でも隠し続けて真実を言えない俺にとっては、その優しさが俺を苦しめている。
 ただ真実を翔奏が知れば、この優しさもなくなるだろう。関係は一気に崩れる。
「それで? 何?」
俺は何でもないように翔奏に訊ねた。本当はこの先は聞きたくない。今すぐにでも電話を切りたい。
 俺はスマホを持つ手に力を込め、今にも崩れそうな足から力を抜いてピアノの前に座った。
「……俺が小説の審査員になったって言ったよな。それで出版社に行ったんだけど、そこですごい懐かしい名前を見つけたんだ」
それを聞いただけで、俺は彼女と翔奏が出逢ってしまったんだと確信した。嘘で隠していた布が、どんどんはがされていくような感覚になる。
「どんな小説だよ。もしかして、もうそれに決めたのか?」
俺は翔奏の答えを聞かなくても分かるのに、そんなことを尋ねた。彼にも彼女にも俺は嘘ばかり吐いている。
「いや。最終選考の作品の中には入ってないんだけど、偶然落選した作品の中から見つけたんだ」
俺は心の中で「やっぱりな」と呟いて、適当に相槌を打って、彼の話の続きを促した。
「それで……なんていうんだろう。自分で言うのも変なんだが……懐かしいんだ。表紙に書いてある名前で、彼女のこと思い出して……。それでなんとなく、あぁこれはあの子がかいた小説なんだとか思ったんだ。でもそんなはずないじゃん。……だってちぃはもうこの世にいないからさ」
俺はその声に何も答えなかった。真実を知っているのにも関わらず黙っていた。卑怯だと思うが、もうどうしようもない。嘘で嘘を塗り固めた俺のせいだが、もうどうすることもできないのだ。
「俺、おかしくなったんかな? その小説読んでますます俺、ちぃがかいた小説だとか思ってさ」
彼はそんな名前で彼女を呼んでいた。

――千歳深桜。

俺はあれから深桜のことを「ちぃ」と呼ばなくなった。それは深桜に翔奏のことを思い出してほしくはないからだ。
 些細な出来事で彼女は、翔奏のことを思い出すかもしれない。
 その不安がいつも俺の周りを取り巻いて、何度も翔奏と深桜に嘘を吐いた。
 深桜はもちろん、翔奏と俺が知り合いなんて知らないし、翔奏も深桜と俺が今も繋がっているということを知らない。
「でも早いよな。ちぃがいなくなってもう十年だろ。……信じられないよ。まぁ今もこうやって信じられないことが起きてるわけだけど」