「それからすぐ、私はこの町を出ました。すみれさんはお見合い相手の方と結婚し、女の子を産んだと風の噂で聞きました」

 鈴木はぽつりと言った。

「私はもちろん独りです。彼女との思い出を胸に、各地を転々と渡り歩いて来ました。こんなに長い間生きてきて、愛した人はたった一人なんです。一途でしょう?」

 おどけたように肩をすくめる。

「鈴木さんは、どうしてまたこの町に?」
「……実は懐かしくなって。自分から離れたくせに呆れちゃいますよね。一目だけでも幸せな姿を見れたらなんて、柄にもなくそんな風に思ってしまって。それであの日、あのあたりをうろついていたんです。すみれさんと出会い、そして別れた、あの橋の周りを。いやぁ、随分風景は変わっていたけど、あの橋だけは変わらないなぁ」

 鈴木は遠くを見るようにうっすらと目を細めた。

「百合さんを見掛けた時、心臓が止まるかと思いました。すみれさんに瓜二つだったから。だから思わず声を掛けてしまったんです。……もちろん、彼女がすみれさんではないと頭では分かってたんですけどね」
「……鈴木さん」
「おそらくすみれさんの血縁者なのだろうとすぐに気付きました。そうですね、あとは知っての通りです」
「やはり、あの髪飾りは……」
「ええ。お察しの通り、私がすみれさんにあげた物ですよ」

 にこりと笑いながら言った。

「百合さんが帰った後もう一度駐車場を探したんです。そしたら金網に小さな巾着がぶら下がってて。先に見付けた誰かが分かりやすいように置いてったんでしょうね。ただ、ちょうどその場所に車が停まっていて隠れてたみたいなんです。それに、私たちは地面ばかり探していたから。灯台下暗しって奴ですね」
「そうだったんですか」

 乾いた喉を潤すようにグラスに口をつける。

「しかしまぁ、運命とは面白いですね。巡り合わせとでも言うんでしょうか。あそこで百合さんに会ったのもきっと何かの縁なんでしょう」

 鈴木は静かに白い封筒を取り出した。

「百合さんの手紙には、私と会って話がしたい旨が書かれていました。正直、ここに来てからも返事を出すかどうか迷ってたんです」
「どうするか、お決まりになりましたか?」
「ええ」

 その封筒をすっとテーブルの上に置く。

「これ、彼女に届けてください」
「わかりました」

 月野が頷くと、鈴木は「んー」と強張った身体を解すように伸びをした。

「……それにしても、月野さんは不思議だなぁ」
「何がですか?」
「どういう訳かあなたには何でも話してしまうんですよねぇ。その癒し系オーラのせいかな?」
「ははっ。よく言われます」

 月野は頭をかきながら言った。





「うっ! ひっ! ひっく!」

 鈴木を外まで送ってから戻ると、室内には七尾の嗚咽が響いていた。

「ううっ、オレああいう話に弱いんスよぉ~」
「グズグズうるさいわね。ほら、早く鼻かんで」

 そう言う宇佐美の目元もほんのりと赤い。
 この様子からすると、二人は月野と鈴木のやり取りを一部始終聞いていたらしい。

「……うっ、なんて哀しい運命なんだ。でも! それでも愛を貫くズッキーにマジ感動ッス! これぞ純愛!」
「えっと、落ち着いたら配達お願いしていいかな? ……百合さんの所に」
「行きます行きます! すぐ行きます!」

 涙でグシャグシャの顔のまま叫んだ七尾の迫力に後ずさる。

「ん~……とりあえずその顔なんとかしてから行こうか。七尾くん」

 宇佐美は嫌悪感丸出しの視線を投げかけながらも、そっとボックスティッシュを差し出した。

「ううっ……宇佐美さんが優しい……明日は雨だな」
「アンタはいつも一言余計なのよ!」
「いてっ!」

 宇佐美は頬を赤くしながらボックスティッシュを投げ付けた。それは七尾の顔面にクリーンヒットする。

 月野はいつも通り苦笑いを浮かべながら、赤くなった顔面を覆う七尾の様子をハラハラと見守っていた。