月夜見山に登って、ゆっくりと目を閉じる。心の中で月と星に祈りを捧げると、次の瞬間にはぐるりと世界が反転するような感覚が身体を巡る。十五が再び目を開けると、そこは見知らぬ土地だった。

 月夜見山には、月の住人が地上に降りる時に使う専用の道がある。ツキノミチと呼ばれるそこは皇族と宮殿内の限られた者しか知らない場所で、立ち入りも制限されている。十五は幼い頃に父から聞いた覚えがあったのだが、実際に来るのは初めてだった。

 十五はふっと息を吐き出すと、乱れた衣服を整える。

 月の住人が地上に降りると、空気が合わずに気分が悪くなったり体調不良になったりする事が多いのだが、十五は半分人間の血が流れているのでその心配はない。十五はすぐにかぐやの意中の相手を探し始めた。

 金の糸で、松の木の刺繍が入った烏帽子。この情報があれば探せるかもしれない。

「……ここか」

 十五はとある屋敷の前に立っていた。刺繍というのはおそらく家紋で、そんなものをわざわざ烏帽子につけるのはいい身分の貴族たちに違いないと考えた十五は〝松の木を家紋に持つ月夜見湖周辺の貴族の屋敷〟というキーワードを元に町の人に場所を尋ねた。予想通り目的の屋敷はすぐに見つかったのだが、大きな門の前には二人の厳つい門番が立ちふさがっている。

 さて、ここからどうやって中に入ろうか。考えたところでいい案は浮かんでこない。うん、こういう時はやっぱり正面突破しかないかな。十五は堂々と歩き出す。

「すみません」
「なんだ貴様!」
「怪しいものではございません。私はこの屋敷の主人に書簡を持ってきた使いの者でございます」
「書簡だと?」
「ええ。そうです。私を入れるのを躊躇っているならば、主人に直接お尋ね下さい。月夜見湖の件で、と言えばおそらく分かっていただけるでしょう」

 十五はニコリと笑みを浮かべる。門番二人は顔を見合わせ、どうするべきか悩んでるいるようだった。やがて一人が屋敷に向かい、戻ってくるとそっと目配せをする。それを合図に、二人は大きな門を開け始めた。

 どうやら目的地はここで合っていたみたいだ。

 ほっと息を吐いて、十五は屋敷の中に入っていった。

 通された部屋に居たのは、青を基調とした烏帽子(えぼし)直衣(のうし)に身を包んだ若い男性だった。十五は人当たりの良い笑みを浮かべながら挨拶を交わす。

「初めまして。屋敷に入れてくださり感謝致します。つかぬことをお尋ねしますが、先日月夜見湖である女性とお会いしませんでしたか?」
「……お前は何者だ」

 男は警戒心を露わにし、十五を睨むように見やる。

「僕は彼女の、月野かぐやの兄で十五と申します」
「……彼女の兄上?」

 驚いたように目を開くと、男は十五をまじまじと眺め納得したように頷いた。

「……そうか。よく参ったな。しかし何故この屋敷に?」
「実は、かぐやからあなた様への手紙を預かってきたのです。もしあなた様に会えたならば是非にと、妹が(したた)めた手紙でございます」
「彼女が私に?」
「ええ。……お気付きだとは思いますが、我々は地上の者ではございません。月の都の住人なのです」
「……確かに。一目見ただけで分かった。彼女の美しさはこの世のものではないのだろう、とね」
「我が国では外の世界に出ることは禁じられております。僕はちょっと例外なんですがね。あの時、かぐやは迷い込んでここに辿り着いただけ。あの場にいたのは偶然だったのです」
「そう……か」
「だけど僕は、あなた達が出会ったのは偶然ではなく必然、あるいは運命だと感じております」

 十五は男の目をまっすぐ見つめて手紙を差し出す。

「かぐやの手紙、受け取って頂けますか?」

 彼はそっと手を伸ばし、丁寧に折りたたまれた半紙をしっかりと受け取った。その頬はほんのりと色付いている。

「ありがとうございます。では、僕はこれで」
「ま、待ってくれ!」

 立ち上がった十五を男は必死に引き止める。

「あの……だな、」
「はい」
「その……、」

 十五は男の言葉を待った。中々言い出せない様子だったが、貰ったばかりのかぐやからの手紙を見て、決意を固めたようだった。

「へ、返事はどうしたらいいんだ!」
「おや。書いて頂けるんですか?」
「当たり前だ! だが私は彼女の住んでいる場所を知らない。だから……」
「そうですね。では明後日の晩、僕が取りに伺いましょう」
「……いいのか?」
「ええもちろん。可愛い妹の為ですからね」
「……感謝する」
「あ、でも。門番に止められると少々厄介なので、僕は怪しいものではないと伝えておいていただけますか?」
「わかった。言っておこう」

 そう言って、男は初めて笑顔を見せた。





 ──その手紙をきっかけに、二人の本格的な文通が始まった。もちろん手紙を運ぶのは十五の仕事である。

 かぐやは彼に書く手紙の内容を一生懸命考え、何度も何度も書き直す。部屋はくしゃくしゃに丸まった半紙でいっぱいになった。そしてようやく書き終えると、今度は彼からの返事を今か今かと待ちわびる。その姿はまさに恋する乙女そのものだった。

「かぐや。彼から返事が届いたよ」
「ほっ、本当!? ありがとうお兄様!!」

 かぐやの満面の笑みを見て、十五もニコリと微笑んだ。届けるたびに心から嬉しそうに笑う二人の笑顔を見るのが、十五の何よりの楽しみだった。

「十五様、なんだか最近楽しそうですね」

 羽留にもそう指摘されてしまうほど、十五の機嫌は良かったらしい。

「うん。人の喜ぶ顔を見てるとなんだかこっちまで嬉しくなるね。心がポカポカと温かくなる」
「はい。私も、十五様の楽しそうな笑顔を見ていると嬉しくなります」
「はは、そうかい? ありがとう」

 十五は照れくさそうにはにかんだ。