「大丈夫? すごい汗。水分とった方がいい」
「あ、うん……」
 かろうじて握りしめていたハンカチで由梨は額を押さえる。
 店内に入ると涼しいけど汗まみれのからだがじっとりするようだった。二階に続く長いエスカレーターを通りすぎて自販機に行く。小田がペットボトルのお茶を買ってくれた。

「ごめんなさい。お金持ってなくて……」
「いいよ」
 自分の分のお茶も買って小田は脇のベンチに座る。
「ここでいい?」
 由梨はこっくり頷いてベンチのもう片方の端に腰を下ろした。ここは裏口への通路になっていてときおり買い物客が通りがかる。それで良かった。人目があった方が泣くのを我慢できるだろうと思った。

「どうしたの、怖い顔して。僕悪いことしたっけ?」
 小さく笑って小田は由梨の顔を覗き込んでくる。
「仕事のこと?」
「そうじゃなくて、すごく個人的なことなんだけど」
 ペットボトルとハンカチを両手で握り締め、由梨は息を整える。小田の顔を見つめ返す。

「わたし……」
 いざ口にしようとしたら胸が締めつけられるように痛くなった。息が詰まって苦しい。必死に喉の奥から声を絞り出すと、自分の声とは思えないほどかすれていた。
「わたし、小田くんのことが好きなの」
「……」
 小田は少し眉を顰めたように見えた。もう見つめてられなくて由梨は視線を落として顔を俯ける。

「でも。カノジョがいるし、わかってるから、だから、はっきり振ってほしい。それで、これっきりにするから」
 自分の意思をこれ以上はなくわかりやすく伝えたつもりだった。振られて終わりにしたい。これ以上引きずりたくない。だから。

 それ以上声も出せずに、俯いて由梨は返事を待つ。細く息を吐き出して涙が出ないようにするのがやっとだった。
 いつまで沈黙が続くのだろう。拷問のように感じ始めた頃、ようやく小田が口を開いた。

「ありがとう。嬉しいよ」
 予想外の言葉だった。だけどその後に欲しい言葉ももらえるだろうと思った。それなのに。
「考えるから、返事は待ってくれる?」
「……」
 信じられなくて、由梨は息を止めて顔を上げた。

 考えるって何を。返事なんか決まってるはずだ。小田の性格なら間違いない。結婚を考えているほどのカノジョとわざわざ別れたりなんかしない。そんな面倒なことを彼はしない。見え透いてるのに。

 声もなく目を見開く由梨を見つめ返す目は水のようだった。ああ、暖簾に腕押しというやつだ。優柔不断な彼は決断しない。こんなにはっきりと求めているのに。

 そして由梨は自分自身の身勝手さも思い知る。恋に恋してお弁当を作ったときと変わらない。自分の我儘で都合よく相手を動かそうとした。相手は、由梨の思惑通りに動いてくれるような人じゃなかったのに。

 さっきまでとは違う胸の痛みに襲われて、由梨はどうしようもなく途方に暮れた。