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 放課後。言われた通り図書室で待つ事四十分。

「ごめん佐藤くん! 待った?」

 リュックを背負った江川さんがパタパタと慌てたように現れた。当番の生徒がサボっているのか、図書室には誰もいないので怒られる心配はない。

「いや、大丈夫」
「友達帰るの待ってたらちょっと遅くなっちゃった。ホントごめんね」

 ふぅ、と息を整える。外からは運動部の掛け声が聞こえてきた。

「おっ、丁度いい時間だ。早速だけど行こっか」
「行くってどこに?」

 聞き返すと、江川さんは得意げな顔で言った。

「決まってるじゃん、旧校舎の音楽室だよ」

 俺はパチパチと瞬きを繰り返す。

「探偵さんにも依頼したけど、自分で探すのも続けようと思って。少しでも早く見つけられるようにね。実は、佐藤くんには手伝ってほしくて昨日一緒に話聞いてもらったんだ」

 なるほど。協力者は一人でも多い方がいいっていうのはこの事か。

「じゃあ行こ。この時間はみんな部活に集中してるからあんまり人通りないけど、一応見られないよう気をつけてね」

 そう言って足早に歩き出した江川さんの後を追うようについて行く。





 初めて入った旧校舎の中は真っ暗で、全体的にひんやりと冷たい。それこそ幽霊の一人や二人、出たっておかしくない雰囲気だ。

 ギッ、ギッ、ギシリ。木造の廊下は歩くたびに床が軋んで音が鳴る。ていうか、窓から見られないよう中腰で歩みを進めるているのだが、これがまた地味にツラい。慣れたように進む江川さんに遅れを取らないよう、俺は一歩一歩足を動かす。

「ここが音楽室」

 建て付けの悪そうな引き戸をスライドさせ、江川さんは素早く中に入る。俺が入ったのを確認するとその戸をしっかりと閉めた。

 旧校舎の音楽室──長いので旧音楽室とでも言っておこう。その室内でまず目についたのは大きな黒いグランドピアノ。長年使われていない割に埃をかぶっていないのは、江川さんがあの辺を探しているためだろう。他には使われなくなった楽器、机や椅子、楽譜や段ボールなどがごちゃごちゃと置かれ、ガラクタ置き場にのようになっていた。

 奥に飾られた有名な音楽家たちの肖像画が、夕暮れと暗闇のコントラストで怪談に持ってこいの雰囲気を(かも)し出している。室内をじっくり観察していると、江川さんは何やらリュックをガサガサとあさり、双眼鏡のようなゴーグルを取り出して俺に差し出した。

「はい」
「……なにこれ」
「暗視ゴーグルよ」
「暗視ゴーグル?」

 日常生活ではあまり聞き慣れない単語に思わず聞き返す。

「そう。これを付けてると暗闇でも周りが見えるの。今はまだ明るいから大丈夫だけど、暗くなったらこれ掛けてね。電気は絶対使わないで」
「……はぁ」
「前に懐中電灯つけて探してたら火の玉が出たって騒ぎになっちゃったからさ。Emezon(エメゾン)で買ったの。これなら電気なくても探せるでしょ?」
「あー……うん」

 え、これサバゲーとかじゃないよな? 普通にプレゼント探すだけだよな? 江川さんの本気度がすごい。

「とりあえず今日は後ろの肖像画のあたりを探してみようと思うの。黒板とピアノ周りは結構探したから」

 そういえば、噂話の中にピアノの音が聞こえたっていうのがあったっけ。あれは江川さんが探してる時にうっかり鍵盤を触って音が出たってとこか。ほんと、知れば知るほどあの噂は盛りに盛った空想話でしかない。

「佐藤くん、反対側から探してくれる?」
「わかった」
「あっ、なるべく屈んで作業してね。窓に人影が見えるとまた変な噂たつから」
「了解」

 江川さんは窓に映らないよう壁にうまく隠れながら、肖像画の入った額縁を次々と外していく。なるほど。額縁の裏側なんかは隠し場所には持ってこいだもんなぁ。感心しながら、俺は積まれた段ボールを一つ一つ開封して中を確認していく。

 箱の中には壊れたメトロノームやドラムなんかを叩くバチ、余った学習教材、音楽にまったく関係なさそうな絵具やダンベルなんかがぎゅうぎゅうに入っていて、これを全部探すには時間がかかりそうだった。

 それにしても、何がどんな形で隠されているのか分からないまま物を探すというのは骨が折れる作業だ。とりあえずプレゼントっぽい箱とか包み紙とかがあれば取っておけばいいかな。それっぽいものすら全然見つからないけど。

