「ちょうど良かった! 聞いてくれるか弟くん!!」

 芳賀さんの嬉々とした声が店内に響く。

 いやいや待って、ちょうど良かったって何? え、何これ。なんで俺が話聞くみたいな流れになってんの? だってどうせいつもみたいに「アイデアが出ない死のう」とか「一文字も書けなくなった死のう」とか「俺はもうダメだ死のう」とかそういう愚痴を気の済むまで延々と聞かされるんだろ? そんなの冗談じゃねーよ!

 助けを求めるように姉をチラリと見るも、姉はコーヒーミルを回すスピードを早め忙しそうなフリをしている。……嘘だろ。親父は三日ほど前から豆の買い出しにブラジルに行ったきり戻って来てないから最初から圏外だし……必然的に俺しかいないってか? ふざけんな! ただ単にストレス発散したいだけだろへぼ作家!

「さぁさぁ! とりあえずこっちに来て座りたまえよ弟くん! この俺が特別に奢ってあげようじゃないか! 萌加ちゃん、エスプレッソおかわり! あと、この店で一番安い飲み物を弟くんに!」
「かしこまりました」

 芳賀さんが大きな声で頼むと、姉はにっこりと営業スマイルを浮かべた。……薄情者め。ていうかなんだよその注文内容。一番安い飲み物って。せめてもう少しオブラートに包んだ言い方にしろよ作家だろ。人に奢られてこんなに腹が立ったのは初めてである。

 俺は溜息をついて芳賀さんの向かい側に腰を下ろした。

「それでだな弟くん!」
「……弟くんじゃなくて。俺にはちゃんと賢斗っていう名前があるんですけど。いい加減覚えてくれません?」
「何を言う! 弟くんは弟くんだろう!」

 確かにそうだけど、あんたの弟じゃねーよ。突っ込む気力を失った俺は諦めて先を促す。

「……で。どうしたんですか?」
「そうそう! 聞いてくれよ! 愛理が……俺の可愛い愛理があああ!」

 元気だった芳賀さんは一変、テーブルに顔を伏せて突然泣き出した。……この人情緒大丈夫かな。いや、大丈夫じゃないだろうな。

「愛理ちゃんって……確か芳賀さんの娘さんですよね?」
「そうだ! 桜子(さくらこ)さん似のプリティでキュートな超絶可愛い俺の愛娘だ!!」

 がばりと顔を上げた芳賀さんは幸せいっぱいの満面の笑みを浮かべる。こんな残念な芳賀さんだけれど、彼には元・大人気女優でとても綺麗な奥さんと、その奥さんにそっくりな可愛らしい娘さんがいる。所謂(いわゆる)勝ち組のリア充なのだ。そして、この言動でお分りいただけるとは思うが、かなりの愛妻家で娘を目に突っ込んでもいいほど溺愛している。

「その超絶可愛いうちの娘がな、最近なんか変なんだよ!!」

 どうやら悩みのタネは締め切りではなく娘さんらしい。それでこの情緒の不安定さか。納得である。

「変って……体調が悪そうだとかですか?」
「違う! もしそうだったら今頃付きっ切りで看病してるに決まってる! そうじゃなくてこう……なんだか様子がおかしいんだよ……」
「娘さんって確か小学生ですよね?」
「ああ! ピカピカの小学二年生だ!」

 うん、これはきっと一年経っても入学した時の輝きを保ってるという意味だろう。俺はあえてツッこまない。ツッこんだら負けだ。

「学校でなんかあったんじゃないですか? 友人関係とか、勉強で悩んでるとか」
「いや、悩んでいる様子はないんだ。ウキウキというかソワソワというか……むしろ少し楽しそうで……」
「はぁ?」

 楽しそうなのに変、とはどういう事だろう。もしかして、ただの過保護の親バカなんじゃ?

「楽しそうならいいじゃないですか。何がそんなに心配なんです?」
「だーかーらー!」


 カランカラン


 芳賀さんが再び叫び声を上げたところで、入口のベルが鳴った。そこからひょっこりと顔を出したのは、黒いスーツとひどく青白い顔をした細身の男性。

「八神さん!」
「八神くん!」

 俺と芳賀さんの声が重なる。

「マグボトルを返しに来たんだけど、もしかしてお取り込み中だったかな?」
「ちょうど良かった八神くん! 実は君のところに相談しに行こうかと思ってたんだ!」
「僕に相談? 何かあったんですか?」
「とりあえずこっちに来て! 座って座って! あ、何か飲む? 特別に俺が奢ってあげるよ! 萌加ちゃーん! 弟くんと同じくこの店で一番安い飲み物もう一つ追加で!」

 芳賀さんは八神さんに対しても当店最安値の飲み物を注文した。このケチ作家め。

「それで? 僕に相談とは何です?」

 俺の隣にゆっくりと座りながら、八神さんは言った。

「……実は……最近娘の様子がおかしいんだ」
「娘さんというと……愛理ちゃんですか?」

 芳賀さんはうな垂れるようにこくりと首を動かす。

「最近、学校の帰りがいつもより遅いんだ。気になって何してるのか聞いてみたら、友達と遊んでるだけだって言うんだけど……」

 やっぱりただの過保護かよ。拍子抜けした俺は「なんだ。それならいいじゃないですか」と言葉を漏らす。しかしそれは芳賀さんの逆鱗に触れたようで、今にも噛みついてきそうな勢いで牙を向けられた。

「よくない! どこで誰と何して遊んでるのか聞いてもさっぱり教えてくれないんだぞ!? 休みの日もこそこそどっかに出かけるし! 聞いても全っ然教えてくれないし! 尾行しようとしたら絶対零度の眼差しで『もしついてきたらパパと一生口聞かないから』とか言われるし!! ひどくない!? そんなの死刑と一緒じゃん! 生き地獄でしかなくない!? やだよやだよ! 愛理と一生話せないなんてパパ生きてけない! 死んだ方がマシ!!」

 言うことを聞かない子供のようにぎゃんぎゃんと喚く芳賀さんに溜息をついた。

「あのねぇ芳賀さん。娘さんが可愛くて心配なのはわかりますけど、あんまり過保護だと嫌われちゃいますよ?」
「き、きらっ……!? 嫌われるだと……!?」

 芳賀さんはソファーの背もたれに全体重を預けると、魂が抜けたように動かなくなった。

 やべ、少し言い過ぎたかな?