「……もっと夢みたいなこと言うとさ、自分がその一本になれたらいいなって、そう思う。たいしたことはできないけど、少しのことしかできないけど」
「……」
 由香奈は足を止めて春日井を見上げる。
「もう、なってます」
「え……」
 由香奈が立ち止まったのに気づかず先を行ってしまった春日井は、二、三歩前から振り返る。

「春日井さんは、もう一本になれてます。だって、子どもたち、春日井さんと一緒に遊んで楽しそう。最初、つまらなそうにキャッチボールしてた子だって、笑顔になって。私、それがすごく不思議で……どうしてって。でも今、わかりました。春日井さんがちゃんと、その子の一本になりたいって思ってるからなんですね。私、すごいって思いました」
 彼女には珍しく一気に話してから、由香奈は肩で息をついた。

「……なんか、やっすいよね、たかだかキャッチボールでさ」
「それだって、春日井さんが子どもの頃の管理人さんとのことを、ちゃんと覚えてるからで……」
 また声を張り上げようとして、由香奈は急に恥ずかしくなった。春日井は下を見ている。調子のいいことを並べ立てて不快にしてしまったのだろうか。

「あの、ごめんなさい。私……」
「え? なんで謝るの。俺、感動したんだけど」
 ぱっと顔を上げた春日井の頬は、真っ赤だった。
「すっげ嬉しい。元気出た。ありがとう、由香奈ちゃん」
 一歩で距離を詰め、由香奈の小さな頭に手を乗せる。
「あ、ごめん……っ。また」
「いえ……」
 由香奈はてぐしで髪を整える振りをして俯く。目が熱い。居たたまれない。

「あ、ねえ。けっこう歩いてきちゃったね。クレアちゃん、捜してないかな」
「そうですね」
 由香奈は慌ててトートバッグからスマートフォンを出してチェックする。着信はない。
「戻ろう」
「はい」

 引き返しかけたところを背後から歩いて来ていた観光客グループとぶつかりそうになる。
「大丈夫?」
 躱した春日井が左手を差し伸べてくれる。右手を伸ばしかけ、由香奈は指を止める。
 彼は、自分なんかが触れていい人じゃない。

 由香奈はそっと春日井の上着の袖をつまんだ。彼の表情が曇った気がする。由香奈はただ、自分の靴のつま先を見下ろした。