「八神さんっ!!」

 八神さんは右手で頭を押さえながら上半身を起こしていた。

「大丈夫ですか?」
「うん。いつも通りただの貧血だから。今はだいぶ落ち着いたよ。皆さん、助けて頂いて本当にありがとうございました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「そんなのいいんですよ。それより八神さんが無事で良かったわ」

 桜子さんの言葉に、愛理ちゃんもこくこくと頷く。

「いやぁ面目無い。昨日届いた新刊に手を出したのがいけなかったのかな……。あっという間に時間が経っちゃって気付いたら朝だったんだよねぇ。ご飯も食べる時間がなくて、一応モカちゃん特製ドリンクは飲んだんだけどやっぱり体力持たなかったなぁ。きっと昨日の疲れも残ってたんだろうね。あ、睡眠と朝食は大事だからみんなちゃんと取ろうね」

 いや、お前にだけは言われたくない。俺の冷めた視線にも気付かず、八神さんは体の向きを変えソファーに座り直した。

「あなたは桜子さんの弟……青葉さん、でしたか?」
「あ、はい!」
「合っていてよかった。ぼんやりした頭で聞いていたので間違えたんじゃないかと思いました。改めまして青葉さん、運んでいただいてありがとうございました。あなたは僕の命の恩人です」
「いやいやそんな大袈裟な!」
「僕は八神碧、職業は探偵です。何か困り事があったら是非こちらにお越し下さい。電話でもいいですよ」
「……は、はぁ」

 八神さんはコートの下のジャケットから名刺を取り出して青葉さんに渡す。そして、テーブルに置いてある桜子さん手作りのカップケーキをむしゃむしゃと食べ始めた。両頬をふっくらと膨らませながら食べ続けるその姿はハムスターのようだ。……行儀の悪い子供か。この自由人が。

 明らかに困惑している青葉さんが可哀想なので、俺は話を戻した。

「で、八神さん。GPSがどうしたんです?」
「ん?」

 だいぶ砂糖の効いたカップケーキをごくんと飲み込むと、八神さんは思い出したように言った。

「ああ。最初に話を聞いた時本人が言ってただろ? 恭一郎さんはスマホのGPSで愛理ちゃんの居場所を常に確認してるって」

 確かに言っていた。ドン引きしたからよく覚えている。

「恭一郎さんが愛理ちゃんを溺愛し、過保護なほど大事にしているのは周知の事実。それはもちろん愛理ちゃん本人もわかっている事だ。そんな恭一郎さんに、愛理ちゃんが寄り道してることがバレたらどうなると思う?」

 俺はハッとした。

「例え寄り道した先が義弟である青葉さんのマンションだとしても、恭一郎さんは愛理ちゃんか彼に連絡を入れたり迎えに来たりと面倒なことになるだろうね」

 俺はゾッとした。確かに八神さんの言う通りだ。考えたくはないが、そんなことになったら光の速さで迎えに来るだろう。迎えというか、下手すれば殴り込みだ。

「しかし、スマホの電源を切れば心配性な恭一郎さんが大騒ぎするのは目に見えてるし、かと言ってそのままにしてれば居場所が特定されせっかくの計画がバレてしまう。だから愛理ちゃんは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()していたんだ」

 わざと居場所を公開……? って事はつまり、愛理ちゃんはスマホを置くためだけに図書館に寄ってたってことか?

「スマホはおそらく鍵付きのロッカーの中にでも置いていたんでしょう。青葉さん宅での用事を済ませ、帰りにもう一度図書館に寄ってスマホを回収し自宅へ戻る。ここ数日、学校が終わってからこの繰り返しだったんじゃないでしょうか。図書館なら長時間いても怪しまれないし、恭一郎さんも心配……はするかもしれないけど誤魔化しがきくからね」

 八神さんの説明に、青葉さんは驚いたように頷いた。

「その通りです。よくわかりましたね」
「それとこのカップケーキ。桜子さんの手作りなんですよね?」
「ええ、そうよ」
「なるほど。桜子さんはサプライズパーティーで出すカップケーキを焼くために弟さんの部屋を訪れていたわけですね。昨日スーパーで材料を買っていたのでもしやと思ったんです。愛理ちゃんが手芸屋さんに寄ったのは何かプレゼントを作っているのでしょうか?」

 その問いには、愛理ちゃんが答えた。

「そうよ。わたしね、パパにお守りを作ってたの。青葉くんに教えてもらいながらたくさん練習したのよ」

 愛理ちゃんは作りかけのお守りを見せる。薄いピンク色の生地に桜のチャームが付いた可愛らしいお守りだった。

「桜をイメージして作ったの。これに緑の刺繍糸を通せば完成よ」

 少し照れくさそうに笑って言うと、お守りを見つめる。

 なるほど。桜子さんと愛理ちゃんは芳賀さんのために色々と準備をしていたわけか。逢引だ誘拐だなんてのは、やはり芳賀さんの杞憂に過ぎなかったのだ。桜子さんは潤んだ瞳を伏し目がちにし、ほうと溜息をついた。

「実はね、佐竹さんから私のところにも連絡が来たの。仕事に支障が出てるからどうにかしてくれって。周りにこれ以上迷惑はかけられないし……もうネタばらしした方がいいのかしらね」
「そのサプライズパーティーはいつやる予定なんですか?」
「本番の前。金曜の夜か土曜の夜にしようかと思ってたんだけど……うん。決めた! 明日やるわ!」

 その場にいた全員が「えっ?」と言って固まった。だって、こんなにすぐ決めていいのだろうか。桜子さん、決断力がありすぎる。

「思い立ったが吉日よ! そうと決まれば急いで準備しなくちゃね。愛理はお守り完成出来そう?」
「もちろん大丈夫よ。だからママは青葉くんとケーキ作りに専念して。わたしも終わったら手伝うから」
「姉さん、部屋の飾りに使うバルーンとかガーランドの買い出しはどうする? 明日までに持って行かなきゃいけないでしょ?」
「そうねぇ……」

 三人がなんだか忙しそうだったので、俺は声をかけてみた。

「あの、良ければ俺たちも手伝いましょうか?」
「まぁ、いいの?」
「はい。今回のお礼も兼ねてお手伝い出来ればと思いまして……」
「じゃあ賢斗くんは買い出しをお願い出来るかしら? 八神さんはカップケーキの味見係をお願いします」

 これは的確な人選である。さすがあの変人小説家の妻をつとめているだけあって、桜子さんの順応性の高さは素晴らしい。しかし、激甘党の八神さんと普通の人の味覚が合うかは保証できない。

「そうだわ!」

 桜子さんはナイスアイデアとばかりにパン! と手を叩きながら言った。

「ねぇ、もし良かったらあなた達もパーティーに来てくれない?」
「え、でもご家族だけでやるんじゃ……?」
「恭一郎さんが迷惑かけたお詫び! それに、仲の良い人たちが集まった方があの人も喜ぶと思うの!」

 いや、あの人は桜子さんと愛理ちゃんさえいれば他に何もいらないと思うけど……。

「さぁ、急いで準備を始めましょう! 恭一郎さんの限界メーターが超えちゃう前に」

 そう言って、桜子さんはとびきりキュートに笑った。