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俺は焦っていた。
つい先程のことだ。事務所に戻ってきた青白い顔をした八神さんにどこに行ってたんだまさか献血カーなんて探しに行ってたんじゃないだろうなと説教をかましていると、無機質なドアがドンドン、と力強く叩かれた。
「はい、どうぞー!」
返事と同時に入ってきたのは、ちょっと難しい顔をした透さんだった。
「と、透さん!?」
予想外の人物に思わず吃ってしまう。彼は一体何しに来たんだ? ま、まさか討ち入りか!? 言っておくが八神さんはスライムよりも弱いぞ!
「突然すみません。八神さんはいますか?」
「ああ、はい。ちょっと前に戻りましたけど」
秋らしいブラウンのジャケットを着こなした透さんは、八神さんの元へ一直線だ。相変わらず本の山が出来た小汚いデスクの前に立つと、気配に気付いた八神さんが顔を上げる。
「こんばんは透さん。僕に何か用ですか?」
「ええ。宣戦布告に来ました」
透さんは息を吸うと、八神さんに向かって強気な態度で言った。
「俺、次のデートで改めて萌加さんに交際を申し込みます」
部屋の空気が固まった気がした。
「そう、ですか」
「八神さんにはきちんと伝えておこうと思いまして」
「僕に?」
デスクの上で手を組んだ八神さんが不思議そうに聞き返す。
「……どうしてわざわざ僕に言うんです?」
「理由はとっくに分かってるんじゃありませんか? 八神探偵」
なんとなくだが、二人の間に見えない火花が散っているように思えた。いや、なんとなくだけど。
何も言わない八神さんに痺れをきらしたのか、透さんは眉間にシワを寄せて口を開いた。
「……俺はちゃんと言いましたからね」
それでも何も言わない八神さんに、呆れたように溜息をつく。
「用事はそれだけです。では、お騒がせしてすみませんでした」
ぺこりと頭を下げると、透さんはさっさと事務所を去って行ったのだった。
こんな風に、八神さんは透さんから宣戦布告を受けたのだが、それを聞いて焦ったのが何故か俺だった。
「……姉ちゃん」
「んー、なに?」
俺は、使用済みのスプーンやカップを洗っている姉の背中に問いかける。
「透さんと付き合うの?」
姉ちゃんはピクッと反応を示したが、それだけだった。ザァーと勢いよく流れる水を止め、洗ったばかりのコップを乾いた布で優しく拭く。その作業を繰り返しながら姉ちゃんは言った。
「……そうねぇ」
「八神さんは!? 諦めんのかよ!」
「諦めるも何も。私は別に……」
続きは語られない。
「大体さ、八神さんは私のことなんて気にしてないみたいだし」
「それはっ……!」
違う。八神さんは姉ちゃんのこと気にしてるはずだ。そうじゃなきゃあんな不審な言動するはずがない。だけど、俺はそれをなんて説明したらいいのか分からなかった。……八神さんから直接聞いたわけじゃないから。俺の言葉だけじゃ、姉ちゃんは納得しないだろう。
「透さんにね、次のデートの時、告白の返事を聞かせてほしいって言われてるの」
さっきの宣戦布告を思い出す。
「……姉ちゃんは、透さんのこと好きなのかよ」
その質問に姉ちゃんは少し考える素振りを見せると、自分に言い聞かせるように言った。
「透さんはすごく良い人だし、私のこと大事にしてくれてる。一緒に居て退屈しないわ。ちょっと強引な所もあるけどね」
姉ちゃんは寂しげな笑みを浮かべると、食器棚に素早くコップを片付けた。そのままエプロンを外してキッチンから出て行く。残された俺は悲しいような悔しいような、複雑な表情をしているだろう。
……なんだよ、今の。色んな事ごちゃごちゃ並べて。好きなら好きって言うはずだろ? 言えないってことはさぁ、
「……それって、好きじゃないってことじゃん」
俺は小さく呟いた。これじゃ例え二人が付き合ったって幸せになれないじゃないか。誰も報われないじゃないか。
……だから俺は考える。どうにかしてこの状況を変える方法を。