「……八神さん?」

 モカちゃんは不安そうに僕の名前を呼ぶ。

「萌加ちゃん」

 細い手首を掴みながら、僕は彼女の目を真っ直ぐ見て言った。

「透さんと付き合うの?」
「それは……」

 モカちゃんは気まずげに僕から目を逸らすと、逃げるように早口で言った。

「今はそれどころじゃないでしょう? 早く先生を、」
「僕にはこっちの方が大事なんだ」

 それでも僕は追求をやめない。

「ねぇモカちゃん。君は透さんと付き合うの? 僕が嫌って言っても?」
「っ! そんなの……八神さんには関係ないじゃないですか」
「関係あるんだなぁ、これが」

 きっと僕は今から最低なことを言うに違いない。だけど勘違いしないで、最後まで聞いて。ちゃんと言うから。

 不安げに揺れる瞳と、再び視線を合わせる。

「だって、君が誰かと付き合っちゃったら誰が僕のお世話をしてくれるの?」
「…………は?」
「ご飯だって食べ損ねちゃうし、こうやって倒れても誰にも気付いてもらえないだろうし。たぶん僕生きていけなくなっちゃうよ」

 モカちゃんの肩が小刻みに震える。

「……なん、ですか……それ。八神さんはっ、八神さんは私のことなんだと思ってるんですか!? 私はあなたの家政婦じゃないですよ!?」
「うん知ってる」
「だったら!」
「うん。だから僕の彼女になってよ」
「…………は?」
「だから。ずっと僕のそばにいて、これからも僕のことを見ててほしい。代わりにはならないかもしれないけど、僕は君を一生守るから」

 モカちゃんは真っ赤な顔ではくはくと金魚のように口を動かす。

「僕と居ても、君は幸せになれないと思ってた。知っての通り僕は虚弱体質で運動もろくに出来ないし、すぐ倒れる。モカちゃんには情けないところばかり見られてるし、こんな僕と一緒になったって君にメリットはないって。でも、」

 僕は萌加ちゃんの手首を握っていた右手を掌に移し、ぎゅっと握った。

「僕は君がいつも頑張ってることを知ってる。だからこそ君の息抜きの場所になりたい。君の笑顔を守りたいから、僕の前では泣いてもいいんだよって伝えたい。僕は好きだよ、萌加ちゃんが」

 ようやく言うことが出来た僕の気持ちは、彼女にちゃんと伝わっているだろうか。やっぱり最初の発言は不味かったかな、と早くも後悔が押し寄せる。長い沈黙に、僕の心臓は早鐘を打つばかりだ。



「……八神さんは……ずるいなぁ」



 ぼそりと呟くと、萌加ちゃんはずっと鼻をすすった。

「なんですか最初のお世話がどーのとか。軽くヒモ男宣言かと思いましたよ信じらんない」
「ヒッ!? いやいやそんなつもりは全然なくて! た、ただ、僕は君がいないと生きていけないってことを言いたかっただけであって! ヒモ男宣言だなんてありえない……僕はちゃんと働いてるし!」

 必死に弁明すると、萌加ちゃんはぶはっと吹き出した。

「冗談ですよ、冗談。今のはちょっとした仕返しです」

 クスクスと肩を揺らしながら萌加ちゃんは目元を拭う。

「仕方ないからこれから私が一生そばで八神さんのお世話してあげますよ。その代わり、ちゃんと私のことも、私の家族も一生守って下さいね」
「それはもちろん。約束するよ」

 答えを聞いた萌加ちゃんは、僕が見たかった心からの笑顔で笑ってくれた。







 病室の前で聞き耳をたてていた俺と透さんは、同時にはぁ~と深い溜息をついた。

「……すみませんでした」

 俺は隣に立っている透さんに謝罪する。今回一番振り回されたのはこの人だろう。本来なら床に額をゴリゴリ擦り付けた土下座で謝罪しなければならない程のレベルだ。

「ん? ああ、いいんだよ。最初から負け戦だったのは承知の上だ。その上で八神さんを煽ったんだし。彼女の気持ちは一目瞭然だったからね」

 予想に反して透さんはスッキリとした笑みを浮かべていた。

「それでも、後悔しないように自分の気持ちを言っておきたかったんだ。だから結果的にフラれても満足だよ」

 ……かっこいい。俺が女だったら間違いなく八神さんより透さんを選ぶのに。公務員だししっかりしてるし、八神さんよりよっぽど大人だし常識あるし、と頭の中で彼の良い所をつらつら並べていると、白衣を着た医者と看護師がこちらに向かって走って来るのが見えた。おそらく姉ちゃんがナースコールを押したのだろう。

「邪魔になりそうだからそろそろ帰るよ。落ち着いたら八神さんに伝えといて。彼女の幸せが俺の幸せだから、泣かせたら許さないぞってね」

 ひらひらと手を振って、透さんは病院を後にした。……なんて良い人なんだ、透さん。俺は小さくなっていく背中に、勝手ながら透さんの幸せを祈った。

 さて……と。俺もそろそろ退散するとしよう。帰ったら二人のために赤飯でも炊いておこうかな。いや、それはさすがに怒られるか。


「失礼します!」


 医者と看護師が慌ただしく病室へ入る。カラリと開いたドアの向こうに見えた姉ちゃんの顔が幸せそうだったので、俺はほっと安堵の息をついた。




第4話.了