文通を始めて半年ほど経った頃、かぐやの前に許婚を名乗る男が現れた。

 なんでも、あの母が自ら選びに選んで見つけて来た相手だという。

「……お兄様」

 部屋を訪ねて来たかぐやの表情は暗い。

「どうしたんだい?」
「……わたくしの許婚の話、聞きました?」
「ああ、聞いたよ」

 かぐやは大きな溜息をついた。

「お母様ったらいつの間に許婚なんて決めてたのかしら……。わたくし、結婚なんてしたくない。だってわたくしにはもう心に決めた方がいるのに。例え叶わないとしても、わたくしの心はあの方だけのもの」

 十五に訴えかけるその声は震えていた。

「でも、お母様の中でこれは決定事項みたいなの。お母様には逆らえない。このままいけばきっと無理やりにでも結婚させられるわ。わたくし、そんなの絶対に嫌!!」
「……彼にはこの事、話したのかい?」

 かぐやはふるふると首を振る。

「それなら話した方がいい」
「でも、」
「かぐやは彼が好きなんだろう? だったら話すべきだ。隠し事は良くない」
「…………」
「それに、彼なら何か解決策を見つけてくれるかもしれないよ。大丈夫だから、話し合ってごらん?」

 コクリ。かぐやは小さく頷くと、彼に向けて手紙を書いた。十五はそれを彼に渡す際、内容についてよく考えて欲しい旨を伝えると、彼は何かを察したのか力強く頷いた。

 手紙の返事はすぐに来た。

 その日、かぐやはえらく真剣な顔で彼からの手紙を読んでいた。書いてある文字を何度も読み返しては苦しげに頭を悩ませる。しばらくして意を決したように立ち上がると、十五の部屋を訪れた。

「……解決策は見つかったかい?」

 かぐやは、十五の顔を真っ直ぐに見ながら言った。

「……お願いがあります、お兄様」









 かぐやがいなくなった。

 〝花嫁修行のため数日家を空けます。友人に料理などを教わってくるだけなのでご心配なさらずに〟という書き置きを残したまま、五日経った今も彼女は帰ってこないそうだ。皇妃の命で家臣が彼女の友人の元を訪ねたのだが、皆かぐやは来ていないと言う。異変に気付いた家臣はすぐに皇妃に報告した。

 かぐやの行方が分からない。

 宮中は朝から大騒ぎである。かぐやを探す侍女や家臣たちがバタバタと動き回る音が絶えない。十五はぺらりと手の中の書物を捲った。

「十五!! 十五はどこだ!! 出て来い!」

 耳に響く大声と共に、部屋の襖がスパーンと開いた。

 そこにあったのは久しく見ていなかった義理の母の顔。まさに般若のような形相で、視線だけでも殺されそうだ。

「かぐやはどこだ!!」
「かぐや? 知りませんけど……何かあったのですか?」
「ええいしらじらしい!! お前だろう!? お前がかぐやをどこかへ隠したんだろう!?」
「僕がそんな事するわけないじゃないですか。少し落ち着いて下さいよ」
「口答えをするな!! ああなんて(けが)らわしい! これだから人間は嫌いなのだ!! 言え! かぐやは今どこに居る!?」
「彼女の居場所はわかりません。……ま。もし知っていたとしてもあなたに教える気はありませんけどね」
「な、なんだと!?」
「皇妃様!!」

 一触即発の空気を破ったのは、焦った侍女の声だった。

「家臣からかぐや様の居場所が見付かったと連絡が!」
「なにっ!!」

 皇妃は侍女の胸ぐらを掴んだ。

「どこだ! 私のかぐやは何処にいる!!」
「それが……」
「なんだ! 早く言え!」
「……月夜見山の隠し路を通って地上へ降りたようだと。……その……人間の殿方の元へ向かったようです」
「なん……だと……?」

 掴んでいた手から力が抜ける。そのまま呆然と立ち尽くしていた皇妃の身体が、わなわなと震え出した。

「……お前だろ」

 怒りの矛先は再び十五へと向かう。

「お前がかぐやを地上へやったんだろう!? この卑怯者!! お前みたいな者が神聖な我が国にいるからだ! だからかぐやは人間などという下級生物に騙されてしまったのだ!! あの人(・・・)だけでなくかぐやまで……許さん……。私は絶対に許さんぞ!! この穢らわしい人間め!!」

 十五に暴言を吐いたあと、皇妃は家臣全員にかぐやを迎えに行くよう指示を出していた。


────・・・


「……お兄様にお願いがあるの」

 あの日。

 部屋を訪れたかぐやに言われた願いは、自分を地上へ連れ出してほしいというものだった。許婚のことを彼に話したところ、こっちの世界へ逃げて来い。私の家で一緒に暮らそう。という返事が来たらしい。

 十五は一瞬迷ったが、かぐやの真剣な顔と見せられた彼の手紙に、協力することを決めた。

 急いで月夜見山に向かうと、十五はかぐやを連れて地上へと降りた。

 皇妃が知ったら怒り狂って連れ戻しに来るに違いない。少しでも時間を稼ぐため、かぐやの書いたニセの置き手紙を残しては来たがいつまで持つか……。



・・・────


「……まずいな」

 十五はかぐやに皇妃の動向を伝えるべく、急いで月夜見山に向かうと、殴り書きのメモ用紙を地上へ届けた。