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「たっだいまー!」

 仕入れ先から帰ってきた親父の声が元気良く響いた。俺はひくりと顔を引きつらせながら聞く。

「……親父、背中のそれ何」
「ん?」
「いや、だから後ろに背負ってるデカくて黒い物体って何?」
「ああ、人間だよ」
「人間!?」
「店の前に倒れてたから連れてきたんだ」
「倒れてた!?」

 動揺する俺をよそに、親父は野良猫でも拾ってきたような感覚で言った。

「えっ、それ救急車とか呼ばなくていいのかよ?」
「大丈夫だ、意識はある。どうやら貧血で倒れたらしくてな。オマケに腹が減ってるらしい」
「はぁ!?」
「おーいモカー! 悪いけど何か食べ物持ってきてくれー! 出来れば胃に優しいやつなー!」
「どうしたのお父さん。また飲み過ぎ……えっ!?」

 状況を理解した姉の行動は早かった。彼を店のソファーに足を高くして寝かせるよう、そして冷蔵庫からペットボトルを持ってきて飲ませるように親父と俺に指示を出すと、自分は店の厨房で手際良くたまご粥を作り始めた。ソファーにぐったりと横になった男の顔色は予想以上に白くて、本当に救急車を呼ばなくていいのかと親父と相談しているうちに、ぐつぐつ煮込まれる鍋の音と、出汁の香りがふんわりと漂ってきた。

 あっという間に料理を完成させた姉は茶碗とレンゲを乗せたお盆を持ってこちらにやって来ると、服が汚れるのも気にせず膝立ちになった。お粥をレンゲで掬い、火傷しないよう人肌程度まで冷ますとぐったりして動けない男の口元に持っていく。虚ろな目でレンゲを捉えた男は弱々しく口を開き、もぐもぐと咀嚼する。ゴクンと喉が鳴った。


「……美味い」


 むくりと起き上がった男は姉からレンゲを奪うと、一心不乱にたまご粥を食べ続けた。しかも、あっという間に空になった茶碗を突き出し「おかわり!」なんて言い出す始末。食欲があるならばと晩御飯の残りだったカボチャの煮付けも出すと、それもペロリと平らげた。ええ……どんだけ腹減ってたんだよこの人。つーか遠慮とか図々しいって言葉知らないのか? なんて白い目を向けていると、なんとなく肌の色艶が良くなったような男が満足そうに口を開いた。

「いやぁ、助かりました。貴方たちは命の恩人です。本当にありがとうございました。そしてご迷惑をおかけしてしまって申し訳ありません」

 男は深々と頭を下げた。

「ご挨拶が遅れましたが、僕は八神碧といいます。ええと……僕は人よりちょっとだけ身体が弱くて。お腹が空くと動けなくなったり、すぐ貧血とか起こして倒れちゃう体質でして」
「それは大変だねぇ。いやぁ、うちの前で倒れてるから何事かと思ったけど、無事で良かったよ」
「驚かせてしまってすみません」
「どこかに行く途中だったのかい?」
「ええ。実はテナント募集の貼り紙を見て()()を探してたんですけど、見つけた途端に力尽きてしまいまして……」

 男──八神さんは苦笑いを浮かべて右手を後頭部に当てた。

「テナント? ああ、うちの二階の?」
「はい。実は僕、ここで探偵事務所を開こうと思ってるんです」

 ……は?

 俺は耳を疑った。探偵って……あの探偵? ドラマや漫画でよく見る、事件を調査したり推理したりする、あの?

「僕探偵をやってるんですけど、事務所が入っていたビルが取り壊されることになって……新しい場所を探していたんです」

 冗談かと思って聞いていたが、どうやらこの人は本気で言ってるようだった。俺はぐっと眉根を寄せた。

 探偵事務所なんて明らかにヤバイだろ。犯罪の臭いがプンプンする。ていうかこの人自体がなんかヤバイ。得体も知れないし、明らかに怪しい。見るからに不審人物だ。俺は隣に座っている親父にこっそりと耳打ちする。

「なぁ、この人めちゃくちゃ怪しいって。探偵事務所なんて嘘くさいし、下手すりゃ警察沙汰とか事件に巻き込まれるよ。うちの店のためにも、面倒な事になる前に断った方がいいって」

 ぷるぷると体を震わせていた親父が、バン! とテーブルを叩いて立ち上がる。俺も八神さんも驚いて親父を見上げた。しかし当の本人はキラキラと目を輝かせ、興奮したように大きな声で叫んだ。

「八神くん!!」
「は、はい」
「うちの二階で良ければ是非!! 是非とも探偵事務所として使ってくれ!! いや、使って下さいお願いします!!」
「はぁぁああーー!?!?」

 俺は親父に負けじと叫んだ。本人が目の前に居るのも忘れ反対意見を並べ出す。

「話聞いてたぁ!? 俺今やめろっつったよな!? 変な事に巻き込まれっからやめろっつったよな!?」
「何言ってるんだケント! 一階が喫茶店で二階が探偵事務所なんてシチュエーション、ドラマみたいで夢があるじゃないか!! 素晴らしい! 父さんはなぁ、昔松田優作に憧れてたんだ!! いつかああいう探偵がウチの珈琲を飲みに来てくれるのをずっと夢見てたんだ!」
「はぁぁ!?」
「あ、わかります。そういうのって憧れますよね。僕も一階が喫茶店なんてコナンくんみたいでいいなって思ったんですよ! だから事務所にするなら絶対ここの二階がいいって思って!」
「おお、君もか八神くん! 世代は違えど憧れる気持ちは同じ……! よし、そうと決まれば善は急げだ! 契約書取ってくる!」

 おいコラ嘘だろクソ親父!! こんな得体の知れない男と一緒に生活するなんてどんな神経してんだよ!!

 縋るような目で姉を見るも、彼女は諦めたように笑い返して来ただけだった。ああなった親父を止めるのは無理だということを、嫌という程理解しているのだ。

 それからあれよあれよと話は進み、気付けば二階に「八神探偵事務所」という胡散臭いこと極まりない事務所が作られ、気付けば彼はうちの喫茶店の常連客となり、気付けば姉はしょっちゅう倒れる彼の世話を焼いていて、気付けば俺は探偵事務所の手伝いをしているというこの現状。

 俺は声を大にして言いたい。どうしてこうなった、と。