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「オイ。新しい依頼があるから報告はもう少し待てとはどういうことだ!? 放置プレイ!? 放置プレイなのか!? 職務怠慢もいいとこだな出るとこ出ろ訴えてやる!!」
ノートパソコンの前でひどい隈をつくった芳賀さんの怒鳴り声が店内に響く。
本日、急遽行われることになった芳賀さんのサプライズ祝賀パーティー。その準備のため、八神さんは朝から芳賀宅へ手伝いに行っている。俺は普通に学校があったので、喫茶店にいるであろう芳賀さんの足止めを午前中は姉が、帰宅してからは俺が担当することになった。……のだが。
「なぁ弟くん!! 君からでもいい! 愛理は一体何をやっていたんだ!? 教えてくれ!! 気になって夜も眠れんのだよ!!」
「いや、俺はただの手伝いなんでそういう報告とかは言えないっつーか……」
「ぐああああもう待ってられん! 今すぐ八神くんを呼んでくれ!! 今すぐにだ!!」
ご覧の通り、いつにも増して情緒不安定な芳賀さんの怒りがもう限界だ。これ以上抑えておくのは俺一人の力じゃ到底無理である。八神さん、マジで早くしてくれ!
俺の願いが通じたのか、ポケットに入れていたスマホがブルブルと震えた。俺はすぐにメッセージを確認し、内心でガッツポーズを決める。
「芳賀さん」
「なんじゃい!!」
「たった今八神さんから連絡が入りました。今から調査の報告をするから芳賀さんの自宅に来て下さい、だそうです」
「……自宅? 俺の? なんで?」
「さぁ? 俺は芳賀さんを呼んでくれとしか言われてませんから」
「ハッ!! ま、まさか愛理の身に何かあったんじゃ……!?」
顔を青くした芳賀さんは勢い良く席を立つと、愛用のノートパソコンを抱えて走り出した。あの様子だと十分以内には家に着くだろうと予想をたて、八神さんにメッセージを送る。
「あ、賢斗。パーティーに行くならこれ芳賀さんに渡しておいて」
カウンターの奥から出てきた姉が可愛らしくラッピングされた袋を俺に渡す。
「私からのお祝い。桜子さんにせっかく誘って頂いたのにお店があって行けないから。代わりに渡しておいてね」
「了解。渡しとく」
「喜んでくれるといいね。サプライズパーティー」
「あの芳賀さんが二人に祝われて喜ばないわけないだろ?」
「ははっ、それもそうだね」
姉から託されたプレゼントを持って、急いで芳賀さんの後を追いかけた。
「芳賀さん!」
暫く走って、ようやくその背中に追い付く。芳賀さんは信号待ちで人目も憚らず足踏みをしていた。
「弟くん! この信号、青になるのが遅すぎると思わないか!? 壊れてるんじゃないのか!?」
血走った目で力説される。交通ルールをきちんと守っているのは偉いが、そういう文句を俺に言われても困る。せめて警察に言ってほしい。
信号が青に変わると同時に芳賀さんは走り出した。陸上選手顔負けの華麗なスタートダッシュである。立派な黒塗りの門をくぐり、ドアノブをガチャリと回し玄関の中に飛び込んだ──その瞬間。
パンパンパンパーン!!
