深桜に翔奏のCDを薦めたのも、もう俺の力ではどうすることもできないと思ったからだ。俺の力だけでは、深桜を救うことができなかった。自分が招いたことなのに、俺は翔奏の曲で深桜との距離を埋めようとしたのだ。
 あのとき、「深桜は翔奏の声を聞いて、彼のことを思い出すかもしれない」って思っていたにも関わらず……。
 でもあのまま深桜との距離を遠いものにしておくよりもましだった。俺にとっては大きな賭けだった。
 でも何も起こらず、深桜は翔奏のことを思い出すことなく、時は流れた。
 そして俺は翔奏から審査員に選ばれた話を聞いたとき、また胸騒ぎを感じた。
 小説家志望で、翔奏のファンである彼女が、彼が審査するという小説大賞に応募しないはずがない。案の定、翔奏からその話を聞いた次の日、彼女もどこからか情報を仕入れたのか「翔奏に読んでもらえるだけでいいもん。だから頑張る」といつもよりも気合いの入った様子で俺に宣言して、楽しそうに小説をかいていた。俺はそれをずっと見ていた。
「智歌先輩。よかったらこれ読んでください」
恥ずかしそうにしながらも、すっと差し出された深桜の原稿を読んだとき、ずっと心に抱いていた不安がより一層強くなった。
 小説にかかれているものは、昔、俺たちが体験した夏の日の楽しい出来事だったからだ。深桜の「翔奏に逢いたい」っていう思いが、彼女の頭の中から消えた記憶が戻り、小説となったのだと自然とそう感じた。
 でも彼女の作品は一次も通らず、翔奏の目に触れもしないことを知っていた俺は、せめて何かしてやりたいと思って、音楽室でピアノを聴かせて慰めた。それで終わりだと思っていたのに、やはり翔奏は彼女に辿りついてしまった。
 あまり信じてたくはないが、きっとこれが運命というものなのだろう。
 ただ「大好きな藤沢翔奏は実は最終選考の作品しか読んでいない」なんて深桜が知ったら、彼女の落ち込みが一層ひどくなると思って、そのことは黙っておいた。
 一次も通っていない彼女の作品は彼に読まれもしない。
 もしかしたら、SNSやネットで、そういう情報が流れていて、彼女は知っているかもしれない。
 ただ、それを事実として、知らなくてもいいことだ。あんなに楽しそうに小説をかいていた彼女が、この事実を知れば、きっと涙を流すだろう。「もう小説をかかない」と言いだしかねない。そんなことは絶対に嫌だった。