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百合がいなくなった後、局内は慌ただしく動いていた。
「宇佐美くん、情報は集まったかい?」
「ええ。大体は」
宇佐美はカタカタとリズミカルに動かしていた手を止め、印刷した数枚の紙を手渡した。
「予想していた通り、送り状に記載されていた住所も電話番号も偽物でした。ただし、名前は同じものを使っていたので比較的探しやすかったですね。で、こっちが現在の住所です」
「食品会社の営業勤務か。ホテルに一週間の予約って……へぇ、有給使ってこっちに来たんだね。会社結構遠いけど、七尾くん大丈夫かな?」
「戻りましたぁー!」
やけに元気の良いその声は渦中の人物のものだった。しかし、現れたのはホストのような格好をしたいつもの七尾ではない。
黒く長い髪をひとつに結び、紺色のジャケット、タイトスカートにヒールの高いパンプス。目元を飾る銀縁の眼鏡が知的な印象を与える、大層な美女の姿がそこにはあった。彼女はズカズカと大股で月野の元に近付いて行く。
「おかえり。今ちょうど君の話をしてた所だったんだよ。会社の方はどうだった?」
「ただいまッス! いや~、偶然その食品会社の下請けに勤めてる知り合いが居たんでね。ソイツにちょっと話聞いたんスけど、やっぱオレの勘は当たってましたよ!」
彼女の口調はまるで七尾そのものだった。……違和感が半端ない。
月野はその様子を大して気にしていないようだったが、宇佐美は違った。不機嫌そうにぐっと眉をひそめると、その口を開く。
「ねぇ、見てて不快だからさっさとその変化解いてくれない?」
「え〜? せっかく化けたんだからもう少しこのままでも良くない?」
「くだらない遊びに付き合ってる暇はないのよ」
「宇佐美さんってばノリわる~い」
ぶつぶつ文句を言いながら、ぱちんと指を鳴らす。その瞬間、女性の姿はぼわっと真っ白い煙に包まれた。煙が消えて現れたのは、銀髪にネックレス、胸元の開いた白いシャツに細身のパンツを穿いたいつもの七尾の姿だった。
そう。あの女性は他でもない、七尾本人だったのである。
七尾は英国紳士さながらに片腕をお腹のあたりで折り曲げると、宇佐美に向かって一礼した。
「……うざ」
「はい、今日も宇佐美さんから蔑んだ視線頂きましたー!」
宇佐美は無視してパソコンに向かった。
「宇佐美さんってばいっつもオレにだけ冷たいッスよね。愛情の裏返しってやつ?」
「冗談もほどほどにしないとその隠してる邪魔な尻尾引っこ抜くわよ?」
「こっわ! 声が本気すぎてめっちゃ怖いんですけど!?」
苦笑いを浮かべて二人の様子を見守っていた月野は七尾に問いかける。
「それで? 何か分かったことはあるかい?」
「あ。そういやズッキーのことだっけ」
「……ズッキー?」
「そう。鈴木だからズッキー」
月野は苦笑いを継続し、宇佐美は呆れて突っ込むことを放棄した。そんな二人の様子を物ともせず、七尾はニヤリと得意げな表情で言い放つ。
「どうやら彼、不老不死の身体を持ってるみたいなんスよね」
〝不老不死〟
それは一生老いることなく、若い時の姿のまま死ぬことのない状態。
「つまり月さん達と一緒ってことッスね」
「……ははっ。まぁね」
「なんでもズッキーは男児に限り二十五歳になると不老不死の身体になるっていう呪いを受けた特殊な一族の生まれみたいで。あの姿のまま何百年も生きてるみたいッス。オレの知り合いも会った瞬間コイツ普通の人間じゃねぇなって直感したって言ってました。やっぱ通ずるもんがあるんスよね、オレ達みたいなのって」
……なるほど不老不死か。確かにそれなら百合の写真と今の容姿がまったく変わっていないというのも頷ける。
「バレないように暮らしていくのは結構大変みたいッスよ。オレらみたいに容姿が変えられるわけじゃないから同じ場所に留まってるのは無理だし。だから各地を転々として、そのたびに名前も住所も経歴も全部変えて。親しい友人も温かい家族も作れないし、目立たないよう大人しく暮らさなきゃならないし。苦労は絶えないっつーか」
「……そっか」
「ま、オレらもかなり長生きだし。人間に化けて社会に紛れて生活してる奴もいっぱいいますけどね」
そう言った七尾ももちろん普通の人間ではない。
彼の正体は妖狐。こう見えて数百年は生きている狐の妖怪だ。
変化の術でヒトの姿に化け、この郵便局で月野達と一緒に働いているのだ。
「やっぱり、あの写真の人物は鈴木さん本人で間違いないんだね」
「はい。百合ちゃんのおばあちゃんにすみれの髪飾りを渡したのもズッキー本人で間違いないッス」
「……でも、それならどうして鈴木さんはこの町に戻って来たのかしら?」
宇佐美が腕組みをしながら言った。
「どうしてって?」
「正体がバレるのを避けて各地を転々としてるなら、この町に戻って来るのは早すぎると思わない? 机に置いてあった写真をチラッと見たけど、あれを見る限りここに居たのは五十~六十年くらい前。鈴木さんは容姿を変えられないわけだから、住んでいた町に来れば自分を覚えている人に会ってしまう可能性が高い。まぁ、息子だとか孫だとか通じそうな言い訳は出来るけど、普通リスクは避けるでしょ? 結果的にこうして知り合いの血縁者に会ってるわけだし。行動が矛盾してるわ」
言われてみれば確かにそうだ。
「もしかしてズッキー、百合ちゃんのおばあちゃんに会いに来たのかなぁ。二人は恋仲だったんっしょ?」
「それは……わからないわ。お互い好きだったのは確かだろうけど、離れたって言ってたし」
宇佐美と七尾は悲しそうに眉尻を下げると、小さく溜息をついた。
「もし本当に彼女に会いに来たのなら……随分勝手ね。自分から離れることを選んだくせに今更現れるなんて……」
「いやいや。その選択は好きな人に幸せになってもらいたいっていう気持ちの表れッスよ。もちろん苦渋の決断ッスけどね。この町に来たのはもしかして……彼女の幸せそうな笑顔を見に来たのかもしれないなぁ」
「……そんなの自己満足じゃない。幸せなんて人それぞれなのに。それに、私なら何があっても一緒に居たかったって思うわ」
「それは……そうかもしれないッスけど」
しんみりとした空気を入れ替えるように、月野がパン、とひとつ手を叩いた。懐から淡い紫色の封筒を取り出す。
「さて。七尾くんにお仕事の依頼です。これを届けて来てくれるかな?」
「ズッキーにッスよね? 任せてください!!」
七尾はビシリと敬礼のポーズで答えた。
「んー……次は何で行こうかなぁ。営業ってことはスーツの方が怪しまれない感じ?」
「何でもいいから早く行けば?」
「はーい」
七尾が再び指を鳴らすと、あっという間に白い煙に包まれる。一回瞬きをしている間に、彼は黒縁メガネの真面目そうなサラリーマンへと姿を変えていた。
「住所はスマホに送っといたから」
「さすが宇佐美さん仕事が早い! じゃ、行ってきまーす!」
そう言って七尾は慌ただしく出て行った。
月野はその後ろ姿を見つめながら心の中で祈るように呟く。
どうか彼女の想いが彼に届きますように、と。