「……あの」
「わっ!?」
突然聞こえた声に心臓が飛び出そうになった。音楽室の入口には、白いシャツにプリーツのロングスカートをはいた美人が立っていた。ぐっと眉を潜め、こちらを怪訝そうに見ている。
「八神探偵事務所から緑ヶ丘高校の旧校舎に妹を迎えに行って下さいって電話が来たんですけど……」
「お、お姉ちゃん!?」
江川さんが驚いたように叫んだ。お姉ち……ってお姉さん!? 和臣さんの恋人の!?
「お待ちしてましたよ。江川麻衣さん」
八神さんはニコリと笑みを浮かべながら言った。この口ぶりからすると、麻衣さんが来ることを事前に知っていたようだ。
「な、なんでここにいるの!?」
「女の人から電話が来たのよ。あなたの妹がうちの探偵と学校の七不思議を調べてるから、変なことに巻き込まれる前に迎えに行った方がいいって」
女の人……? って、それ絶対うちの姉ちゃんだ。八神さん、姉ちゃんに頼んで麻衣さんに電話してもらったんだ。
「うわー、適当に言ってこっちに向かわせてとは言ったけど、これはちょっとひどいよモカちゃん」
案の定、八神さんがぼそりと嘆いた。麻衣さんはきっと鋭い目で睨みつける。
「ていうか何なんですかあなた達。うちの妹を変なことに巻き込まないでくれます?」
「待ってお姉ちゃん、これには事情が!」
「麻衣ちゃん!」
声を掛けた西原先生を見ると、麻衣さんは手を口元に当てて「えっ!?」と叫んだ。
「駿くん……だよね? やだ久しぶり!! てかなんでいるの?」
「なんでも何も俺今ここで教師やってんだよ」
「ウソッ!? 全然知らなかったんだけど! 妹の担任とか言わないよね!?」
「ははっ、残念だけどそれはないね。ぶっちゃけ麻衣ちゃんの妹だって知ったのちょっと前だし」
西原先生のおかげでいくらか空気は和らいだ。
「学校の先生も付いてるってことは……もしかして七不思議を調べるっていうのは何かの課題なの? 迎えに来いっていうのも先生の指示?」
「いや。それはちょっと違くて」
「ごめんねお姉ちゃん。私がこの探偵さんに依頼したの」
「探偵に依頼? 奈々が? 何のために?」
一瞬、江川さんは躊躇うような仕草を見せたが、覚悟を決めたのか姉を真っ直ぐ見て言った。
「……前、和臣さんからお姉ちゃんに手紙が届いたでしょ?」
麻衣さんの表情が強張る。
「あれ、ゴミ箱に捨ててあったから私が拾ったの。中身も読んじゃった。ごめん」
「なっ!」
「その手紙にね、この音楽室にお姉ちゃんに贈るプレゼントを隠したって書いてあったの。探してくれるかは分からないけど、人生を賭けるって。私ずっと探してたんだけど見つからなくて。旧校舎は夏休みになったら取り壊されちゃうし、その前にどうしても見付けたくて……だから探偵に依頼したの」
「彼とは別れたって言ったでしょ。もう関係ないのよ」
「だって! 納得いかないもん! あんなに仲よかったのになんで別れなきゃならないの!?」
「好きじゃなくなったのよ! ピアノばかりで私にかまってくれないし、一緒にいる時間も少ないし。もう疲れたの!」
「嘘! 今でも和臣さんのこと好きなくせに!! 私知ってるんだから! ネットで和臣さんの演奏動画見てるの!」
「それはっ」
「今でもお互い好きなのに!! なんでお姉ちゃんは別れるなんて言ったのよ!?」
「っ、仕方ないでしょ!? 和臣と私じゃつり合わないんだから!!」
そう叫んだあと、麻衣さんはぎゅっとスカートを握る。
「彼には才能がある。間違いなく和臣は世界で活躍するピアニストになるわ。それには私の存在が邪魔なの。今回の海外公演だって最初は断ったのよ? せっかくのチャンスなのに私と一緒に居たいからって。マネージャーさんにもこのままだと和臣はダメになるって言われたわ。だから離れる決意をしたの」
「そんなのお姉ちゃんのせいじゃない。和臣さんは、」
「……私がっ!! 私が彼の足を引っ張るのは嫌なのよ!!」
