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月の光に誘われるように歩いていると、いつの間にか古い建物の前に辿り着いていた。
歴史の教科書に載っていそうな木造二階建ての建物。看板の類はないけれど、入口の近くには丸いポストが置いてあって、わたしは今自分がどこに居るのかを理解した。
ここが噂の月野郵便局に違いない。あの、どんな相手にも手紙を届けてくれるという不思議な郵便局。
中に入ろうと歩き出すと、紺色の着流しを着た華奢な男性が出て来て思わず立ち止まる。
その男性はドアに掛けられた木製のプレートを『準備中』から『営業中』に変えると、くるりと背を向けた。
「あ、あの!」
思い切って声をかけると、男性と目が合う。優しそうなタレ目を大きく見開くと、次の瞬間には木漏れ日のような笑顔を浮かべてわたしを見ていた。
「大木桜さんですね?」
「え?」
いきなりフルネームを呼ばれてギクリとした。
「お待ちしておりました。さぁ、こちらへお入り下さい」
着流しの男性は扉を開けてわたしが来るのを待っている。
聞きたい事はたくさんあるのに大人しく彼の言葉に従ってしまうのは、この人の持つやわらかい雰囲気のせいだろう。なんていうか、干したばかりのあたたかい布団に入った時のような安心感というか。気を抜いたら寝てしまいそうだ。
初対面の人に対してこんなことを思うのは失礼だろうかなんて考えながら、わたしは歩みを進めた。
室内は、なんというか想像していたより普通の郵便局だった。
「いらっしゃいませー」という声と同時にカウンターの中から銀髪の男性がひょっこり顔を出す。
「あー! 〝大木さん〟!」
「え、あ、はい?」
わたしの顔を見ると、銀髪の男性は嬉しそうに駆け寄ってきた。ていうかなんでみんなわたしの名前知ってるの。
「すまいる弁当でバイトしてますよね? オレあそこよく行くんスよ!」
「……ありがとうございます」
こんな派手な頭をしたお客さん、来たことないと思うんだけど。ていうか来たら絶対忘れないと思う。チャラいし。あれ……でも。ニコニコと嬉しそうに笑う姿はどこか見覚えがあるような気がした。
「こちらへどうぞ。中でゆっくり話しましょう。美味しいお茶菓子もあるしね」
カウンターの奥にある小さな部屋に案内され腰を下ろすと、タイミングを見計らったように一人の女性がお菓子と紅茶を運んできてくれた。
「ありがとう宇佐美くん。さぁ、桜さんも遠慮せずに食べてね」
「あ、はぁ」
アンティーク調のお洒落なお皿に並べられたクッキーはどれも美味しそうだが、残念なことに食欲がないので代わりにカップに口を付ける。
中身はミルクティーだったようで、ほんのりとした甘さにわたしの心も少しだけ解れた。
「申し遅れました。僕はこの郵便局の局長を務めている月野十五という者です」
わたしは小さく息を吸った。
「……この郵便局から手紙を出せばどんな相手にでも届けてくれるという噂を聞きました」
「ええ。その話は本当です」
月野さんはキッパリと言い切った。
「それは差出人にも当てはまる事なんですか?」
「と、いうと?」
「……誰にでもっていうのは受け取る側じゃなくて、送る側が人間以外の存在でも、その手紙は届けられるんでしょうか?」
「もちろんです。ここは届けたいという想いがあれば誰でも利用出来ますから」
膝の上に置いてある両方の手をぎゅっと握りしめる。
「実は最近、わたしの所に変な……というか、不思議な手紙が届くようになったんです。差出人はおばあちゃんからで、消印は月野郵便局のものでした。最初はイタズラかなって思ってたんです。だって手紙が来るなんてありえないから。だけど、筆跡とか言葉使いとか全部、本人のものにしか見えなくて……。でも、そんなはずはないんです。だって、おばあちゃんはもう……」
「…………四ヶ月前に、亡くなっているから?」
「……っ…………はい」
わたしは溢れそうな涙を乱暴に拭った。
「桜さんに手紙を出していたのは大木春子さん──あなたのおばあ様で間違いありませんよ」
その言葉にばっと顔を上げる。月野さんの優しい笑顔にまた涙が出そうになったけど、下唇を噛んでなんとか我慢した。
「本当に……おばあちゃんが?」
「はい。僕たちが保証します。ああ、馴れ馴れしく桜さんなんて呼んでしまって申し訳ない。春子さんがここに来るたび桜さんの話ばかりするから、僕たちもすっかり親しくなった気になっていて」
「おばあちゃんが……わたしのことを?」
「ええ。思い出話に花を咲かせてましたよ。過保護なくらい心配もしてましたけどね」
ひとつ深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、桜は口を開いた。
「……わたしには両親がいません。母はわたしが小さい頃に事故死してしまって、長い間おばあちゃんと二人で暮らしてきました。母のことはなんとなくしか覚えていませんが、強くて優しい人でした。父は……父はわたしが生まれる前に死んだと、ずっとそう聞かされてきました。だからわたしは父のことは名前以外知りません。顔も知らないし、どんな人だったのかも、何が原因で亡くなったのかも。おばあちゃんも話したがらなかったし、わたしも別に知ろうとはしなかった」
月野さんはわたしの話を真剣に聞いていた。
「でも、こないだおばあちゃんを名乗る人から四通目の手紙が届いて。そこにわたしの父親は生きてるって書いてあったんです。本当のことが知りたければ月野郵便局に行け、と」
「ええ」
「……驚きました。だって今までそんなこと聞いたこともないし、本当のことってなんだろうって、怖くて。それに、今さら父親が生きてるなんて言われても正直実感がわかないし。だからわたし、ここに来るべきか迷いました。たくさん悩んだけど、怖くても知っておかなくちゃなって。今逃げたらいつまでも心にしこりが残ると思って決意を固めました」
「……あなたにはここに来るべき理由があった。だから、月の光が導いてくれた」
「え?」
「月はなんでもお見通しですからね」
月野さんの柔らかそうな黒髪が揺れる。
「春子さんから、桜さんが来たら伝えて欲しいことがあると伝言を頼まれていました」
「……はい」
「今からそれを伝えますが、大丈夫ですか?」
わたしは月野さんの目をまっすぐに見つめる。
「……はい」
わたしの返事を聞くと、彼の薄い唇がゆっくりと開いた。