もう一度お礼を言ってから由梨は車を降りた。急いでアパートの外階段の庇の下に入る。そこから紺色のクルマが路地を進んで角を曲がっていくのを見送った。
「……」

 どっと疲れた。置き傘をしておかないと駄目だな。反省して自宅に入る。
 薄暗い部屋にため息をついて電気のスイッチを押そうとして気がついた。手が震えている。緊張したのだ。怖いくらいに緊張していたのだ。

 靴も脱がないまま、震える指先で自分の顔の輪郭をなぞってみる。もしかしたら頬も強張っていただろうか。小田にそれが伝わっただろうか。自分はどんな顔をしていただろうか。由梨は鏡を見て確かめるのが怖かった。




 そうこうするうちに驚くべきことが起こった。寿退社する彼女が、結婚式の招待状を由梨にもくれたのだ。
「一緒に仕事した仲間だもん。来てくれる?」
 睦子や仲良しなもうひとりを呼ぶのだから、由梨のことも無視できないと思ったのだろう。それでも由梨の方は仲間だなんて思ったことはなかったのに。由梨は自分の薄情さを少しだけ悔いる。

 一足早く職場を離れることになった同い年の彼女は、申し訳なさそうな顔をして皆に退職の挨拶のハンカチを配ってくれた。
「しょうがないよ。体大切にね」
「うん。また連絡するね」
 そうは言ってもこれっきりだろうな。寂しいけれど大人な顔で彼女を見送った。

 新しい班編成が発表され、由梨は同じ日に入社した十九歳の子ともうひとり、ふたつ年下だけど由梨より少しだけ先輩の検査員と班を組むことになった。
 十九歳の子とは始めから砕けた仲だったし、ふたつ下の彼女も少し風変わりな感じを醸しだしてはいるが仕事は真面目にやる子なので、由梨は安心する。睦子の計らいなのだろう。

 組み立て係の方でも動きがあった。派遣の新入社員が更に二人配属されたのだ。小田と白井がそれぞれ教育している。
「あのふたりにはリーダーになってもらう予定だからビシバシしごいてもらわなきゃ」
 珍しく睦子が真剣な顔をしている。仕事のことで真剣な睦子を初めて見るかもしれない。

「リーダーとして仕上がったら更に三人入る予定だから」
 それはつまり。
「組み立て係も全員派遣になるってこと?」
 にしても勘定が合わない。一人余ってしまう計算だが。
「……」
 教えすぎたとでも思ったのか、睦子は重く口を閉ざしてしまった。