これが麻衣さんの隠していた本音なのだろう。彼女は好きだけど相手のためを思って別れたのだ。
「開けてみませんか?」
室内に場違いな明るい声が響いた。
「たった今、和臣さんのプレゼントを見つけたところなんですよ。この音楽室のどこに隠してあったと思います?」
「……そんなの分かるわけないじゃない」
「いいえ。あなたならすぐに分かると思いますよ」
麻衣さんの視線は真っ直ぐにグランドピアノに注がれる。鍵盤の蓋が外され木の板が丸見えのそこには、淡い黄色の封筒と赤いシャーペンがまだ置かれていた。
「まさか……」
麻衣さんの目が見開かれる。
「あの時のこと覚えてて再現したっていうの?」
「和臣さんが人生を賭けたプレゼント。せっかくここまで来たんですから、中身を見てあげてもいいんじゃないですか?」
「……お姉ちゃん」
二人の言葉に背中を押されたのか、麻衣さんはゆっくりとピアノに近付く。ぽつんと置かれた封筒をしばらく見つめると、そっと手に取った。おそるおそると言った様子で閉じられた封を開ける。俺たちも固唾を呑んでその様子を見守っていた。
出てきたのは丁寧に折られた手紙らしき紙と、ジップ付きの透明な袋に入ったシルバーの指輪。真ん中にキラキラと輝くダイヤモンドが付いている。
その指輪の意味を理解して、全員ハッと息を呑んだ。麻衣さんも予想していなかったのだろう、驚嘆した表情を浮かべている。丁寧に折られた紙を静かに開くと、小さく震えた声が溢れた。
「なによアイツ……人の気も知らないで」
ぽたり。丸い滴が床を濡らす。
「私がどんな思いで別れようって言ったかも知らないくせに……勝手にこんなもの……探すかどうかも分からないのに……バカじゃないの」
チラリと見えた三つ折りの紙は、茶色で縁取られていた。
「部外者の僕が言うのもあれですが……あなた達はもう一度話し合うべきだと思います。本当に大切な物を失ってしまう前に」
「……は、い」
旧校舎の音楽室には、麻衣さんの小さな嗚咽が静かに響いていた。
「わっ!?」
突然聞こえた声に心臓が飛び出そうになった。音楽室の入口には、白いシャツにプリーツのロングスカートをはいた美人が立っていた。ぐっと眉を潜め、こちらを怪訝そうに見ている。
「八神探偵事務所から緑ヶ丘高校の旧校舎に妹を迎えに行って下さいって電話が来たんですけど……」
「お、お姉ちゃん!?」
江川さんが驚いたように叫んだ。お姉ち……ってお姉さん!? 和臣さんの恋人の!?
「お待ちしてましたよ。江川麻衣さん」
八神さんはニコリと笑みを浮かべながら言った。この口ぶりからすると、麻衣さんが来ることを事前に知っていたようだ。
「な、なんでここにいるの!?」
「女の人から電話が来たのよ。あなたの妹がうちの探偵と学校の七不思議を調べてるから、変なことに巻き込まれる前に迎えに行った方がいいって」
女の人……? って、それ絶対うちの姉ちゃんだ。八神さん、姉ちゃんに頼んで麻衣さんに電話してもらったんだ。
「うわー、適当に言ってこっちに向かわせてとは言ったけど、これはちょっとひどいよモカちゃん」
案の定、八神さんがぼそりと嘆いた。麻衣さんはきっと鋭い目で睨みつける。
「ていうか何なんですかあなた達。うちの妹を変なことに巻き込まないでくれます?」
「待ってお姉ちゃん、これには事情が!」
「麻衣ちゃん!」
声を掛けた西原先生を見ると、麻衣さんは手を口元に当てて「えっ!?」と叫んだ。
「駿くん……だよね? やだ久しぶり!! てかなんでいるの?」
「なんでも何も俺今ここで教師やってんだよ」
「ウソッ!? 全然知らなかったんだけど! 妹の担任とか言わないよね!?」
「ははっ、残念だけどそれはないね。ぶっちゃけ麻衣ちゃんの妹だって知ったのちょっと前だし」
西原先生のおかげでいくらか空気は和らいだ。
「学校の先生も付いてるってことは……もしかして七不思議を調べるっていうのは何かの課題なの? 迎えに来いっていうのも先生の指示?」
