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「……ない。ない! ない!?」
鞄をひっくり返してもポケットをひっくり返しても、花の髪飾りを入れた小さな巾着袋はどこからも出てこなかった。……嘘でしょ。だってあれは、おばあちゃんから貰った大切な髪飾りなのに。
「…………どうしよう」
百合は泣きそうな顔で呟いた。
どこかに落としたのだろうか。でも、どこで? 百合は頭を振り絞って自分の行動を思い出す。
今日は大学に行って講義を受けて、友達とカフェでお茶してたら話が盛り上がりすぎてバイトに遅れそうになっちゃって。近道だからって通り抜け出来る駐車場の中をおもいっきり突っ走って、電話が鳴ったから慌てて鞄から取り出して…………ん? 電話?
……そうだ。あの時あたし、走りながら手探りで鞄からスマホ取ったんだ。めちゃくちゃ慌ててたし、もし落としたとすればあの時だ。
チラリと時計に目をやると、時刻は午後六時を少しだけ過ぎたところ。
外はまだ明るいし、あの駐車場は歩いて行けない距離じゃない。百合は財布と鍵とスマホを手に取ると、勢いよく立ち上がった。
「お母さん! ちょっと出掛けてくるね!」
「えっ、今から?」
「すぐ帰ってくるから! 行ってきます!」
母に一言告げると、あたしは急いで走り出した。
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「……ない。ないよ~」
人気のない駐車場を隈なく探し歩く。
ここはアパートの月極駐車場のようで、部屋番号らしき数字が書かれた古い木の板が金網にぶら下がっていた。何台か車が停まっていたので、その車体の下をスマホのライトを点灯させながら這いつくばって探してみるけれど、水色の巾着袋はどこにも見当たらない。こんなに探してもないなんて……。百合は途方に暮れる。
溜息をついて立ち上がった、その時。
「…………あの」
「ひっ!?」
背後から突然声を掛けられ、驚いて変な声を上げる。勢いよく振り返ると、アーモンド形の目を丸くさせてあたしを見ている若い男性が立っていた。
えっ、何? もしかして不審者!?
自分の事は棚に上げ、あたしはスマホのライトを相手の顔面にパッと向ける。
「わっ!? 眩しい!!」
「な、なんなんですかあなた!! 警察呼びますよ!」
男性は慌てて目を覆うと、顔を背けながら叫ぶように言った。
「突然声を掛けてすみません! でも不審者じゃないんで警察呼ぶのはやめてもらっていいですか!? あと、出来ればライトも! 消してくれると助かるんですけど!」
いやいや。不審者が自ら不審者なんて名乗るはずがないじゃない。百合は警戒心を強める。
「お、驚かせてしまったことは謝ります! でも、何か困っていた様子だったので! 車の鍵でも無くしたのかなって気になって! ただそれだけだったんです!!」
まぁ……確かにそう思うかも。男性の言葉を聞いて、百合はそっとライトを消した。ぱちぱちと何度も瞬きをしていた彼は、苦笑い混じりで口を開く。
「……いやぁ。たまたま通りかかったら女性が居たんでびっくりしました。キョロキョロして何か探してるみたいだったし、なんだかほっとけなくて」
「そう、だったんですか。そうとも知らずにすみません」
「いえ、私も不用意に声を掛けてしまって申し訳ない」
お互いぺこりと頭を下げる。……マジか。善意で声を掛けてくれた人にライトで攻撃しちゃうなんて……失礼にもほどがあるでしょうがあたし! ああもう! これも全部物騒な世の中のせいなんだから! 自己嫌悪と八つ当たりをしながら頭を上げる。
…………あれ?
男性の顔を見ると、その顔に見覚えを感じて思わずじっと見つめてしまった。どこかで見た事ある気がするけど……どこで見たんだっけ。
「ところで。何か探してたみたいですけど、どうかしたんですか?」
彼の問いにはっとする。そうだ! 髪飾り!!
