「えっと、1限目がオリエンテーションで、2限目は社史、3限目が妖生態学に4限目が霊符入門Ⅰ……詞表現演習?」
翌朝、入学案内と共に送られてきた授業要項の冊子と睨めっこしながら、本棚にギチギチに詰められた教科書や巻物を引っ張り出す。
聞きなれない授業名に、必要な教科書がどれなのか何一つ分からない。
授業に参加する前なのに、もう目が回りそうだ。
「────巫寿さま、便りが届いております」
背後でそんな声がしてばっと振り返る。
いつもと変わらずすまし顔のトウダさんがそこに立っていた。
「び、びっくりした! トウダさん!」
「私めに敬称を付けるのはおやめ下さい。禄輪より、しばらくの間は巫寿さまに正式にお仕えするようにと仰せつかっております。巫寿さまは我が君となられたお方です」
「え、そうなんですか……?」
「はい、こちらにその旨が書かれた便りが」
そう言ってトウダさん……トウダはガラス窓を開ける。
すると小さな白い小鳥が勢いよく飛び込んできた。
勢いのまま私に突き進んできたその鳥は、止まることなく私の額に突っ込んできた。
いて!と悲鳴をあげる。
鳥がよろけて落ちそうになるのを慌てて両手でキャッチした。
「〜っいてて、あれ。これ、折り紙?」
よく見るとそれは鳥ではなく、精巧におられた紙の鳥だった。
「正確には霊符、でございます。解いてご覧なさい」
そう言われて破らないように慎重に折り目を解いていく。
すると裏には禄輪さんの文字が、表には文字とも絵とも言える不思議なイラストが描かれていた。
「トウダさ……トウダ、これは何?」
「便りを運ぶための霊符でございます」
「この紙が?」
「はい」
目を瞬かせながらひっくり返し、裏に書かれた手紙を読んだ。
『無事学校には到着したみたいだな。薫から早速「巫寿が倒れた」と便りが届いて肝が冷えたぞ。慣れない環境で初めての事ばかりだろう、決して無理はせず、困ったことがあれば直ぐに周りに頼りなさい。どうにもならない時は私に知らせること。それと、やはりしばらくの間騰蛇《トウダ》は正式に巫寿に付くように言い付けた。私ではなく巫寿が主だ。騰蛇は承諾しているから、あとは結びを作りなさい。方法は騰蛇から聞いてくれ。力になってくれるだろう。それでは、近いうちにまた会いに行く。』
丁寧な時でそう書かた手紙は、読み終わるとふわりと白い煙になって空気中に溶けた。
び、びっくりした!
これって溶けちゃうものなんだ。
ドキドキしながら騰蛇を見上げる。
「トウダって、こういう字で書くんだね。騰蛇《のぼるへび》で騰蛇、すごく格好いい」
「恐れ入ります」
「えっと、それで……騰蛇は、本当にそれでいいの?」
特に気にするまでもなく「ええ。もちろんです」と頷いた。
「えっと、じゃあこの"結び"っていうのを作るんだよね?」
「ええ」
「どういうことをするの?……あっ、いけないもう出なきゃ! ごめんね騰蛇、後ででも良い?」
「はい。私は巫寿さまのそばで控えております故、いつでも」
そう言うと騰蛇は静かに目を瞑った。その瞬間、彼女の体全ての輪郭がくにゃりと歪み、やがて空気に溶けて行った。
目を見開いて騰蛇が消えていった場所を凝視する。
「えっ、騰蛇って消えれるの?」
「ええ」
何も無いところからそう返事が帰ってきてぽかんと口を開けた。
禄輪さんから騰蛇を預かってからその姿が見えないなとは思っていたけれど、まさかこうして見えない姿でいたなんて。
「あ、遅刻……!」
はっと我に返り時計を見上げると、待ち合わせの時刻は遠に過ぎている。
慌てて鞄を肩にかけ部屋を飛び出した。
少し遅れて嘉正くんたちと合流し、私たちは教室へ向かった。
毎年中等部から繰り上げ入学になる高等部は、学生が多いときでも十数人程度しかおらず、自動的にクラス分けはなくなり一クラスのみになるらしい。
今年は編入生の私を含めて、一年生は六人なのだとか。
教室がある棟は寮からまた少し階段を昇った上にある。
初等部、中等部、後頭部、専門学部、の四学生が一斉に学ぶ場所だけあって建物は非常に大きかった。
木造四階建て、三つの棟がコ型に配置され、建物がない部分は渡り廊下で繋がっている。
ぱっと見た感じは京都のどこかにある神社のような外観だ。
中等部と高等部は真ん中の棟に教室があるらしい。
嘉正くんたちに続いて中へ入ると、内装は思った以上に学校らしかった。
中も全て木造で、一昔前の学校っぽい。
「一階は医務室と特別科目の教室とかがメインかな。二階も特別科目の教室と職員室。三階が高等部三学年で、四階が中等部三学年」
「特別科目?」
「詞表現実習とか薬種学とかの授業だよ! 俺、特別科目好き〜」
慶賀くんが楽しげにそう言ったが、名前だけじゃ授業内容は何一つ想像できなかった。
けれど何となく、"こちら"でいう美術や理科の授業の事なんだろうなと想像が着いた。
教室に着くと、もう教室には三人の男の子がいた。
一年生は六人だからこれで全員なんだろう。
「おっ、やっと来たか! おせぇぞお前ら!」