「いや。それはちょっと違くて」
「ごめんねお姉ちゃん。私がこの探偵さんに依頼したの」
「探偵に依頼? 奈々が? 何のために?」
一瞬、江川さんは躊躇うような仕草を見せたが、覚悟を決めたのか姉を真っ直ぐ見て言った。
「……前、和臣さんからお姉ちゃんに手紙が届いたでしょ?」
麻衣さんの表情が強張る。
「あれ、ゴミ箱に捨ててあったから私が拾ったの。中身も読んじゃった。ごめん」
「なっ!」
「その手紙にね、この音楽室にお姉ちゃんに贈るプレゼントを隠したって書いてあったの。探してくれるかは分からないけど、人生を賭けるって。私ずっと探してたんだけど見つからなくて。旧校舎は夏休みになったら取り壊されちゃうし、その前にどうしても見付けたくて……だから探偵に依頼したの」
「彼とは別れたって言ったでしょ。もう関係ないのよ」
「だって! 納得いかないもん! あんなに仲よかったのになんで別れなきゃならないの!?」
「好きじゃなくなったのよ! ピアノばかりで私にかまってくれないし、一緒にいる時間も少ないし。もう疲れたの!」
「嘘! 今でも和臣さんのこと好きなくせに!! 私知ってるんだから! ネットで和臣さんの演奏動画見てるの!」
「それはっ」
「今でもお互い好きなのに!! なんでお姉ちゃんは別れるなんて言ったのよ!?」
「っ、仕方ないでしょ!? 和臣と私じゃつり合わないんだから!!」
そう叫んだあと、麻衣さんはぎゅっとスカートを握る。
「彼には才能がある。間違いなく和臣は世界で活躍するピアニストになるわ。それには私の存在が邪魔なの。今回の海外公演だって最初は断ったのよ? せっかくのチャンスなのに私と一緒に居たいからって。マネージャーさんにもこのままだと和臣はダメになるって言われたわ。だから離れる決意をしたの」
「そんなのお姉ちゃんのせいじゃない。和臣さんは、」
「……私がっ!! 私が彼の足を引っ張るのは嫌なのよ!!」
これが麻衣さんの隠していた本音なのだろう。彼女は好きだけど相手のためを思って別れたのだ。
「開けてみませんか?」
室内に場違いな明るい声が響いた。
「たった今、和臣さんのプレゼントを見つけたところなんですよ。この音楽室のどこに隠してあったと思います?」
「……そんなの分かるわけないじゃない」
「いいえ。あなたならすぐに分かると思いますよ」
麻衣さんの視線は真っ直ぐにグランドピアノに注がれる。鍵盤の蓋が外され木の板が丸見えのそこには、淡い黄色の封筒と赤いシャーペンがまだ置かれていた。
「まさか……」
麻衣さんの目が見開かれる。
「あの時のこと覚えてて再現したっていうの?」
「和臣さんが人生を賭けたプレゼント。せっかくここまで来たんですから、中身を見てあげてもいいんじゃないですか?」
「……お姉ちゃん」
二人の言葉に背中を押されたのか、麻衣さんはゆっくりとピアノに近付く。ぽつんと置かれた封筒をしばらく見つめると、そっと手に取った。おそるおそると言った様子で閉じられた封を開ける。俺たちも固唾を呑んでその様子を見守っていた。
出てきたのは丁寧に折られた手紙らしき紙と、ジップ付きの透明な袋に入ったシルバーの指輪。真ん中にキラキラと輝くダイヤモンドが付いている。
その指輪の意味を理解して、全員ハッと息を呑んだ。麻衣さんも予想していなかったのだろう、驚嘆した表情を浮かべている。丁寧に折られた紙を静かに開くと、小さく震えた声が溢れた。
「なによアイツ……人の気も知らないで」
ぽたり。丸い滴が床を濡らす。
「私がどんな思いで別れようって言ったかも知らないくせに……勝手にこんなもの……探すかどうかも分からないのに……バカじゃないの」
チラリと見えた三つ折りの紙は、茶色で縁取られていた。
「部外者の僕が言うのもあれですが……あなた達はもう一度話し合うべきだと思います。本当に大切な物を失ってしまう前に」
「……は、い」
旧校舎の音楽室には、麻衣さんの小さな嗚咽が静かに響いていた。