「あ……そう! 実は落し物をしてしまって!」
「やっぱり。何を落としたんです?」
「えっと、髪飾りです。水色の小さい巾着袋に入ってるんですけど、それごと落としちゃったみたいで」
「なるほど」
彼は少しばかり考えるような仕草をすると、口を開いた。
「もしよかったら私も手伝いましょうか?」
「えっ!?」
「だって、あれだけ一生懸命探してたってことは大切な物なんでしょう?」
「そうですけど、でも」
百合が戸惑っていると、男性は「どの辺を通ったか覚えてます?」と有無を言わさず聞いてくる。
「え? えっと、入り口から真ん中を走ってたら電話がかかってきて。鞄の中から手探りで取ったんですけど……たぶん、あの四台目か五台目あたりのところで」
「分かりました。じゃあもう一度一緒に歩いてみましょう」
「えっ!? でも、あの! これ以上ご迷惑をかけるわけにはいきませんし!」
「私のことなら気にしないで。好きでやってるだけですから。ね?」
ニコリと笑って言うと、男性は入り口に向かって歩き出してしまった。爽やかな見かけによらず意外と強引な人である。
ていうか、初対面なのに色々と大丈夫なの? 確かに悪い人ではなさそうだけど。折角手伝うって言ってくれたし、本人もやる気になってるし……お言葉に甘えちゃおうかな。
そう自己完結すると、百合は小さくなっていく背中を慌てて追いかけた。
それから三十分ほどかけて駐車場の中を探し歩いてみたけれど、残念ながら巾着袋は見つからなかった。
「やっぱりないですねぇ」
「……自分から言い出したくせにお役に立てなくてすみません」
「いえいえ! 逆にこんな事に付き合わせちゃって申し訳ないです。探してくださってありがとうございました」
「これは私が勝手にやった事ですから気にしないで下さい。それより……」
男性は困ったように眉尻を下げる。
「落とし物はどこに行ったんでしょうね。大事な物なのに……」
「ええ。ホント。失くした自分が情けない……」
百合は小さく息を吐き出すと、ぽつりと言った。
「実はそれ、亡くなった祖母に貰ったものなんです」
「……え?」
「すみれの花が付いた髪飾りなんですけどね。祖母が若い頃、初恋の男性から貰った思い出の品だったそうなんです」
「……すみれの……髪飾り……」
男は噛みしめるように百合の言葉を繰り返す。ほんの一瞬、切なげに顔を歪めた男の表情には気付かず、百合は言葉を続けた。
「祖母の家は当時下宿屋をやってたそうなんですけど、相手はそこの住人だって言ってました。……お互い好きだったけど、事情があって離れてしまったって」
「……そうですか」
「その髪飾り、すごく綺麗な紫色なんです。おばあちゃんの名前が〝すみれ〟だから、彼はその花が付いた髪飾りを選んで買ってきてくれたのよって、おばあちゃんいつも嬉しそうに言ってました。箱に入れてずっと大事に取っておいたみたいなんですけど、お見舞いに行った時あたしに譲ってくれたんです。……それなのに……あたし……」
百合はぐっと下唇を噛む。
「…………ごめんなさい。こんな話までしちゃって。後味悪くなっちゃいますよね、すみません」
「いえ、そんな事は……」
「とりあえず今日は帰ってまた明日探しに来ます。手伝ってくださって本当にありがとうございました」
百合は深々と頭を下げると、男に背を向けて歩き出した。
「……あの!」
「はい?」
呼び止める声に立ち止まって振り返る。男は戸惑うように、でも、何か決意のようなものを宿した目で百合を見ていた。
「もし良かったら、あなたのお名前を教えて頂けませんか?」
百合は少し躊躇ったが、彼の懇願するような瞳を見て思わず自分の名前を口にした。
「……中原……百合です」
「…………百合、さん」
確認するように百合の名前を呟くと、困惑気味に彼の様子を伺っていた百合に小さく笑いかける。
「呼び止めてしまって申し訳ない。……すみれの髪飾り、見付かるといいですね」
「はい。ありがとうございます」
もう一度軽く会釈して、今度こそ自分の家に向かった。
……どこに落としちゃったんだろう。とぼとぼと歩きながら考える。明日は朝早く起きて駐車場以外の場所も探してみよう。とにかく行動あるのみだ。
それにしても……今のあの人。なんだか不思議な人だった。突然現れたと思ったら見ず知らずのあたしの手伝いしてくれたり、急に名前を聞いてきたり。
それに、実はずっと引っかかっていたのだ。初めて会ったはずなのに、どこかで会ったことがある気がするのは何故だろうって。あーあ。あたしも名前ぐらい聞いておけば良かったなぁ。そしたら何か分かったかもしれないのに。百合はひどく後悔した。
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気休めにかけていたテレビから「スマホ画像を写真にしよう!」なんていうCMが流れ出す。それを見て、百合のシナプスは唐突に繋がった。
……写真……そうだ、写真だ!!
あの人どこかで見たことあると思ったら、おばあちゃんとの写真に写ってたあの人だ!!
百合は慌てて引き出しから一枚の封筒を取り出し、逆さに振って中身を取り出す。これは髪飾りを貰った時、おばあちゃんから預かった大切な封筒だ。
「…………やっぱり」
中から出てきたのは、一枚の古い写真だった。百合はその写真をじっと見つめる。
髪をポニーテールに結び、ワンピースを着た若々しいおばあちゃんの隣に写っていたのは、ジャケットを羽織った男の人だった。
アーモンド形の目元に、すっと通った鼻筋。緊張したようなぎこちない微笑みを浮かべ、目を離せば消えてしまいそうな儚い雰囲気を持っている。白黒の写真だけど間違いない、この人だ。
すみれの髪飾りを贈ってくれた、おばあちゃんの初恋の人。
駐車場で出会ったあの男の人は、この写真の男性にそっくりなのである。
……そういえばおばあちゃんがいつも笑いながら言ってたっけ。〝私の初恋の人は不老不死だったのよ〟って。
ただの冗談だと思って一緒に笑ってたけど……まさかね。漫画じゃあるまいし、そんなこと絶対ありえない。そんなこと……あるわけが……。
写真の中の二人をもう一度じっくり見つめる。
でも……もしも。もしもあの人がおばあちゃんの初恋の人だとしたら。
百合は封筒に入っていたもう一枚の細長い紙を手に取った。
あたしは彼に、どうしても伝えたいことがある。