と一羽も相変わらずエリルについて来ていた。
「ランス、王にはまだ知らせるな」
 王に知られれば、エリルの身はどうなるか分からない。
 まして自分が隠している事を王に知られれば、王の怒りを買うことは間違いないだろう。
 私欲の為にエリルを危険に晒すと分かっても、手放す気にはなれない。
 この先どうするか、エドガーは自分がどうしたいのかもまだ分からず、頭を悩ませた。





 ロウ、ジョシュ、ユリウスはエリルについて行きながら、それぞれに何故か人間の姿になれなくなっていることに気付いた。
 思い当たる理由はあの時のネイドリルの呪文しかない。
 ジョシュはエリルを助けに行く為、数年ぶりに蝙蝠の姿になった。この姿では飛ぶしか能がない。もう直ぐ夜が明ける。明るくなれば飛ぶことさえできない。非常にまずい状況だった。
 三人は何とかお互いの考えを読みながら意思疎通を図った。
 結論としては一旦ジェスリルの元へ帰って、この魔法を解いて貰い、それからエリルと魔女の書を取り戻す、という事になった。
 ユリウスが帰りの算段として、ジェスリルに薬屋の奥の扉を開けてもらう事になっていたのが、今日の夜だという。
 エドガーはエリルへの疑いを解いたにも関わらず家には帰さないという。
 魔物と疑っていた時とは一転、優しく接し始めた事にむしろ不安を感じた三人は、エリルの側に誰かを残す事にした。
「薬屋まで行くのに、一番早く辿り着けるのはジョシュじゃない?」
「私は夜しか飛べない。間に合うのか?」
「夜明けまでに途中まで飛んでおけばいいんじゃない?」
「ロウはどうする?」
「俺はエリルの側にいたい」
「僕もそうだよ!でも人間の姿になれないとエリルを守れない」
「俺はこの姿の方が戦える」
 ジョシュとユリウスはジェスリルの元へ向かい、ロウが残る事になった。
 ジョシュは後ろ髪を引かれる思いで飛び立った。夜会にエリルを連れて来た事を激しく後悔していた。
 ジェスリルは何を考えているのだろう。賢い魔女のことだ。何か考えがあるに違いない。そう思っては見ても、やはり、夜会に出たのは失敗だとしか思えなかった。
 ユリウスは自分の足で薬屋まで行くにはあまりに遠すぎる為、城から出る馬車に乗り込み街へ下りる事にした。
 城の裏手には出入りの業者が行き来する裏門がある。
 夜が明ければ、市場から野菜などを乗せた荷馬車が入ってくるだろう。その馬車が帰る時に、こっそり荷台に乗り込めば、街まで楽に辿り着ける。
「僕ってやっぱり頭いいよね」
 ひとりごちながら、門が見える位置の木に登って一休みするユリウスだった。

 ロウはエリルに与えられたベッドの後ろでおとなしく横になっていた。
 エリルは足の手当てを終え、今は眠っている。
 どうやって魔女の書を取り返すか。ネイドリルは魔女の書とエリルを引き換えにするような事を言っていた。エリルをどうするつもりなのか。
 王からも、王妃からも命を狙われかねず、王子も何を考えているか分からない状況で、城の中にいることは危険でしかない。
 一刻も早くここから連れ出さなければ。
 人を疑う事を知らないエリルは、今のこの危険性に気付いていない。
 ロウはエリルから片時も離れまいと、寝ずの番をする事にした。
 夜が白々と明け始め、エリルの白い頬を一層白く映していた。