「昨日も出たんだって!」
「旧校舎の幽霊でしょ? 三組の加藤が見たらしいよ」
「マジで!?」
……またその話か。まったく、みんなよく飽きないよなぁ。あちこちで囁かれるその声に、俺は気付かれないように溜息をついた。
【放課後になると、旧校舎の音楽室に女子生徒の幽霊が現れる】
このどこにでもあるような面白くもなんともない怪談話が、最近生徒の間で持ちきりになっている幽霊の噂話だ。
最初に彼女の姿が目撃されたのは五月の下旬。今から約一ヶ月ほど前の事だ。
野球部の男子生徒がグラウンドに忘れた帽子を取りに旧校舎の前を通ったところ、突然「ポーン」というピアノの音が聞こえて来た。音のした旧校舎を見上げると、二階の窓にぼんやりと映る怪しい人影と、火の玉のような青白い光が見えたらしい。慌てて部室に戻った彼が残っていた部員にその話をすると、あっという間に全校生徒に広まった。それからも怪しい人影の目撃情報は相次ぎ、我が校で彼女は一躍時の人となっている。
ちなみに、旧校舎とは文字通り昔使われていた古い校舎のことだ。学校創設時から存在している歴史ある木造の建物だが、耐震性や老朽化と言った安全面の問題、生徒数の減少などという社会的な問題から数年ほど前に新校舎に建て替えられ、今はまったく使用されていない。
入口には立入禁止のロープが張られており、生徒はおろか教師だって滅多に足を踏み入れることはない孤立した場所だ。今年の夏には取り壊される事が決定したと聞いている。
そんな事情もあって旧校舎には数えきれないほどの噂話が存在するのだが、はっきり言ってどれも信憑性のないものばかりだ。大体「友達の友達が見たらしいんだけど」とか「先輩の知り合いから聞いたんだけど」っていう話の出所からして怪しすぎる。友達の友達にしろ先輩の知り合いにしろ、ほぼお前とは無関係の他人じゃん。そんな話を簡単に信じるなんて馬鹿げてる。
だから、今回騒ぎになっている幽霊の話だっておそらく寝ぼけた誰かの見間違いレベルのものだろう。あんなもの、己の恐怖心が作り出したただの幻覚だ。まったく、どいつもこいつも騒ぎ過ぎなんじゃないだろうか。大体、幽霊なんていう非科学的なもの、科学技術が発展している令和のこの時代にいるはずがないのだ。
「なぁ知ってる? 昨日旧校舎にまた出たんだって! 幽霊! 超怖くね!?」
俺が幽霊否定説を脳内でツラツラ並べていると、隣で友人の佐々木が興奮気味に話出す。ここにも噂に踊らされている奴が居るらしい。ジメジメとした不快な風に眉を潜めながら、俺は隠すことなく溜息をついた。
「幽霊なんて居るわけないだろ。あんなのただの噂だよ、噂」
「だってこんだけ目撃情報あるんだぜ!? いるって! 絶対幽霊いるって!」
「いや、それなら誰かが忍び込んでる可能性の方が高いだろ」
「え~? じゃあソイツはなんのために旧校舎に忍び込んでんだよ!」
「それは……」
「分かんないだろ? やっぱ幽霊なんだって!」
「いやいや。だったらその幽霊は何してんだよ」
呆れたように聞くと、佐々木は待ってましたとばかりに目を輝かせた。
「それがさぁ! あの幽霊、失くした楽譜を探してるんだって!」
「……楽譜?」
「そうそう。あの幽霊って、昔この高校に通ってた女子生徒なんだって。音楽室に忘れた楽譜を取りに戻る途中で事故死したらしいよ。で、それ以来ずっと楽譜を探して音楽室をさまよってるって聞いた!」
いつの間にそんな話が出ていたんだろう。噂ってすげーな。
「だからさぁ、楽譜を見つけない限りあの幽霊は成仏しないんだって!! 困るんだよな~~怖くて部活に集中出来ねぇんだよ~~」
「うっせーよヘタレ。精神修行だと思って頑張れ」
「何その冷たさ! 南極大陸!?」
野球部は旧校舎の裏にある第二グラウンドを使っているので通る機会も多いらしい。こう見えて佐々木も野球部員なので色々と気になるようだ。
「そうだ! 賢斗の知り合いの探偵になんとかしてもらおうぜ!」
「は?」
名案とばかりに叫んだ佐々木を思わず睨む。
「ほら、お前ん家の二階にいる探偵だよ! あの人に頼んで幽霊どうにかしてくれよ!! お前手伝いとかしてんだろ!? その誼でさぁ!」
「いや無理だろ。霊媒師でもあるまいし」
「探偵なら探し物出来んじゃん! 楽譜探して成仏させてよ!」
「んな無茶な」
「ケチ!!」
「バカなこと言ってないで早く行くぞ。昼飯食べる時間なくなる」
「あ、待って! 置いてかないで!」
お茶を買って自販機を後にすると、佐々木はバタバタと足音をたてながら追ってきた。
──この時の俺は、今のくだらない会話をじっと聞いている女子生徒が近くにいたなんて、知る由もなかった。