銃声のような大きな音に独特な火薬の匂い。宙に舞う色とりどりの紙テープと紙吹雪。
「せーのっ! 恭一郎さん、デビュー二十周年おめでとうございまーす!!!!」
明るい声。割れるくす玉。拍手の音。
「…………は?」
まん丸に開いた目、顎が外れんばかりにぽかんと口を開けた間抜け面を晒す芳賀さんはキョロキョロと周りを見渡し、自分を囲んでいる一人一人の顔を確認する。桜子さん、愛理ちゃん、義弟の青葉さん、八神さん、編集の佐竹さん、そして俺。赤い紙テープを頭に乗せた芳賀さんは、事情がまったく飲み込めていないようだった。
「こ、これは一体……?」
掠れた声で芳賀さんがようやく一言を口にする。
「芳賀さん。これが愛理ちゃんの秘密ですよ」
一張羅の黒スーツを着た八神さんが芳賀さんの前に立つ。
「愛理の秘密?」
「ええ。これは桜子さんと愛理ちゃんが内緒で計画した、貴方のための祝賀パーティーなんです」
「なっ!?」
「桜子さんと愛理ちゃんは日曜のパーティーより先に貴方をお祝いしたいと秘密裏に準備を進めていました。学校の帰りが遅くなっていたのは青葉さんの協力の元、貴方にプレゼントを作っていたためです。愛理ちゃん」
八神さんが愛理ちゃんを呼ぶ。愛理ちゃんは桜子さんの後ろからひょっこり顔を出すと、両手を後ろにして芳賀さんの前まで歩いて行く。
「ごめんねパパ。パパが心配してることには気付いてたけど、どうしても知られたくなかったの。パパのこと驚かせたかったから」
愛理ちゃんは後ろで隠していた手を前に持ってくると、芳賀さんに見えるように精一杯腕を上げた。
「これ。パパにあげる」
それは、愛理ちゃんが一生懸命作っていたお守りだった。薄いピンク色の生地を袋型に縫い合わせ、真ん中に桜の花を模ったチャーム、袋の口は薄緑色の打紐で二重叶結びに結ばれているという、本格的なお守りだった。しかも、ミシンではなく手縫いで仕上げたという力作だ。
「わたしの手作り。放課後や休みの日にね、青葉くんに教えてもらって作ったの」
「あ……あ……」
芳賀さんは感動のあまり言葉が出てこないようで、手を伸ばしたままカオナシのように単語しか発していない。
「デビュー二十年おめでとう。受け取ってくれる?」
「あ…………あ……あ、」
芳賀さんは震える手でしっかりとお守りを受け取った。その目には今にも溢れそうな涙がたまっている。愛理ちゃんは笑顔で続けた。
「これね、パパがちゃんと締め切りを守って真面目にお仕事しますようにっていう願いを込めたの」
「うっ……」
「ははは! いいぞ愛理ちゃんもっと言え!!」
芳賀さんに一万ダメージ。佐竹さんがここぞとばかりに声を上げ、更に五千ダメージの追加。
「嘘よ。パパがもっとしっかりした大人になりますようにって願いを込めたの」
「ううっ……!」
芳賀さんに十万ダメージ。
「それに、いい加減娘離れして過保護になるのはやめてほしいってお願いもしてあるのよ」
芳賀さんに再起不能の特大ダメージ。目からどんどん光が失われていく。
「これも嘘よ」
「えええっ!?」
「ふふっ。ほんと、パパってからかうと面白いわ」
芳賀さんのライフはゼロというかマイナスだ。愛理ちゃん、復活の呪文早く早く!
「本当はね……パパがずっとママと愛理と暮らせますようにって。ずっと元気でお仕事を続けられますようにって願いながら作ったの」
愛理ちゃんは桜子さんに似た笑顔ではにかみながら言った。
「あ、あ、あ、愛理ぃいぃいぃいぃいぃいいい!!」
芳賀さんの涙腺は一気に崩れ、防波堤はあっという間に決壊した。警戒レベル最大量の涙が床を濡らす。
「もう。泣かないでよ恥ずかしい」
えぐえぐと嗚咽を鳴らす芳賀さんの背中を愛理ちゃんがさする。小学二年生とは思えないほどよく出来た子だ。
「ほら、ママの作ったカップケーキ食べよ?」
その言葉に、アラフォーとは思えないほどぐしゃぐしゃな泣き顔をした芳賀さんが顔を上げる。
「さ、桜子さんの手作りカップケーキ……だと?」
「ええ。恭一郎さんのために頑張って作ったの。食べてくれる?」
差し出されたのは薄いピンク色の生クリームでデコレーションされたカップケーキ。一日でだいぶレベルアップしているのは、おそらく青葉さんの力が大きいのだろう。
「恭一郎さん。私があなたと出会えたのはあなたが小説家としてデビューしてくれたおかげだわ。ありがとう。そして二十周年本当におめでとう。これからも頑張ってね。私もサポートするわ」
芳賀さんは手渡されたカップケーキを一口かじると、再び泣き出した。
「うっ、ひっ、くっ……美味い。美味いよ桜子さん!! 愛の味がする! めちゃめちゃ甘じょっぱい!」
愛の味はよくわからないが、昨日の通り激甘ケーキだったとしたら涙で塩気が効いてちょうどいいのではないだろうかと一人考える。
「おい恭一郎。これで新作書けんだろうな? ああ?」
「おめでとうございますお義兄さん! そしてすみませんでした。愛理ちゃんのこと心配したでしょう?」
「俺は……俺は桜子さんと、そして愛理と出会うために十八で小説家としてデビューしたに違いない! 神様! 神様ほんとにありがとう!!」
「テメェ聞いてんのかコラ!! 泣いてねぇで仕事しろオラァ!」
もみくちゃにされている芳賀さんと、それを笑顔で見守る桜子さんと愛理ちゃんを見て、俺と八神さんは安堵の笑みを浮かべた。