喫茶店のカウンターには、透明な花瓶に挿さった真っ赤なバラが一輪。その存在を主張するように鮮やかに咲き誇っている。
さっきの出来事が夢じゃなかった証拠だ。
*
八神さんの落としたカップは割れていなかった。幸い中身もそんなに入っておらず、備え付けの紙ナプキンでテーブルを拭けば問題ない。石像のように固まって動かなくなった八神さんの代わりに俺がテーブルを拭いていく。
「突然こんなこと言ってすみません。でも俺、あのワークショップの日、萌加さんに一目惚れしてしまったんです」
透さんはそう言って、姉に一輪のバラを差し出した。当の本人は突然の告白に驚いて声も出ない様子である。
確かに透さんは姉ちゃんに気があるような予感はしてたけど、まさかこんなにすぐアプローチしてくるとは。しかも結婚を前提にだなんて。行動力がハンパない。
「俺たちは出会ったばかりだし、こんなこと言っても迷惑なのは重々承知してます。でも、俺は自分の気持ちをあなたに知っていてほしかったんです。後悔だけはしたくないから。今すぐ付き合ってくれとは言いません。ですが、俺にチャンスを与えてくれないでしょうか?」
「チャンス……ですか?」
ようやく出た姉ちゃんの声は掠れていた。
「ええ。俺のことをよく知ってもらって、それから判断してほしいんです」
「ええと、それは……」
「まずは友人として接していただければ! それだけで十分なんです! どうかお願いします!」
透さんは必死に頭を下げる。
「……わかりました。じゃあ友人として仲良くしましょう」
透さんの熱意に根負けした姉ちゃんが了承の返事をすると、彼の顔がパッと明るく輝いた。
「あ、ありがとうございます!! 俺頑張りますね! おっと、名残惜しいですが今日はこれで失礼します。またすぐ来ますから! では!」
そう言って、透さんは慌ただしく店を出て行ったのだった。大型台風が去ったような気分である。
*
「ねぇちょっと、さっきのイケメン一体誰!? みんなの知ってる人!? 萌加めっちゃ告白されてたけどどうすんの!? えっ!? 付き合うの!?」
とりあえず誰かこの空気の読めないクソ親父の口を今すぐ塞いでくれ。今すぐにだ。
そんな俺の願いも虚しく、親父はさらに爆弾を投げ続ける。
「ていうか知ってる? バラの花言葉は本数によって異なっていてね、一本のバラの花言葉は〝一目惚れ〟っていうんだよ。彼、ずいぶんロマンチストだねぇ」
もうやめて! 俺たちのライフはもうゼロよ!! 背中に変な汗が流れる。
「モカちゃん」
八神さんの声に、姉ちゃんの肩は大袈裟なほどビクッと上下した。ギギギ、錆び付いたおもちゃのように鈍い動きで振り返る。
「ご馳走様。僕、明日のお昼はオムライスがいいなぁ。卵はもちろん砂糖多めでね。よろしく」
八神さんはいつも通りの笑顔でそれだけ言うと、お金を支払って二階の事務所に戻って行った。何事もなかったかのような態度だ。
姉ちゃんは嬉しいんだか悲しいんだかよく分からない、なんとも言えない表情で八神さんの出て行ったドアをじっと見つめる。
……あのワークショップの日、透さんと姉ちゃんは密かに連絡先を交換していたらしい。帰り際に透さんから聞かれたんだそうだ。それからちょくちょく連絡を取り合っていたみたいだが、まさかこんなことになるとは。
「……姉ちゃん、どうすんの」
「……どうしようねぇ」
「その気がないならハッキリ断った方がいいと思うけど」
「うん。私もそう思う」
とは言いつつ、あれだけ大々的にアプローチされちゃなぁ。しかも、今は姉にその気がないのを知っていて、それでも振り向いてもらおうと努力する、と宣言してきた相手だ。彼のことを何も知らないうちに断るのは、真剣に告白してきた彼に対して失礼かもしれない。透さん、普通に良い人だし。
