俺の手は、暑さと緊張で熱くなっているのにも関わらず、彼女の頬は、俺の手よりほんのりと温かい。風が運ぶ木々の匂いに混じって、シトラスの香りが鼻をくすぐる。
「……先……輩っ」
深桜の口の端から微かに零れた声が聞こえて、俺は唇をそっと離した。
 目を開くと、深桜の照れ隠しの微笑みが、間近にあった。
「……先輩。いきなりは卑怯です。心の準備とかあるんですから」
「じゃあ今いい?」
無機質な声でそっと囁くと、彼女はそっと目を逸らして、ちらっとこちらを見た後、また逸らした。
「……もう今はダメです。誰かに見られたら、恥ずかしいから」
 頬を膨らまして、恥ずかしそうにする彼女を、ぎゅっと抱きしめた。
「深桜。ごめん。俺、ずっと嘘吐いてて。深桜と翔奏に……。でも俺でいいのか。俺なんかで」
今までのことを情けなく吐露する俺の口を、人差し指で深桜はそっと押さえた。
「智歌先輩。私たちに、もうそんな言葉はいらないです。翔奏さんも言ってました。あなたにありがとうって伝えてほしいって。二人の間に何があったか私には分かりませんが」
深桜は一度俺の胸に顔を埋めて、また顔を上げると人懐っこい笑みを浮かべた。
「チカもカナも、私のこと大切にしてくれたから……」
深桜の微笑みと、昔のちぃの微笑みが重なって見えた。
でも、すぐにちぃの微笑みは薄まり、深桜は恥ずかしそうに微笑んで続けた。
「だから言ってほしいです。智歌先輩の本当の気持ち」
目は泳いでいるけど、必死に俺を見ようとする深桜は、大人ぶった子どもみたいだ。
 そのおかげで俺の心は軽くなり、素直になることができた。
「深桜のことが好きだよ」
「先輩」
深桜は顔を真っ赤に染めて、恥ずかしそうに俺の胸にまた顔を埋めた。
「先輩、私も……私も先輩のことが」
途切れ途切れになる彼女の声を、俺は静かに待った。
 聞かなくてもその先は分かる。でも聞きたい。彼女の声で、彼女の気持ちを知りたい。
「……好きです」
それはとても小さな声で、蝉が鳴いていたらきっと聞こえなかっただろう。
でも、もう蝉の声が聞こえないこの階段の下なら、ちゃんとその声を聞くことができた。

 その帰り道、田んぼの間の細い道をのんびり深桜と歩いていたら、少し遠くにある大きな道をシルバーのスポーツカーが、俺たちを追いこしていった。