(3)
息が切れている。徐々にペースを落とし、ゆったりとした歩行へと切り替える。もう一周、ダウンを兼ねて歩こうと思った。硬いアスファルトを蹴りつけていたせいで、足首が痛い。寒さと疲労で前腿が張っているのが分かった。
ただ、足首が痛くても前腿が痛くても、それは別にどうでもいい。いずれ痛みも張りも引いていく。
それよりも、だ。使用していないのにもかかわらず、鈍い痛みを発する右手首。じんわりと腱に沿って熱を帯びている気がした。確かめるように、手のひらを開いて閉じる。電流が走り抜けるような痛みはもう感じていないけど、まだ違和感が残っていた。ずっと張り裂けるように痛かった。幾分ましになった今でも、あの時の感覚が思い出されて、痛みがあるかどうか迷ってしまう。
だから、卓球はまだできない。
もう、あの頃の情熱は失った。努力は結果を裏切るし、練習はわたしの心を殺した。試合会場のあの熱気。卓球が好きで好きでたまらない人だけが踏み入れることの出来るあの世界。
わたしはもうその戦場に足を踏み入れることを許されない。
怪我をしたのは高校一年生の春。練習中に小さな違和を感じたのが最初だった。その小さな違和は徐々に大きなものへと変化した。徐々に痛みを伴い始める右手首。嫌に指先がしびれた。お母さんに相談をして受診した医師の診断は軽い腱鞘炎。湿布を処方され、ストレッチを教わった。
少し練習量を減らせば、痛みはすぐに改善された。ただ、練習を怠った分のツケはプレーに現れた。手首が快方に向かってからは、その期間を取り戻せるように練習量を増やした。
そして再発したのは高校二年の夏。前回よりもずっと激しい痛みだった。痛みに耐えきれず、思わずラケットを手放した。「痛いっ」と上げた悲鳴は、わたしの声かラケットから漏れたものか。熱い、と思った。同じ診療所で湿布を処方され、電気をあてる治療を施される。痛み止めを服用し、誤魔化しながらプレーを続けた。もう休めない。これ以上は休めない。休めば自分のプレーに支障が出ることはわかり切っていたからだ。
努力すればするほど、痛みは増加していった。それでも、卓球を休むことはできなかった。高校に入学して、わたしは一度もブロック大会に出場できていない。もうチャンスは数少ない。クラブチームの後輩は徐々に力を付け始めている。特に学校の後輩でもある有田小春はその頭角を現し始めていた。もっと頑張らないといけないんだ。
そんな思いに反して、クラブチームのコーチ陣がわたしを見捨てるのは特に早かった。明らかに有田小春に期待を寄せていることが手に取るようにわかってしまった。それくらい、あからさまに誰もわたしを見なくなった。初めに卓球を教えてくれたコーチ――斎藤穂高コーチだけは辛うじてわたしを見てくれている。今まで向けられていた期待が全て無くなってしまうのは、恐怖にも似た感情だった。自分が自分じゃなくなる。そんな不安が付きまとった。
だから懸命に、必死になって練習した。痛くても、熱くても、手がしびれても。痛み止めの服用は常に許容量を超えていた。電気をあててもらいたかったけど、それをするには結構な費用がかかった。お母さんに相談すれば増やしてもらえたのかもしれないけれど、わたしはそうしなかった。
クラブチームの費用だって、ラケットに貼るラバーだって、大会の出場費だって。
卓球を続けるための費用は、それほどまで安いものではない。結果も出てないような奴にお金を掛けさせることが申し訳ないと感じてしまった。
努力すればするほど勝てなくなる。
追いつかれて、追い抜かれて、取り残された。
ラケットを振る右手が震える。
利き手の握力では、ペットボトルのキャップを開けることすら叶わなかった。
高校二年の九月。
蒸し暑い体育館。
わたしはきっと、その日を忘れない。
「果歩。しばらく休みなさい。その怪我が治るまで、僕は果歩の相手はしない。君はしばらく休むべきだ。もっと早くそうするべきだった。僕のミスだ、すまない。」
斎藤コーチからの死刑宣告。寄せられていた期待はすべて失われた。
わたしは卓球が嫌いになった。
それなのにまだ、辞めることはできない。
外周一周、ちょうど一キロメートル。歩き終えたわたしは冷たいアスファルトに寝そべった。十分にダウンをしたはずなのに、肺が上下に動いている。生きる意味だとさえ思っていた卓球を奪われても、わたしの呼吸は止まらない。
卓球をすることが怖い。でも、それと同じくらい手放すことも怖かった。これまでの卓球に費やしてきた時間、熱量。それはわたしの人生そのものだと言える。大きなタイトルを獲得したり、特別な強化選手に選ばれたりした経験があるわけではない。それでも、卓球はわたしの人生と呼ぶにふさわしかった。
もう、前にも後ろにも進めない。
わたしはここでずっと立ち尽くすのだ。
空に手を伸ばす。
遠くて、高い。やっぱり雲は掴めない。
そういうものなのだ。
雲と夢はよく似ている。懸命に手を伸ばすのに、決して届くことはない。
高く伸ばした指の隙間から空を覗き見る。直上させた手を斜め前へと押し出した。
指先が何かを掴もうとして宙をもがいた。
「雲に手は届きそうっすか?」
