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手芸雑貨店青木。
愛理ちゃんと不審な男は商店街の一角にある手芸店の前で足を止めた。何やら一言二言話すと店の中へ入って行く。縫い物でもするのだろうか。学校の宿題で使うとか? いや、手芸について知識がないのでよく分からない。
狭い店内に入って行くわけにもいかず、俺たちは再び店の外で二人が出てくるのを待った。八神さんはどこから取り出したのか双眼鏡で店内を覗いている。
「何か生地を選んでるみたいだよ。……ピンクと白と緑の布を手に取ってる。あ、糸も見てるねぇ。いや、あれは紐かな?」
いや捕まるから。この不審者マジで捕まるからガチでやめろ。捕まったら他人のふりするからな!
「あ、出てきた」
俺たちは電柱の影にさっと隠れる。愛理ちゃんは買ったばかりの紙袋を大事そうにギュッと持つと、男と一緒に歩き出した。数メートルの距離を開けて二人の後に続く。
スマホには芳賀さんからのメッセージが溜まっているが、未読無視でいいだろう。現状を報告したらとんどもなく面倒なことになるのは目に見えている。
愛理ちゃんと男は信号を渡り、近くの大型スーパーへと入って行った。その入り口にはスキニーパンツにロングカーデを羽織ったやけにスタイルの良い女性が立っている。帽子を深く被っているせいで顔はよく見えない。二人が彼女の元へ駆け寄ると、ぱっと顔を上げた。
俺は自分の目を疑った。
艶やかな黒髪、潤んだ大きな瞳と高い鼻、ぷるんとした薄い唇。気品溢れるオーラを隠しきれていない美しい女性は間違いない。これはかつて、そのあまりの人気ぶりに「桜子症候群」と呼ばれる社会現象を起こし、人気絶頂期に突如結婚と引退を発表した伝説の女優、宮園桜子、もとい、芳賀桜子本人だ。
あの変人作家芳賀恭一郎の妻で、愛理ちゃんの母親である。芳賀さんの影響でうちの喫茶店にもよく来てくれるので何回か会ったことはあるが、いつ見ても本当に美しい。そして、相変わらず遠近法が狂ってしまうほどの顔の小ささだ。彼女は本当に同じ人間なんだろうか。うん、実に美しい。
……いやいや見とれてる場合じゃない。話を戻そう。っていうか何故桜子さんがここに? あの男と知り合いなのか? わざわざ変装してこんな所で待ち合わせまでするなんて……え、まさか。
〝逢引か!? 逢引なのか!?〟
芳賀さんの叫び声が脳内に木霊する。それと同時に浮かんだ一つの疑惑。……いやいやまさか。そんなこと。
「どうしたのケントくん。愛理ちゃん達行っちゃうよ?」
「あ……は、はい!」
慌ててスーパーに入る。探さなくても色んな意味で目立っている三人は、既にカゴを持って買い物を始めていた。楽しそうに品物を選んでいるその姿は完全に親子そのものである。あの不審な男も細身で背が高くてスタイルがいいし、桜子さんと並んでも引け劣らない。……というのは言い過ぎかもしれないが、少なくともボサボサ頭の芳賀さんよりは似合っている。失礼なのは重々承知だ。
「いいなぁチョコ買ってる。あとはバターにタマゴ……あ、そういえばタマゴがなくなったってモカちゃん言ってたよね? ついでに買ってく?」
他人の買い物カゴを見るな。そして普通に買い物しようとするな。ったく、本来の目的忘れてんじゃないのかこの人。八神さんをジトリと睨んでみるが、本人はまったく気付いていない。それどころか「あ! 僕としたことが! 張り込み基本セットを忘れるなんて!」と言いながら慌ててあんぱんと牛乳を手に取る。……張り込み基本セットって。いや、確かに気持ちは分かるけど。それって警察の方がイメージ強いな、俺的に。
俺が八神さんに呆れている間に買い物を終えた三人は、荷物を持って再び歩き出す。愛理ちゃんが図書館に戻る様子は微塵もない。代わりに辿り着いたのは閑静な住宅街にあるお洒落なマンション。不審な男は慣れたようにパネルにカードキーをかざしオートロックを解除すると、仲良く三人でエントランスへと消えて行った。
一応言っておくが、ここは芳賀さんの家ではない。ということは……。
「おやおや? これはスキャンダルの予感かな?」
スーパーで買ったあんぱんをもぐもぐと食べながら、八神さんはやけに楽しそうな声で言った。
……これはもしかして、とんでもない現場に遭遇してしまったのではないだろうか。
俺の背中に、ひんやりとした汗が流れた。