そっけなく返してすぐに離れる。背中に視線を感じたけど無視した。そのすぐ後に冷たかっただろうかと反省する。彼はあんなに大変そうなのに。作業着のポケットの中に眠気覚ましのタブレットがある。これをあげようかと考える。以前ガムをもらって、あれはとても助かった。

　振り返って様子を確認すると、肩を落としてパソコンに向かっている小田に、さっと近寄った睦子が飴玉を渡していた。そうしながら何かアドバイスしているようだ。由梨が気にかけることなんか何もない。ちくりと胸が痛んだ。




　職場が落ち着かない中で母親まで面倒を起こしてくれた。
「もう我慢できなくてさ、大ゲンカだよ。縁切りだよ。二度と会うこともないよ」
　祖母の家の近くに暮らしている叔母と大喧嘩して祖母の家を出てきたらしい。保証人のいらないワンルームの安い部屋を借り引っ越してしまったそうだ。いつの間に、と由梨はめまいがしてしまう。
　いや、こういう人なのだ、この人は。いつも我慢が足りなくて安定しない。自分でわかっていないのだろうか。

「お金はあるの？」
「貯金だって少しはできたしまた働くし」
　チェーンの和食店の厨房でパートを始めたと、母は偉そうに説明する。
「誰にも文句は言わせないよ」
「……」
　由梨はため息をついて母親の新居である狭いワンルームの部屋を見渡す。

　畳の部屋にこだわって探した結果、由梨自身が今借りている部屋は六畳の和室とキッチンが独立した１ＤＫである。お風呂とトイレも別々で古いけれどまあまあ快適だ。
　その由梨の部屋と比べ、母の借りたこの部屋は文字通りのワンルームで狭苦しい。小さな流しに、お風呂とトイレが一室にある狭いユニットバス。六畳の居間では、無理矢理押し込まれた大きな洋服ダンスが妙な存在感を見せている。

「一人暮らしなんて初めてじゃない？」
　若いころ由梨を身籠った母は、家出同然で実父と生活を始めたと話していた。由梨が自立してからは内縁関係の男性と暮らしていた。その人と別れてからは祖母と。独りになったことがない人なのだ。
「そうだね。せいせいだよ、一人がいちばんだよ」
「そうだね」

　由梨だって今更母と一緒に暮らすつもりなんてこれっぽっちもない。離れることでようやくバランスが取れるようになったのだ。思春期の情緒不安定さは乗り越えたといっても、後戻りになるのは嫌だ。

「おばあちゃんショックなんじゃないかな」
「知らないよ。あの人はアイツの味方なんだから」
　それは確かに、祖母は末の娘の叔母のことを誰より頼っているようではあるが。由梨はため息をついて次の休みに祖母の様子を見にいくことに決めた。