息が切れている。徐々にペースを落とし、ゆったりとした歩行へと切り替える。もう一周、ダウンを兼ねて歩こうと思った。硬いアスファルトを蹴りつけていたせいで、足首が痛い。寒さと疲労で前腿が張っているのが分かった。
ただ、足首が痛くても前腿が痛くても、それは別にどうでもいい。いずれ痛みも張りも引いていく。
それよりも、だ。使用していないのにもかかわらず、鈍い痛みを発する右手首。じんわりと腱に沿って熱を帯びている気がした。確かめるように、手のひらを開いて閉じる。電流が走り抜けるような痛みはもう感じていないけど、まだ違和感が残っていた。ずっと張り裂けるように痛かった。幾分ましになった今でも、あの時の感覚が思い出されて、痛みがあるかどうか迷ってしまう。
だから、卓球はまだできない。
もう、あの頃の情熱は失った。努力は結果を裏切るし、練習はわたしの心を殺した。試合会場のあの熱気。卓球が好きで好きでたまらない人だけが踏み入れることの出来るあの世界。
わたしはもうその戦場に足を踏み入れることを許されない。
怪我をしたのは高校一年生の春。練習中に小さな違和を感じたのが最初だった。その小さな違和は徐々に大きなものへと変化した。徐々に痛みを伴い始める右手首。嫌に指先がしびれた。お母さんに相談をして受診した医師の診断は軽い腱鞘炎。湿布を処方され、ストレッチを教わった。
少し練習量を減らせば、痛みはすぐに改善された。ただ、練習を怠った分のツケはプレーに現れた。手首が快方に向かってからは、その期間を取り戻せるように練習量を増やした。
そして再発したのは高校二年の夏。前回よりもずっと激しい痛みだった。痛みに耐えきれず、思わずラケットを手放した。「痛いっ」と上げた悲鳴は、わたしの声かラケットから漏れたものか。熱い、と思った。同じ診療所で湿布を処方され、電気をあてる治療を施される。痛み止めを服用し、誤魔化しながらプレーを続けた。もう休めない。これ以上は休めない。休めば自分のプレーに支障が出ることはわかり切っていたからだ。
努力すればするほど、痛みは増加していった。それでも、卓球を休むことはできなかった。高校に入学して、わたしは一度もブロック大会に出場できていない。もうチャンスは数少ない。クラブチームの後輩は徐々に力を付け始めている。特に学校の後輩でもある有田小春はその頭角を現し始めていた。もっと頑張らないといけないんだ。
そんな思いに反して、クラブチームのコーチ陣がわたしを見捨てるのは特に早かった。明らかに有田小春に期待を寄せていることが手に取るようにわかってしまった。それくらい、あからさまに誰もわたしを見なくなった。初めに卓球を教えてくれたコーチ――斎藤穂高コーチだけは辛うじてわたしを見てくれている。今まで向けられていた期待が全て無くなってしまうのは、恐怖にも似た感情だった。自分が自分じゃなくなる。そんな不安が付きまとった。
だから懸命に、必死になって練習した。痛くても、熱くても、手がしびれても。痛み止めの服用は常に許容量を超えていた。電気をあててもらいたかったけど、それをするには結構な費用がかかった。お母さんに相談すれば増やしてもらえたのかもしれないけれど、わたしはそうしなかった。
クラブチームの費用だって、ラケットに貼るラバーだって、大会の出場費だって。
卓球を続けるための費用は、それほどまで安いものではない。結果も出てないような奴にお金を掛けさせることが申し訳ないと感じてしまった。
努力すればするほど勝てなくなる。
追いつかれて、追い抜かれて、取り残された。
ラケットを振る右手が震える。
利き手の握力では、ペットボトルのキャップを開けることすら叶わなかった。
高校二年の九月。
蒸し暑い体育館。
わたしはきっと、その日を忘れない。
「果歩。しばらく休みなさい。その怪我が治るまで、僕は果歩の相手はしない。君はしばらく休むべきだ。もっと早くそうするべきだった。僕のミスだ、すまない。」
斎藤コーチからの死刑宣告。寄せられていた期待はすべて失われた。
わたしは卓球が嫌いになった。
それなのにまだ、辞めることはできない。
外周一周、ちょうど一キロメートル。歩き終えたわたしは冷たいアスファルトに寝そべった。十分にダウンをしたはずなのに、肺が上下に動いている。生きる意味だとさえ思っていた卓球を奪われても、わたしの呼吸は止まらない。
卓球をすることが怖い。でも、それと同じくらい手放すことも怖かった。これまでの卓球に費やしてきた時間、熱量。それはわたしの人生そのものだと言える。大きなタイトルを獲得したり、特別な強化選手に選ばれたりした経験があるわけではない。それでも、卓球はわたしの人生と呼ぶにふさわしかった。
もう、前にも後ろにも進めない。
わたしはここでずっと立ち尽くすのだ。
空に手を伸ばす。
遠くて、高い。やっぱり雲は掴めない。
そういうものなのだ。
雲と夢はよく似ている。懸命に手を伸ばすのに、決して届くことはない。
高く伸ばした指の隙間から空を覗き見る。直上させた手を斜め前へと押し出した。
指先が何かを掴もうとして宙をもがいた。
「雲に手は届きそうっすか?」