魔女の書





十.対面

ユリウスは私の足枷を外そうと頑張ってくれたが、到底壊すのは不可能だった。
「鍵をとってくるよ。待ってて」
 ユリウスは猫の姿になって、鉄格子の間をスルリと抜けて行った。
 かと思えばすぐに引き返してきて、私の足に擦り寄る。
 もしかしてユリウスも本当は怖いのに、私のために頑張ろうとしてくれているのだろうか。
「寒いでしょ。ごめん、すぐ戻るから待っててね」
 ユリウスの柔らかな背を撫でると、また格子の間を通って、見張りの兵の方へ近付いて行った。
 ユリウスは兵士の背後に回り、人の姿になると、そろりと兵士の腰にある鍵の束に手を伸ばした。
 鍵は僅かに音をたてたため、兵士が振り返りそうになった。私は咄嗟にこちらに気を引くため、声をあげた。
「あのっ、ちょっと来て貰えませんか?」
「何の用だ。用件を言え」
 兵士は近づきたくないのか、その場から声を放つ。後ろのユリウスに気付かないようだ。
「王妃様に会わせてください」
「ダメに決まっているだろう」
「じゃぁ、ジョシュに会わせて」
「ダメだ。おとなしくしていろ」
「・・・」
 にべもない。
 時間を稼ごうと、次の言葉を探すが見つからない。
 しかしその僅かな時間で、ユリウスは鍵を手に入れたようだ。
 暗闇に飛び込み、再び猫の姿になった。が、大きく重い鍵の束を咥えて運ぶのは難しいのではないだろうか。
  例え鍵が手に入ったとして、見張りのいる中逃げられる?
 靴はどこかで落としたのか、それとも脱がされたのか、私の足は今裸足だ。
 辺りを見回しても、窓も扉も無い。鉄格子の外にしか逃げ場は無いようだ。
 ジョシュはどこか別の所で捕らわれているのだろうか?
 私が逃げ出すより先に、ジョシュの無事を確認したい。私が逃げたことでジョシュに危険が及ぶかもしれない。
 不意に見張りの兵が動いた。
 ユリウスに気付いたのかと一瞬ひやりとしたが、違うようだ。
 壁に二つの松明が灯っている他に明かりの無いここは、奥の方はよく見えない。通路と思われる場所に向かった兵士が、次の瞬間、吹き飛ばされたように空を飛んで倒れた。
 その隙にユリウスが戻って来て、素早く私の足枷を外してくれる。
「エリルっ!」
 私を呼ぶ聞き慣れた声に振り返れば、そこにロウの姿があった。
 茶色の癖毛が乱れて降りかかる琥珀色の瞳が、私の姿を捉えて優しく細められた。
 ロウの笑顔に胸がいっぱいになる。
「遅くなってすまない。怪我はないか?」
 ロウは私に怪我が無いか確認すると、手を引いて牢を抜け、来た方へ走り出す。
 ユリウスも後ろを走りながら、ロウに何か抗議している。
「僕が助け出す筈だろ?
 なんでここまで来たのさ」
「遅いからに決まってる」
「そんなに遅くないしっ。
 エリル、僕頑張ったよね?」
 最後は私に並び、金の髪を揺らして問いかけてくる。やっぱり、ユリウスは私の為に無理してくれていたんだと分かり、精一杯の笑顔でお礼を言った。
 松明が等間隔に設置された通路を進むと、見張りの兵士らしき人が何人か倒れていた。
 これは多分確認するまでも無く、ロウが倒したのだろう。
「ねぇ、ジョシュは?ジョシュはどうなったの?」
「あいつなら心配いらないよ。自力で抜け出せる」
「魔女の書は?」
「ネイドリルが持っている。取り返すのは・・・」
 ロウは言いかけて口をつぐみ、足を止めると、私を背に庇うように立って前を見据えた。
 誰かがやって来る。
 コツンコツンと足音が段々大きくなり、壁に黒い影が映る。
 一本道の為、隠れられるような場所は無い。
 ロウが身構え、ユリウスと私は一歩退いた。
 角を曲がって現れたのは小柄な人影。
 黒いフードのついた長いローブを羽織っていて顔は見えない。
 歩手前で立ち止まると、ローブから白く細っそりとした腕が現れ、ゆっくりとフードを下ろした。
 その下に現れたのは、切り揃えられた真っ直ぐな黒髪、青白い頬に、無感情にこちらを見つめる黒い瞳。
 私とよく似た少女の姿をした、王妃ネイドリルだった。
「これを取り返しに来たのでしょう?」
 ネイドリルは静かな声でそう言って、ローブの下から魔女の書を取り出した。
「返してくれるの?」
 問い返す私に、ネイドリルは薄っすらと微笑んだ。
「あなたと引き換えになら、返してもいいわ」
 私が答えるより先に、ロウが一歩前に出た。
「馬鹿馬鹿しい。力尽くで奪い返す」
 身構えるロウに、ネイドリルは笑いながら言った。
「もともとその子は私の一部。
 元の場所に帰るべくしてここまで来たのよ。
 ジェスもそのつもりであなたをここへ送ったのでしょう?」
 私がネイドリルの一部?
「・・・どういう意味?」
 理解出来ずネイドリルを見返せば、魔女の書を片手に乗せ、表紙の上にもう片方の手を添えた状態で何か呪文を唱え始める。
 ロウが狼に姿を変え、低く唸り声を上げる。
 ぼんやりと立ち尽くす私を、ユリウスが庇うように腕の中に囲う。
 魔女の書から光が差し始めて、辺りを明るく照らし出した。
 魔女の書はバラバラと音を立てて、扇状にページを開き始めた。
 そこに駆けてくる複数の足音が聞こえて来た。
 ネイドリルははっとしたように呪文を唱えるのを止め、魔女の書を閉じた。
「あなたが何故ここにいる?」
 エドガー王子が兵士を伴って現れ、驚きに目を見張りながらネイドリルに問いかけた。
 ネイドリルはそれには答えず、フードを被り直すと踵を返した。
「待て!」
王子がネイドリルの肩に手を伸ばすが、パサリとローブが滑り落ち、そこにはもう誰もいなかった。
 ネイドリルの姿は消えていた。