あの男から手紙が届いたのはそれから少し経ってからだった。読まずに捨ててしまおうかと思ったが、わずかに残る良心で一応目を通す。

 そこには謝罪と反省と後悔、自分を責める言葉が書き連ねてあった。そして、春子ともう一度会って話がしたいと。

 こっちは会う気なんてさらさらない。そう思って手紙をゴミ箱へ投げ捨てた。

 だが、それからもあの男からの手紙は続く。あまりのしつこさに観念して一度だけ、顔を合わせて話をする事にした。

「アンタもしつこいね」
「……すみません。だけど、どうしても話がしたかったんです」

 こじんまりとした喫茶店で向かい合わせに座る。店内には店の主人以外、人の姿は見当たらない。

「来て下さってありがとうございます」
「迷惑な手紙をやめてもらおうと思っただけだ。本当は顔も見たくない」

 輝喜は先日見た時よりも随分とやつれていた。頬は痩せこけ、目は虚ろだ。気力だけでなんとかここに立っているような状態だ。

「すみませんでした。俺が、俺が至らないばっかりに……美菜さんに苦労をかけて」
「そうだよ。アンタがさっさと美菜を諦めてくれてれば。アタシがあの言葉を信じていなければ。アンタがもっと……もっと早くに美菜を迎えに来てくれてたら。美菜は死ななくて済んだんだ」
「……はい」
「たらればばかり言ったって仕方ないんだけどね。でも、アタシはアンタを許さない」
「……はい。俺は、恨まれて当然の男です。あの女の子は……美菜の子なんですよね?」
「そうだ」
「お金で解決なんてことは考えていませんが、もし良ければ俺にお子さんの養育費を出させてほしいんです」
「あの子はアンタの娘じゃない。金なんていらないよ」
「でも、春子さんだけに負担はかけられません。あの子の将来のために使ってやってほしいんです。情けないことに俺が出来るのはこれくらいしかないから……お願いします」
「だから、アンタの娘じゃないって言ってるだろ」
「いいんです。例え俺の子じゃなくても、美菜の子供ですから」

 間髪入れずに返された力強い言に溜息がこぼれた。

「……馬鹿だねぇ。美菜が他の男に目移りするとでも思ってるのかい? あんな夢物語を信じて待ってるような子が」
「じゃあ、あの子はやっぱり……!」
「いいかい。うちには父親がいない。もうとっくに死んでる(・・・・)んだ。アンタはこの世にいない幽霊なのさ。アタシはあの子に……桜に、アンタの存在を言うつもりは一生ない」
「……はい」

 小さな声は震えていた。

「俺はもう、お二人の迷惑になるような事はしません。あの子の邪魔になることはしません。だから、その代わり。手紙を……手紙を書かせてくれませんか。彼女には、桜……ちゃんには、渡さなくてもいいですから」
「嫌だよ」

 冷たく言い放った春子にめげず、輝喜は言った。

「年に一度! 一度だけでいいんです! 渡さなくていい、捨てても構わない。匿名で出しますから、だから」
「さっきも言ったけど、アタシは桜にアンタの存在を言うつもりはないんだ。手紙が届いても絶対にあの子には渡さない。それでもいいっていうなら勝手にすればいい」
「……はい」
「アタシはもう話すことはないよ。アンタとはもう二度と会うことはないだろうね」

 春子が立ち上がって背を向けると、輝喜は慌てたように「あの!」と呼び止める。そして、春子に向かって深々と頭を下げた。

「美菜さんのこと、本当にすみませんでした。……約束、守れなくてごめんなさい。俺のせいで、ごめんなさい。だけど、これだけは言わせて下さい。俺は今も昔も、そしてこれからも、美菜さんだけを愛しています。本当にごめんなさい。お二人とも、どうかお幸せに。さようなら」





 それから十六年の間、あの男には一度も会っていない。

 もちろん桜にも父親のことは一切教えていない。もう死んだのだと、追求を避けるようにただそう言い聞かせているだけだ。

 その代わり、通帳に毎月振り込まれる養育費と、年に一度、匿名で届く分厚い封筒に入った手紙のせいであの男が生きていることだけはわかった。

 だからと言ってどうってことはないのだけれど。心の引っかかりには気付かない振りをしていた。

 だが、桜が学校で両親のことを聞かれるたびに落ち込んでいる様子を見て胸が痛んだのは事実だ。

 あの子にあんな思いをさせているのは自分なのだ、と日に日に罪悪感が押し寄せる。

 本当にこれでいいのだろうか。本当にこのまま、桜に何も言わないままでいいの? 寂しそうな顔をさせたままでいいの?

 だけど今さらなんて説明したらいいのか分からなくて、ただただ自問自答ばかりを繰り返す。アタシにあの男を責める資格はない。意気地なしは自分だった。

 そうこうしている間に病に侵され、実にあっけなく天国(こっち)の世界に来てしまった。胸に残ったのは張り詰めるほどの罪悪感と後悔。

 だからアタシはこの郵便局に来て、桜に本当のことを話す決意をしたんだ。