来客用の湯呑みと、和菓子を乗せた小皿が置かれた机。

「ったく。なんでここに来てまで白桃饅頭なんだい? こんなの毎日食べてるからもう飽き飽きしてるよ」

 相変わらずの顰めっ面をしたおばあさんの正面に座るのは、月野ではなく七尾だった。

「えっ! ばあちゃん毎日こんな美味しいもの食べてんスか!? うわぁ贅沢ー!」
「あたしはアンタのばあちゃんじゃないよ! 春子(はるこ)さんと呼びな!」
「はーい春子ばあちゃん!」
「ばあちゃんじゃないったら! アンタみたいなチャラついた細目、うちにはいらないよ!」
「チャラついた細目って……! いらないって……! 酷いよ春子ばあちゃん!」
「ばあちゃんじゃないって言ってるだろ!」

 いじける七尾を無視して、春子は宇佐美のいれたお茶をずずっと啜る。ごくりと喉を鳴らして飲み込んだ瞬間、眉間にシワを寄せながら不満気に言った。

「なんだいこの薄いお茶は。いれ方が全然なってないよ。アタシはもっと濃い方が好みだね」

 宇佐美が聞いたら怒り出しそうな台詞にぎょっとしながら、七尾は慌ててフォローを入れる。

「俺はこのぐらいの方が好きッスけど。ほら、饅頭の甘さともばっちり合うし」
「分かってないねぇ。勉強して出直してきな」

 春子はお茶をもう一口啜ると「うすい」と言って白桃饅頭へ手を伸ばす。

 文句言いながら結局飲み食いすんのかよ、と内心で思いながら、七尾は小さく溜め息をついた。

 こっちが何か一言話すと、春子さんからはその倍の文句が返ってくる。それにめげずに話を続けると、更にその倍の文句が返ってくる。さっきからこれの繰り返しだ。某銀行員も驚きの倍返しである。

 ここまで捻くれた性格をしていると、コミュニケーション能力に長けていると自負する七尾もさすがに参ってしまう。おかげで彼の心は殴られ過ぎてボロボロになったサンドバッグ状態だ。月さん早く来ないかなぁ、と内心でボヤいてしまうのも仕方ないだろう。

「お待たせしました」

 七尾の願いが通じたのか、蓮川の用事を終えた月野が応接室に入ってきた。

 七尾はすぐに立ち上がって月野に席を譲る。

「やっと来たね色白優男。ったく、待ちくたびれちまったよ」
「大変申し訳ありませんでした。どうかお気を悪くなさらずに……」

 月野は言葉通り申し訳なさそうに眉尻を下げる。春子はフンとそっぽを向いてお茶を啜った。

 それにしても。オレはチャラついた細目で月さんは色白優男か。……それなら、宇佐美さんは何て呼ばれるのだろうか。怖いもの見たさの好奇心が湧き上がる。

「失礼します」

 タイミングが良いのか悪いのか、宇佐美がお盆を持って応接室に入って来た。

「こちらお茶のおかわりです。……今度は濃いめ(・・・)にいれさせて頂きました」

 満面の笑みを浮かべた宇佐美の言葉に、七尾の顔がサッと青くなる。もしかして……さっきの聞こえてた?

「……フン。一丁前に嫌味かい? この小生意気な性悪(しょうわる)女が」

 宇佐美のこめかみがピクリと動いたのを七尾は見逃さなかった。この瞬間、戦いの火蓋が切って落とされたような気がして、七尾は逃げるように白桃饅頭に手を伸ばした。

「それで、本日はどのようなご用件で?」
「アンタ馬鹿かい? ここは郵便局だろ。こんな所に来る理由なんて決まってるじゃないか」

 まぁ確かに大抵は手紙や荷物の配達なんだろうけど。確認くらいさせてくれたっていいじゃないか。七尾はもぐもぐと口を動かしながら心の中で呟いた。

「その前にあれだ。アンタ、ここから出した手紙は本当に何処にでも届けられるんだろうね?」
「ええ。届けられますよ」
「おやまぁ。頼りなさそうな見た目のくせに随分と自信満々じゃないか」
「もちろんです。月野郵便局の名にかけて誓います」
「……そうかい。そこまで言うならお手並み拝見といこうかね」

