ガチャン! ガッチャン! 給湯室から食器のぶつかる音がする。とてもじゃないが洗い物をしているようには聞こえない。……茶碗、大丈夫かな。月野と七尾はどこか遠い目をしながらぼそりと言った。

「……なんかオレ今、嫁と姑に板挟みにされてめちゃくちゃ肩身の狭い旦那の気分なんスけど」
「……奇遇だね。僕も今まったく同じ気分を味わってた所だよ」
「……恐ろしいッスね、嫁姑戦争」
「……まったくだ」

 へらり。二人は力なく笑い合った。

「ええっと……じゃあ七尾くん、これ配達よろしくね」

 月野は白い封筒を手渡した。表には達筆な字で〝大木(おおき)(さくら)様〟という名前が書いてある。

「あれ? この名前……」

 七尾は封筒を見ながら言った。

「この名前に見覚えがあるのかい?」
「あ、いや。確信はないんスけど……ちょっと」

 自信なさげに人差し指で頬をかくと「てか!!」と急にハイテンションで続ける。

「ここの住所ってさっき言ってたお弁当屋さんの近くなんスよ! だからついでに買って来ますね! 三人分!」

 七尾はウキウキと楽しそうだ。よほどそのいなり弁当が好きなのだろう。

 月野が口を開きかけたその時、これでもかと言うほど床にヒールを打ち付けるカッ! カッ! カッ! という音が響いた。この音の発信源は言わなくても分かるだろう。二人は思わず身構える。

 ヒールの音が止み、七尾はおそるおそる顔を上げた。そこには案の定、この世の不機嫌を凝縮したような顔で仁王立ちする宇佐美羽留の姿があった。

「お、お疲れ様です宇佐美さ……ブッ!」

 宇佐美は無言のまま七尾の顔に数枚のコピー用紙を押し付けた。おそらく今回の配達先についての書類だろう。さすが仕事が早い。

 顔面に押し付けられ、鼻を赤くした七尾はその書類に目を通す。

「ええと……差出人は大木(おおき)春子、享年八十七歳。夫の大木(おおき)太陽(たいよう)とは若い頃に死別。娘の美菜(みな)は当時付き合っていた男性との間に子供を授かるが、諸事情により結婚は出来ず未婚の母となる。以来、母である春子と娘の(さくら)と三人で暮らしていたが、過労が原因の事故により二十六歳の若さでこの世を去る。当時桜はたったの三歳。春子は桜を引き取り、それから十六年間二人で暮して来た……と」
「なんだか複雑な事情がありそうだねぇ……」
「とりあえず今調べられたのはそれだけよ」

 はぁと溜息をつくと、宇佐美は眉間のシワを深くして言った。

「読んだらさっさと行って。アンタのその細い目見てると腹立ってくるのよね」
「ひどっ! なんなんスか皆して細目って! せめて切れ長でクールな目って言ってくださいよ! ていうかオレの目、皆が言うほど細くないッスからね!?」
「は? 鏡見てから言いなさいよ糸目」
「心のデッドボォォーーーール! 危険球退場! 選手交代!」
「乱闘なら受けて立つわよ?」
「エンリョしときます!」
「……まぁ。アンタのは別として細い目はチャームポイントにもなるし、私は嫌いじゃないけどね。アンタのは別として」
「……宇佐美さん!!」

 七尾は涙を拭うフリをしながら言った。

「うん、さすがツンデレ。その毒舌は宇佐美さんなりの愛情表現なんですよね。大丈夫です。オレちゃんとわかってますから。伝わってますから宇佐美さんの気持ち」
「ねぇ、どこをどう解釈すればそんなポジティブな思考に辿り着くの? 頭の中どうなってんの?」

 宇佐美の視線は冷たいが、七尾は気にせず笑顔で言った。

「オレ、宇佐美さんの分もちゃ~んとお弁当買ってきますから! 楽しみに待ってて下さいね!」
「……不味かったら許さないから」
「味は保証しますって! じゃ、行ってきまーす!」

 そう言って七尾は慌ただしく郵便局を出て行った。

「ふふっ」
「……なんですか」
「いや、宇佐美くんは素直じゃないなぁと思って」
「は? 何言ってるんですか」

 宇佐美は不快感を露わにする。だが、月野はそんな彼女を見てにんまりと笑った。

「だって宇佐美くん、耳赤くなってるよ?」
「……局長。視力が低下したなら今すぐ眼鏡の購入をオススメします」

 そう言って宇佐美はパソコンの前に座った。カタカタとリズム良くキーボードを叩きだし、無理やり画面に集中する。

 月野はその後ろ姿を見て声を出さないよう小さく微笑むと、自分も仕事へと戻っていった。