「……ねぇ」

 小さく聞こえた問いにふと顔を上げる。江川さんは手を動かしたまま続けた。

「和臣さんの隠した物って何だと思う?」
「隠した物……そうだなぁ」

 フラれたけどまだ好きな女性への贈り物……う~ん、なんだろう。俺たちみたいな金のない学生ならキーホルダーとかストラップとかなんだろうけど。大人の男性が贈るもの……。

「ピアス、ネックレス、指輪なんかのアクセサリー類、ブランドもののハンカチ、香水、あるいは腕時計……あ、ピアニストなら音楽関係──オルゴールとかもありか?」

 思い付くままに口に出していると、目を丸くした江川さんが俺をじっと見ているのに気が付いた。

「……なに?」
「いや……なんていうか。佐藤くんなら女の人にそういうのプレゼントするんだなって感心したっていうか」
「はぁ!? いやっ、それは違くて! 和臣さん! 和臣さんならそうなのかなって思っただけで!!」
「ふはっ。ごめんごめん。いいセンスしてると思うよ?」

 そう言って江川さんは笑う。
 な、なんなんだこれは新手の羞恥プレイか!? こっちは真剣に考えてるっつーのに! 急激な羞恥心に内心で身悶えていると、突然廊下からギッ、ギッ、という木の軋む音が響いた。俺と江川さんははっとして顔を見合わせる。


 ギッ、ギッ、ギッ、ギッ。


 その音はだんだん大きくなり、着実にこちらに近付いてくる。俺たちは息を殺して気配を消した。……嘘だろ。俺たち以外の誰かがこの校舎に忍び込んでいる? 一体誰が? 何の目的でこんな所に入ってくるっていうんだよ。噂を信じた生徒の誰かが肝試しでもしてんのか? 迷惑な! 俺の心臓はあり得ない早さで動いていた。

 ギシギシと鳴っていた床の音が、丁度この音楽室の前でピタリと止まる。……あ、終わった。

 懐中電灯の光がドアの磨りガラスを通ってサーチライトのように中を照らし始めた。幸い俺たちは奥の壁際に居るし、しゃがんで机に隠れているから見つかりはしないだろう。しかしまぁ、この明かりを誰かに見られたら明日また変な噂が広まりそうだなははははは。気休めにそんな事を考えてみるがまったく意味はなかった。どうしろってんだよ、この状態。

 室内から懐中電灯の光が消え、静寂が訪れる。少しほっとした瞬間だった。


 ガタッ! ガタガタガタ!!


 冗談抜きで口から心臓が飛び出たんじゃないだろうか。俺は叫びそうになった口を両手で押さえる。
 誰かが音楽室の引き戸に手を掛け、ガタガタと音を鳴らしながら必死に開けようとしているのだ。ホ、ホラーだ。ホラー映画でよく見るやつだこれ。こ、()っえええ!

 しかしながら戸は何かが引っ掛かっているかのようにまったく開かない。も、もしかして入った時内側から鍵をかけていたのか!? そうなのか江川さん!! チラリと視線を投げると、江川さんはこくりと頷いた。さ、さすが江川さん! 侵入しなれてるだけある!!

 戸を開けようとする音が響く。俺はごくりと生唾を飲みこんで、静かに様子を伺う。






 ……どれくらいの時間が経っただろう。


 ギッ、ギッ。


 突然聞こえてきた床の音に再びはっと顔を上げる。その足音はどんどん遠ざかって行った。外の人物はここに入るのを諦めた……のか? 音が完全に聞こえなくなると、俺はふぅーと口から深く息を吐き出した。体中の力が一気に抜け、どっと疲れが押し寄せる。張りっぱなしだった緊張の糸はぷっつりと切れた。

「……大丈夫?」

 江川さんに声を掛けるが、小さく頷くだけで言葉を発する余裕はないらしい。そりゃあそうだろう。こんなホラー映画みたいな体験をしたら誰だって魂を抜かれたようになってしまうに決まってる。少し落ち着いたのを見計らって、また声を掛けてみた。

「落ち着いた?」
「うん。ビックリしたけどもう大丈夫」
「今までこんな風に誰かが来たことってあった?」
「ううん……初めて。元々立入禁止だし、こんな所に用がある人なんて滅多にいないと思う」
「だよなぁ」

 色々と謎は残るが、今日はとりあえず帰ることにした。

 帰ったらすぐ八神さんに今のことを報告しよう。俺たちは、不気味なほど静かになった旧校舎から逃げるように出て行った。