 春子はどこからか白い封筒を取り出した。なんの飾り気もない、縦長のシンプルな封筒だ。

「アタシには孫娘がいてね。四ヶ月前、アタシが天国(こっち)に来るまではずっと二人で暮らしてたんだ。昼はバイトで夜は専門学校に通う健気な子でねぇ。うちの経済状況に気を使って最初は高校卒業したら就職するって言ってたんだけど、夢を諦めてほしくなくて。お金のことは心配するなって、受けるように勧めたんだ。そしたら見事に合格してね。今一生懸命学んでるんだよ。少しでも生活の足しになるようにってバイトまで始めてさ。無理してないか毎日心配で心配で。まぁとにかく、アタシに似て素直で可愛くて頑張り屋な女の子なんだよ」
「……素直で可愛い?」
「なんだい細目その顔は。文句があるならハッキリ言いな」

 思わず口をついて出た七尾の言葉を見事に拾った春子は、ジトリとした目付きで発言者を睨む。

「ないッスないッス! 文句なんて一個もないッス!」

 右手を顔の前でブンブンと振りながら否定すると、春子はぶつぶつと続ける。

「本当に失礼な男だよまったく。アタシだって昔は町一番の美人って評判だったんだからね。交際の申し込みなんてそりゃもう沢山あって。うちの人なんか熱烈なアピールで……ああ悪い。話が逸れちまったね。とにかく、大事なあの子を一人向こうに残して来ちまったことがアタシの唯一の心残りでね。もう心配でたまらないんだよ。仏壇に手を合わせる姿なんて見たらもう……胸が苦しくて……」

 先程までとは違い、彼女の口から出てくる言葉に棘はなかった。ハの字に下がった眉とうっすらと膜を張る瞳から、孫娘を心配している強い気持ちが伝わってくる。

「だからね、あの子にこの手紙を届けて欲しいんだよ」

 机に置いた白い封筒を指差し、春子は言った。

「お気持ちはよく分かりました。そのお手紙、必ずお孫さんの元へ届けますね」

 月野はいつも通り柔和な笑みを浮かべている。春子はその笑顔を見て溜め息をつくと、呟くように言った。

「……実は、天国でアンタのとこから届いたっていう髪飾りを付けてるばあさんがいてね」

 月野はすぐに反応を示す。

「髪飾り、ですか?」
「ああそうさ。紫色の綺麗な花が付いた髪飾りだよ。何がそんなに嬉しいんだってくらいニコニコ笑っててさ。あんまりにも嬉しそうだったから気になってちょっと聞いてみたんだよ」
「ふふっ。そうですか」

 月野と七尾は顔を見合わせると安心したように笑った。そんな二人を春子は「なんだいその笑いは。気持ち悪いね」と(いぶか)しげに見やる。

「そしたら、これは現世から届いた荷物だって言うじゃないか。嘘だろって更に聞いたら、どこにでも届けてくれる郵便局があるって。天国内でもよく使ってるって。だから今日、蓮川っていう堅物兄ちゃんに無理言って連れて来てもらったっていうのに。こんなヤツらに任せて大丈夫なのかねぇ」
「ご安心ください。必ずお届けしますから」
「……ま、よろしく頼むよ」

 湯呑みのお茶を飲み干すと、春子はゆっくりと立ち上がった。扉の前に立つと、何かを思い出しように振り返る。

「ああそうだ。あのいけすかない性悪女(・・・・・・・・・)に、今度はもっとまともなお茶と和菓子の用意しとけって伝えといておくれ。それじゃあね」

 春子の捨てゼリフに、月野も七尾も顔色を悪くしてピタリと固まった。背中にはじわじわと冷たい汗が滲んでくる。

 ようやく嵐が去ったと思ったら……とんでもない爆弾を落として行ってくれたものだ。