「春子さんはあなたにこれを伝えてほしいと。そうおっしゃっていましたよ」
「そ……んな」

 月野から話を聞いた桜は自分の口元を覆った。

「……春子さんを恨みますか?」

 桜はぶるぶると首を横に振る。

「恨むわけないです!! わたし、全然知らなかった。お母さんもおばあちゃんも……そんなことずっと抱えてたなんて知らなかった……」
「これ。春子さんから渡してほしいと頼まれたものです」

 月野は白い箱を机に置いた。

「春子さんが自室の引き出しに隠していた秘密の箱だそうです」
「……わたしが開けてもいいんでしょうか」
「ええ」

 桜は躊躇いがちに白い箱に手を伸ばす。

 ゆっくりと蓋を外すと、中にはたくさんの手紙が入っていた。差出人の名前はないが、今の話を聞いていればそれが誰からのものかすぐに分かる。

「なんだかんだ言ってちゃんと取っておいたんですね。おばあちゃんらしいなぁ……」

 一番上に置かれていたひとつだけ色の違う封筒。

 それは春子からの手紙だった。月野は静かに微笑んで桜に向かってこくりと頷く。


〝桜へ

 この手紙を読んでるってことは、あの色白優男に全部聞いたってことだね。
 まず最初に謝るよ。父親のこと、嘘ついててごめん。こっちに来てから色々と考えたんだ。アタシはなんてことしちまったのかってさ。実の父親と生き別れにさせ、その存在も隠して、あげく自分だけ被害者ぶって、桜のことも傷付けて。あの男だってつらかっただろうに。当時のアタシにはそんなこと考える余裕なんてなかった。娘を失った悲しみとあの男に対する憎しみばかりが心を支配していた。アタシの我儘で桜を縛り付けてたんだ。本当に悪いことをしたと思ってる。
 縛るものがなくなったんだ。これからあの男と会うも会わないも桜の自由だ。もう自分の好きにしていいんだからね。
 さて、ばあちゃんはあの世で美菜にたっぷり怒られてくるよ。まだ会ってないけど怒ってるに決まってるだろうからね。おー怖い。
 それじゃあ、元気でやるんだよ。体には気を付けて。出かける時の戸締りはしっかりすること。アンタ忘れっぽいからおばあちゃんは心配だよ。これからは美菜といつでも見守ってるからね。

 大木春子

 追伸:アルバムに一枚だけ残ってた。見たかったら見ればいい〟


 封筒を確認すると、中から一枚の写真が出て来た。どこかに旅行に行ったのだろうか。キラキラと輝く大きな桜の木の下で、母と一緒に写るのは楽しそうに笑う男の人。

「……えっ!? こ、この人っ」
「彼があなたのお父さん。五十嵐輝喜さんです」

 桜は目を見開いたままその写真を凝視する。そこに写っていたのはバイト先に来る常連客の一人だった。

 月に一度必ず訪れる、ボロくて狭い店にはとても似合わない、高級スーツに身を包んだあの男性。


「この人が……お父……さん」


 ボロリ。桜の瞳から大粒の涙が溢れ落ちた。それは次から次へと流れ落ち、床にシミを作る。

 あの人が父親だったなら、今までどんな気持ちでお店に来ていたんだろう。どんな気持ちでわたしを見ていたんだろう。

「……バカだなぁ」

 あんなボロい店にわざわざ通っちゃってさ。あなたはわたしが娘だって事、知ってたんでしょ? それなのに会話らしい会話なんてしたことないし。ただ見るだけで良かったのかな。ほんと、バカだなぁ。

 グスグスと鼻を鳴らしながら目元を拭っていると、青いハンカチが差し出される。

「あ、りがとございま、す」

 いつの間にやって来たのか、美人な女性がミルクティーのおかわりを淹れてくれた。

「落ち着くから、飲んで」

 優しい声色に涙腺が更に刺激される。こくりと頷くと、彼女が立ち去る気配がした。

 それからどのくらい泣いていたのだろう。グシャグシャの顔を上げると、温かい眼差しを向ける月野と目が合った。

「落ち着きましたか?」
「……すみません」

 ようやく二杯目のミルクティーに口を付ける。……美味しい。ほどよい甘さが胸の中まで届いたような気がした。

「わたし、ここに来るの怖かったんです。本当のことを知るのが怖かった。でも今は来て良かったなって思います」

 桜はグシャグシャの顔で笑みを浮かべる。

「お父さんの事とかまだ正直頭がついていけてないです。でもやっぱり、本当の事が分かって良かったと思う。これからどうするかはもう少し考えてみようと思います。月野さん、ありがとうございました」

 月野に向かって頭を下げた。

「大丈夫です。桜さんが選んだ道ならみんな協力しますよ。お母さんの言う通り、会えなくてもみんな繋がってますから。もちろんそれは我々もです。だからいつでも僕たちのこと頼ってくださいね」
「……はい!」

 涙で濡れた手紙を握りしめ、桜はもう一度グシャグシャな笑顔を浮かべた。