ニカッと白い歯を見せて笑う笑顔が印象的な男の子。嘉正くんよりかは少し背が高く、体つきが逞しいからもっと大きく見えた。
「おはよう、みんな」
もう一人の男の子は眼鏡をかけた小柄な男の子。のほほんとした雰囲気で、大人しげな性格みたいだ。
もう一人は切れ長の目と整った顔立ちが印象的な男の子だった。
私たちが教室へ入ってくると、ちらりとこちらに目を向けたが、我関せずといった風にまた手元の本に視線を落とす。
「おっ、噂の編入生だな! 俺は近衛《このえ》泰紀《たいき》! これからよろしくな!」
手を差し出した泰紀くんは私の手をがっちり掴むと、ぶんぶんと上下に激しく振った。
体型から想像はついたけど、思った以上の力強さだ。
「ちょ、ちょっと泰紀。相手、女の子だから……。僕は松山《まつやま》来光《らいこう》です。これからよろしくね」
オドオドしながらも止めに入ってくれたその男の子は、来光くんと言うらしい。
「え、えっと、初めまして。椎名巫寿です」
「巫寿な、よろしく!」
「よろしくね、巫寿ちゃん」
ぺこりと頭を下げると、がはがは笑った泰紀くんに背中を勢いよく叩かれた。
順番に挨拶して、自然と視線はもう一人の男の子へと流れる。
「巫寿」
そう言って肩を叩かれて振り返ると、嘉正くんは苦笑いで肩を竦めた。
不思議に思っていると、遠くから除夜の鐘のような鈍い鐘の音が響き渡る。
「あ、予鈴だ」
そう顔を上げた慶賀くんは「みんな行こー!」と教室を飛び出す。
一限目は九時からで今は八時二十分、まだまだ時間は十分にあるはずだけどどこに行くんだろう?
「嘉正くん、これから何かあるの……?」
「ん、これから本殿と社頭の清掃があって、その後に朝拝っていう朝の参拝があるんだ。休みの日以外は毎朝あるよ」
「ほんっとに面倒くさいけど、出ないと罰則あるからね! 気をつけなよ〜?」
そう言った慶賀くんの頭を、泰紀くんがぐりぐりと押さえつけた。
「この学年で一番罰則くらい続けたお前が何言ってんだよ!」
「あーっ! 言ったなコノヤロー! 泰紀だっていっつも俺と罰則食らってるだろーが!」
ギャハハ、と笑いながら廊下を飛び出した二人。
「行こうか」と促されて私達も廊下に出た。
「罰則って、何があるの……?」
恐る恐る聞いてみると、嘉正くんは「そんなに怖がるものじゃないよ」と笑う。
「出なかった分、休みの日に清掃と朝拝に参加するだけだよ。ちゃんと学校に来てれば、罰則になんてならないから」
そう付け足した来光くんは、遠い目で二人が駆けて行った廊下を見る。
「来光、くん? 大丈夫?」
「ははは、大丈夫だよ。いつもあの二人が僕を巻き込むもんだから、一緒に罰則を受ける羽目になってるけど、全然大丈夫だよ。"三馬鹿"なんて呼ばれる羽目になってもホントに大丈夫だよ」
ぽん、と来光くんの肩に無言で手を置いた嘉正くん。
何となくみんなの関係性が見えてきた気がする。
清掃はクラス単位で割り振られているらしく、私たちは神楽殿の担当だった。
中学校で放課後にしていた掃除とあまり大差はなく、雑巾を投げて遊ぶ慶賀くんと泰紀くんをくすくすと笑いながら進めていく。
和気あいあいと取り組んでいる中で、ひとり黙々とこちらの様子を気にとめる素振りもなく掃き掃除している男の子がいた。
先程教室で、ずっと本を読んでいた男の子だ。
そういえば嘉正くんが、なにか意味深に首を振っていたのはどういう意味なんだろう。
舞台を雑巾がけしていた嘉正くんに話しかけた。
「嘉正くん、あのもう一人のクラスメイトって……」
「ああ、さっきは自己紹介してなかったもんね。名前は京極《きょうごく》恵生《えい》」
「恵生《えい》くん……」
「恵生は、あんまり輪に入ってこようとしないタイプなんだ。冷たそうに見えるけど、良い奴だよ」
そうなんだ、と相槌を打つ。
教室でちょっとだけ「やな感じだな」と思ってしまったことを反省する。
嘉正くんがそういうんだから、きっといい人に違いない。
そんなこんなで、清掃の終わりを知らせる鐘がなった。
えっと、清掃の次は朝拝だっけ……?
ぞろぞろと移動を始めたみんなについて行くと、今度は本殿の中へ入った。
他の学年の生徒も中に入っていく。
どうやら全学年で朝拝というのを行っているらしい。
中へはいると、まず目に入ったのは屋根にまで届きそうな大きな祭壇だった。
薄いカーテンのような布が敷かれた祭壇は、まるで階段のようになっており、たくさんの蝋燭がともされ捧げ物などが並んでいる。
段のてっぺんには、万物を見通せるような透き通った輝きを放つ鏡が恭しく飾られていた。
私たちは空いている場所に腰を下ろした。
「朝拝って、何をするの?」
「特に変わったことをする訳では無いよ。皆で大祓詞を唱えて、御祭神さまへ社を開けるご挨拶をするだけだから」
なるほど、と相槌を打つ。
やがてまた時刻を知らせる鐘がなって、袴姿の神職たちが入ってきた。
粛々と儀式は進み、生徒代表が玉串を奉奠《ほうてん》する。
玉串奉奠の代表生徒はこれは週替わりで担当が回ってくる当番制らしい。