はぁ、と小さな溜息をついて、姉ちゃんはぐるぐるとコーヒーミルを回し始めた。
さっきの出来事が夢じゃなかった証拠だ。
*
八神さんの落としたカップは割れていなかった。幸い中身もそんなに入っておらず、備え付けの紙ナプキンでテーブルを拭けば問題ない。石像のように固まって動かなくなった八神さんの代わりに俺がテーブルを拭いていく。
「突然こんなこと言ってすみません。でも俺、あのワークショップの日、萌加さんに一目惚れしてしまったんです」
透さんはそう言って、姉に一輪のバラを差し出した。当の本人は突然の告白に驚いて声も出ない様子である。
確かに透さんは姉ちゃんに気があるような予感はしてたけど、まさかこんなにすぐアプローチしてくるとは。しかも結婚を前提にだなんて。行動力がハンパない。
「俺たちは出会ったばかりだし、こんなこと言っても迷惑なのは重々承知してます。でも、俺は自分の気持ちをあなたに知っていてほしかったんです。後悔だけはしたくないから。今すぐ付き合ってくれとは言いません。ですが、俺にチャンスを与えてくれないでしょうか?」
「チャンス……ですか?」
ようやく出た姉ちゃんの声は掠れていた。
「ええ。俺のことをよく知ってもらって、それから判断してほしいんです」
「ええと、それは……」
「まずは友人として接していただければ! それだけで十分なんです! どうかお願いします!」
透さんは必死に頭を下げる。
「……わかりました。じゃあ友人として仲良くしましょう」
透さんの熱意に根負けした姉ちゃんが了承の返事をすると、彼の顔がパッと明るく輝いた。
「あ、ありがとうございます!! 俺頑張りますね! おっと、名残惜しいですが今日はこれで失礼します。またすぐ来ますから! では!」
そう言って、透さんは慌ただしく店を出て行ったのだった。大型台風が去ったような気分である。
*
「ねぇちょっと、さっきのイケメン一体誰!? みんなの知ってる人!? 萌加めっちゃ告白されてたけどどうすんの!? えっ!? 付き合うの!?」
とりあえず誰かこの空気の読めないクソ親父の口を今すぐ塞いでくれ。今すぐにだ。
そんな俺の願いも虚しく、親父はさらに爆弾を投げ続ける。
「ていうか知ってる? バラの花言葉は本数によって異なっていてね、一本のバラの花言葉は〝一目惚れ〟っていうんだよ。彼、ずいぶんロマンチストだねぇ」
もうやめて! 俺たちのライフはもうゼロよ!! 背中に変な汗が流れる。
「モカちゃん」
八神さんの声に、姉ちゃんの肩は大袈裟なほどビクッと上下した。ギギギ、錆び付いたおもちゃのように鈍い動きで振り返る。
「ご馳走様。僕、明日のお昼はオムライスがいいなぁ。卵はもちろん砂糖多めでね。よろしく」
八神さんはいつも通りの笑顔でそれだけ言うと、お金を支払って二階の事務所に戻って行った。何事もなかったかのような態度だ。
姉ちゃんは嬉しいんだか悲しいんだかよく分からない、なんとも言えない表情で八神さんの出て行ったドアをじっと見つめる。
……あのワークショップの日、透さんと姉ちゃんは密かに連絡先を交換していたらしい。帰り際に透さんから聞かれたんだそうだ。それからちょくちょく連絡を取り合っていたみたいだが、まさかこんなことになるとは。
「……姉ちゃん、どうすんの」
「……どうしようねぇ」
「その気がないならハッキリ断った方がいいと思うけど」
「うん。私もそう思う」
とは言いつつ、あれだけ大々的にアプローチされちゃなぁ。しかも、今は姉にその気がないのを知っていて、それでも振り向いてもらおうと努力する、と宣言してきた相手だ。彼のことを何も知らないうちに断るのは、真剣に告白してきた彼に対して失礼かもしれない。透さん、普通に良い人だし。
はぁ、と小さな溜息をついて、姉ちゃんはぐるぐるとコーヒーミルを回し始めた。