「……〝鈴木(すずき)(ひろし)〟ねぇ」

 黒のボールペンで書かれた癖のない文字が並ぶ送り状を見ながら、七尾は不満そうに言った。

「なぁ~んか怪しいんスよねぇ」
「怪しいって、今のお客様が?」
「ハイ。なんか雰囲気っていうかオーラっていうか。自分のこと誰にも言うなってのも気になるし。ほら、この名前も」

 名前の欄を指差しながら送り状を突き出す。

「……普通の名前だと思うけど?」
「そう、普通なんス。どこにでもあるような当たり障りのない名前。ありきたり過ぎず珍し過ぎずの絶妙な普通感。なんつーか、これが逆にわざとらしいっていうか、ぶっちゃけオレらと同じニオイがするんスよねぇ」
「……つまり?」

 七尾は狐のように目を細めて言った。

「あの人、普通のニンゲン(・・・・・・・)じゃないッスよね?」

 語尾に疑問符は付いているものの、彼は既に確信を持っているようだった。

「てか月さんも気づいてたっしょ?」
「…………まぁ、なんとなくね」

 月野は小さな声で言った。その答えに満足したのか、七尾は座っていた椅子でくるくると回り出す。目は送り状から離れていない。

「宛先は〝中原(なかはら)百合(ゆり)〟さんか。荷物の中身は髪飾りだって。ん~、プレゼント? それともなんかワケありの品?」
「七尾くん、余計な詮索はしないように。お客様のプライバシーに関わりますからね」
「うぃーす」
「でも……」

 カウンターに置かれた小さな箱を見つめて、月野は眉尻を下げる。

「彼に何か事情があるのは確かでしょうね。月の光に導かれて、こうしてここに来たんですから」

 月野の呟きは、カツカツと床を鳴らすヒールの音と凛としたソプラノ声によって一瞬で掻き消された。


「戻りました」


 胸の辺りで揃えられた艶やかな黒髪を揺らしながら入って来たのは、道を歩いていたらおそらく十人中十人が振り返るであろう美貌を持った女性だった。タイトスカートから伸びる脚はスラリと細長い。

「おかえり、宇佐美くん」
「お疲れ様ッスー!」

 彼女はこの月野郵便局の副局長兼秘書を務める宇佐美(うさみ)羽留(はねる)だ。宇佐美は肩に掛けていた大きな紙袋をカウンターに置くと、ふぅと息を吐いた。

「どうだった? 天国(あっち)の様子は」
「相変わらずでしたよ。そろそろお盆に向けて準備しなくちゃならないって蓮川(はすかわ)さんが嘆いてましたけど」
「出入国届けの申請か。彼岸とお盆はみんな故郷に還るからねぇ」
「ええ。その時期の入国管理局は地獄みたいになるって今から憂鬱そうでした」
「はははっ」

 宇佐美は紙袋から長方形の形をした水色の箱を取り出した。

「これ、皆さんから預かって来ました。今日の回収分です」

 そう言って蓋を開けると、中には緑、紅、黄、白、黒といった五色の短冊が入っていた。色紙を縦長に切った手作りの短冊だ。その一枚一枚に、マジックやボールペンで様々な願い事が書かれている。

「おおーっ! だいぶ集まりましたね!!」

 七尾は箱を覗き込むと嬉しそうに言った。

 月野郵便局では毎年、七月七日の七夕に合わせてみんなの願い事を集めている。

 訪れたお客さんや各関係者の老若男女に願い事を書いてもらい、それを笹竹に飾って郵便局の入り口に立て掛けておくのだ。みんなの願い事を届ける手助けになればという月野の想いから始まったものだが、子供たちを中心に評判は中々だ。

「あっ!」

 月野が思い出したように大きな声を上げた。二人は何事かと一斉に月野を見やる。

「鈴木さんに願い事書いてもらうの忘れた……」

 二人はしゅんと肩を落とすその姿を呆れたように見つめ、溜息をこぼした。

「鈴木さんってもしかしてお客様?」
「そッス。さっき来たばっかのお客サマ。ってことでハイ、これ」

 持っていた送り状を手渡すと、宇佐美はすぐに読み始めた。ぱっちりとした大きな目が文字を追って左から右へと動き出す。

 顎の辺りにそっと左手を添え、考え込むように送り状と対峙する宇佐美を観察するように見ていた七尾は、ニタニタと笑いながら口を開いた。

「いやぁ~。それにしてもあれッスね。宇佐美さんの口元のホクロっていつ見てもホントにエロいッスよ、痛っだああああああ!?」
「バカなこと言ってると殴るわよ。グーで」
「もう殴ってるじゃないッスか!! グーで!!」
「正当防衛です」
「どこがぁ!? 暴力反対! パワハラ反対!」
「セクハラ野郎が何言ってんのよ」
「オレセクハラなんかしてないッスよ!! 冤罪だ冤罪! ですよね月さん!?」
「いや、完全にアウトだね」
「つ、月さんまで……!?」

 完全に味方を失った七尾はがっくりと項垂れる。

「ちょっとしたジョークじゃないッスかぁ。局員同士の仲を深めようっていうオレなりのコミュニケーションだったのに……ひどいや」
「今は昔とは違うんだから発言には気を付けなさいよね。この御時世、アンタなんか喋るたび訴えられるわよ? もちろんセクハラで」
「人を歩くセクハラ野郎みたいに言うのやめてくれません!?」
「は?」

 宇佐美は、まるで床に溢れた牛乳を拭いて異臭を放つボロ雑巾を見るような、不快感丸出しの冷たい視線で七尾を睨んだ。

「うっ……あの、謝りますから。謝りますからその蔑んだ目でオレの事見るのやめてくれませんか? こう見えてめっちゃメンタル弱いんで。めっちゃハート傷付きやすいんで」
「傷付けば? そしてそのまま割れればいいのよ」
「はい割れたー!! たった今オレの繊細なハートがパリーンと音を立てて粉砕されました! 謝るなら今がチャンスですけどどーします!?」
「放置」
「うわああああ……」

 七尾は心臓のあたりを抑えながらよろよろと壁に手をつく。

「……そういえば」

 七尾を完全にスルーした宇佐美は、紙袋の中からもう一つ箱を取り出した。淡いピンク色の包装紙に丁寧に包まれた箱だ。

「蓮川さんから皆さんで食べて下さいとお土産をいただきました。極楽堂(ごくらくどう)白桃(はくとう)饅頭だそうです」
「えっ! マジッスか!!」

 真っ先に食い付いたのは大ダメージを受けてライフがゼロになっていた七尾だった。その目はキラキラと輝きを取り戻している。

 それもそのはず。極楽堂の白桃饅頭とは、天国にある老舗菓子店極楽堂で製造・販売されている大人気のオリジナル饅頭である。

 白い皮の上部は薄いピンク色に色付けされ、葉を模した緑色の練り切りがちょこんと飾られている。見た目はまさに桃そのものだ。何を隠そう、この白桃饅頭は七尾の大好物だ。

「わーい!! 早く食べましょうよ!!」

 七尾のライフはもうすっかり回復していた。まったく現金な奴である。まぁ、その切り替えの早さは彼の良いところでもあるのだけれど。

「そうだね。じゃあ早速頂こうか」
「お茶は私が用意しますね」
「本当かい? 宇佐美くんの煎れてくれるお茶は美味しいから嬉しいなぁ」
「お粗末さまです」

 月野は預かった荷物をしっかりとしまうと、浮き足立っている七尾と奥の部屋へと歩き出した。